ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 水野直樹・文京洙 著 「在日朝鮮人ー歴史と現在」  (岩波新書 2015年1月)

2016年05月04日 | 書評
植民地時代の在日朝鮮人社会の形成から、戦後70年の歴史と在日三世の意識の変化を追う 第10回 最終回

終章 現在から将来へ グローバル化(日本社会の変容)の中の在日朝鮮人

高度経済成長期は人の移動が大規模に行われ、底辺で支える大量の移民労働者の存在を抜きにしては語れない。工業化は人々を大都市に集中させ、欧米では多かれ少なかれ異質なエスティック文化の坩堝となった。日本では農村から都市に移った人はおよそ1千万人といわれる。集団主義、家族主義、法人主義が日本資本主義の特徴であるかのように言われるが、1960年代から日本社会は大きな変質の時代に入っている。企業における大企業と中小企業、男性労働と女性労働、正社員と非正規社員という格差が広がっていった。在日朝鮮人は地域社会の異質的扱いを受けていた。日本の均質社会という幻想は在日朝鮮人を同化か異化かという2者択一問題としてしか意識しないという閉鎖社会を生んだ。ところが急激な円高、東南アジアの工業化、巨大な労働プールの出現によって、日本でも外国人労働者の大量受け入れが急速に進んだ。日本での在留外国人は1993年に132万人で2013年には206万人となり、2013年での内訳は朝鮮人52万人、中国人65万人、ブラジル人18万人、フィリッピン人21万人であった。日本社会は次第に多民族。多文化社会の様相を深めている。かって第1位は朝鮮人であったが次第に減少し(日本への帰化による)、いまや中国人がトップになった。こういう中で在日朝鮮人に対して、同化か排除の姿勢を貫いてきた日本の入管行政も大きな変換を迫られた。仮に在日ちょうせんじんを、植民地時代に日本に来た「特別永住者」(オールドカマー)と限定すると、その数は2001年に50万人を割り込み、毎年1万人づつ減少している。その理由は日本国籍の取得(帰化)の増大である。現在累積帰化者数は35万人近くになった。帰化に加えて日本人との国際結婚の増加も特別永住者の減少の原因である。今や在日同士の結婚は1割にも満たない。日本人との結婚による子供の日本国籍取得者は20万人に達した。これに帰化者を加えると在日朝鮮人は国籍上50-60万人を失った。減る一方のオールドカマーに対して、ニューカマーが在日朝鮮人社会に新風を吹き込んでいる。1989年に海外渡航が自由化されて入国する人が増えた。そのまま不法滞在する人もいる。韓国ブームが起こり、コリアタウン(新宿大久保が代表的)が続出した。大阪府ではいまだにオールドカマーの比率が高い(84%)が、1989年の海外渡航自由化をニューカマー元年とすると、以来大久保ではオールドカマーは少ない。大久保ではニューカマーを中心に「在日本韓国人連合会」が誕生した。非政治的な親睦団体を目指しているという。沖縄、山梨でもニューカマーの民団参加者が多くなった。また在日社会から離れる人も多い。ニューカマーを獲得できない総連系の衰退ぶりは顕著で、朝鮮学校の生徒数はピークの4万6000人から1万人に減少した。ニューカマーの子女はほとんど日本の学校に通っている。1995年の村山談話以来、ようやく植民地支配の反省や加害者としての自覚が国民的に広く共有され、在日社会へのまなざしや施策が変化し始めた。地方公務員の国籍条項の原則撤廃は2000年末までに9府県、8政令市で実現した。しかし20年以上に及ぶ鬱積したデフレ感は時代がかったナショナリズムを呼び起こし、政治の中枢にその推進者がいて偏狭なナショナリズムの雰囲気を振りまいている危険な兆候も見える。1995年最高裁は「日本の憲法は定住外国人が地域社会の意思形成に参加することを禁止してはいない」とした。地方公共団体の長、議員に対する選挙権を認めたのである。こうして公務就任権、地方参政権が容認されようとされているが、2002年「永住外国人地方参政権付与法案」は挫折した。カウンター法案として「国籍取得緩和法案」が出され、帰化を申請だけで容易にすることが目論まれた。多文化共生の理念を、日本国民の枠組みを再定義することで矮小化することに他ならない。韓国政府自体は中国人の国籍取得を認めない閉鎖的な民族主義の姿勢を持っており、在日2世や3世に対して同じような影を落としてきた。日本と同様な単一民族主義の国、韓国にも民主化やグローバル化に伴う国民意識の揺らぎが顕著である。急速な国際化が進んでいて韓国政府の対応も変わりつつある。2008年「外国人処遇法基本法」、1999年「在外同胞法」、2008年憲法裁判所は在外朝鮮人に大統領選挙権を与えることは違法ではないと判断した。朝鮮人の血統主義や単一民族主義という考え方は、21世紀の韓国社会で明らかに崩れつつある。

〈完)