ブログ 「ごまめの歯軋り」

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足立恒雄著 「数の発明」 

2021年08月06日 | 書評
茨城県坂東市  「萱沼遊水地」

足立恒雄著 「数の発明」 

岩波科学ライブラリー(2013年12月)

序論

その2) 零の発見-アラビア数字の由来

ギリシャ時代の数学特に数論を扱う。これが近代解析学のデデキントの連続とオイラーの無限解析の始まりにつながるからである。ギリシャ時代の数学はアルキメデスに始まる。そしてユークリッドに受け継がれた。ギリシャの数学はエジプト人の計測計算術と幾何学的知識を基にしている。エジプトでは数学は、耕地の区画やピラミッド建設工事といった実用目的によって進歩してきた。エジプト人の幾何学は、円の面積と等しい面積を持つ正方形として、円の直径からその1/9を引いた1辺とする正方形を与えるという経験則を持っていた。円の半径を1とすると、πr^2=π(1)^2=π=(2-2/9)^2=(16/9)^2=(1.77・・・・)^2で1.77または1.777で計算すると、πは3.1329~3.157729の間にある。πの近似値で我々が用いる3.14はその中間にあるので実用的には十分である。このようなエジプトの数学は紀元前600年前後にイオニアという都市国家のギリシャ人によってもたらされたという。ギリシャの都市国家は紀元前8世紀から6世紀半ばの200年で盛んに植民地的発展を遂げた。特にイオニアとエジプトは特別の関係を結びエジプトの文物が輸入されたのである。貨幣制度が始まって地中海沿岸の各都市間の商取引が活発化した。フェニキアからギリシャに文字がもたらされたのは紀元前9世紀のことである。エジプト人は記念建造物に彫った記号は、音の符牒ではなく対象物の摸像であった。数学者ピタゴラスや哲学者タレス、ソクラテスも書いたものを後世に残さなかった。ピタゴラスやソクラテス、プラトンは結社を結んで思想はその中でのみ伝達されるという秘密結社的傾向を持っていた。ピタゴラスは数学を実用的の必要に囚われない純粋の学とし、数学的知識を論理的証明によって基礎付けてゆこうとするギリシャ数学の基礎を築いたという。ただそれ以前の数学が経験則だけであったというのは言い過ぎで、たとえばバビロニアの数学は2次方程式の解法や代数学を心得ていたといわれる。エジプトの実用数学、ギリシャの理論数学、バビロニアの代数学、東洋(中国)の数学)など実在の世界と数学の交渉態度はさまざまであったというべきであろう。ギリシャ人は数学的事実を数学者が発見するより前から存在していたという言い方をするが、現代の数学は数学者自身が想像するものという捉え方をする。現代ではユークリッド幾何学以外にもいくらでも違った構造を持つ幾何学を創造できるという考えに立つ、公理を出発点としたいろいろな幾何学を生み出した。ギリシャの数学者アルキメデス(紀元前570年-紀元前490年)は小アジアに近いイオニアのサモス島に生まれた。紀元前532年イタリアに移りクロトンに学園を開いた。この学園はピタゴラスを巡って一つの神秘的宗教団体を形作った。クロトンの教団では、教科として算術、音楽、幾何学、天文学、そして宗教的修行が課せられた。アルキメデスは純粋の抽象数学を意図していたわけではなく、琴の弦の長さと音程が美しい調和を持つという、数が持つ美学に神秘性を感じていたので「大地は数である」または「万物は数である」と言った。天体宇宙も数が支配している典型的な対象であった。すべて知られているものは数を持つ、数こそ認識の条件であるという。

アルキメデスの「形象数」は「点は位置を持つ一つである」というように、必然的に点は大きさを持つという考えに立ち、線分も有限個の点からなるという「自然数は整数のみが数である」という考えに導く。従って2つの線分は互いに通約可能と考えられた。これに対しユークリッドの「原論」では「点は部分を持たないもの」という定義から始まる。これは抽象的な点の概念である。ピタゴラス教団は直角3角形ABC(斜辺BC)に関する「ピタゴラスの定理」(3平方の定理 BC^2=AB^2+AC^2)を生んだが、果たして証明をしたかどうかは分からない。ユークリッドはこれに証明を与えた。ピタゴラスは特殊例を見出したに過ぎないかもしれない。今ではピタゴラスの定理は直角の頂点から斜辺に降ろした垂線で分かつ2つの直角角三角形ともとの直角三角形の3つの直角三角形の相似関係(比例関係)から容易に証明できる。又有名な辺の作る正方形の面積から幾何学的に証明できる。証明法は本書の目的ではなく、正方形の対角線が作る2つの2等辺直角三角形の斜辺の長さの2乗は1^2+1^2=2すなわち斜辺の長さは√2となる。ピタゴラスの時代には√の疑念はなかった。√2は少なくとも自然数(正の整数)ではないことにピタゴラス教団は窮地に陥った。斜辺が有理数p/q(公約数をもたないp,q)と仮定すると、2が必ずかかるのでp,q共に偶数であることになり、有理数の仮定に背くので仮定は否定された。従って斜辺は有理数ではない無理数になる。このような通約不可能な線分の存在はピタゴラス教団の数学体系に致命的な打撃を与えたそうだ。エレアのゼノン(紀元前490年ー430年)が現れてピタゴラスの美的空間は打ち破られた。
「ゼノンの逆理」とは次の4つからなる。要するに連続に関する背理である。
① 運動体は限りなく多くの地点を通過しなければならないとすれば、∴運動なるものはない。
② (アキレスと亀のジレンマ)アキレスが亀の地点まで来たときには亀は少し前にいる。∴アキレスいつまでも亀に追いつくことはできない。
③ 飛んでいる矢が一定の位置を占めるとすれば、∴飛んでいる矢は静止している。
④ (特殊相対性理論)静止、右へ進む、左へ進む物体の列がある。この3体がすれ違う時、一定の時間とその半分は相等しい。
背理法という数学の証明法はいつもトリックに満ちている。最初公理を信じさせておいて、その論理展開が矛盾となるように仕向けるのである。ゼノンの逆理は数学の問題か、論理学の問題か、無限小を無限大と同等に論じる愚かさか、時間・速度を無視した無限小のジレンマか、昔からゼノンの逆理に対する解釈は多い。筆者吉田氏も「アキレス問題が分からないのは、粗雑な日常言語によってものを考えるからである。本来こういう量に関する問題は数学によって考えなくてはならない」という。とはいえゼノンは上の設問に見る様に、点を大きさのないもの、線は幅を持たないもの、面は厚みのないものという抽象的なユークリッド幾何学の公理に近づいたのである。紀元前6世紀のころ東のペルシャ帝国は隆盛になり西に侵攻しギリシャ諸国に圧力を加えるようになったが、紀元前480年アテネを中心としたギリシャはマラトンの戦い、サラミスの海戦でペルシャを破った。アテネは学芸の堂として富強を誇示した。そこで活躍したのが諸都市を遊歴するソフィスト(中国春秋戦国時代の儒者とおなじ)である。ソフィストはプロタゴラスの「人間が万物の尺度である」という認識の主観性をとき、絶対的真理を否定した。これに対してソクラテスは客観的な善の概念を確立しようとし、概念に定義を与えた。その弟子プラトンは学園を開き、数学を哲学の中に織り込み、「幾何学を知らざる者は入るべからず」という句を門に掲げたという。
紀元前5世紀ごろギリシャで一連の幾何学の問題が話題になったという。これを「ギリシャ数学の三大問題」という。
① 与えられた円と等しい面積を持つ正方形を作ること。
② 任意の角を3等分すること。
③ 与えられた立方体の2倍の体積を有する立方体を作ること。
第1の問題はエジプトでは近似的な方法を得ていたが、果たしてそれが解であるかどうかギリシャ人にとって不満であったという。円周率π=(16/9)^2は近似に過ぎなかったからだ。ギリシャ人にとって平面幾何学の作図とは定規とコンパスだけで行う伝統であった。つまりギリシャ人は幾何学の基礎を直線と円の上に求めた。これはユークリッドの要請からきている。現在でも幾何学問題は代数計算を使わないで解く方法を正統と信じる一派がいて、「円論」という優雅な伝統を守っている。当時は√2は不自然な数で、πという超越数は摩訶不思議な数であった。この数の正体が分かるまで2000年を要したのである。リンデマンは正方形の1辺 x~2=πr^2から正方形の辺の長さは求まるが、作図はできないということを証明した。それはπという超越数を含んでいるからである。もう一つのギリシャの幾何学の話題として
④ 与えられた多角形と等しい面積をもつ正方形を作ること。
これは多角形と等積な三角形を作り、そして正方形へ持ってゆくことで容易に作図できる。与えられた円と等しい面積を持つ多角形を作ることに目を付けたのはアンティフォンであった。円に内接する多角形と外接する多角形を作図してゆけば円に漸近してゆくこと、つまりπの近似解を求めることに他ならない。こうした無限の問題を突き詰めれば連続の問題となる。代数と幾何学の統一はまずエウドクソスの比例論から始まった。ユークリッド原論の比例論はエウドクソスの理論を紹介したものであった。ギリシャの幾何学にアラビアの代数学が流入して生まれたのが比例論的扱いである。アラビア代数学は数論的厳密さを無視して発達してきた。この傾向は、17世紀フランスのデカルトによって解析幾何学が提唱され、ニュートン及びライプニッツのよって微分積分学が誕生して初めて、連続の概念、無限小の概念の再検討がはじまった。高瀬正仁著「無限解析の始まり」-私のオイラー(ちくま学芸文庫 2009年)には、オイラーに始まる無限解析から曲線論、数論、複素解析が詳細に論じられている。直線上(曲線でも同じ)を点が動く時、直線自体が「連続体」を形作っていなければならないが、直線の連続性とは何だろう。まず直線上に整数を置くと、整数間は隙間だらけで、有理点(分数)を置いてもまだ我々の要求である連続体には程遠い。そこでドイツのデデキントは1858年に連続の概念を提出した。「直線が連続体をなしているというのは、直線を2つに切断するとき、その境は1つあって、しかもただ一つしかないということ」であるといった。直線を切断するということは直線状のすべての点を2つの組U1,U2に分けて、U2に属する点はU1に属する点より大きいとし、境にある点は一つあって一つに限るという表現をする。この境の点(切断点)はいずれかの組に属さなければならない。デデキントはこのことが連続性の本質であるという。こうして有理数、無理数を含む実数の連続性が定義された。

(つづく)




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1 コメント

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Unknown (東京裁判さん)
2021-08-07 23:46:04
毎日の投稿お疲れ様です。ところで昨年の8月に投稿したコメントへの返信はまだでしょうか?
更新が続いている以上把握してないということはないと思いますが、なにか返信できない理由でもあるのでしょうか?
何年でもお待ちしています。

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