転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



演奏会:ポーランドのヤボンスキさん、ピアノ贈呈のお礼に(毎日新聞)
『ピアノコンクールの中でも最難関の一つ、ショパン国際コンクールで85年、3位となったクシシュトフ・ヤボンスキさん(41)=ポーランド=が23日、河合楽器製作所の竜洋工場(磐田市)を訪れ、社員らに演奏を披露した。入賞直後、ぼろぼろのピアノで練習する姿をテレビで見たカワイ音楽教室の講師らがカンパを募り、新品のグランドピアノを贈ったことへの恩返しという』

あのヤブウォンスキがもう41歳、というのに、まずビックリしたが、
私はこの85年の映像をテレビで実際に観ていたので、
そのこともとても懐かしかった。
考えてみたら、あのコンクールから、もう20年以上経っているのだ。

ここで話題になっている番組とは85年12月にNHKで放映された、
『第11回ショパンコンクール 若き挑戦者たちの二十日間』だ。
映像の中で、ヤブウォンスキは、確か半円形の、骨董のピアノで、
しかも音がところどころ変なのを「おかしいよね」と笑いながら、
ほかの楽器を調達しようにも手に入らない状況の中、
狭い自室アパートで、ひたすら練習していたものだった。

ヤブウォンスキは、ツィメルマンと同様にヤシンスキ教授の門下で、
当時、地元ポーランドの期待を一身に背負った新星だった。
だのに、社会主義政権下のポーランドでは、
こんな、国を挙げて支援してもいい若手にすら、
満足なピアノひとつ、与えられないのかと驚いたものだった。
日本はとっくに、趣味で弾く人でさえ自由にグランドピアノを選び、
楽器店で購入して十分な調律をして貰えるご時世になっていたのに。

尤も、私はあの時、ヤブウォンスキの何が一番印象に残ったかというと、
その自宅ピアノのことよりも、やはりコンクールの予選映像のほうで、
彼が二次予選で、80年のポゴレリチと同じ、
ポロネーズ第5番を選択していたことに、大変注目したものだった。
『若き挑戦者たちの二十日間』と並んで、もうひとつ、
『芸術劇場:第11回ショパンコンクール』という番組も
一週間遅れくらいで放映されたのだが、
そこで聞いたヤブウォンスキのポロネーズは、
ポゴレリチに骨の髄まで毒されたばかりだった私の耳には、
「速度が足らん!」「あっさり弾かないで!」「ひっぱらんか~!」
と、終始一貫、欲求不満の残る出来と感じられたものだった(殴)。

しかし、随分後になって、引越荷物の中にあった『芸術劇場』を発見し、
十年ぶりくらいにこのポロネーズを聴いてみたら、
実は、大変に骨太な、堂々たる演奏だということが初めてわかった。
モノはビデオなのだから、ヤブウォンスキの演奏が変わった筈がなく、
この頃には私のほうが、ポゴレリチの呪縛を時に引き離して、
頭を切り換えて他の演奏家を味わえるようになっていたのだと思う。

『カンパの発起人の1人で浜松市に住む遠山真理講師は「あのころより精かんになった。パワフルな演奏が聴けて良かった」と喜んでいた』

あれから二十年、今、私も、この記事を読んで、
ヤブウォンスキの演奏が、とてもとても聴きたいと思った。

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