転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



特殊な血液で200万人の赤ちゃんを救ったスーパーヒーロー、引退へ(Discovery)
『特別な血により、新生児にとって命取りとなる「Rh式血液型不適合妊娠」から240万人以上の赤ちゃんの命を救ったオーストラリアの男性が、今月の献血を最後に引退することとなった。』『男の名はジェームズ・ハリソン(James Harrison、写真)。オーストラリア赤十字血液サービスによれば、現在81歳の彼はこれまですでに60年間に渡り1100回以上も血を寄付し、240万人以上の赤ちゃんの命を救った。』

母親がRhマイナス、赤ん坊がRhプラスである組み合わせを、
「Rh式血液型不適合妊娠」といい、「ABO式血液型不適合」より問題が多い。
出産前に両者の血液が母親の体内で混じり合うと、
母親の体に「抗D抗体」ができ、胎盤を伝わって赤ん坊の赤血球を攻撃し、
胎児の貧血や深刻な生後黄疸、等々の溶血性疾患を引き起こす可能性があるからだ。

これを防ぐには、定められた時期に母親に
血液製剤「抗D人免疫グロブリン」を投与をするのが効果的なのだが、
この注射は、特殊なタイプのヒトの血液からしかつくることができない。
そうした、選ばれし血液の持ち主のひとりであったのが、
今回紹介されているジェームズ・ハリソン氏81歳だ。
彼は、60年に渡り多大な貢献を続け、このたび、ついに、
オーストラリアの献血可能年齢制限に達したため、
5月11日を最後に、献血から「引退」することになった。

この話には、私も全く無関係とは言えない。
私自身もかつて、このような方の提供して下さる血液があった御蔭で、
出産の不安が取り除かれた人間だからだ。
私は妊婦検診の段階で初めて、自分がRhマイナスであるのを知ったのだが、
主人の血液型がRhプラスA型であったことから、
母児間Rh因子不適合の見られる可能性が極めて高いことが予想された。

それで、まず妊娠20週と31週のときに、
間接クームス試験という血液検査を受けた。
幸い、初回妊娠であったことと、輸血等を受けた経験もなかったこととで、
私の体には抗D抗体は認められなかったが、それでも万が一を考えて、
以後、検診から出産までずっと、総合病院の産婦人科でお世話になった。
新生児の交換輸血等が必要になって総合病院に救急搬送されるくらいなら、
初めから地元で一番大きな病院の患者になっておきたい、と考えたからだった。

生まれた娘は即座に血液検査をされ、予想通りRhプラスのA型だったのだが、
溶血性疾患の問題は、有り難いことに全く起こらず、
出産の翌日に私は抗D人免疫グロブリンの注射を受けた。
95年当時は、私のように抗D抗体陰性の妊産婦にとってはこの注射は、
二度目以降の妊娠出産のための、予防の意味合いのほうが大きかったようだが、
現在は、妊娠28週頃と産後の、二度の投与が推奨されているとのことで、
初回の妊娠出産から、更に安全になったと言えるだろう。

(↓左は「血液型記録カード(患者携帯用)」、右は妊婦検診時の私の「血液型検査表」)

  

この抗D人免疫グロブリン製剤のもととなる血漿を持つ人は、
世界的に見ても、人数的にかなり限られている。
彼らの提供してくれる貴重な血液があればこそ、
Rh式血液不適合妊娠で生まれる赤ん坊が重度の黄疸で亡くなる悲劇も
高い確率で避けられる世の中になったのだ。

長年、献血に協力し続けて来たハリソン氏は、1999年、
オーストラリア勲章メダル・オブ・ザ・オーダー・オブ・オーストラリアを
受賞しているとのことだが、このたびの引退に際して、
できることならノーベル賞級の勲章が授与されても良いのではないかと私は思う。
特殊な血液と、それを提供できる健康に恵まれたことは、
多分に運に左右される面もあるが、それでもこれほどに長い年月にわたり、
献血を継続するのは、本人の強い意思がなければできないことだ。
60年間、一貫して偉大な貢献を続けたハリソン氏に、
私も、心からの敬意を表し、篤く御礼を申し上げたいと思う。

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