転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうから5月5日までの四日間は、私は家で休みたいと思っている。
どうか何も起こりませんように。
どこからも何も言って来ませんように(祈)。

結局、2月のアタマに四連休を実現させて以来きょうまで、
私は基本的にずっと「週休1日以下」の毎日だった。
二日続けて休んでみたい、と渇望するように思い続けたことが、
ついに、本日、叶った(滂沱)。
さきほど時計を見て、
「え、もう夕方!?時間が経つのが早すぎる!さっき朝だったのに!!」
と一瞬、悲しくなりかけたが、
「あ、でも大丈夫だ、きょうは違う、だって明日も休みなのだから!!」
と気がついて、とてもシアワセになった。
ああ、連休!最高だ!!

昨夕、両親を無事に、某介護付有料老人ホームに送り届けた。
出発までの荷造りは大変な作業で(汗)、
私の目から見ると「それは要らないのでは」と思うものも、
特に母のほうがたくさん詰め込んでいたが、
私は逆らわずにすべてをタクシーに乗せて、ホームまで行った。
着いたら、職員さんが台車を持って助けに来て下さった(^_^;。

二人の希望もあり、基本的に今後はホームで生活することになっている。
「本当に良かったですね~!これで一安心ですよ!」
と、これまでの居宅支援のケアマネさんから昨日、電話で言って頂いた。
この方にも本当にお世話になった。
今後も、外泊などする場合は、いろいろと手配をお願いする予定なので、
完全に終わったわけではないのだが、2013年に母が寝込んだとき以来、
家での生活に関して、このケアマネさんには全面的に支えて頂いたと思っている。
本当にありがとうございました<(_ _)>。
ホームでは、二人きりで自宅にいた頃と違い、24時間、人目のある場所で、
必要な介護を受けて生活できるので、私としても今後はかなり安心できる。
過去数年に渡り私の心の一角を占めていた心配事が、めでたく、ひとつ解決した。

**************

両親どちらも、程度の差こそあれ認知症になっていると私は思っている。
認知症は0か100かではなく途中の状態が様々あり、
父母ともに、部分的には正常だが、壊滅的な箇所もそれぞれある。
また、日によっても調子が違う。
寝不足だったり体調が悪かったりすると、話の大半がおかしくなるが、
案外スッキリしていて、首尾一貫したことが言えている日もある。
二人は今のところ、自分たちが誰で私が誰であるか忘れていないし、
私に夫がいること、娘が社会人で東京在住であること等、正しく把握している。
しかし、過去の出来事は時系列に沿って頭に入っているとは限らないし、
最近のことについては特に、記憶はゼロではないが相当間違っており、
混乱もあれば、しばしば作話もあり得る。
父など昨日、ホームの自室の椅子でくつろぎながら、居心地の良さを褒めたあと、
「ところでワシは、なんでここに住むことになったんかいね」
と私に尋ねた。
ご希望でしたら最初からご説明致しますが(^_^;??

また、話は前後するが、先日4月29日は両親の結婚記念日で、
恐らく結婚58周年とか、そのようなものだったのではないかと思うのだが、
両親ともに、そのことは話題にすらしていなかった。
29日の午後、ちょうど某老人ホームから一時帰宅しての外泊の日で、
両親宅で荷造りや片付けものをしながら、私が、
「結婚記念日やろ。昭和何年に結婚してん?」
と尋ねてみると、母は、
「よぅ知らん」
とそっけなく答えた。やはりどうでも良かったのか(爆)。

 私「昭和34年くらいか?まあ、私のトシを考えても、金婚式は過ぎとぅな」
 母「そうやね。金婚式いうても、金婚の式はしとらんわけやが(←!?)。
  あんたが私らの金婚式のために、ピアノで『金婚式』を弾いてくれるいうて、
  いっつも二階で練習しよったよねえ。
  ここら夜んなったら静かやのに、響き渡るような音で、毎晩弾いて」
 
これまた、とてつもないコメントで、私は困った。
一体どういう設定の話だろうか。
私がピアノでガブリエル・マリーの『金婚式』を弾いていたのは子供の頃、
今から40年以上昔の話で、それは母方の祖父母の結婚50年を祝うためだった。
当時、私の弾いた『金婚式』をカセットテープに録音して
神戸在住だった祖父母に贈ったものだった。
母も勿論そのことはよく知っていた筈だった。

 私「なんか混乱しとんちゃう。あれはおじいちゃんおばあちゃんの金婚式のときや。
  今から40年以上は昔や」
 母「そんなことないよ、あの人ら、そんな余裕のある生活してへんかったもん」
  (↑意味不明瞭(^_^;。多忙で精神的な「余裕」がなかったという意味か?)
 私「いやいや、カセットに録音して贈ったんやってば。喜んでくれてたよ」
 母「あんたが、私らのために練習してくれとるんやとばっかり思うとった」
 私「私が、いつ、練習してたん?この家の二階で?」
 母「そうや。こないだからも、ずっと」

私は高校を卒業するまでは家にいたので、
レッスンに通っていた小学生~中学生の頃は、ピアノを毎日弾いていたし、
高校になって毎週のレッスンをやめてからも、気分転換に弾いていたとは思うが、
そういう日常は、既に数十年前のことになってしまった。
大学からは一人暮らしだったし、結婚後は転勤族になり広島に帰ることが減って、
親の家に置いてある古いピアノを触ったことは、数えるほどしかなかった。
また、昔も今も、実家のピアノは消音ユニットがついていないから、
暗くなってからあとの時間に弾くことは、私は意識的に避けてきた。
発表会前で、夜どうしても弾きたいときはマフラー(弱音)ペダルを使っていたものだ。
だのに『響き渡るような音』と表現するところを見ると、昔々の私のピアノが、
母にとっては、実にウルサい音として記憶されているわけか(爆)。

きょうはまた、昼過ぎに母が某ホームの自室から携帯で電話してきて、
「なんや熱があるような気がして、(職員さんに)測ってもろたら36度9分で、
ここに来てもう3日目にもなるのに、幾晩寝ても、少しもよぅならへん」
と言った。しかし母は昨日は全く熱がなかったし、
そもそも某ホームに本格的に入居したのは昨日で、3日どころか半日しか経っていない。
そのまえに四泊五日でお試しも兼ねて滞在し、そのあと自宅で二泊して、
昨夕改めて大荷物を持って入居したので、頭の中でそれらが渾然一体となったようだ。

昨日は元気だった、
昨日の晩方、このホームに来たばかりだ、
しんどいから混乱したのだろうが、微熱はあったとしても今朝からだ、
36度9分ではお医者さんに行っても、ただちに診断して貰えないから、
とりあえずゆっくり横になって休むように、また様子を訊くから、
……等々となだめたら、
「わかった。良かった」
と一応納得していた。
「きょうは大雨やし、低気圧にヤられたんやろ」
と私が言ったのが、とりわけ母のお気に召した様子で、
「ああ、きっとそれや!ありがとね!」
と喜んで、母は電話を切った(^_^;。
しかしじきにまた、電話して来そうな感じはする(^_^;。
気圧の変化と引越疲れで母は心身ともに低調になり、
不安で、皆から構って貰いたい気分になったのかもしれない。
食事は美味しくて完食している、と言っていたので、
とりあえず、差し迫ってどうこうという深刻さではないだろう。
……仮にどうこうあっても90歳では何の不思議もないし(爆)。

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