転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



広島市長「原爆と原発は別」平和宣言 区分け重要性盛る 産経インタビュー(産経新聞)
『広島市の松井一実市長は「原爆の日」の8月6日に営まれる同市の平和記念式典で読み上げる「平和宣言」に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にしたうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込むことが26日、分かった。産経新聞のインタビューに応じた松井市長は「核兵器反対がなかなかうまくいかないから、(原発の)放射能被害で参りましょうかという、駆け引きには使わないでほしい」と述べ、原爆と原発を同一視して論じることに不快感を示した。』『「人殺しのための絶対悪の核兵器と、人間のエネルギー造成のために使う技術は、きちっとした区分けが重要。一緒にしないでくださいということ」と説明した。』

原爆は『無防備都市、集落、住宅、建物への攻撃・砲撃』に該当する、
という点で、原発事故とは全く違うと私は考えているので
市長発言に概ね同意なのだが、異論も少なくないことだろうとは思う。
原爆も原発も『核』としての問題は共通だ、
という意見はあるだろうと私なりに想像できるし、
無防備な土地を放射能汚染が襲ったのだから同じだ、
という主張をして譲らない人もあるだろう。
従って、『区分け』に同意するか否かについての論争ならば、
今後もあって良いと思っている。

しかし、そこに議論の余地を残すとしても、最後の段落の、
『昨年の平和記念式典では、平和記念公園の会場周辺に市民団体が多数集結し、「再稼働やめろ」などと叫ぶ場面があり、出席者らが原爆死没者に黙とうをささげる最中も、声をあげていた。』
の箇所は、運動の人達にももっと重要なこととして考えて頂きたい。
市長が上記の発言に及んだ直接の理由も、恐らくここにあったと思う。
式典の、黙祷の最中にさえも、「原発反対!」を叫ぶ、
参列者でない集団がいたのは、去年だけでなく一昨年もそうだった。

例えばの話、原爆症で亡くなった身内の法事を営んでいるときに、
座敷で遺族たちが頭を垂れて祈っているというのに、
他人に、家のまわりで『核兵器反対っっ!!』と拡声器を使って怒鳴られるのは
遺族にとって嬉しいことだろうか?
叫んでいる人達にとっては使命感に燃える素晴らしい瞬間かもしれないが、
遺族がそのようなことを歓迎するとは、私には思われない。
『核兵器廃絶!』だけでも大音量ではひどい迷惑なのに、
『原発再稼働反対!』などはもう、私だったら本当に勘弁して貰いたい。
故人を悼む日として遺族が集まっているのに、
普段はご近所でない、故人と知り合いでもなかった人が乗り込んで来て、
関係のある話だからとその人の主張を一方的に叫ばれると、
いくらなんでも穏やかに聞けない。

私が問題にしているのは運動の主旨の是非ではなく、その行為のことだ。
平和記念式典は毎年変わることなく、午前8時から8時45分まで行われている。
そのたった45分の間、叫ぶのをやめて黙っていたって
運動の人達は何も失わないと思う。
どれほど崇高な主張があろうとも、少なくともあの45分間だけは、
声など出さずに待っていて貰いたいと私は願っている。
『安らかに眠って下さい』と慰霊碑にも刻まれているのだ。
せめてひとときの静寂くらいは尊重して頂きたいと思う。

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