転妻よしこ の 道楽日記
ピアノ・歌舞伎・宝塚・バレエ、その他、舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です
 



ポゴレリチ来日公演でお目にかかりました皆様


改めまして、その節はいろいろとありがとうございました。
たくさんの方にお会いできて、本当に嬉しく思いました。

あのあと、私からメールを差し上げる約束をした方には
(私の自覚としては・汗)既にお送りしたつもりなのですが、
あとでお返事しますと申し上げていながら、
まだメールが届いていない方、そのままになっている用件等がありましたら、
どうぞご遠慮なく、転妻よしこまでその旨、ご連絡下さいませ
(お送りするものとか、お返事すべきこととか、
私が失念しているようでしたら、どうぞ些細なことでも仰って下さい)。

また、サントリーホールの終演後、
今治の波方などの、ローカルな話題で盛り上がって下さった某氏、
もし、今もこちらをご覧下さっていましたら、
お時間おありのときに、いつか、メールを下さいましたら嬉しく思います。
本来なら、私からご挨拶申し上げるべきところ、
このようにお願いするかたちになりまして、申し訳ございません。
あのとき、夜が更けて来たために、
つい、メアド交換をさせて頂く時間を惜しんでしまったことを、
本当に残念に思っております。
勿論、お忙しければ、このままご放念下さって構いません。
また演奏会などの場でお目にかかれましたらと願っております。


以上、ご連絡用には、私のメールアドレスは、
拙サイトトップページをスクロールして頂きましたら、
一番下にリンクしてありますので、ご利用下さいませ。
http://www.geocities.jp/rc1981rc/
また、上記に限らず、mixiやfacebookのメッセージ、
Twitterのダイレクトメッセージ、も毎日チェックしておりますので、
ご都合の良いものをお使い頂けましたらと思います。

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「それで、大丈夫なんですか、その後」
と私の心身の具合を訊ねて下さるメールを、
このところ複数頂戴した。
『その後』とは勿論、『ポゴレリチの演奏会後』、という意味だ。

熱出したか・風邪ひいたか、というレベルでは、今回は大丈夫だった。
2010年とは彼の演奏の質がかなり違ったお蔭だろう。
彼の毒に当たって寝込んだ、ということは、とりあえず無かった。
しかし長引いている、という意味ではやはり今回も重症だ。
私は未だに、5月4日以前の自分の感覚を、ほとんど取り戻していない。
明らかに、ポゴレリチの演奏があまりにも強烈だったせいだ。

だがもう、この雰囲気に飲まれたままでは、私は終わってしまう。
もともと無芸大食だったのに、ますます異次元に行ってしまって、
そろそろモトの生活程度は取り戻さないと、私は事実上の廃人だ。
そう思って先週は手始めに、とにもかくにも漢詩の会に出席した。
今週も行くぞ!
孟浩然の出だしに白居易をくっつけて暗唱したって、それがどうした!!

折しも、先週はピアノの先生からもメールが来て、
「レッスンは6月の第二週から四回でいいですか?」
と訊かれた。
5月は私があまりにも壊れて、ずっと休んでいたのだ(汗)。
仕方がないから、この週末からピアノも弾くようになった。
ええい、この際、目の前のモノをピアノだと思わなければいいんだ。
ボケ防止の指先トレーニングだと思って弾いていれば、
そのうち、また何か戻って来るものがあるだろう。
ということで今はハノンの30番を変ロ長調に移調して練習している。
とてもやりづらくて、どこかM的な快感があって良い(爆)。
それに調性が下がると、変にムーディになってハノンじゃないみたい。
いいよ、この気色悪さが。

それから、仏検の勉強も一昨日から(殴)ようやく再開した。
というか、ここでやらなかったら、さすがにアホだ。
もう、試験は今月後半に迫っているのだ。
前回もやった『仏検対策2級問題集 これで合格!』(白水社)を
「1.前置詞選択穴埋め問題」から再度やり直している。
半年前と同じものを間違え、同じ単語を辞書で調べている自分の頭は、
本当に本当にザルであることを痛感したが、しかし、
『私は今、以前と同じ単語を性懲りもなくまた調べている!』
とわかっただけでも、初回よりは進歩したと思うべきだろう(泣)。

昨日、6月の博多座大歌舞伎の検索をしてみたというところも、
私が回復への足がかりをつかみかけている証拠のように思われる。
相変わらず、音楽とくにピアノを聴きたいという気持ちは、
全く、これっぽっちも今は無いのだが、
歌舞伎ならいいかな、という感覚は戻ってきた。
舞台の臨場感の中で、何時間か過ごすのは良いものだ、
と私は思い出すことができたようだ。
……思い出さないほうが家計のために良かったことは、明白なんだが。

そして明日は、実家母の通院介助がある。
またしても、80歳超夫婦(必ず二人で来る・笑)と総合病院耳鼻科に行くのだ。
予定時間より、カルく30分以上前に待ち合わせ場所に到着した上で、
腰が痛い・膝が笑う・耳が鳴っている・歯が取れた、
等々の、大音量の話を半日聞いて、こちらも負けじと大声で喋り、
実家の裏山の造成が、依然として終わっていないので、入る墓がまだ無い、
といういつもの話を復習した上で、
最後はデパ地下で大量に買い物して帰ることになるのだろう。

つまり、こういうものこそ私にとって本来の、とても有り難い日常だと、
感謝せねばならない、ということだ(笑)。

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六月博多座大歌舞伎を観るか、どうか

6月は博多座で歌舞伎をやっている筈だな、
と昨夜、初めて検索してみたら、中村又五郎・歌昇の襲名披露だった。
そうか、もうそういう話になっていたんだったな、と感慨深く思いながら
演目と配役を観た、……ら。イイじゃないか、これは(爆)!!
六月博多座大歌舞伎
又五郎・歌昇の舞踊を楽しめるのに加えて、
吉右衛門の『幡随長兵衛』、仁左衛門の『馬盥の光秀』が花を添えている。

私にとっては、特に光秀は孝夫の役として忘れられないものだ。
仁左衛門がまだ孝夫だった92年(平成4年)の暮れ、私はこれを京都の南座で観たのだが、
孝夫だからと楽しみにして行った割には芝居のキレが悪くて、
長くて耐え難い舞台じゃないか・私のほうに見る目が無いということかな、
と観ながら困ったことを未だにはっきりと覚えている。
あんなに観るのがシンドかった芝居も、そうそう他に無かった。
あとでわかったことだが、実はそのとき、
孝夫はもう体調が最悪で、文字通り命が危ない状態だった。
無理に無理を重ねて舞台に立っていたのだ。
長くて耐え難い思いに耐え続けていたのは、他ならぬ孝夫本人だったことだろう。

孝夫はこの公演のあと本当に倒れて、翌年は病気休養を余儀なくされ、
復帰が叶ってから仁左衛門襲名の話が出始めるのだが、私の周囲の歌舞伎仲間は、
「人気あるのに体壊して、もう長くないから、有終の美を飾る襲名だって」
と言っていたものだった(『もう長くない』というのは実によくでる噂だな)。
あれから20年になるので、とりあえず友人の話はハズレだったと思うべきだろう。

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とうかさん

さきほど、近所の駐車場を、茶髪に浴衣という姿の男性が歩いていて、
入院患者が、外から来たみたいなのぅ
というじーちゃんの台詞を、私はチラと思い出したのだが、
よく考えたら、きょうから広島は「ゆかた祭り」なのだった。
広島三大祭り ゆかたの着始め とうかさん大祭

「とうかさん」とは「稲荷さん」を音読みした通称だ。
市内中区にある日蓮宗慈善院圓隆寺に稲荷大明神があって、
その例大祭として「とうかさん」は毎年6月第1金曜・土曜・日曜に行われる。
若い子たちにとっては、参拝以上に「浴衣を着ること」が大事なお祭りで、
露店もたくさん並び、イベントも多いので、この週末の広島市街地は
いつもよりずっと賑やかで、交通規制されている場所もあちこちある。

我が家では、主人は祭りのたぐいが嫌いで(爆)
「とうかさん」も「えべっさん」も「フラワーフェスティバル」も黙殺している。
娘は、浴衣も着物も興味がないので、装うほうの楽しみは持っていないが、
露店をひやかして鯛焼きを買うのは好きなので、
彼女は年中行事の祭り(と夜店)は逃さないほうだ。
私自身は田舎の出で、子供の頃、例祭と露店は大変な楽しみだったから、
今でも夜店というと当時のことを思い出し、なんとなく幸せな気分になれる。
だから今晩は市内をあてもなく歩いて、露店で何か買ったりして、
夜遅く家に帰って来るようなことをしたいのだが、
……私が晩ご飯を作らなかったらどうにもならないので、
そんな呑気なことをやっている場合ではないのだった。

追記:というようなことを書いていたら、まさに今、外にいる主人から、
『露店がいっぱいで大変(--#)。自転車とめれんじゃん(--#)(--#)』
とメールが来た。やはり彼は、とうかさんの賑わいを今後も許さないであろう。
っていうか、一体どこに自転車をとめようとしているワケ??

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今朝は、ほぼ一ヵ月ぶりに墓掃除・墓参りに出かけた。
まず、花を買おうと思って広島バスセンターに寄ったのだが、
いつも贔屓にしていた生花コーナーが、
売り場のリニューアルに伴って消えてしまっており、、
同じフロアの別の場所に花はあったが、きょうは何故かバラばかりで、
いわゆる「仏花」と言えるものがなかった。
出足で、いきなり躓いた気分だった。

それで、センター街地下の花屋さんまで降りてみたが、
ここはブーケやアレンジ、胡蝶蘭○本立てを売る、とても綺麗なお店で、
切り花の中のひとつにあったのが「大菊(白) 1本158円」、……うぅむ。
それで仕方が無いから外に出て道を渡って、サンモールまで行った。
ここでようやく、色とりどりのスプレー菊に巡り会うことができて、
白・黄・赤紫などがバランス良くなるように三束買った。
……ったく、きょうは花だけでえらく手数がかかったことだ。
もう今度からバスセンターをアテにするのは、やめよう。

それからバスに乗って、舅姑のお墓まで行った。
前回の花は漏れなくドライフラワーになっていた。申し訳ありません。
掃除して花を取り替え、お灯明を上げてお線香をつけた。
おとーさん おかーさん
お陰様でワタクシ、楽しいツアーが終わりました。
本当にありがとうございました。なむなむ。
きょうから6月なので、心を入れ替えて頑張ります。
仏検があるので、どうかお守り下さい。よろしくお願い致します。

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例によってアクセス解析を見ていたら、昨日の検索語の中に、
『命の限り貴女を熱く熱く愛したい』
というのがあって、どこの同志(爆)がいらしたかとウケた。
拙ブログでお役に立てるところがありましたでしょうか。

これは宝塚歌劇の94年星組作品『ラ・カンタータ』で歌われた、
『熱愛のボレロ』の歌詞の一節だ。
初演時に歌ったのはシメ(紫苑ゆう)さんで、
このときの公演は彼女のサヨナラ公演でもあった。
(のちに2003年宙組公演『テンプテーション』でもこの曲は使われ、
場面単位での再演となり、たかこ(和央ようか)さんがこれを歌った。)

以前も書いたことがあるが、この歌詞はスゴい。
 ♪愛している 愛している 愛している ああ〜
という歌い出しが、既に十分に臆面も無く濃いのだが、
その心から愛している相手の女性の描写というのがまた、
 ♪闇に舞う女豹 そのかぐわしさは媚薬
と、およそ普通のヒトではない。
そして主人公は、そんな彼女を恋い慕い、追い求める心情を語り、
彼女の一挙手一投足に強く魅せられていることを切々と歌ったうえで、
 ♪命の限り あなたーーーーーーーを!
 ♪熱く熱く 愛した〜い
で最高潮となって、曲の締めくくりは、
 ♪アイラブユー アイラブユー アイラブユー
と連呼したあと、なななんと、
 ♪ジューー、テーーーーーーム!
と高らかに歌って終わるのだ(O_O)。
三カ国語っ。

しかしシメさんが歌うと、これがシヌほど格好いいのだから困る(爆)。
シメさんは観客を異次元に連れて行く魔術師だ。これぞ男役の極み。
私は、こういう魔法こそ、宝塚の男役の究極の姿だと思っている。
観客に心の片隅にせよ
「けっ、なんだそれ……(^_^;」
と気恥ずかしい思いをさせるようでは、
まだまだ、男役として極めていないと思う。
私はシメさんのような、男役ならではの力業を見るのが大好きで、
それ見たさに宝塚に通っていた(やや過去形(^_^;)と言っても過言ではない。

リアルで辻褄の合ったものなんか、そのへんにいくらでも転がっているが、
「現実に絶対あり得へん格好良さ」は宝塚に行かないと観せて貰えない。
それは、目が覚めてみるとかなり笑える種類の「格好良さ」であることが多いが、
宝塚を観ている間は、現実から乖離し別世界に行っているので、陶酔できるのだ。
というか、「行ける」ような舞台でないとアカンやろ、と私は思っている。
実生活の常識で言ったら矛盾だらけの脚本でも、どれだけ非現実的な結末でも、
きらびやかな夢があって、最後は笑顔でシャンシャン振って強引に大団円、
うわ〜綺麗〜!やっぱ素敵だった!!
……ということが出来ないようでは、宝塚ではない。
と思うよ(^_^;。

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ちょっと必要があって、昔の日記を掘り出して読み返していたら、
『1996年2月28日(水)晴れ』の欄に、
「昼にU女史よりTEL。アリス・ケジュラッゼ女史が急死し、
ポゴレリチのミュンヘンでのリサイタルは中止になったとのこと。』
という記述があった。
当時は手書きで、日記と言っても毎日数行しか書いていなかったので、
この件について私がどう思ったかの記録は無かった。
転勤先の松江での育児中で、娘が1歳になる直前だった。
ケジュラッゼ女史は2月18日に亡くなっているので、
U女史は十日ほど後に、私にそれを知らせてくれたことになる。

私はシツコい人間なので、日記はこのあともずっと続いている。
翌97年11月13日のポゴレリチ大阪公演に私は行くことになるのだが、
このときは(日記にも同内容の記述が残っているのだが)U女史情報によれば、
「ポゴレリチもかなり体調が悪いという噂を聞いたわよ。
○○で(と、U女史は具体的な病名まで言った)、もう長くないらしいって。
……もしかしたら最後の来日になるかも」
ということで、私はヒエーと震え上がって
「お願いします!最後かもしれんて!!大阪だけでも行かせて下さい!!」
と、主人に頼み込んだ。
主人もさすがに顔色を変えてくれて(爆)、
リサイタルは平日夜だったというのに、子守のために晩の6時までに帰宅し
(このときは神戸在住)、お蔭で私は大阪に直行できた。
三宮から新快速に乗って、夕方で込んでいたから立ち通しだったが、
リサイタルのことしか考えられず、夢中で現地に向かったことを覚えている。

 (結果としては、私は主人をひどく騙したことになる(汗)。
  既に、あれから何回、来日公演に行っとるんだ私は(爆爆)。)

日記に残っているこの日の感想は、本プロの鮮やかさへの絶賛と、
アンコールのブラームス(「三つの間奏曲作品117」)に愕然としたこと、
の二点だった。
このときのブラームスは、あまりにも孤独な音楽で、
聴いているのがいたたまれないようなものがあり、
そのことは、拙サイト内の97年の感想文にも記録してある通りだ。
ちなみに拙サイト内の演奏会レビューの文章は、99年までのものはどれも、
U女史主宰の同人誌に投稿・掲載して貰ったものの再録だ。
私が自分のサイトのためだけに感想文を書くようになったのは、
2005年以降ということになる。

さてそのあとは、99年11月21日まで日記にポゴレリチの記述は出てこない。
今のように道楽日記ではなく、育児日記のほうが主体だったからだ。
そして今になってみると意外なことに、99年秋の大阪公演については、
私は、97年より安定感があるように思ったという意味の感想を書いている。
本当にそうだったのだろうか。
ポゴレリチはこのあと約一年ほどで、本当に弾けなくなってしまい、
全面的な療養生活に入ることになるのだが、当時の私の感触では、
97年より99年のほうが、安心して聴ける演奏会だったようなのだ。
私はきっと、彼の演奏のうわべに随分と騙されていたのだろう。

それにしても、世間では、ポゴレリチの経歴を語るときに、
『夫人のケゼラーゼを亡くしてからは数年間、演奏活動を休止し……』
という書き方が多いが、実はこれはあまり正確ではない。
ポゴレリチは、96年2月に夫人を亡くしたあと、99年の前半まで、
少なくとも3年間ほどは、非常に精力的に演奏活動を行っていたのだ。
当初、彼が『喪に服した』ように見えたのは、ほんの2ヶ月前後のことで、
96年4月にはもう、N響創立70周年記念特別演奏会の客演で来日しているし、
この年は11月にも再度来日し、そのあとは北京・上海でも公演し、
現地の指導者や学生との交流会を持ったりもしている。
サラエボチャリティ財団の活動を熱心に行ったのは、その翌年の97年だった。
同じ97年には再度の来日もしているし、その他、99年までの間は、
ヨーロッパでも多数公演し、大規模な北米ツアーも行った。
私は毎年の、そうした彼の活動実績だけを見聞きしていたので、
当時は薄情にも、『案外、大丈夫なんじゃないか』とさえ思っていた。

ポゴレリチが本当に演奏活動を休止するのは、
2000年後半になって、ドクターストップがかかったときからだ。
当時のロンドンのマネジャーのデニス・カンターが、
『2002年秋まですべての演奏会をキャンセルし、全面的な療養生活に入る』
と公表したのは12月のことだった。
私はそれをインターネットで検索していて初めて知った。
ああ、やはりそうなのか、ついに来たか……、
という納得というか、私なりの絶望感があったことを覚えている。
四年間も尋常でなく頑張ったあとだけに、事態はかえって深刻に思われた。
復帰は、もう難しいかもしれないと、そのときは思ったものだった。

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