転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



テッテー的に内向きな私(汗)にとって、
コロナ禍のStayHomeは素晴らしい経験(の始まり)であったが、
その時期に得られたもののひとつに「ストリーミング」があった。
ライブもオンデマンドも、いずれも私には恩恵が大きく、
この配信方式があった御蔭で、私は家に居ながらにして、
各地の公演が聴ける・観られるようになり、
自分の趣味に合った各種講座を視聴することも可能になった。
その楽しみの多くは、今も変わらずに続いている。

ライブに関してはなんといっても、ドラムのはせがーさん(長谷川浩二)が
出演される吉祥寺シルバーエレファントでの公演の多くが、
ツイキャスで配信されるようになったのが有り難かった。
広島に居たら、はせがーさんの演奏などまず聴くことができない。
コロナ禍前は東京まで遠征したりしていたのだが、
時間と旅費がネックになり、非常に機会が得にくかった。
今や、聴こうと思えば月に数回は、はせがーさんのステージが楽しめる。
東京まで往復+宿泊するのに較べて、話にならないほど安価なので、
私は時々、お茶爆(=ツイキャスで言う投げ銭)も送っている。
ここに費やす費用は、私の旅費でなくアーティストのものになるのだ。
なんと素晴らしいことか。

Chabo(仲井戸麗市)の配信ライブも欠かさず聴くようにしていたのに、
彼は、有観客ライブができるようになると配信のほうは止めてしまった。
こうなると、今度Chaboが広島に来てくれるときまで、
私は彼のライブを聴くことはできない。
いつも書いている話だが、私の今の生活では、
広島から東京まで往復するための移動時間が容易に捻出できないから、
私の残りの人生でChaboを聴ける機会は、激減したことになる。
実に残念な話だが、致し方ない。

歌舞伎座の公演も、MIRAILで翌月に演目ごとに配信があるので、
よく利用している。
歌舞伎オンデマンドをチェックしていれば、
上記MRAILのほか、楽天TVやStreaming+等の情報も一括してわかる。
松緑の『荒川十太夫』は初演も再演も配信で観たし、
鷹之資の『舟弁慶』などは生観劇と配信の両方で楽しめた。
舞台を観に行けても行けなくても、配信があるというのは有り難いことだ。
松緑の『紀尾井町家話』も素晴らしい。
歌舞伎座タワー他で開催されていた頃は、チケットを取るのが大変だった。
今は毎回、確実に聴けるうえ、再配信期間も開始当時より長くなった。
ときに、この『紀尾井町家話』に関しては、
私は2020年6月13日の第1夜より先だっての第137夜まで皆勤である(笑)!
明日の第138夜も既に買ってある。

一方、こうした舞台関係の配信だけでなく、
最近はNHKカルチャーにも大変お世話になっている。
折しも、NHK文化センター広島教室が、この3月31日までで閉鎖になったのだが、
NHKはオンラインやオンデマンド講座があり、見逃し配信のあるものも多いので、
全国のNHKカルチャーの講座のうち、配信のあるものは、
こちらが忙しいときでも、都合に合わせて受講できている。

最近申し込んだもののうち、見逃し配信も含めて今でも視聴できるものは
たとえば以下のようなものがある。
いずれも、広島に居たのでは接することが叶わなかった講座ばかりだ。

ベートーヴェンを読み解くことから聴こえてくる世界
(ピアニスト 仲道郁代)

ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が明かす最新の宇宙像
(東北大学宇宙地球物理学科教授  秋山正幸)

名画を読み解く スペイン絵画最大の巨匠 ベラスケス 〜プラド美術館の至宝群〜
(フランス国立ルーヴル学院卒、美術作品解説家 矢澤佳子)
名画を読み解く3 ピーテル・ブリューゲル(父)
(フランス国立ルーヴル学院卒、美術作品解説家 矢澤佳子)

5/15竹本織太夫 文楽のすゝめ
(講師人形浄瑠璃文楽座 太夫  竹本織太夫)

地方に住んでいるために、いかに多くのものを手に入れ損なっているか、
ということについて私はしばしば悔しい思いをして来たのだが、
オンライン講座の御蔭で、そうした残念さはかなりの程度まで解消された。
演奏や舞台など、生でないことが惜しまれるものもあるが、
内容自体は、むしろ自宅の快適な環境でゆっくりと鑑賞できるし、
配信期間中は幾度でも繰り返して観る・聴くこともできるので、
ストリーミングの利点は大変大きいと感じられる。
これからトシを取るにつれて、更に外出も難しくなるだろうから、
配信を楽しめる時代であったことは、とても有り難かったと思っている。

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4月から新講座が始まった。
フランス語・スペイン語ともに、今期は「初級編」「応用編」の組み合わせだ。
体感として、「中級編」と「応用編」の区別はあまりつかないが(汗)、
「入門編」と「初級編」のレベルの違いはわかる。特にフランス語に関しては。
以前一度は勉強したことがあるのを前提にしているので、
最初から多彩な文法事項に触れてあるし、語彙も入門編よりずっと幅広い。
初級文法の良い復習になるので、今の私にはこのほうが有り難い。

フランス語初級編は『ゾエと学ぶフランス語』、
姫田麻利子先生とアルベリック・ドリブル先生。
姫田先生は、以前の講座でもそうだったが、いかにも初級者の考えそうな、
疑問や間違い等を提示して、「この場合はどうですか?」のように
ドリブル先生に意見や訂正を求めてくださるので、学習者として
「そうそう、それが聞きたかったのですよ」と思うことがよくある。
とても聞きやすい講座で、気に入っている。
ドリブル先生は4月の初め、かなりの鼻声で、「お風邪?花粉症?」と
聴いていて心配になったが、3週目と4週目は少し改善された感じがした。
5月以降、更に良くなられると良いのだが。
フランス語は鼻に抜ける鼻母音があるので、鼻炎のときは辛そうだ(汗)。

フランス語応用編は、この3月まで聴いていた昨年後期分の再放送で、
西山教行先生とジャン=フランソワ・グラツィアニ先生による
『フランコフォニーとは何か』。
毎回、素材の文章が大変に読み応えがあり、私好みである。
今期は二度目であることと、放送前に予習してから聴いているので、
よく理解できて、手応えがある。
『練習』の和文仏訳も、語彙がわからないとき以外は正解できている。
ただ、きょうの文章を最初に通して聴いたあと、
「聴き取れましたか?」
と西山先生が仰るのだが、それは私にはほぼ無理だ(^_^;。
このレベルの文章は、私には自分のペースで黙読してちょうどで、
ネイティブが読み上げたものを聴くだけで理解することは不可能だ。
予習で読んで、内容を知った上で聴けば一応はわかるが。
放送でリエゾンやアンシェヌマンが確認できるから、
復習として音読を取り入れれば良いのよね(汗)。

スペイン語初級編は、中島さやか先生とヴァレリア・フィシェレフ先生の
『ショウタと旅するコノ・スール』。
6月のスペイン語検定5級受験が今、頭にあるので、
このレベルのスペイン語は聴いてわからなくてはならない、
という自覚をもってやっている(^_^;。
ダイアログはストーリーがあるような・無いような、ふんわりしたものなので
「ラウラって昨日、朝寝坊してぼんやりしてたんだっけ」
と先日思ったのだが、それはフランス語初級編のゾエのほうだった(汗)。
語学講座は、往々にして若い主人公や友人が外国を旅をするので、
私の頭の中で話や設定が混ざることが結構ある。すみません。

応用編は長谷川信弥先生とベルナルド・アスティゲタ先生の
『一歩先のスペイン語』、2022年後期の再放送だ。
これもフランス語応用編と同様、『今日の表現』の文章を
最初に聴いたあと、長谷川先生が当然のように
「聴き取れましたか?」
と仰るのだが、私には無理である(汗)。
予習で読んでいるから内容は知っているが、
各種動詞の接続法まで含めた活用形は、瞬時には頭の中で意味をなさない。
英文法と同じ理屈になっている箇所が大半なので、
説明されている文法事項や構文は問題なく理解できるのだが、
適切な活用形が私の頭の中で完成されるまでにはとてつもなく時間がかかる。
不規則活用などは辞書で調べないと心許ないのが多い。
……頑張ります(^_^;。

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今朝、神社の用事があって実家に行ったら、
表玄関の片隅の天井が破壊されていて、
下駄箱の上に割れた天井板が散らばり、
玄関から「中の間」、座敷にかけて、黒い毛が点々と落ちていた。

      

実は、前回20日(土)に来たとき、私が父の寝室にいると、えらく近くで、
……なおぉん、なおぉん、
とサカリのついた猫みたいな声が幾度も聞こえていて、
勝手に入ってきてるのか?と玄関のほうまで見に行ったりしたのだが、
特に誰も居るようではなく、外かな、とその段階では思っていたのだ。
少なくとも、父の寝室側の天井裏を何かが歩いて行くような音は、
そのときは全くしていなかった。

今朝の状況から言って多分、20日のあのときか、或いはその後に、
何かがまず家の側面のどこかから天井裏に侵入し、
のしのしと歩いて移動していた最中に、玄関の上を通りかかり、
ヨワヨワになっていた板を不覚にも踏み抜いて、落ちた、
……のではないかと思われた(汗)。
黒い毛は触ってみるとフワフワととてもやわらかかったので、
猫か、イタチか、テンか。
そいつは下駄箱の上に落下し、座敷まで歩いたらしいことが、
足跡ならぬ毛跡でわかったが、そこからどうしたのかは謎であった(汗)。

家のどこかに潜んでいる可能性もゼロではなかったが、
何しろ面積だけは広すぎる田舎家で、家じゅう見てまわるのは
限りなく面倒であるうえキショク悪かった。
ただ、私がうろうろしても、何の気配もしなかったので、
おそらく今は、家の中には何も居ないだろうという感触は、あった。
物陰でひっそり死んでいるのでなければ(爆)。
もと来た道を戻り、下駄箱を踏み台にして屋根裏に飛び上がって、
帰った、のであって欲しいものだと思った(^_^;。

ということで、いつも家の各所修繕でお世話になっている、
地元の○○電興のお父さんに電話し、早速に現場を見に来て戴いたところ、
やはり私の想像と同様のことをこの方も仰った。
「とりあえず、中から板でも打って、出入りできんようにするしかないね」
と言われ、それしかないと私も同意し、近々、修繕して貰うことになった。
ちょうど今朝も、近所の某家の仕事で来てらしたところだったので、
近日中に、ついでにやって戴けそうな感じだった(^_^;。

ったく、築100年超のオバケ屋敷には困ったものだ。
カメムシやカニが入って来るのは仕方ないと思っていたし、
ヘビと遭遇することもあり得ると、知っては、いた。
何年前だったか、ネズ公と対決した夏もあった。
今年は、この、黒い毛のはえたヤツかよ。

きょうも雨なので、この黒いヤツは乾いた寝床を求めて、また来るかもしれない。
とりあえず、玄関と「中の間」の境のふすまを、きょうは全部閉めてきた。
前回は開けっぱなしだったので、こいつに座敷まで入られたのだ。
それから念のため、父の寝室のほうに通じる引き戸も、台所へのドアも
ぴったりと閉じておいた。
また同様に天井から落下する格好で室内に入るヤツがいたとしても、
きょうからはもう、玄関の六畳間よりほかに行くところは無い筈だ。

……しかし、天井に板を張っても、家の外側のどこかから天井裏に侵入する穴は、
多分、空いたままになっている訳で、それがどこであるかを突きとめなければ
猫であれイタチであれ、天井裏に入ることは、これからも可能ということだよな。
かなり以前に、まだ両親が住んでいた頃にイタチに入られたことがあって
怪しいと思われる箇所に外から金網を張って貰った、という一件があったのだが、
それももう、劣化しているだろうよね。

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縮景園の桜を愛でたり、家で切り花を飾ったり、
本を読んだりバレエクラスもどきを楽しんだり、
こんぴら歌舞伎を観るために遠征したり、
……と、最近はようやく本来的な「道楽」日記になって来ている。
夏祭までの束の間、神社仕事が閑散期に入っているからだ。
有り難いことである(涙)。

ということで、新しい花を買った。
朝からなんの予定もなく、掃除をしてオンラインエアロビクスをして、
語学をやったりネットで遊んだり本を読んだりして午後を過ごす、
……みたいな日が、私はいちばん心穏やかで幸せである。

***************

友人の娘さんが現在、就職活動中で、
面接に行ったら、求人サイトで見たのと話がかなり違っていたり、
意地悪?な面接官からキツいことを言われたりして、思うに任せず、
友人いわく「病んでいる」とのことで、気の毒ではあるのだが、
結局のところ、仕事というのは不愉快な面は必ずあるものなのだ。
就活はその予行演習というか、前哨戦というか(^_^;。
世の中、面接官より意味不明でヒドい人が、普通に居ますからね。

尤も、その意地悪で酷い人というのが、本当に性悪な人である場合もあれば、
自分が至らぬために相手を怒らせ、ぎくしゃくしている場合もあるだろう。
どちらにしても、相手との関係性のために自分が不愉快なのは一緒だが、
全部が全部、人のせい、というのでもないかも?くらいは、
一度は思ってみるべきかもしれない。
また、仮に自分のほうが正しいのだとしても、
正しいことだけ主張すれば通るというものでもない。
若いときは、聡明な人であれば尚更、受け入れるのが難しいとは思うけども(^_^;。

それはまあ、それとして、なんとかして仕事にありつき、
様々に理不尽な思いをしつつも辞めずに耐え、
日々の責任を果たすようになれば、報酬というものが貰えるようになる。
えてして、他人のしている苦労は小さく見える一方で、
自分の苦痛だけは針小棒大に感じられるものだが、
皆が大なり小なり、そうやって自分に折り合いをつけながら、
自分の務めを果たしているから、世の中が回っているのだ。

「お給料はガマン料」とは美輪明宏さまの名言であるが
(『乙女の教室』(集英社、2008))、
自分に都合の良い世界の中で、気分のいいことだけをして、
なおかつ満足できるほどのお金を手に入れる方法は、無いと心得るべきだ。
「好きなことを好きなようにやるのは趣味であって、仕事とは言いません」
というのも上記の美輪さまの著書に出ている言葉である。
働けば疲れがたまり、ムカつくことも多いのが普通だろう。
ヤダヤダ、そんなシンドいことしたくない、と学生さんは思うだろうが、
そうすることでお金が手に入り、なんとか自分で生きていけるようになる。
それこそが自立だ。親の庇護下にいたのでは出来なかったことだ。

あとはその我慢の中身と稼げる金額とが、
どこまで釣り合っているかいないか、という話になり、
石の上にも三年、……も間違いではないが、何事も程度問題ではある。
どう考えても割に合わない、となれば、
別の我慢でガマン料を戴く方法を探すしかないだろう。
我慢の種類や内容を変える工夫であって、
どのみち我慢は、せねばならんのではあるが(^_^;。

ということで私も、某かのお給料を戴くためには
忙しくても14連勤でも、自分に務まるものであれば当面、続けるしかない。
私から見れば、厚かましいことを言って来る人等も居るが、
それらを受けて流すのもまた、仕事の一部なのであろうよ。
――と今、原点に立ち返り、己を戒めているところである。
冒頭に書いたような「心穏やかな日」しか無いなら、単純に無収入なので(汗)。
緊張と緩和、は心身の健康のために必要なものだし、
何より道楽するためにも、収入は必要だ。先立つものが最低限、ないとね。

それと同時に、自分も今年は還暦なので、ガマン料を戴くためだけに
残り時間を使い果たして終わってしまうのも、良いこととは思われず、
我が人生の小春日和のような日々も、
そろそろ手に入れたいものだなと思う、今日このごろです(^_^;。
生涯現役!と誇る老害もまた、社会の迷惑であることだし。

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19日に、こんぴら歌舞伎の昼の部を観てきたのだが、
昔ながらの「小屋」の風情がやはり素晴らしく、
そよ風が時折り爽やかに吹き抜ける客席で、
実に快適で心躍る芝居見物のひとときを過ごすことができた。

今回は、一緒に行った友人が居て、
彼女が金丸座が初めてで気合いが入っていたこと(笑)と、
膝の手術後のため椅子席を希望したこととで、特別席の「前舟」を奮発した。
私ひとりだと、安価な自由席である「後舟」(二階最後列の椅子席)を買い、
外で並び開場と同時に駆け上がって端席を確保したりしていたものだったが、
このたびはまことに優雅な観劇になり、格別であった。
金丸座は全体に小さいので、どこに座っても舞台が近く、
歌舞伎座などでは味わえない、役者さんとの一体感が楽しめる。
更に今回は、客席降りや宙乗りもあり、素晴らしい臨場感であった。

昼の部最初は『沼津』。呉服屋十兵衛を幸四郎。
端正な立ち姿、軽妙なところはどこまでもテンポよく、愛らしさもあり、
一方で物語が深まるとともに芝居も重みを増し、見応えがあった。
演目としては私は、2019年の秀山祭で吉右衛門が演ったのを観たのが
未だに記憶に新しいのだが、あの公演のとき途中で吉右衛門が休演して
幸四郎が代役を務めたことがあった。
あの十兵衛が、幸四郎にとっては初役だった筈だ。
今や押しも押されもせぬ、こんぴら歌舞伎大芝居の座頭としての十兵衛!

対する雲助平作が鴈治郎。
『沼津』は大きな演目なのだが、出だしからしばらくは、
周辺の小さな役や些細なエピソードまでひたすら愉快なので、
多くの場合、これほどの顔ぶれでこの古典落語みたいな芝居を(笑)?
等と初めて観るときは不思議な感じがするのではないかと思う。
しかし話が進むにつれ、生き別れの親子の巡り会いと、仇討ちも絡んだ、
実に重い物語になって行く。
楽しい場面も勿論芸達者でなくては務まらない内容で、しどころが多いが、
やはり千本松原の場になると、鴈治郎の存在感あってこそとしみじみ感じた。

そして娘お米が壱太郎だったのだが、あまりにイイ女なので驚いてしまった。
出てきただけで美しくて、十兵衛が惚れるのも無理からぬ、という。
姉さんかぶりで掃除する姿も、手ぬぐいをはらりと外すときの風情も、
「触れなば落ちん」とばかり、しっとりと女性らしいのだが、
同時に、単なる若い娘ではなく、言い交わした夫もある「女」の部分も
最初から雰囲気にちゃんと出ていて、壱太郎イイわ~~!と感じ入った。

昼の部の後半は『羽衣』。
初めに登場する涼やかな漁師の伯竜が染五郎。
染五郎は『沼津』のほうでも荷物持ち安兵衛を務めていて、
今回のこんぴら歌舞伎では大活躍であった。
音に聞く美少年の染五郎なので、伯竜のシュっとした姿も眼福だったが、
細い首筋や長い手足が、ふとした瞬間に「痩せすぎ」に見えることがあり
安兵衛のときはそうでもなかったが、伯竜としては多少残念に感じられ、
そのあたりは今後の課題なのかなと思ったりもした。

しかしそれより何より、凄いのは天女の雀右衛門なのである!
典雅な天女の舞そのものも大変な見どころなのだが、
最後の引っ込みのところで、宙乗りがあるのだ。
休憩時に天井付近のかけすじのところを、黒子さんが這っていって、
何か支度をされているのが下から見えていたのだが、
天女が舞いながら空へと帰って行くところが、
江戸時代からの古典的な仕掛けによる宙乗りになっていたのだ。
金丸座のかけすじ機構と、当代雀右衛門の宙乗りというものを、
私は初めて目の当たりにした。
拍手が鳴り止まず、この日の客席が大いに湧き、
観客の皆が満足したことが、幕が下りてからも感じられた。

  

当日は朝から完璧なお天気で、絶好の観劇日和でもあった。
脚の悪い友人を歩かせてはいけないと考えて、
行くときは琴平駅からタクシーに乗ったのだが、
帰りは下り坂ということもあって、ゆっくり歩いて駅まで戻った。
友人も膝の具合が素晴らしく良いと言い、
「なおったんかね?楽しいことをしていると体にも良いのかもしれん(笑)」
と喜んでいた。

こんぴーくんは相変わらず元気で、サービス精神旺盛であった。
皆に可愛がられ、写真を撮られていた。
金丸座での公演はボランティアの支えが大きく、
舞台裏方から切符もぎりや案内係等、
地元商工会青年部を中心とする方々の御尽力で運営されている。
その至れり尽くせりのホスピタリティには本当に感激した。
我々の観劇・観光・募金等が、琴平や金丸座のために、
少しでも力になることができていれば嬉しいと思う。

JR琴平駅はこんぴら歌舞伎仕様で、特急南風号はアンパンマン列車、
窓の外には、昔話の絵本で見るような△形の山がいくつも見えて、
「四国に渡ったんだな~」と満喫できた一日だった。
あの屹立したような山のかたちは、広島の側では見かけないものだ。
地形とは面白いものだなと、車窓からの景色を眺めながら思った。

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