わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

青花は世界へ(海揚がり2)

2011-08-07 22:26:45 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花磁器について、話を続けます。

沈没した船から、引き揚げられた作品の研究は、1970年代より、ヨーロッパを中心に、発展して行きます。

これまで、沈船から引き揚げられた、中国の陶磁器は、数十万点とも言われる、膨大の量です。

しかしながら、引き揚げられた、陶磁器類は、オークションに掛けられる事が多く、一箇所で保存管理

される事は、少ない様です。

2) 沈船の実例

 ③ 沈船、レナ・カーゴ

   1996年フィリピン本島の南のパラワン沖で、15世紀後半~16世紀初めの景徳鎮磁器を満載した

   沈没船が発見されます。総トン数約100トンで、全長24m程有りました。

 ) 積荷は中国、ベトナム、タイ、ミヤンマーの陶磁器と、鉄器、銅器、漆器、ガラス製品などです。

   船体内かは、陶磁器類が箱詰めの状態で、発見されます。

   中国産の陶磁器は、青花磁器(水注、瓶、壷、大皿、鉢など)、白磁、竜泉窯青磁等、種類も

   豊富でした。文様も、牡丹唐草文、草花文、龍文、鳳凰文、麒麟文、人物文など多彩で、

   民窯青花磁器らしい、自由闊達な絵が、施されていました。

 ) この船が、陶磁器や絹を積んでいました。その様式から、15世紀末~16世紀前半、ベトナム産は、

    16世紀前半の作品ですので、15世紀後半~16世紀初と思われています。

    積荷に東南アジアの製品がある事から、ベトナムやタイ、ミヤンマーの港に立ち寄り、

    そこで、その国に荷を下ろしたり、新たな産物を積載して、イスラム世界から、最終的には

    エジプトを目指したものと。思われています。

    即ち、エジプトのフスター遺跡から、14世紀~16世紀に架けての、中国産の青花磁器や、

    ベトナム、タイ産の青花磁器や、白釉陶器が出土されています。

    更には、紅海にある港に、荷揚げされた陶磁器類は、オスマントルコの首都、イスタンブールに、

    運ばれます。又、トプカプ宮殿(オスマン帝国の 君主が居住した宮殿。イスタンブール旧市街)

    の博物館所蔵の、青花磁器と類似する作品が、多い事が、証拠とされています。

  ) 積荷に中国産以外の、品物があるという事は、輸出先の需要と、好みが関係している結果だと

     思われます。その国に合わせて、積荷を考慮しています。

     それ故、当時は、中国の船のみならず、各国々の船も、貿易の為、航海していたと、

     類推されます。

  ) これら交易が、単に経済のみに依存していたのかは、不明で他の意味が有ったかも知れません。

     即ち、中国の皇帝が、周辺諸国を属国と考え、下賜した物とも考えられるです。

     (但し、ここでは、この問題は、取り上げません。)

 ④ その他の沈船:沈没した船は、世界各地で見つかっています。

以下次回に続きます。
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