わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)48 中世の美濃窯 3(古志野2)

2014-04-03 23:01:58 | 陶磁器と色彩
4) 桃山時代とは、織田信長が、足利15代将軍義明を奉じて、京都に入ってから、関が原で家康が

 勝利を収める、およそ30年間(1568~1600年)を言います。

 但し、陶磁器の歴史からは1622年までの約50年間を言います。1622年銘の織部燭台の陶片が

 発掘されている為で、この間に作られた焼き物を、桃山時代の美濃の茶陶といいます。

 志野」(しの)と呼ぶ場合、「志野焼」又は、「志野釉」を指しす。どちらの意味かは、文の

 前後から判断する事になります。

 ① 志野の土と焼成温度。

  ) 志野に使われている土は、多治見市、土岐、可児(かに)と呼ばれる東濃地方で採取

    される百草土(もぐさつち)と呼ばれる土です。多少の砂目を含む粘りの少ない白い土です

    大萱(おおがや)地区と、五斗蒔(ごとまき)、多治見地区では、その成分に差がある

    そうです。 尚、百草土は、掘り尽され美濃の地でも入手困難との事です。

  ) 志野の釉は、長石を主体とし、単味で使うとも言われています。

    尚、長石には、正長石(カリ長石)、曹長石(ソーダ長石)、灰長石の三種類があり、

     成分も若干異なります。地方によっては石粉(いしこ)、サバ土、千倉石などと呼ばれる

     長石の半分解物が使われるています。志野釉に適した調合例はほとんどの場合、秘密に

     なっています。

  ) 長石自体の融点は高く1500℃以上ですが、異なる長石が混じり合う事で、1250℃前後で

     軟化すると言われています。場合によっては、窯の温度は1300℃以上に成る必要があった

     様です。

 ② 志野の種類。

  ) 無地志野: 模様の無い白一色の焼き物で、美濃の窯で一般的に焼かれていました。

  ) 絵志野: 酸化鉄を含む岩石、又は粘土を鬼板(おにいた)といいます。

      この鬼板を細かく粉砕し、水に溶いて絵の具として下絵付けとして使います。

  ) 鼠(ねずみ)志野: 素地に薄く泥漿(でいしょう)化した鬼板を流し掛け、更に模様を

     彫る事で、象嵌風に模様が浮かび上がります。尚、泥漿を掛けた部分は鼠色となり、

     彫った部分は白く現れます。

  ) 赤志野: 鼠志野が赤く発色したものです。鉄分がやや少なめか、長石釉が薄く掛かった

     場合に発色します。鉄は1250℃以上になると、色が飛んで仕舞うそうです。しかし長石を

     熔かすには、1250℃以上が必要ですので、何らかの工夫がなされているはずです。

  ) 紅志野: 志野が白ではなく、赤い色に発色したものです。当時の物は、窯変による物と

     思われますが、現在の物は呈色剤を使った物が多いです。

  ) 紫志野: 紅志野の中で、紫色に発色した物です。窯の還元焼成が強い為、赤にならずに

     紫色になったと思われます。

  ) 練込志野: 鉄分を含む赤土と、白色粘土を練込んだ素地から作品に仕上げます。

     赤土の部分は、鼠志野風に成ります。

 ③ 志野の焼成。

  ) 窖窯(あながま)又は大窯での焼成は、三日三晩夜を徹して焚き続けます。

    1250℃以上の高い温度が必要で、窯の雰囲気も酸化、還元の調整が必要になります。

  ) 窯焚き後、数日間の冷却後に窯出しになります。

    冷却に十分時間を掛けないと、赤い色(火色)が出ないそうですし、作品表面に亀裂や

    貫入(かんにゅう)が入ります。

  ) 窖窯での焼成には、多くの苦労があり、失敗作も多い様です。

    燃焼効率の悪さ、燃焼中の天候の変化、火力不足、燃料の調達や、釉の調合の失敗など

    多くの困難が有った事は、古窯跡に残る欠片(かけら)や陶片から推察されます。

以下次回に続きます。
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