前回、釉薬はガラスの仲間であると、お話しました。
3) 釉薬の発見
釉薬は、紀元前エジプトが起源とされています。
・ 天然のソーダと珪酸粘土を混ぜ、施釉した物ですが、素地との密着性が弱く、剥離、腐蝕、
磨耗が激しい物でした。
・ その後、鉛を成分とした釉薬が、メソポタミヤ地方で発明され、西域から中国に伝わりました。
(鉛は、低い温度で溶ける金属ですが、ガラス質から溶け出すと、人体に有害な物質です)
この釉薬は、前記欠点が改良され、漢代には、緑釉が、唐代には,唐三彩(白、茶、緑色)が
発明され、我が国でも、奈良三彩として残っています。
・ 西欧に伝わった鉛釉は、ペルシャ釉薬、マジョリカ釉(イタリア)、ガレナ釉(英国)などに
発展して行きました。
・ 鉛が高価であった為と、窯の改良によって、灰が釉薬に成る事が発見され、
灰を使った釉薬へと、発展して来ます。
・ 更に現在では、灰を使わず、石灰などを使い、安価で安定した釉薬が、主流になっています。
・ 灰釉は良い所も有り、現在でも、陶芸作家と言われる方々に、好まれて使用されています。
① 縄文、弥生式土器の時代は、野焼きが中心で、低い温度でしか、焼成できませんでした。
(現在の素焼程度の温度です)
② 高い温度で焼けば、焼くほど、強度が増し、吸水性も少なくなる事が解かってきました。
③ 時代と伴に、窯が発達し、熱を閉じ込め、高温にする事が可能になりました。
④ その結果、燃料として使用した薪の灰が、作品に降掛かり、溶けて固まり、しっかり密着し、
更に、綺麗な色に仕上がり、強度が増し、使い易い物が出来上がりました。
(色は、黄色、黄緑、緑色などです)
⑤ 灰が元になって、このガラス状の皮膜が出来る事が発見されてから、釉薬は、
灰を原料とした釉薬(灰釉=かいゆ、はいゆ)が発展(発明)します。
・ 灰釉は東洋の焼き物の特徴で、漢代に始まり、唐、宋時代に至り、目覚しく発展します。
・ 我が国でも、須恵器(1000 ℃以上)の後半(9世紀頃)から、意識的に、水に溶かした灰を、
容器に塗り、焼成した物が、見受けられる様になります。
以下次回に続きます。
3) 釉薬の発見
釉薬は、紀元前エジプトが起源とされています。
・ 天然のソーダと珪酸粘土を混ぜ、施釉した物ですが、素地との密着性が弱く、剥離、腐蝕、
磨耗が激しい物でした。
・ その後、鉛を成分とした釉薬が、メソポタミヤ地方で発明され、西域から中国に伝わりました。
(鉛は、低い温度で溶ける金属ですが、ガラス質から溶け出すと、人体に有害な物質です)
この釉薬は、前記欠点が改良され、漢代には、緑釉が、唐代には,唐三彩(白、茶、緑色)が
発明され、我が国でも、奈良三彩として残っています。
・ 西欧に伝わった鉛釉は、ペルシャ釉薬、マジョリカ釉(イタリア)、ガレナ釉(英国)などに
発展して行きました。
・ 鉛が高価であった為と、窯の改良によって、灰が釉薬に成る事が発見され、
灰を使った釉薬へと、発展して来ます。
・ 更に現在では、灰を使わず、石灰などを使い、安価で安定した釉薬が、主流になっています。
・ 灰釉は良い所も有り、現在でも、陶芸作家と言われる方々に、好まれて使用されています。
① 縄文、弥生式土器の時代は、野焼きが中心で、低い温度でしか、焼成できませんでした。
(現在の素焼程度の温度です)
② 高い温度で焼けば、焼くほど、強度が増し、吸水性も少なくなる事が解かってきました。
③ 時代と伴に、窯が発達し、熱を閉じ込め、高温にする事が可能になりました。
④ その結果、燃料として使用した薪の灰が、作品に降掛かり、溶けて固まり、しっかり密着し、
更に、綺麗な色に仕上がり、強度が増し、使い易い物が出来上がりました。
(色は、黄色、黄緑、緑色などです)
⑤ 灰が元になって、このガラス状の皮膜が出来る事が発見されてから、釉薬は、
灰を原料とした釉薬(灰釉=かいゆ、はいゆ)が発展(発明)します。
・ 灰釉は東洋の焼き物の特徴で、漢代に始まり、唐、宋時代に至り、目覚しく発展します。
・ 我が国でも、須恵器(1000 ℃以上)の後半(9世紀頃)から、意識的に、水に溶かした灰を、
容器に塗り、焼成した物が、見受けられる様になります。
以下次回に続きます。