3月1日にはじまった、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展は開始早々、出掛けたが、紹介文はひと月もあとになってしまった。これだけの美術展はめったにないことだろうから、思い出しながら記録しておこう。
以前、イタリアではカラヴァッジョ(1571-1610)は、レオナルドやラファエロよりも誰よりも一番人気があるということを聞いて、ぼくは信じられなかった。レオナルドやラファエロの作品といえば、すぐ思いつくものはいくつもあるが、当時のぼくには、カラヴァッジョの作品を思い浮かべることができなかった。その後、近くの大学のカルチャー講座を受講し、カラヴァッジョが大変な画家であることを知り、関心をもつようになっていた。
大変な画家という意味は二通りあって、一つはバロック絵画の創始者という美術界の巨匠であること、もう一つは犯罪者として、一生を送ったことである。カラヴァッジョは生来、気性が激しく、たびたび牢獄に入ったが、とうとう、1606年(35歳)、テニスの試合のいざこざで殺人を犯してしまう。その後、ローマから、教皇の司法権の及ばないナポリに逃げ、さらにマルタ島、シチリア島と渡り、”逃亡者”となる。この間も作品を作り続けて、教皇の恩赦を待つ。しかし、1610年(38歳)に、誤認逮捕で牢獄に入れられ、そこで熱病に罹り、あっけなく死亡する。その直後に恩赦が出るという不運な人生を送った。
死後まもなく、彼の名は忘れ去られるが、20世紀になって、美術史的に再評価されるようになった。すなわち、カラヴァッジョは、それまでのルネサンスとマニエリスムを壊し、人間本来の肉体面、精神的面を写実的に描く手法や光と影の表現法が、その後のバロック絵画へ大きく影響したというのだ。
夭折したカラヴァッジョの作品は真筆として確認されているものは、60点ほどという。そのうち、何と11点も来日しているというのだからすごい。さらに、ごく最近、真筆と認定された”法悦のマグダラのマリア”は、世界初の公開ということで、見所満載。
それでは、ちらしと購入した絵ハガキをもとに”ミニ・カラヴァッジョ展”を開きましょう。展覧会では、カラヴァッジョの継承者たち(カラヴァジェスキ)の作品も多く、展示されているが、ここでは、純カラヴァッジョとしたしまする。
第6章 斬首
仔羊の世話をする洗礼者聖ヨハネ 個人蔵 (帰属作品で真筆かどうかははっきりしていない)
(画像なし)
おわりに、ふたつの作品を、ちらしでもう一度。