気ままに

大船での気ままな生活日誌

村上隆のスーパーフラット・コレクション(1)

2016-01-31 12:52:21 | Weblog

世界的な現代美術家といわれる村上隆の展覧会をぼくはまだ、一度しかみていない。森美術館で現在も開催中の”五百羅漢図展”だけである。度肝を抜かれた展覧会だったが、今度は、横浜美術館で、村上隆自身が蒐集した美術品の展覧会を開くという。その初日(1月30日)に馳せ参じた。これまた、度肝を抜かれた展覧会であった。

ロビーに巨大なオブジェが飾られていて、これも展覧会の一部ということがあとでわかった。今回も写真撮影がOK。村上隆は太っ腹!(笑)。それでは、見た順にご紹介しましょう。緑の字はサイトの説明文を貼らせてもらいました。

彫刻の庭

村上隆にとってコレクションとは「限界への挑戦」でもあります。美術館エントランスの大空間、グランドギャラリーでは、大型彫刻やインスタレーションが林立し、観客を迎えます。資本主義と芸術の拮抗、欲望と芸術の関係が不確定なものに金銭を出すという行為について問いかけます。

なんという壮大さ!これが全部、村上コレクション!圧倒される。ぽかんと口を開け、みつづけていた。

飛行機の残骸を使ったアンゼルム・キーファー ”メルカバ”。いいね!

革で出来た巨大なライオンか?

私はだれでしょう。かわいいネ。

巨人という名の作品(ホナート作)

体毛までばっちり。

背景には明るい映像作品が流れ続ける。

ぼくは、こうゆう巨大オブジェの展示物が大好き(汗)。そして、展示室に入ったら、もっとびっくり。ぼく好みの作品ばかりだもの!

日本・用・美

ここでは、日本を中心とする東洋陶磁や近代陶芸の優品、江戸期の絵画や史料類が整然と陳列されます。生活の中の日本美、その淵源のひとつとしてのヨーロッパの雑器まで、美の根源を探索する村上隆の眼差しをたどります

仙がいさんの作品も

白隠さんの作品も

蕭白の作品も

びっくりするのはまだ早い。縄文土器から始まり、弥生土器、古陶とつづく。

木造女神さんもこんにちわ。

魯山人のも

半泥子(右側)の作品も

スリップウエアー

雑巾も。まさに、用の美!

用の美の部屋。この部屋で一杯やりたいね。古唐津の酒器なんかで。


この”日本・用・美コーナー”は、ぼくがよく訪ねる美術館の展覧会みたいな感じで、しっくりぽん!

さて、まだまだ続きますが、これから、カマキンの最後を見届けに行かねばならないので、一旦休止します。夕方はまた、小学校時代の友達と飲み会(汗)。昨夕は高校時代の友達だった。月曜日は中学時代のミニクラス会だったし、小中高揃い踏みで、今週は飲み会コレクション!

 

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黄金のアフガニスタン展 in 九博 (博多たび#6)

2016-01-31 09:28:16 | Weblog

おはようございます。深夜の日韓サッカーみているうちに、居眠りというか、本格的に眠っていた。その前に友達とたらふく飲んだあとだったからね。でも早朝、結果を知ってびっくり。大逆転勝利だった。ああ、すごい試合を見逃してしまったと後悔した朝でした。では、今日も博多たびシリーズを。

上野の西美での”黄金伝説”を観て以来、黄金と名がつけば、必ず、足を運ぶようになってしまった(汗)。博多旅の三日目、大宰府天満宮に隣接する九博、ここで”黄金のアフガニスタン展”が開催されていた。この展覧会は、4月12日から東博に巡回することに決まっているから、関東の誰よりも先に観ることができるというのも、エヘンができてうれしい。

”守りぬかれたシルクロードの秘宝”のサブタイトルが示すように、今回の展示品は、祖国の戦乱から宝物の破壊、喪失を守ろうと国立博物館員が秘密の場所に長い間隠していたもの。そのことが、2004年に明らかになり、みなを驚嘆させた。やはり戦乱から逃げ回り、北京から台湾に移動した故宮博物院の宝物を彷彿とさせる。それらの秘宝が、パリ、ニューヨークと巡回し、今、九博に来ているのだ。

シルクロードの画家、平山郁夫もこの展覧会に一枚加わっている。戦乱で多数の文化財が不法なかたちで流出していたが、平山はこれらを”文化財難民”と位置付け、一旦蒐集し、祖国が安定したら、お返ししようという運動をはじめていた。これらの文化財をぼくも国内で何度かみたことがある。本展覧会がきっかけとなり、102点が返還されたという。そのうち15件が展示されている。

そうゆう歴史的背景を知ると、よくぞ、生きていてくれたと、抱きしめたくなるような思いが湧いてくる。一方、相変わらず、世界中で、貴重な文化財を破壊しつづけるばかものどもの存在を想うと腹がたってくる。

本展では、紀元前2100年頃から紀元後2世紀頃までの古代アフガニスタンの四つの遺跡からの出土品が展示されている。とりわけ、ティリヤ・テペ遺跡の黄金製品が素晴らしい。展示構成は以下のようになっている。

第1章 テペ・フロール
メソポタミアとインダスの間に栄えた謎の文明を物語る、紀元前2200年頃の墓地。文明交流のはじまりを告げる象徴的な遺跡。

第2章 アイ・ハヌム
アレクサンドロス大王の東征によって建設されたバクトリアのアレクサンドリア。遊牧地帯に突然出現したギリシア人の植民都市。

第3章 ティリヤ・テペ
遊牧民の王族たちの墓。6つの墓に埋葬されていたのは、5人の女性と1人の男性だった。豪華絢爛な金の装飾

第4章 ベグラム
地中海世界や中国、インドと交流したクシャーン朝の都市。シルクロード交流の精華である宝物。

第5章(特別出展) アフガニスタン流出文化財/我が国で保護された文化財

いくつかの宝物をちらしの写真から↓。

黄金の冠(ティリヤ・テペ)

ドラゴンをあやつる王の飾り(ティリヤ・テペ)

流出文化財

また、東博にきたときに、覗いてみよう。

。。。。。

常設展では国宝・初音の調度(徳川美術館)の一部が展示されていた。香炉↓

これで、3回目の九州国立博物館。


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大宰府天満宮の飛梅 初花 (博多たび#5)

2016-01-30 13:21:32 | Weblog

博多旅3日目は直通バスで博多から大宰府へ。たった40分で到着!昨夏にも行っているが、真冬の太宰府天満宮ははじめて。梅は咲いているか、とくに銘木”飛梅”はどうかが、一番の関心事。

この季節なのに、大勢の人。でもその多くはアジア系の外国人みたい。彼らがいなければ、きっと、さびしいことになっているものと思う。商店街の人にとってはありがたいことなのだろう。花魁姿もきっと外国人(笑)。

境内に入り、目指すは本殿。そしてその横の飛梅。一直線に進む!

太鼓橋

鳥居をくぐって

楼門

ご本殿

さて、ご本殿横の”飛梅”。菅原道真が大宰府に左遷されたときに、京の館から一夜にして、ここに飛んできたというご神木。

さて、梅の花はどうか、幹の回りをトコトコ・・・・・・・・・あっ!ありました。それも、たった一輪!ということは、初花!
天下一の梅の銘木、飛梅の初花!見事にたった一輪。これを観た人は、この日に天満宮に参拝した方だけ。でも、大部分の人は、(外国人も多く)この一輪に気づいていないようだった。さらに、この一輪を感慨をもって観た人といえば、ぼく以外にいないかもしれない。家内も、あらそう、と冷たい返事。花より団子で、さっき参道の商店街で買った梅ヶ枝餅を頬ばっていたのだから。

2016年1月22日(金)大宰府飛梅初花記念日

飛梅の初花に、近くの紅梅たちもお祝いしていた。

ぼくたちも。

天満宮の次は、虹のトンネルを通って九博へ。(つづく)

さて、今日は夕方、桜木町で友人と飲み会。その前に横浜美術館の初日をみるつもり。では、行って来まぁす。

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原節子と吉永小百合の主演作を同日にみられる奇跡

2016-01-30 10:15:09 | Weblog

おはようございます。ぼくは毎日、一生懸命遊ぶから(汗)、遊びの神様に気に入られている。昨日も、神様に粋な計らいをしてもらった。なんと、ぼくがかって選んだ、昭和の美女番付、一位、二位の原節子と吉永小百合の主演映画を同日に観られるという奇跡をつくっていただいたのだ。

小雨そぼふる中、こんな日は久しぶりに映画でもみようと辻堂のシネコンに行った。1時頃着いたが、この時間帯ですぐ観られるのは、”信長協奏曲”。2時間弱、待てば、吉永小百合主演の”母と暮らせば”。躊躇なく、後者のチケットを買った。”母べえ”以来、小百合ちゃんの映画をみていなかったし。さて、それまでの時間はどうするか。それも躊躇なく、駅の反対側にある辻堂図書館だ。ここもお気に入りの図書館で時々、訪ねている。

図書館で、ある雑誌を読み始めていると、アナウンスがあった。二階ホールで名画観賞会がはじまります、今日は原節子主演の”青い山脈”です、と。もし、ぼくが、”母と暮らせば”の上映直前に辻堂に着いていれば、図書館に寄らなかった。ほんとに絶妙の時間帯にここにやってきたのだ。

青い山脈は半分ほどしかみられなかったが、若き日の美貌の原節子はたっぷりみることができた。終戦数年後くらいの東北の港町の高等女学校を舞台にした青春物語。女子大を出て、英語教師に赴任してきた島崎雪子を演じるのが原節子。生徒の寺沢新子(杉葉子)が旧制高校生の池部良とつきあいはじめる。あるラブレター事件で、学園内で騒動が起き、杉葉子が窮地に陥る。そこに颯爽と現れた原節子先生が、古い因習にとらわれた学園を糾弾し、杉葉子を助ける、といった前半。主題歌にもあるように、暗い戦争は終わった、さあ、新しい時代を明るく生きよう、というテーマ。

若くあかるい歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ/古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら 青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く

”母と暮らせば”も偶然、同じ時代背景だった。終戦数年後。”青い山脈”とは対照的に、こちらには夢も希望もまだない。うつうつとした日々がつづく。長崎に原爆が落とされ、医学生の息子(二宮和也)を亡くした母(吉永小百合)が助産婦をしながら細々と生きている。ただ、息子の恋人で、今は小学校の先生をしている黒木華が訪ねてくれるのが慰めになっている。ある日ひょっこり、息子の亡霊が現れ、母と昔話をするようになる。さまざまなエピソードが語られ、母に笑顔が戻る。もちろん恋人の話も出る。縁談があるというと怒る息子も最後は許すようになる。残った人は僕らの分まで幸せになってと。そうそう、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も脇役ながら結構、重要な役割を果たします。そして・・・ここから先は言いません。映画館でどうぞ(笑)。

井上ひさしが、広島を舞台にした”父と暮らせば”と対になる作品として、長崎を舞台にした”母と暮らせば”を構想していたが未完。それを山田洋次監督が引き継ぎ、脚本を書いた。

戦災の少なかった東北の港町と原爆を直接落とされた町。ふたつの映画の明るさと暗さの際立つ対比。実際、終戦数年後の人々の心の復興の度合いも、ちょうど、これらの映画のようだったのかもしれない、と思った。

母と暮らせば(山田洋次監督)

青い山脈(今井正監督)
 

 

 

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博多座で仲間由紀恵の放浪記 (博多たび#4)

2016-01-29 10:46:12 | Weblog

旅先でお芝居などをみるのも楽しいもの。昨夏、博多祇園山笠を見にきたときも、博多座でミュージカル”レ・ミゼラブル”を観た。今回の博多旅行でも、仲間由紀恵の”放浪記”を博多座で観てきた。とても良かったですよ。

放浪記といえば、森光子が89歳まで、なんと、2017回公演したという”歴史的な演劇”だから、その後を引き継ぐのは大変なことだろうと思う。いってみれば、巨人軍の新人選手が永久欠番の3番をつけてプレーするようなもの。だから、森光子を何度もみている人は、つい見比べてしまうかもしれない。ぼくは自慢ではないが(笑)、一度もみていないし、知っているのはでんぐり返しだけだから、新鮮な気持ちでみることができた。

仲間由紀恵はでんぐり返しではなくて、違うことをしているらしいということも知っていたので、それも楽しみにしていた。その場面は木賃宿みたいなところに宿泊しているときに、投稿していた”放浪記”が出版されることが決まったという知らせを受けたとき。大喜びの表現としての”でんぐり返し”なのだ。仲間由紀恵の場合はどうか。これは言いません。これから観る人の楽しみを奪うからね。ヒントだけいいますと、若いだけあって、もっと難度の高い体操技です。50過ぎたら、出来ないかも。その頃にでんぐり返しに変更かも(笑)。

この戯曲は、菊田一夫で、もちろん林芙美子の”放浪記”を元にしている。面白いのは人柄の良さそうな菊田一夫が劇中にも現れてくること。若いときにもちらりと顔を出すが、終盤、林芙美子が成功して自宅の書斎で仕事をしている場面でも現れて、仕事で疲れ果てている芙美子を慰める。

成瀬巳喜男監督が林芙美子が好きらしく、彼女の原作をいくつも映画化している。めし、稲妻、浮雲、そして、放浪記。ぼくも、わりと最近、高峰秀子主演の”放浪記”を鎌倉の川喜多映画記念館で観ている。お芝居では初めてだが、この映画や、テレビドラマでも見ているような気がするので、おおまかな筋は知っていた。貧乏生活でいろいろ苦労して、いろいろな人を好きになって、離れて、それでも、文章や詩だけは書き続けた。ようやく、認められて文筆家として世に出る。戦後は多量の仕事を引き受け、ろくに睡眠もとれない生活がつづき、47歳の若さで世を去る。”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”の生涯だった。

比較的、前の席だったので、仲間由紀恵と若村麻由美(ライバル関係の文士志望の日夏京子役)の美貌もたんまり楽しめた(汗)。みなさん、上手な演技で、きっと、連続公演して、森光子の記録をやぶるのでは。ぼくはそのとき、天上で観劇して、大喜びのでんぐり返しをしているかも。



二月からは玉三郎です。歌舞伎好きは博多へ集合!

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河津桜と三浦大根娘とカワセミ夫婦 京急三浦海岸

2016-01-29 08:58:18 | Weblog

うららかな春のような一日。京急三浦海岸の河津桜はどうなったかいなとぶらり出掛けてきた。一部の早咲きのはもう咲いているはずだ、鎌倉の河津桜は12月から咲いていたもの。でも、普通種も、一つや二つ、開花しているのだはないかいなと思った。さて、どうだったか。

三浦海岸駅前に十数本の河津桜があり、それが目安になる。さて、さてと、遠目でみると、ほとんど咲いていない。でも、近づいてみると、一本の木に、一つ、二つ開花しているではないか!花の下のベンチでおばさんがスケッチしていた。ここまでくれば、もう一気に咲くね、とにこにこしていた。向こうの桜並木の方は咲いているそうよ、私は足が痛いので行けないけど、と教えてくれた。早咲きのことだろう。とにかく、一輪でも、二輪でも普通種が開花していたのは嬉しいこと。予想が当たった。

そこから、15分も歩くと、京急の線路沿いに桜並木がある。はじめに現れてくる普通種はまだ咲いていなかったが、階段を上り、一般道路沿いに並ぶ十数本の早咲き河津桜は、すっかりピンク色になっていた。もう、満開で、見頃というより、そろそろおわりという風情。


桜を眺めていたら、農家のおじさんが寄ってきて、こちらの孔雀葉牡丹もみて下さいと言う。最高級の葉牡丹で、桜見物み来たみなさんに観てもらおうと、道沿いに植えているのだそうだ。ほんとに見事な、美人葉牡丹だった。ぼくも毎年、みさせてもらっていますよ。

その方の畑の脇に干されている、三浦大根娘のラインダンスも見事なものだった。

葉牡丹嬢と三浦大根娘が並び踊る姿は、ミュージカルのコーラスラインを観ているようだった。

線路沿いの道路にもいくつか早咲きがあり、それらも満開になっていた。根元の菜の花も結構咲いていた。河津桜と菜の花は相性がいい。本場の河津も、小田急の松田にも菜の花が植えられている。

そして、小松ヶ池公園に入る。ここの池沿いの河津桜がいい。見頃になれば大変な人出になるが、今の時期は誰も歩いていない。暑いくらいだったので、防寒ジャンバーを脱ぎ、セーターを脱ぎ、シャツ一枚で木陰のベンチで休んでいたら、猫が寄ってきて、何か欲しそうな顔を向けた。あげるものが何もなかったので、ないよと言ったら、さびしそうに池の水を飲んで帰って行った。

先に進むと、池辺の河津桜がいくつも並んでいる。ここも、駅前のと同じく、一本の木に一、二輪という開花状況だった。よし、これで三浦海岸・河津桜の開花宣言と言っていいだろう!

この道の先に人が集まっていた。いつもの光景だ。写真愛好家のみなさんがカワセミを狙っているのだ。ぼくも、ここで何度か撮らせてもらったことがある。

ちょうど、カワセミが来ているではないか!ほんとに今日は運がいい。それも、なんと、つがいで!つがいのカワセミを写真を撮ったことがない。絶好のチャンス!カメラをもつ手がふるえる(笑)。周りの人はみな立派なカメラだが、ぼくは誰もがもっている小さなカメラ。二回ほど、連続してシャッターを押した。何とか撮れていたので、ぼくのブログ史上はじめての、カワセミ夫婦の写真を載せます↓
ちょうど、それぞれ、背中とお腹をみせてくれていた。


一羽づつ。

ポリ容器に小魚をいれて(今回は入っていなかった)、呼び寄せている。餌がないとわかると飛び去って行った。そうそう、さきほどの猫が薮から顔を出していた。余程お腹が空いているのだろう。カワセミまで狙うとは。

河津桜三浦大根娘孔雀葉牡丹嬢はらっぺらし猫カワセミ夫婦に出会え、おまけに春のような陽気。のどかなのどかな一日だった。

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江ノ島イルミネーション

2016-01-28 10:25:24 | Weblog

さて、前回のつづきです。江の島に来た主目的はイルミネーションを見るため。家内はひかりものが大好きで、夏の花火、冬のイルミネーション、お寿司もひかりものと徹底している。ただ禿げ頭だけは嫌いなようで、ぼくはなんとか嫌われずにいる。

さて、展望台で夕陽が沈むのをみていたとき、アナウンスがあった。いよいよ点灯が始まります、みなさん一緒に、カウントダウンしましょう。まだ、日が沈み切らないのに、カメラの列を離れるわけにはいかない。方角が反対なのだ。たしかに、イルミネーションは点灯開始時も見所のひとつで、数年前、仙台のケヤキ並木の点灯時に遭遇したことがあり、それはそれは素晴らしかったものだ。

点灯開始から10分ほどして、列を離れ、眼下に拡がる東側のサムエル・コッキング苑をみた。植物園は華やか光の園になっていた。

地上へ下り、見上げると展望台も光り輝いていた。

苑内の植物たちも光のドレスに着替えていた。


振り向くと展望台

光りの大河

光りの小路

光りのトンネル

シャンデリアも

サムエル・コッキング苑の出口付近のウインターチューリプも光と遊んでいた。

さすが、関東の三大イルミネーションのひとつと云われるだけあって、とても素晴らしい江ノ島のシーキャンドルライトアップ(イルミネーション)であった。また来年も!

このイルミネーションは今月いっぱいで終了です。まだ、見ていない方はお急ぎください。

 

 

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夕陽と夕富士 江ノ島から

2016-01-28 09:27:43 | Weblog

おはようございます。ほんとは昨晩、記事にしようと思っていたのですが、朝が来てしまいました。家内とみてきた江ノ島からの夕陽と夕富士の写真です。

いつもは、江の島に架かる橋の上からみますが、島を渡り、頂上まで行き、さらに展望台まで上がって、そこからみました。日没は5時頃なので、4時半頃から待機。

だんだん日が沈んでくる。ここからだと夕陽と富士山が並んでみえる。

大勢の人が詰めかけ、ぼくの前には緑の黒髪が。いや夕焼色の黒髪が。

山の端に落ちていく。

もう一度、夕陽と富士山を


夕陽が沈めば、皆の視線は富士山に集中。うつくしい姿態をみせてくれる。

よくみると、富士の冠雪部もみえてくる。

離れがたい人々

ぼくらは、展望台から降りて行く。地上にはまた、素晴らしい世界が拡がっているので。さて、なんでしょうか。次回のお楽しみに。

ここへ来る前、鎌倉の大仏さまに寄ってきました。めったにみられない修理中の大仏さまです。

うしろに廻って、お尻の部分だけが開いていたので、覗きをしてきました。

長谷寺も節分のため舞台を設営中でした。

高砂親方が豆まきに来られるようですよ。お天気キャスターの森田さん、テニスの杉山愛さんも。なかなか豪華な顔ぶれ。大船観音は去年と同じ、勢関、そして五代さんが!とはいっても、女性フアンの多い”朝が来た”の五代さんではありませんよ。稀勢の里関は府中の大国魂神社のようです。さて、どこにするか。

長谷寺の紅梅、白梅、蝋梅が咲きそろっていました。そして、まんず咲くのマンサクの花も!



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福岡市博物館で国宝金印と名刀 (博多たび#3)

2016-01-27 13:43:43 | Weblog

サザエさん通りに面して、福岡市博物館がある。はじめての訪問でわくわく。なにせ、ここには、かの有名な国宝・金印があるしね。2014年秋に東博で開催された日本国宝展で見ているが、やはり本場でみるのが一番。

知らない人はいない国宝。”金印”、日本の古代史上最も著名な五文字「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」が印面に刻まれています。後漢の初代皇帝光武帝(こうぶてい)が倭(わ)の奴国王に金印を与えたという『後漢書』の記載を裏づけました。日本最古の金製品で、鈕(ちゅう)はとぐろを巻く蛇をかたどり、その鱗(うろこ)は魚々子(ななこ)技法で表されています。と、国宝展のときのマイブログ記事を貼りつけてみた。

ここでは、あの小さな金印が、こんな大きな囲いの中に、ひとつだけ展示されている。国宝展のときは長蛇の列だったが、ここはひっそり。ゆっくりみられる贅沢。

さあ、覗いてみましょう。展示法は同じく、鏡に印面を写すようにしている。

ガラス越しに拡大して撮ってみたが、ぼやけて字が分からない。で、こちらの写真をご覧ください。とぐろを巻く蛇。

蛇の目を拡大

印面:漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)

一方、こちらの名刀陳列棚には行列ができていた。8割方、若い女子。東博ではしばしば見かけていたが、博多にもたくさんの刀剣女子が生息していたのにはびっくりタイ。

左に長槍、日本号、右に国宝刀・圧切長谷部

大身槍/名物日本号 天下三名槍の一つ。”黒田節”の母里友信の長槍。穂(刃長)が約80㎝、茎が約60㎝、拵えを含めると。321.5㎝、総重量2.8キロになる。


樋(刃中央の溝)に倶利伽羅龍の浮彫がある。

青貝螺鈿貼拵の鞘と柄。

博多駅前の母里友信像 酒はのめのめのむならば 日の本いちのこの槍を のみとるほどにのむならば これぞまことの黒田武士

国宝 刀 名物”圧切長谷部(へしきりはせべ)” 信長が、観内という茶坊主を成敗した時、膳棚の下に隠れた観内を棚ごと「圧し切り」(刀身を押し当てて切ること)にして斬殺したことで、「へし切」の名が付けられた。のちに黒田如水に渡る。名刀というより妖刀というべきか。

金印と名刀、すばらしい博物館だった。




(つづく)

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禅寺で金澤翔子の書

2016-01-27 10:34:30 | Weblog

円覚寺で金澤翔子の書展が開催されているというので、昨日、行ってきた。ぼくが書に感動することはめったにないが、今回は胸があつくなってしまった。書に命が宿るというか、そんなふうなのだ。

大方丈全体が展覧会場になっている。そこに翔子さんの大作がいくつも置かれている。玄関口にも。摩訶という字がみえる。

摩訶般若の4字だった。般若心経の冒頭に出てくる経文。何という力強い文字。

翔子さんが小学校4年のとき書いたという、般若心経全文の書も奥の方に展示されている。その横にお母さんのコメントが。ダウン症の知的障害のため小学校の先生から、新学期からの登校を拒否された。なすすべもなく、途方に暮れた私は、翔子に般若心経の大作を書かせようと決心した。

今は円覚寺に眠る父が、翔子の才能を認め、20歳になったら個展を開こう、という。それから、母と娘の懸命な努力がはじまる。そして、20歳のとき、とうとう念願の個展を銀座で開くことができた。それから10年。亡き父ゆかりの禅寺で、”心”展が開催された。命日の1月16日には、翔子さんが父への感謝の祈りを込め、仏殿において席上揮毫を行なったとのことだ。

お母さんのコメントが、翔子さんの書を一層、輝かせてくれる。たとえば、建仁寺に飾られた禅語”大哉心乎(おおいなるかなしんや)”。ある高僧が足を止められ、凄い作品だと、おっしゃり、実は”大哉心乎”の字には仏という字が隠れていて、本来は大哉仏心乎(おおいなるかなぶっしんや)という。隠れている仏の字の空間を開けていると、びっくりされたそうだ。翔子には、普通の人がみえない仏の字がみえていた。

2009年、建長寺で個展があり、風神雷神を大書した。なんと、宗達の風神雷神図屏風の構図と同じだったのである。

参考:風神雷神図屏風(建仁寺)

翔子さんには、ぼくらが永年、身につけてきている、いわば余計なものを、はじめから持たない。それゆえ、みえないものがみえるのであろう。ぼくも、はやく、翔子さんに近づかねば。

大河ドラマの題字も書かれた。

心に沁みる書のかずかず

素晴らしい書展であった。

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