気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏の終わりは浅草サンバ

2008-08-31 09:14:14 | Weblog
いよいよ夏も終わりの、8月31日になりました。ヤサイの日だそうですね。ワイフが今晩のおかずは野菜炒めにすると言ってました(笑)。昨晩は、さんま(30日;三ま○)の日でしたので(ちょっと苦しいかな)、秋刀魚でした。

昨日、恒例の第28回浅草サンバカーニバルに行ってきました。心配された雨もなく(ボクが途中に帰った4時頃からは降ったかもしれません、上野駅がすごい降りになっていましたから)、真夏のカーニバルに相応しい天気でした。この日のために準備されていた方にとっては、お天道様ありがとう、と叫んだことでしょう。

到着すると、いきなり本場のリオのカーニバルからのダンサーのクルーに遭遇。ついてました。おからだも見事ですが(笑)、ダンスもさすが。うららうららうらうらうらです(笑)

スタート前にパチリ

スタート。ダンスが始まりました。





堪能しました。リオのカーニバルに行ったようでした。このクルーはビール会社のでした。

やまとなでしこも負けません。


こどもなでしこも負けません。10年後はあたしにまかして。

このなでしこちゃんは、色気より食い気。

地球環境のチーム

ふふふ、温暖化のこと?

ボサノバ50周年

ブラジル移民100周年


遠いむかしからの祇園祭も、遠い外国からのカーニバルも受け入れる日本人って、いいね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松坂16勝、野茂に並ぶ

2008-08-30 20:51:43 | Weblog
松坂、強打者揃いのホワイトソックスを8回零封、見事、自己最多16勝をあげました。そしてそれは、あの野茂投手のドジャース時代の日本人最多勝記録に並んだのです。いずれはと思っていましたが、とうとうやってくれました。

でも、両チームの打撃力の差を考えれば、松坂には20勝してもらわなければ、野茂の16勝に並んだとはいえないでしょうね。とハッパをかければ、松坂大輔投手、やってくれるでしょう。

と、いうわけで、ボクはテレビで松坂の勝ち投手を確認してから、うきうき気分で午後から浅草に向かいました。もちろん浅草サンバ(大汗)。

。。。

松坂投手、16勝おめでとう  


浅草サンバは明朝、詳しく報告しますね。おやすみ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩野芳崖展&莫高窟壁画模写展

2008-08-30 06:46:00 | Weblog
今朝未明も雷様が大暴れでした。お天道様、何を怒っていらしゃるのでしょうか。さて、今日はコロー展のあとに訪れた芸大美術館の展覧会についてご紹介します。

芸大美術館でふたつの美術展が開催中でした。ひとつは敦煌の莫高窟壁画を芸大大学院の学生さんが模写した絵の展示です。何年にも渡り、地元の台東区が学生の奨学目的にこれらを買い付け、コレクションにしているものの中から選ばれています。

模写といっても、さすが芸大生、まるで実物を観ているような迫力でした。壁画の古びた色、はがれかけた様まで忠実に表現しています。この夏、祇園祭の帰りに京都国立博物館で開催されていた、杉本哲朗の”アジャータ・シーギリア壁画模写展”も観てきましたが、そのときもすごいと思いました。なめかしいインド古代仏にはついうっとり(汗)。莫高窟壁画にも前期のものはインド仏教の影響を受けていますので、くねくねした、色っぽい仏画もあり、またうっとり(大汗)。

模写。臨写ともいいますが、もうひとつの展覧会、”狩野芳崖/悲母観音への軌跡”においても、狩野芳崖の臨写が展示されていました。木挽町の画所で修行しましたが、同日入門の橋本雅邦が”臨写を以て始め、臨写を以て終わる”と書き残しているように、臨写は最高の画業修行の方法なのですね。なるほど、小林秀雄の言葉を思い出します。”模倣は独創の母である、ただひとりの本当の母親である、模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会えようか”

狩野芳崖の代表作、”悲母観音”、すばらしかったですよ。観音さまの尊いやさしいお姿、そして子供のあどけない表情が見事に表現されていました。フェノロサに見いだされ技量を磨き、近代日本画の源流となったされる狩野芳崖作品の頂点に立つものです。これを描き上げるまでの数々の下絵も展示されていました。観音様の衣装をつけないヌードデッサン(下図)もたくさんあり、完成までに、絵の部分部分に、実にていねいな、長時間の検討がなされていることに驚きました。

悲母観音 展覧会ちらしから


大鷲(部分) 絵はがきから


名作”悲母観音”の誕生に向けて、下関、江戸、東京と画業の腕を上げてこられた芳崖の作品の数々が、修業時代の臨写や、狩野家系図、デスマスク等の資料と共に観ることができます。とても良かったですよ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アオウミガメの、のんきちゃん 残念でした

2008-08-29 18:20:01 | Weblog
今朝の朝日新聞の一面トップ・・ではないですが(笑)、こんな囲み記事を見つけました。”産卵41個は未受精/アオウミガメの「のんき」”の見出し。ボクはどきっとしました。何故って、ボクは7月末のアオウミガメ産卵の新聞記事を見て、その日のうちに、新江ノ島水族館にかけつけ、のんきちゃんと対面し、その後も、その卵が有精卵であるようにと、祈るような気持ちで先だっても訪れたばかりでした。そのときはまだ、不明だったのですが、今日の記事で無精卵であることがはっきりしてしまったのです。

41匹の赤ちゃんカメがデビューするのを楽しみにしていたのにとても残念です。のんきちゃんもこれを知って悲しみに沈んでいることでしょう。

それにしても、とボクは飼育プールの雄亀に文句をいいたくなりました。本当にだらしがない、もっとしっかりしろ、にんにく食べろ(笑)。まるで五輪球技みたいじゃないですか。本当に男はだめだった。サッカー、バレーボール、極め付きは野球(ソフト)。WBC監督になってリベンジ? はあ? ”男らしく”がトレードマークだんべ、にゃろめ。やつあたり(笑)

。。。

今朝の新聞記事

のんきちゃん

プールの中のだらしない雄亀たち


また、赤ちゃんが出来るように、逗子の亀岡八幡宮にお参りしてきました。本殿両脇の2匹のカメ様。ちょうどのんきちゃんと同じ位の大きさでした。鎌倉の鶴岡八幡宮、逗子の亀岡八幡宮と、鶴亀ですね。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロー展 in 上野

2008-08-29 08:49:49 | Weblog
夜明け前の雷雨で寝不足気味です。朝起きると、もう雷雲は東の方に立ち去り、晴れ間がみえていました。昨日も不安定な天気でしたが、上野の美術館で楽しんできました。9時の東京行き、湘南ライナー(これはいつもがら空きです、お奨めです、500円です)でご出勤(笑)。上野到着。

まず、知らぬまに閉幕間際になっていた国立西洋美術館の”コロー/光と追憶の変奏曲”展へ。湘南ライナーほどではありませんでしたが、意外と空いてました。

コローというと風景画というイメージですが、今回の目玉は”コローのモナリザ”。レオナルドダビンチが最後までモナリザを自分の部屋に飾っていたように、この絵も最後までコローのおそばにいたそうです。奥さんがやきもちやいたのではと思いました。美人ですね、胸元が少し開いてますが、書き直して開けたそうです(笑)。正式には”真珠の女”。おでこのところにこぼれ落ちた髪飾りの一部が真珠のようにみえるので、そう名づけられたのです。



ボクはこの、”コローの裸のマヤと着衣のマヤ”(笑)も気に入りました。”水浴びするディアナ” ”青い服の婦人”です。これら人物画は、足が不自由になり戸外に出られなくなった60才過ぎに描かれたものです。ボクも



晩年の風景画も若い時みた景色の印象を思い出しながら、描きました。印象派の源流ですね。今回の目玉のひとつ、”モルトフォンテーヌの思い出”もそれです。



若いときの、フォンテーヌブローの森等の風景画もどれも素敵でした。まるで本当の森の中にいるような気持ちにさせてくれます。第三幕”樹木のカーテン、舞台の幕”の作品、”緑の岸辺”も気に入りました。くすんだ緑が多いコロー作品の中で、緑があざやかに感じました。絵はがきがありませんでしたので、ここに紹介できません。

代わりにボクの作品。 ”考える人 考えない人”
くよくよしても、ばんざいしても、結果は同じ。なら、ばんざいしましょうね(笑)。


見終えて館内のレストランと思ったのですが、長蛇の列。そこを出て、東博のレストランへ。巨匠対決が終了し、空いているのです、それに年間パスポートをもってますのでタダなのです(汗)。それから、常設展をみて、深いソファーでちょっと昼寝して(大汗)、ぱっちりおめめで、芸大美術館へと進みました。(つづく)



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原ういろうを訪ねて

2008-08-28 05:57:45 | Weblog
ういろうといえば、名古屋の名物ですから、発祥の地も名古屋と今まで思っていましたが、そうでないことをこの夏の京都の祇園祭のときに知りました。実は小田原だったのです。

(7月26日のボクのブログから)
まず蟷螂山(とうろうやま)。別名カマキリ山といいます。
昨年来ボクの好きな山のひとつです。山鉾として唯一、からくりがほどこされていて、ときどき、カマキリが手を挙げたり、羽根を拡げたりの威嚇行動がみられるのです。それが人気なのです。それと、今回初めて知ったのですが、蟷螂山は、14世紀後半の南北朝時代に、薬や菓子で有名な”ういろう”を始めた外郎(ういろう)氏がつくったのだそうです。外郎家はその後、小田原に移り、現在も家が存続しています。地元の新聞でみたのですが、宵山で、小田原市の関係者40人が集まり、歌舞伎の口上で有名な早口言葉”外郎売の口上”が披露されたようです。わが神奈川県との関わりを知り、一層好きになりました。



で、ボクは一度、是非、この外郎家を訪ねてみたいと思っていました。そして、火曜日、小田原まで出掛けてみました。捜すのにだいぶ時間がかかったのですが、その外郎家は小田原城の箱根口門のすぐ近くにありました。北条早雲に招かれて以来、現在まで同じ住所だそうです。そして、このお城のような建物も、何度か建て直していますが、基本は八棟造りで、当時の建物と変わっていないそうです。おどろきました。



小田原に来た外郎家五代目は武家(外交部門を担当していたとのこと)でしたので、ここでは商売としてではなく、客の接待用に菓子の”ういろう”を造っていました。商売するようになったのは、明治になってからだそうです。また外郎家は、先祖伝来の”霊宝丹”(実物をみましたが。仁丹の親玉みたいなものです)という霊薬をつくっていましたが、これも当時から外郎(ういろう)とも呼ばれていました。



お店に入ると、お菓子売り場に並んで、薬売り場もありました。横に喫茶部もありましたので、そこで一休みしました。ボクはここにたどり着くまで1時間ほど歩き回っていたのです。ちょっとした勘違いから、ボクは登山電車の風祭駅から東海道を2駅分下ってきたのです(JR小田原駅で良かったのです、でもその道中もなかなか面白かったです、お寺とか老舗のお店とか覗いて)。そして、ここの喫茶店で希望すれば案内をしてもらえる博物館もあることを知りました。もちろん、お願いしました。

博物館というより蔵、その中には、600年の伝統の品々が陳列されていましたが、ボクの目を引いたのは、現在の団十郎、海老蔵親子が歌舞伎十八番”外郎売”を演じたとき(海老蔵が子供の頃)の顔の隈取りを写した色紙でした。外郎家に来られたときの記念に頂いたそうです。説明の方から、こんな話を聞きました。

享保年間、二代目市川団十郎が咳の病で舞台に立てずにいたのですが、うわさできいた”ういろう”を試したところ、全快し、再び舞台に立てるようになったそうです。団十郎は、感激し、当時1泊行程の小田原までお礼に出向き、それが縁で、団十郎作の”外郎売り”が上演されるようになったとのことでした。また、団十郎親子で上演して欲しいですね。

室町時代から同じ味だという、白砂糖風味のういろうを買って帰りました。そして今年、祇園祭りで買った、蟷螂山のチマキに逢わせてあげました。600年振りの再会に涙を流して喜んでいました(笑)。



小田原城の箱根口門近くに大きな蓮池がありました。まだいくつか大賀蓮が咲いていました。





夕方、ワイフと藤沢で待ち合わせ、夕食をとったあと、清里を舞台にした映画、”西の魔女が死んだ”を観て帰りました。充実の1日でした。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェルメール展 in 上野

2008-08-27 08:43:01 | Weblog
この日曜日、上野の都美術館で開催されている”フェルメール展/光の天才画家とデルフトの巨匠たち”を観てきました。生涯、わずか三十数点しか残さなかった作品のうち7点も上野に集結したのですから、見逃すわけにはいきません。さすがに、迫力満点、良かったですよ。

フェルメール以外の、デルフトの巨匠たちの作品の展示から始まりますが、そこはさらりと流しました(笑)。でも、1階の終わりの方の作品、ホーホの”幼児に授乳する女性と子供と犬”や”窓辺で手紙を読む女”の前ではしばらく立ち止まりました。ホ、ホー(笑)、フェルメール風でなかなか素敵な絵だなと思いました。そして、いよいよ2階のフェルメール作品展示室へ。

二階にずらりと並ぶフェルメール作品7点。それら作品から発せられオーラのようなものが感じられ、やっぱりホーホらとは違う、格がちがうと感じました。”マルタとマリアの家のキリスト”と”ディアナとニンフたち”のフェルメールらしくない神話からの題材の二つの絵が続き、そして、生涯2点の風景画のひとつ”小径”。こうした絵もフェルメールの別の面をみるようで楽しかったです。

でも、ボクが一番気に入った作品は、この作品です。”ワイングラスをもつ娘”です。娘さんの赤いドレスの光と影がとても印象的でした。そして、隣りの男に何か言い寄られて、まあどうしましょうといった風情の、娘さんの照れ笑いもいいです(汗)。ただ、この音声ガイドにはドキリ。”この絵は好色と飲酒の戒めも込められています”(大汗)



そして、2番目に気にいったのは、パンフに代表作として採用された”手紙を書く婦人と召使い”です。去年六本木で観た”牛乳を注ぐ女”にも通じる、窓際のやさしい光が何ともいえず、うっとりでした。



この”ヴァージナルの前に座る女”は当初、贋作とされていたそうです。でも、フェルメールしか使っていない、高価な顔料、ウルトラマリンの検出が決め手となって真作とされたそうです。持ち主のベルギー人は真偽決定前に亡くなり、競売にかけられ日本円にして30億円で落札されたそうです。でも、ボクはこの作品はあまりいいとは思いませんでした。鑑識眼がないということですね(汗)。



。。。。。

フェルメール展示室のおわりのコーナーに、フェルメールの30数点の全作品の実物大の写真が飾られていました。これは、とても良かったです。あの絵はこんな小さかったのだとか、まるで世界地図をみるような楽しさでした。同時に、これらフェルメール作品の認知度、人気度のアンケート調査の結果が展示されていました。認知度、人気度のいずれも、”真珠の耳飾りの少女”と”牛乳を注ぐ女”の二つが抜きんでていました。ボクも、やはりこの2点です。そして、今回、新たに好きになった”ワイングラスを持つ娘”。今後、この三つを、マイベストスリーにしたいと思います(笑)。

帰ってから、この話をワイフにすると、私は”デルフト眺望”が好きだわ、と。ぼくらは、十数年ほど前に、仕事の合間に(汗)ハーグのマウリッツハイス美術館に寄り、そこでワイフもその作品を観ているのです。そこには”真珠の耳飾りの少女”と今回展示の”ディアナとニンフたち”もあるのですが、彼女はこれが一番良かったと言います。ボクは当時、フェルメールといえば、それ以前に、上野に来た”真珠の耳飾りの少女”ぐらいの認識でしたから、そのときも他の二つの絵はよくみていなかったのかもしれません。

。。。

その翌日、逗子図書館で偶然、手にした”芸術新潮”がフェルメール特集号でした。全作品が所蔵美術館ごとにうつくしい写真で紹介されていました。これは、前述のハーグの美術館のページです。左がワイフの好きな”デルフト眺望”です。デルフトはハーグの近くの町で、フェルメールの生まれ、育ったところです。ボクらも訪ねましたが、とても素敵な町でしたよ。







コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清里高原の虫虫

2008-08-26 05:54:30 | Weblog
花々というのに、虫々といいませんね(笑)。”蒸し蒸し”を連想させるからでしょうか。清里の花を紹介したのに、虫を紹介しないのは、”公儀の片手落ち”と、虫に”討ち入り”されたのではたまりませんので、紹介することにしました。

トップバッターは、赤トンボ。もうたくさん飛んでいるのですよ。

赤とんぼ 羽根をとったら 唐辛子


赤とんぼ 小馬鹿にしたら 睨まれた

睨まれた 蝶の羽根にも 恐い目が (蛇の目模様)

夜の蝶 昼間はねぼけ まなこかな


涼しげな レース模様の 蝶休み


秋近し 墨絵模様の 蝶がいて  


芋虫も 羽根をつけたら アゲハチョウ 


。。。。。

これも清里でみた虫虫(笑)。清里北澤美術館のワルターのガラス工芸作品。虫がモチーフです

永遠の 蝶のいのちを 吹き込めり

静かさや 瑠璃に染みいる 蝉の声

ちょっとひく ごきぶりのごとき 君なりき

虫愛(め)でる 姫のみ使う 花瓶かな


清里北澤美術館すばらしかったですよ。ドーム兄弟、エミール・ガレそしてルネ・ラリック。そのうち、紹介しますね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清里あれこれ

2008-08-25 10:33:57 | Weblog
おいしいソフトクリーム

ホテルの人に教えてもらった。清泉寮のソフトクリーム。さすが人気、長蛇の列だった。放牧中心の牛からしぼったジャージーの牛乳と清らかな八ヶ岳の湧き水でつくったのが、おいしさの秘密らしい。実際、こくがある、一味違うおいしさでした。また食べてみたい。



”西の魔女”がいっぱい

清里の駅にも、ホテルのロビーにも、映画”西の魔女が死んだ”のポスターが。何故か、その理由が清泉寮に来て分った。ロケ地が清里で、このキープ協会の敷地内に花畑に囲まれた”西の魔女”と呼ばれるおばあちゃんの家が建てられたのです。そこも見学できたのですが、時間の関係でパスしてしまいました。登校拒否の少女が、自然に囲まれたおばあちゃんの家で元気を取り戻してゆく物語だそうです。是非、映画もみなければ(汗)。



あの鐘を鳴らすのは誰れ

この鐘は”開拓の鐘”と呼ばれています。萌木の村の目立たぬところにありました。案内板によると、これはアメリカ大陸横断鉄道で使われたものだそうです。アメリカ開拓時代、人々を励ましつづけてきた鐘です。ここ清里も開拓時代がありました。奥多摩湖(ダム)ができるときに水没した丹波山村、小菅村の人達が、当時クマザサで覆われていた清里に新しい村をつくったのでした。苦難の開拓だったそうですが、ひとりの農林省のお役人の献身的な支援もあり、今日の礎えがつくられました。この鐘は、今でも鳴らすことができます。ボクも鳴らしてみましたが、元気が出てくるような力強い音でしたよ。


開拓の鐘のところから、山道を5,6分下ると滝見の丘に着きます。遠くに、轟音をひびかせながら流れる落ちる滝をみることができます。開拓民を励ましつづけてきたのでしょう。


天体望遠鏡で木星ちゃんを見る

こんどの小旅行でうれしかったことのひとつ。ボクの好きな木星ちゃんを天体望遠鏡でみられたことです。ひときわ明るい星ですが、天体望遠鏡で覗くと、ほかの恒星とは格段に違う、”面積”をもっていました。ボクの泊まったホテルにミニ天文台があり、専門の人が説明してくれるのです。

外からみた天文台

入り口

天体望遠鏡



その時間、突如雲がきれて、木星ちゃんが顔を出してくれました。どうもありがとう、木星ちゃん。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清里高原の花々

2008-08-25 08:34:59 | Weblog
オリンピックも閉幕しましたね。2008年の夏もいよいよ終幕を迎えています。秋にならない前に、先日訪れた清里の高原の花々を紹介しておきたいと思います。

清里高原ホテルからほど近いところに、サンメドウスという冬はスキー場、夏はお花畑の高原があります。2日目は朝からここに出掛けました。すばらしい花畑でした。別のところで何度か、高原の花畑は見ていますが、今回が最高の花見でした。

リフトに乗って、上から花見。

降りると、いくつもの散策コースが。木道の一部が壊れていて、つまずいて転んでしまった(笑)。でも、美人の花たちに囲まれて怒れない。

美人の花たち

これは人工的なチューリップ畑

。。。

ハクサンフウロ。 これが一番目立っていました。

タチフウロ。薄い色。

ノコギリソウ

コオニユリ

ヤナギラン

キオン。紫苑でなく黄苑。

シュロソウ

ワレモコウ

ウツボグサ

マツムシソウ 咲き始め

カワラナデシコ

アカバナシモツケ 普通のシモツケより赤味が強い

ノアザミ

ツリガネニンジン

ススキ。もう、こんなに穂を出していました。ほー。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする