気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏の木々 龍宝寺

2008-06-30 17:58:19 | Weblog
ワイフと午前中、鎌倉芸術館で映画を観た後、雨も上ってきたので、玉縄の龍宝寺まで足をのばしました。創建以来、玉縄北条氏の菩提寺で、綱成、氏繁、氏勝の位牌を伝える名刹です。静かな雰囲気が好きで、ときどき訪れます。雨上がりの裏山と境内の木々がとても涼やかでした。

裏山の夏木立


大王松と本堂


曙杉


ムクゲと本堂


泰山木の花


ザクロの花と移築・古民家


竹林とお堂


早いもので、もう明日からは7月ですね。一年の半分が通り過ぎてゆきます。
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小雨の花々 源氏の姫君

2008-06-30 10:14:32 | Weblog
今、源氏物語を読み始めている関係で、朝散歩でみかける花々が光源氏の愛した姫君たちにみえてきました(笑)。小雨の中でしたので、どの花もしっとりした、うつくしさでした。

村山リウさんの、夕顔の君は”あわれ”、藤壺の宮は”うつくし”、葵の上は”うるわし”、六条の君は”なまめかし”、の寸評も参考にしました。加えて、新たな姫君も創作しました(汗)。

まず、光源氏が理想の女性として仰いでいる”藤壺の宮”です。いつも寄る、お寺の裏山に咲いていました。山百合です。神奈川県の花でもあります。うつくしいです。



源氏の正妻”葵の上”です。タチアオイ、うるわしいです。


夕顔の君。八月十五夜の源氏との密会の夜、逝く、薄幸の美人。あわれを誘います。いよいよ最後を迎えている、花菖蒲に重ね合わせました。


昼顔の君。早寝早起きで、夜の密会は苦手な健康的美人です。源氏とは昼、蹴鞠などスポーツを楽しみます。


若紫(紫の上)。あこがれの藤壺の宮のおもかげがあり、少女時代にひきとり、育てて大人になるのを待ちます。うすむらさきのホタルブクロが若紫の風情でした。


若あおい。青いつゆくさが咲き始めていました。若紫の妹です(創作)。


若みどり。別名ほおずきの君。育てて、ぶーぶーならして遊びます。


六条の君。ネムノキの花、”なまめかし”です。でもこの娘も早寝で、源氏と密会するときはねむらないように、夕方、コーヒーを3杯ぐらい飲んでおきます。


匂宮。とても良い香りが漂っていました。男君ですが特別出演。八重くちなしの花。


ほうせんかの宮とおしろいの宮。


露姫(笑)

夕霧 ドクダミちゃん抜擢。
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おくのほそ道から源氏物語へ

2008-06-29 10:22:50 | Weblog
”おくのほそ道”の終盤、敦賀の中秋の名月を観にゆく途中、福井に等栽とゆう旧知の俳人を訪ねる場面が出てきます。夕顔やへちまがからみつく”あやしの小家(そまつな家)”を見つけたので、たぶんここだろうと思い、戸をたたく。すると、”侘びしげなる女”が出てきて応対する。

この場面は、源氏物語の”夕顔”の一節を”おもかげ(人偏に弟)”としているのです、と市民講座の先生が説明してくださいました。

光源氏が乳母の病気見舞いにきた途中、夕顔が住むそまつな家をはじめて目にしたとき、源氏がその家にからみついている白い花はなんだと従者に尋ねる。”かの白く咲きけるをなんと夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける”と答える。そして、悲しい花だ、一房折ってまいれ、と従者に頼む。従者が摘んでいると、中から女童が出てきて、白い扇を差し出し、この上にのせ差し上げたらいかがでしょうか、と言います。のちにこの家の女主がうつくしい夕顔であることが分かり、源氏との悲しい恋が始まるのです。

おくのほそ道には、”むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす”では、”平家物語”の義仲と実盛の逸話が忍びこまされていますし、歌枕を訪ねる旅でもありますから、万葉集や西行のことも知っておかないと十分、理解できないとゆうこともあります。言ってみれば、おくのほそ道には、平家物語通り、源氏物語小径、万葉集小路などいくつもの道が途中で横切っているということでしょうか。

こうゆう脇道に入って、道草するのも楽しいものです。平家物語は同じ市民講座で受講していますが、源氏物語は、自慢ではありませんが、生まれてこの方、一度も読んだことがありませんでした。女性の読む本だと思っていたのです(笑)。でも、ちょっと覗いてみたくなって、ワイフが持っている、村山リウ訳の源氏物語を読んでみました。男が読んでも(笑)なかなか面白いです。1000年も前に、こんな小説を。さすが紫式部さん、大ソンケイです。

夕顔の君は源氏に見そめられます。”ひたすらに従ってくる柔らかさ、それは不安を感じさせるが、またひどく魅力的なものでした(村山訳)”。”やがて秋、八月十五夜の月光が五条の家の板びさしからもれています。いつもは夜深く帰る源氏ですが、よほど感興がわいたとみえて、女と語りながら夜を明かすのでした”そして、近くの別荘に移ったのですが、そこで夕顔の君が急死し、悲しい結末を迎えることになります。

ここまで読んで、はっと思いました。夕顔の君の八月十五夜の劇的な死、おくのほそ道でも八月十五夜の直前にこの”おもかげ”をつかっているのです。何からなにまで計算しつくされているのですね。

ボクは今、源氏物語のほぼ1/3よみ終わったところです。いろいろな性格の女性が出てきて、面白いです。村山評によると、夕顔の君は”あわれ”、藤壺の宮は”うつくし”、葵の上は”うるわし”、六条の君は”なまめかし”だそうです。ボクも一通り、読んだあとに、評したいと思いますので楽しみにしてください(笑)。

・・・
芭蕉と紫式部とゆうことで、お二人ゆかりの石山寺の写真を載せます。3年ほど前に訪ねたときの写真です。紫式部はここに参籠して”源氏物語”の想を練り、芭蕉はこの地の庵ですごしたことがあります。今年は源氏物語千年紀とゆうことでに賑あうことと思います。

石山寺


石山寺境内の紫式部の像


ついでに(笑)。京都御所近くの廬山寺の”源氏庭”。この地に紫式部邸があった。
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ヨコハマ ミュージアム巡り

2008-06-28 08:53:41 | Weblog
小雨そぼふる日(一昨日)、こんな日は横浜散歩が似合うとぶらぶら出掛けてみました。関内駅で降りて、みなと大通りを港に向かって歩いて行くと、開港記念会館の、赤煉瓦の古風な建物がみえてきます。横浜はそろそろ開港150年を迎えますが、この建物は開港50年記念に建てられたそうです。その建物の横に、なにかの碑が。岡倉天心生誕地の碑でした。今まで気づきませんでした。五浦の天心記念美術館には何度か行きました。開港記念会館に入ってみましたが、公会堂なので、何も展示していませんでした。



そうだ、開港資料館なら、なにかやっているはず。県庁の横を抜けて資料館に。やっぱりやっていました。ハリス展。先週、下田へ、先日、横須賀へ、黒船のあとばっかり追っています(笑)。ハリスの写真など、めずらしい資料がいっぱい。ふむふむなるほど。


ここは、日米和親条約が結ばれたところ。この玉楠が何でも知っています。


付設の喫茶店ペリー(笑)でランチをいただき、また雨の中、海岸通りをみなとみらい方面に歩く。県警本部には用がないので寄らず(笑)、その先の日本郵船歴史博物館に。



ここは2度目なので、常設展はチラリと観て、特別展の”豪華客船の食/大正から昭和まで”をみる。ボクもちょっと経験があるけど、船旅の一番の楽しみは食事です。当時の食事のサンプル(スキヤキまでありました)やコースメニュー(メニューを美術品と考えていたそうで、こったデザインのものでした、扇子にメニューを書いたり)、そして食器(ノリタケ製など)も、船旅のお客がよく泊まったというホテルニューグランドのも一緒に飾ってありました。ふむふむなるほど。客船から陸におりたコックさんたちは、横浜や神戸といった港町でお店を開いたそうです。その”郵船式”を今も伝えるお店がいくつか紹介されていました。横浜では洋菓子の”横浜かをり”、”浜志まん(じまん)”です。こんど覗いてみよう。

資料室というのがあって、初めて入ってみた。社史とか客船関係の資料とか、読む気のおこらないものばかりでしたが、ひとつだけ、面白そうなのが。”電信暗語書”です。電報代を節約するための(一部秘密をかくすための用途もあったそうですが)もので、暗語3文字の意味を何百ページに渡って表示してあるわけです。アアアから始まってアイイとゆうふうに。ですから面白い暗語もいっぱいあります。

シニア:主席一等航海士;キモイ:契約;オシリ:御宅;オシメ:御;ニチフ:二等二人床室等々。

シニア・オシリ・キモイの電文がきても驚いてはいけません。主席一等航海士の住宅の契約が済んだ、という意味なのです。この本をみてれば、1週間ぐらい遊べます。遊んだあとは、馬車道の方に入り、歴史博物館へ。郵船の建物も歴史的建造物ですが、ここもそうで、旧横浜正金銀行本店本館です。



ここで、ハマ焼き(開港ころの横浜発輸出用陶磁器)の展覧会をやっているはずだと、入ってみると、”ちょっと前に終わりました”とのこと。ザンネンムネン。でもせっかくだからと常設展を。数回きていますが、すぐ忘れるので、いつも新鮮(爆)。鎌倉関係が結構あるのがうれしい。円覚寺舎利殿の内部(複製ですが)に入ったり、浄光明寺の、足をくずした気楽な菩薩座像(これも複製ですが)をみたり、埴輪や土器をみたり、結構楽しんでしまいました。

伊勢佐木町の老舗デパート、横浜松坂屋(元治元年創立、野沢屋呉服店が前身)がいよいよ閉店になるというので、のぞいてから帰りました。
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梅雨の晴れ間 大巧寺&浄妙寺

2008-06-27 20:11:28 | Weblog
梅雨の晴れ間、ワイフと鎌倉散歩。

まず駅前の大巧寺、おんめさま。本尊は安産の神様とされる産女霊神(うぶすめれいじん)です。結構、珍しい花が多いです。

蔓紫陽花。ボクはまだ鎌倉ではここでしか観ていません。箱根ではよくみかけましたが。東慶寺の”岩がらみ”とは違います。こちらの方が全体に大柄です。ここでは松にからんでいますので、”松がらみ”です(笑)。


アマギノクサキ。これもあまり見かけません。咲き始めがなんともいえずいいですね。いろいろな模様のモチーフになりそうですね。


クリヌム・ポウエリイ。ユリ科です。わりと珍しいです。

。。。

二階堂の浄妙寺。ここは白が見事です。

白花紫陽花、アナベル。2週間前ほどに訪れたときには、1,2輪ほどだけでしたが、今は、すべて真っ白な花を咲かせていました。これほど集めているところは、鎌倉ではみたことがありません。


白といえば、この白も見事でしたよ。半夏生です。見事に半化粧していました。


また、このお寺は生き物を大切にしています。

野草のねじ花も大切に育てられています。見頃になりました。


倒木も大切に利用されています。


猫も大事に育てられています。


花も大事に供養されています。花塚には泰山木の大きな花が生けられていました。とてもいい香りでした。自然のお香でしょうか。


参道の桜も大事にされていました。

。。。。。

ワイフも大事にされています(笑)。ワイフ希望の、レストラン・ナチュール・エ・サンスでフレンチのランチを頂きました。とてもおいちかったです。若いシェフは茅ヶ崎出身です。

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成川美術館 キルト・アート&ガラス・アート

2008-06-27 08:45:56 | Weblog
思いがけず、うつくしいエゴノキの花に出会った県立恩賜箱根公園をあとにして、ボクは杉並木を抜けて、成川美術館に入りました。日本画コレクションで有名な美術館ですので、近くにくると必ず寄ります。

特別展として、日本画ではなく、珍しくキルト・アートとガラス・アートで著名な作家の展覧会をやっていました。カメラOKでしたので、ミニ展覧会をここで開催したいと思います。

。。。

鬼才・米倉健史のキルト・アート展

布切れを絵の具として絵を描く、そうゆう絵です。暖かい感じで、また立体的ですので、独特な雰囲気が醸し出されています。

こんなふうに。全部、キルトです。


展覧会場に一輪のドクダミの花が飾ってあるようにみえませんか。実は、額入りのドクダミの花のキルト作品を撮った写真なのですが、額のガラスに映っていた会場の風景が撮れてしまったのです。図らずも、面白い画像になりました。それほど、写実的なキルトの絵ということですね。



ガラス面の反射がないように撮ると、このようになります。すばらしいですね。ボクはこの作品が一番気に入りました。ドクダミちゃんが好きなこともありますが(汗)。


そして、それぞれの作品に詩(和英の)がついています。ドクダミの絵には、この”白の追憶”とゆう詩が。


。。。。。

夭折・石井康治のガラス・アート展

創作手吹きガラスとゆう分野だそうです。したがって、どれひとつ同じ作品はなく、形も色も、個性的なものです。すばらしい作品群でした。





展示会場の、石井さんの言葉が印象に残りました。
”・・熱く柔らかい素材から冷めて固くなるごく僅かな間にかたちつくられます。その間、突然予期せぬ華麗な色彩と姿を現わします。私はそのときの一瞬の輝きを炎によって永遠に凍結したいと思うのです。”

。。。。。

所蔵品展”花物語/極上の名画たち

日本画も十分、楽しめましたよ。ここでは2点だけ紹介します。

大野俊明作 ”夏の終わりに”。画面の一部だけをアップしてみました。


前本利彦作 ”八千草屏風”。これも画面の一部を。


成川美術館のキャッチフレーズ ”芦ノ湖と冨士の見える絶景/名画と景勝”
まるで額入りの絵みたいな景色です。

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箱根恩賜公園 エゴノキの花

2008-06-26 18:08:03 | Weblog
昨日の水曜日、またぶらり旅に。大船から40分で小田原に。小田原から15分で箱根湯本に。バス停前の軒下の、ツバメの赤ちゃんが歓迎してくれました。親ツバメがせっせっと餌を運んでいました。子育てに忙しいママ、これをみて元気を出してくださいね。


湯本から、バスで約30分、芦ノ湖畔の恩賜公園前で下車。うちの近くのヒメシャラの木が、10日間ほど次から次に花をつけ、楽しませてもらいましたが、この日の朝、とうとう終わりました。で、ふと箱根のこの公園のヒメシャラ林を思い出したのです。あそこのも、そろそろ咲き始めているだろうと考え始めたら、もうダメです、東海道線下りに乗ってしまったというわけです。

公園正門から入り、ヒメシャラ林に向かう途中、ピンクのさつきの花に囲まれた展望台に上がってみました。芦ノ湖と箱根の山々がうつくしく拡がっていました。晴れていれば富士山もみえるのです(去年はかすかにみえたです)。ここの松がまたいいんですよね。さすが、元御用邸です。



公園奥にあるヒメシャラ林に近づきます。遠目からは花が咲いている気配がありません。不安になってきました。ドキンちゃんドキンちゃん。林内に入ると、ボクは、あああっと驚きの声をあげました。白い花が林内の、あちこちに、まるで雪が降ったように地面を覆っているのです。



すすごい、ヒメシャラはもう咲いていたのだ、それどころか散っているのだ、とボクは嬉しくなり、つるつる美肌のヒメシャラちゃんの幹から上へと視線を上げてみました。し、しかし花はひとつもありません、な、ななんたることだ、これはヒメシャラの花ではない。ボクは散って、落ちている花を観察してみました。



こ、これは、夏椿の小さい花のようなヒメシャラの花ではない、むしろ白雲木の花にそっくりだ、ボクはまるでシャーロックホームズのように、目を皿のように、また耳をすまし、その花をつけている木を探したのであります。あ、あの木があやしい。それは、つるつる美白の肌とは、まるで違う、色黒のがさがさ肌の木だったのです。



そして、視線をあげると、そこには無数の白い花が咲き乱れていた。どどど-んと。




なんの木だろう、と名札を探してみる。”エゴノキ”とあった。帰ってから調べてみると、白雲木と極めて近い種で、同じエゴノキ属だということだ。種名はなんとジャポニカだということで、日本産らしい。すごい木なのだ。でも、実が”エグイ(ひどい)”味がすることから、この名になったらしい。 利己主義の木みたいだし、名前が良くないです。白雲木には名前で負けてしまいますね。

でも、むかし知左(ちさ)の木とも呼ばれ、”知左(ちさ)の花 咲ける盛りに 愛しきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも(大伴家持)”等、 万葉集にも詠まれているそうです。万葉人にはこの花の良さが分っているのですね。

ボクも、偶然、この花の一番うつくしい時期に、このエゴノキに出会うことができ、とても嬉しく思いました。散りばめられた”知左の花”も、桜の絨毯に負けないくらい、うつくしかったです。すっかりこの花のフアンになりました。来年も今頃、是非、訪れたいと思います。

ヒメシャラちゃんについては、美肌をうっとり眺め、両手でなでなでする程度で我慢しました(汗)。そして、葉っぱをめくって、蕾を確認しましたら、あと2週間ぐらいかかりそうなので、その頃、また出直してみようと思いました。
また、楽しみが増えました。





大満足のぶらり旅になりました。
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”五月晴れ” フラワーセンター

2008-06-25 08:36:34 | Weblog
むかしは、今頃(旧暦五月)の、梅雨の晴れ間のことを”五月晴れ”といったそうですね。そんな旧五月晴れの火曜日、フラワーセンターに行ってきました。

旧五月晴れが似合いそうな花々が咲き始めていました。

ブッドレア(房藤空木)。


アガパンサスと、白い花はクリヌム・ポウエリイ(ユリ科ハマオモト属)。


だいぶ前から咲いていますが、夏空の似合うデイゴ。


こちらは、むしろ秋空が似合いそうなコスモスそしてキキョウ。もう咲き始めました。



温室育ちが似合う(笑)、メディニラ・マグニフィカ。華やかで、今、温室内の女王様と言ってよいでしょう。そのほか、ヘリコニアとか熱帯性の花々が妍を競っていましたよ。


そして、びっくり。月下美人が昼間咲いてる、と驚いて、名札をみると”満月美人”。昨年、”昼間咲く月下美人”(照明操作による)をここで観ましたが、これも、同じような操作をしているのか、昼間も咲く種類なのかは分りませんでした。いずれにしても、名前の通り、満月のような美人でした。こんな美人に会えて、本当にラッキーでした。


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横須賀の花菖蒲

2008-06-24 09:03:12 | Weblog
横須賀線衣笠駅からバスで15分ほど行ったところの、横須賀市立しょうぶ園を訪ねました。前日の朝日新聞の”ハナショウブ14万株鮮やか”の見出しに目がくらんでしまったのです。

こちらに越してきてから、まだ3年のこともありますが、近くに(電車でくれば30分程度)、こんな素晴らしい花菖蒲園があることに初めて気づきました。

35,000平米の園内に、なんと(新聞記事によると)412品種、14万株(本?)のハナショウブが咲き乱れています。先日、訪れた明治神宮御苑の菖蒲田が150品種、1500株ですから、その規模の大きさを想像していただけると思います。そうだ、水元公園の規模だ、と思いつき調べてみると、1万4千株、約100品種20万本とホームページに出ていました。

それに神宮の品種は江戸系だけですが、ここは江戸系、伊勢系 それとボクの好きな、うつくしい肥後系(汗)もたくさんあります。オールスターキャストなのです。

まず、全景をといいたいところですが、とても1度では無理です(笑)、大きな風景をいくつかに分けて。

木道もいいですね。

品種ごとに整列です。

手入れをされている方が。

近づいてみると、菖蒲娘(?)が(笑)。


肥後系です。肥後六花のひとつ。菊、椿、さざんか、芍薬、朝顔、そして花菖蒲。

金星(きんぼし)という名。はじめてみる品種。葉っぱまで黄色系。平幕のお相撲さんが飾っておきたい品種です。




一回りして、園内の”黒船亭”でランチ。先週訪れた下田に引き続き、また”黒船”。そういえば浦賀にも黒船は来ていましたね。花菖蒲のみえるレストラン。空いていて良い席がとれましたので、つい花見酒(汗)。持参した司馬遼太郎の”街道をゆく、三浦半島記”もみながら。最高のぜいたく。

頼朝は、ここ衣笠城主だった三浦大介に終生、強い恩義を感じていたそうです。頼朝が小田原の石橋山の合戦で敗れ、真鶴から房総へ小舟で逃げる。”落人の頼朝は、今の東京湾口を小舟で漂っていた。そこへ衣笠城からきた三浦勢と出会う。たがいに奇跡だった。その上、三浦勢は無傷の新鮮な兵力であり、そのおかげで、房総に上陸しても、土地のものに侮られずに済んだ、頼朝は終生、この海上での邂逅を忘れなかった。(司馬本から引用)”今の観光地、鎌倉の繁栄も衣笠のおかげなんですね。

ほろ酔いの目でみると、一層きれい。花も女性も(笑)


。。。

紫陽花も。2000本あるそうです。


今、はやりの”隅田の花火”。ネーミングも良かった。”土浦の花火”、”大曲の花火”ではヒットしなかったかも(笑)。

タチアオイ。赤いのに青いとは(笑)。

ヘメロカリス。ニッコウキスゲの仲間らしい。奥の赤いのもそうです。


この公園、フジ、シャクナゲ、椿、つつじ、水仙、クリロー等、年中、花が咲いているとのこと。また、花見酒に来ようと思う。そして、そのときは衣笠城址も。実は、今回も近くまで行ったのですが、空模様がおかしくなり断念。山城なので天気のいい日にと思ったのです。


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石ころのアンパンマンワールド その3

2008-06-23 08:36:00 | Weblog
”石ころのアンパンマンワールド”第3弾です。今回は、ショクパンマンとその仲間たちです。前回のドキンちゃんグループは、悪の味方、バイキンマン軍に属しますが、ショクパンマングループは、正義の味方アンパンマン軍の隊員たちです。

ショクパンマンです。ふだんの仕事は給食の食パンを届けるのが仕事です。で、からだつきまでショクパンみたいになってしまいました。気がやさしくて、あたまが良いので女の子にもてます。敵方のドキンちゃんも好意をよせているそうです。



でも彼は子供ぽっいドキンちゃんよりも、もう少しおとなびた、色っぽい子に心をひかれています。”くびれのカリスマちゃん”と”美乳のマドンナちゃん”です。いつも、この子たちの写真を定期入れにいれていて、ときどきとり出してみています。むっつりなんとか、かもしれませんね。


・・・

ショクパンマンの仲間たちも紹介しますね。

カレーパンマンです。とてもいくさに強く、得意わざはカレーパンチです。口から熱いカレーを噴き出し、敵をやっつけます。でもカレー好きな子には効き目がありません。もっともっとちょうだいと、すすりよってきます。そういうときは、メロンバンナちゃんが助けてくれます。



メロンバンナちゃんです(左)。顔はメロンパンでできています。得意技はメロメロパンチで、どんな敵でもメロメロにしてしまいます。
メロンニキビちゃん(右)も強いです。メロンバンナちゃんのお姉さんです。顔はそっくりですけど、ニキビだらけです。でも九ちゃんみたいに、明るくて気はやさしく、とても人気があります。得意技はニキビパンチで、銭形平次の投げ銭のように、ニキビをひきちぎり、相手の目にめがけて投げつけます。



オソナエモチマン(左)です。元公爵で気位ばかり高くて、講釈ばかりで何もできません。宴会でも、いつも上席に飾られていないと機嫌が悪いです。戦いになると、押入に隠れ、ブルブルふるえています。かげでは、三馬鹿大将と言われているみたいです。
ダンシャクイモ兄弟(右)です。こちらは現男爵ですが、出目は泥まみれの下層階級ですので、庶民の気持ちがよく分かり、人気があり、出世しました。あたまもいいので、バイキンマン軍との戦いでは参謀としてはたらきます。


貝がら三兄弟は戦争のない平和のときに力を発揮します。内側は金箔になっていて、絵や和歌が描かれているんですよ。”貝合せ”という遊びをさせて、みなをなごやかにさせます。そうそう、オソナエモチマンさんはこのときだけ生き生きしてるらしいです。


戦争のときは、兵士たちの食事を担当する炊事班も重要な任務をもちます。

コッペパンマンちゃんが炊事班長です。オムスビマンは福班長です。この二人で大部分の兵士の食事を担当します。ただ、将校クラスの食事には、鎌倉山のローストビーフをはさんだサンドイッチマンが担当します。



おやつ班もあります。沖縄の鍾乳洞の石ころちゃんをスカウトしました。アイスキャンディマンとアイスクリームマンです。おいしそうでしょ。



。。。

今回で、このシリーズは終了となります。
次ぎはどんなシリーズにするか、散歩の途中でみかける、石ころちゃんのいろいろな顔を眺めながら考えてみたいと思います。

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