気ままに

大船での気ままな生活日誌

円覚寺 晩秋の花々

2009-10-30 11:14:19 | Weblog
ヤンキースが負けて(昨日の試合、今日も先制点を奪われている)、ちょっぴり不機嫌になり、外に出た。小雨がぱらついたりして、変な天気だった。東尋坊の裏の松林に咲いていた、つわぶきの花を思い出し、この辺では一番とぼくが認定している(笑)、葉山しおさい公園でも行ってみるかと、横須賀線に乗った。大船を出てすぐに、携帯のマナーモードのぶるぶるがポケットで呼んでいる。すぐ、北鎌倉駅で降りて、電話をかけなおした。やっぱり、実家の売却関係の電話だった。

葉山行きを中止し、即座に北鎌倉散歩に切り替えた。これがぼくの自由散歩の流儀だ。流れに身をまかせる。テレサテン流だ。何故って? ♪時の流れに 身をまかせ あなたの色に 染められ 一度の人生それさえ 捨てることもかまわない だからお願い そばに置いてね いまは あなたしか 見えないの♪ そうゆう女性はもう絶滅稀種になってしまったのではないだろうか(爆)。

草花は、遠い昔から変わらない。本当に、”時の流れに身をまかせ、あなたの色に染められ”だ。北鎌倉駅前の円覚寺(松嶺院)の草花も、そうだった。

のぼたん

さがぎく

いそぎく

秋咲きねじまな

あぶちろん

あきちょうじ


赤い実も晩秋の”花”

うめもどき

ふうりんがまずみ

からすうり


黄梅院の門前の掲示版。いつもは坂村真民の詩が引用されているが、珍しく、八木重吉の詩だった。

。。。

たった今、松井、勝ち越しホームラン。(テレビを見ながら書いているのです)
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速水御舟展をみて

2009-10-29 13:45:52 | Weblog


千鳥ヶ淵から広尾に移転し、”新装開店”した山種美術館へ行ってきた。千鳥ヶ淵の最終展は上村松園、そして広尾では、速水御舟展となった。安宅コレクションから105点の御舟作品を一括購入し、計120点を所蔵し、”御舟美術館”の異名をもつそうだから、お披露目展としては当然、”御舟展”となるのであろう。

国の重要文化財に指定されている作品が、ふたつある。ひとつはポスター絵に使用された、”炎舞”と”名樹散椿”である。これらが、本展の目玉であるが、もうひとつの目玉として本邦初公開、個人蔵の未完の、”婦女群像”がある。

以上の三つを見ただけでも、画風が常に変化している、と感じる。たとえば東山魁夷、平山郁夫、棟方志功の絵は、一目みて、すぐ彼の作品だということがわかる。御舟は、野球界であれば、イチローに似ていると思った。イチローも、毎年のように打撃フォームを変えている。そのままでも、十分、高い評価を得ているにも関わらずなのにである。大胆な進化を目指さなければ、心が満足しない、そういうタイプの天才なのであろう。

晩年、奥さんに自分の絵に主張がなくなった、これからは儲からない絵を描くようになるが、我慢してくれ、と話したそうである。40歳の若さで夭折したが、60歳まで、あるいは80歳まで生きていたら、どんな絵に進化していただろうか。そんなことを思いながら、未完の大作、婦女群像を観ていた。この絵が完成していたら、その後の日本画が変わっていただろう、と音声ガイドがささやいていた。

それぞれ、進化している絵の中で、ぼくとしては”名樹散椿”を好ましく思ったが、各作品から受ける感動よりも、むしろ御舟の生き方そのものに、なんだか、とても感動してしまった。

名樹散椿

あけぼのの春の宵のうち


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能登はいらんかいね

2009-10-28 06:36:43 | Weblog
ぼくは坂本冬美さんの歌、”能登はいらんかいね”が好きですが、まだ能登に行ったことがありませんでした。歌の文句に♪ふるさと能登はヨー♪ってありますが、冬実さんの故郷はたしか紀州和歌山で、能登ではありません。

そのぼくが、今年、生まれて初めて能登に足を踏み入れることができました。和倉温泉に泊まり、輪島の朝市とか能登金剛の巌門などを見学してきました。

和倉温泉では、プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で、29年間連続、全国一位という、加賀屋という和風ホテルに泊まりました。夕食の酒肴に、”和倉の宝/千口子(能登でとれたなまこの卵巣を干したもので日本三大珍味のひとつだそうです)が出ていました。うまい?ぼくは、♪欠けた徳利に 鱈子(たらこ)のつまみ♪で十分。そして、できれば、♪酒の注ぎ手は 見そめたあの娘♪(ワイフの気持ち)

ワイフはグルメ派ですので、加賀屋の和風懐石料理、さすがだと褒めていました。ぼくは、お造りだけは気に入りましたが、日本酒に合うお料理ばかりで満足でした。あと〆に冬美さんの故郷、紀州の梅干し茶漬けが入っていれば良かったのに。
そうそう、温泉は梅干しのように、しょっぱかったですよ。元は海中温泉で”湧く浦”と呼ばれていたそうですから、塩辛いはずですね。

伊豆の温泉地や、西では城崎温泉のような、風情のある温泉町を期待していたのですが、そうゆうところではなかったです。ホテル・ビルの中に何でもそろっている(宝塚歌劇団みたいなショーまでみられる)温泉宿でした。仲居さんのサービスはとてもよかったですよ。それに美人ぞろい、ひとりで来ていれば、♪寝酒三合に口説きを混ぜて今夜は輪島の夢をみる♪ところでした(汗)。

ホテル内にある錦小路。なんでもそろう。

朝食。とてもおいしかったでやんす。

お見送りまでしていただいて。ありがとうございました。


輪島の朝市。どういうわけだか、猫の好きなマタタビがよく売られていました。能登の特産品かな?猫にマタタビ人に覚せい剤(笑)。ノリピーそんなに大騒ぎすることかな。

お魚がおっぱい。(ミスタイプです、いっぱい。)

。。。

能登金剛の巌門 清張の”ゼロの焦点”の舞台になったところ。広末涼子主演で、映画も封切られますね。ぜひ行かねば(汗)。

ここは砂浜です。千里浜なぎさドライブウェイ。砂浜が道路、初めて見ました。

この砂浜ドライブウエイに、大発生して問題になっている越前クラゲが打ち上げられていました。何か利用法はないでしょうか。ワンタンみたいだから、越前クラゲワンタン麺とか。


。。。

能登はいらんかいね

作詞: 岸本克巳
作曲: 猪俣公章
歌唱: 坂本冬美

欠けた徳利に 鱈子(たらこ)のつまみ
酒の注ぎ手は 見そめたあの娘
能登はいらんかいねー
ふるさと能登はヨー
寝酒三合に 口説きを混ぜて
今夜は輪島の 夢をみる

それにしても、”能登はいらんかいね ”とはどうゆう意味だろうか。石川県が売りに出しているのだろうか。中国や韓国にでも買われたら困るではないか。ノートはっきり言ってくれよん。さもなければ、”夜桜お七”に”あばれ太鼓”をうたせまっせ。そういえば、加賀屋で聞いた”一揆太鼓”良かったなあ。どどどどーん、心の底にたまっていた何かまでくらげのように浮き上がってきたゼ。
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東尋坊と永平寺

2009-10-27 08:35:59 | Weblog


東尋坊といえば、自殺の”名所”。いつからそうなったんだろうか。きっと、越前竹人形が、水上勉の小説によってつくられたように、どなたかの小説にでも、ここが自殺の名所と書かれたので、志願者が殺到したのではないだろうか。いや、実際、そんなに、ここでの自殺者はいないのではないかとぼくは思う。この岸壁の上に立っても、多角形の柱状の割れ目(柱状節理)をもつ安山岩は、とてもうつくしく、ああ、まだこの世はすてたもんじゃない、とかえって、自殺を思いとどませるのではないだろうか。第一、ここから飛び降りたら、すんなり、海に落ちず、あちこちの岩にぶつかって、こぶをいくつもつくって、痛いだけの怪我でおわってしまうのではないかと思い、二の足を踏むのではないだろうか。そんな、うつくしい景色だった。



でも、こんな警告があるから、やっぱり、志願者は多いのだろうか。


こんな掲示板をみて、思いとどまる人はいるのだろうか。むしろ、うしろの松林内に群生し、いま、咲いておかなければ、もうだめだというふうに咲いている、つわぶきの花に何かを教えられて、そっとそこを立ち去るだろう。



ここを立ち去った人は永平寺に寄ればよい。道元さんのつくった禅寺。只管打座。ただただ座る。心も体も、自然と一体になる。つわぶきの花と一緒になれる。



道元さんが眠る、承陽殿。

傘松閣の天井絵。昭和5年当時の著名な日本画家144名による230枚の花鳥図。


去年、道元さんの映画”禅”を観たせいか、永平寺は初めて訪れた気がしなかった。

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり


(瓦志納金を納めた御礼にいただいた”道元禅師からのメッセージ”から)
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松井ヤンキース リーグ優勝

2009-10-26 14:16:44 | Weblog


冷たい雨の降る今日は、ぼくは、おとなしく家にいました。普通なら、こんな日でも、朝の日課のブログを書きあげ、今頃はどこかを徘徊しているはずですが・・・今日は、ヤンキースのリーグ優勝のかかる試合がありましたから、ずっと今まで、日課のブログも書かず、テレビにくぎ付けでした。絶対、今日で決めてもらいたい、どうしても松井秀樹選手に、6年ぶりの感激を味あわせてやりたいと思っていたからです。



こんなふうに、先取点をとられ、逆転したものの、また8回に1点差に追いつかれ、はらはらどきどきの試合でした。松井はノーヒットでしたが、なんとか、勝利の女神はヤンキースに微笑んでくれました。


本当に良かっです。松井が、ヤンキースに入団してから、リーグチャンピオンは一度だけ、ワールドチャンピオンは、松坂も、井口も、田口もとっているのに、まだ、松井にはありません。ぜひ、今年は、なにがなんでもとってもらいたいです。松井自身、ヤンキースのどの選手よりも、強く願っているに違いありません。インタビューでも、次がありますからと、控えめな答弁。


ワールドシリーズでも、こんなシーンをぜひみたいです。がんばれ松井ヤンキース。
。。。

まってました
ついにやったね
いい日旅立ち、ワールドシリーズへ
ひっとは今日は
でなかったけれど
きっとホームラン量産 ワールドシリーズ
。。。

昨日、山種美術館で本邦初公開の、速水御舟の未完の大作”婦女群像”みてきましたが、ぼくも、松井選手のリーグ優勝記念に、本ブログ初公開(笑)のヤンキースの野球帽を載せます。3年前、旧ヤンキースタジアムのギフトショップで買ったものです。その年に、松井選手が大怪我をしてしまった、想い出の野球帽です。
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越前竹人形

2009-10-25 09:54:35 | Weblog


先日の旅行で、越前竹人形の里を訪れた。そこで観た、すばらしい竹人形の数々には魅了された。顔、胴体、衣装はもちろんのこと、人形の髪の毛も、真竹を割っていき、最終的には0.2mmの太さにまでしたものを使用している。一体の人形に4000本の竹の髪の毛が植えられているそうである。これらの作品をみていると、まさに、”竹の精”が吹き込まれた、という感じがする。

”越前竹人形”というと水上勉。ぼくは、てっきり、実際、越前竹人形をつくる工房があり職人がいて、それをモデルにして、小説を書いたのかとばかり思っていた。ところが、そうではなくて、この小説を書いている時代には、竹細工といえば、ザル、花篭、食器類等がほとんどで、”竹人形”は、存在しなかったそうだ。”越前竹人形”は、彼の小説が評判を呼び、映画化され、舞台化されたあと、県のあと押しもあり、地元の竹細工師が人形をつくり始めたというのだ。

そのことを知ったのは、昨日、近くの図書館でみつけた、水上勉の、竹に関する随想文をあつめた”年々の竹”という本からであった。本当は”越前竹人形”を読んでみたくて、捜したのだが、貸し出し中でなく、たまたま手にとった本だったのだ。その中に”越前竹人形”というタイトルのエッセイがあり、こんなことことが書かれていた。

”越前竹人形”を書いたのは44歳のときで、その着想は、神田の古本屋街でみつけた”竹ならびに竹細工一式”という、大分県下の竹製品協同組合が版元の本だった。その中には前述のさまざまな竹製品についての絵と説明文があったが、人形のないことに気付き、それならば、小説の中でつくってしまおうと思った。父は、大工で、暇なときは竹で尺八をつくっていた、また、自分でもつくった経験をもち、竹細工の基礎知識も多少あった。

竹人形をつくる人物を父にだぶらせ、場所は勝手に”越前竹神村”という村をつくりそこに住まわせた(笑)。そして、近くの芦原温泉の遊郭(実際この温泉地には遊郭はない)のうつくしい娼妓を登場させ、親子二代にわたって、関係させるという構想を練った。

バスガイドさんから聞いたあらすじによると、父親が亡くなったあと、父親の愛人でもあった娼妓、玉枝が訪ねてきて、息子の喜助はひとめぼれする。そして結婚するが、彼女を神のように崇め、夫婦関係を拒絶する。彼女をモデルにした、すばらしい竹人形をつくり、評判となる。しかし、玉枝は、店を訪ねてきた男と一度だけ過ちを犯し、妊娠し、最後は悲劇的な結末になる。詳しくは、原作を読んでみようと思う。

とういうわけで、越前竹人形は、作家、水上勉の”創作”なのである。小説家とはたいしたもんだと思う(笑)。そして、これを受けて、見事な芸術品にしてしまう竹細工師の技術もたいしたもんだと思った。

流れるような長髪が魅力的


あれ、どこかでみたような、そうだ藤沢の遊行寺でみた、一遍(遊行)上人の像だ。ぼくも遊行(遊び歩く)上人(汗)。禅も遊行も修行なのだ(笑)。

材料の竹の数々

そうだった、エジソンは、竹のフィラメントを使った電球を発明したのだ。その再現。”越前竹電球”。

”越前竹人形”の舞台のポスター。主役は三田佳子さん。映画では若尾文子さんが主役だった。若尾さんと同期だった南田洋子さんのご冥福を祈ります。
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飛騨高山と白川郷

2009-10-24 10:49:01 | Weblog
前回のつづきです。

飛騨高山には、数度、訪れている。でもあの、大きな屋台が繰り出される高山祭りはまだ一度もみたことがない。今回も、あとの祭りよ、で10日ほど前に済んでいる。ただ、屋台会館には実物大の屋台(山車)が展示されていて、それは前回観ているのでその華やかさは想像がつく。

で、今回の自由時間はどこにしようかと、まず、宮川沿いの朝市を歩いてきた。さすが、日本三大朝市(ガイドさんによると、ここと、能登輪島と千葉の勝浦らしい;でも三大○○は結構アヤシー)のひとつということだけのことはあり、賑わっていた。何も買わなかったけど、雰囲気だけを楽しんできた。


そして、まだ一度も入ったことがなかった、重要文化財、吉島家住宅をのぞいてみた。天明8年以来、代々、酒造りを家業としていた住宅で、火災後、明治38年に再建したということだ。棟梁は、名工、西田伊三郎とのことだ。米国の著名な建築家が絶賛したらしい。

酒屋のしるし、杉玉が下がっている。

内部を少し。紋つき暖簾。

右端の書は、篠田桃江という書家が、折口信夫の和歌を描いていたものである。ワカらない字だったけど、いい雰囲気だった。

こんな広い家、何人で住んでいたんだろう。掃除も大変だろうな。


そして、バスは白川郷へ。ここは初めての訪問だった。おなじみの合掌造りの家がいくつも視野に。そのひとつ、重要文化財の和田家を見学。


内部はこんな感じ。二階以上は養蚕場として使用していたとのこと。


そして白山スーパー林道を一路、山代温泉へ。途中の紅葉のすばらしかったこと。



86メートルの、ふくべの大滝もすばらしかった。那智や袋田の大滝には負けるかな。



そして山代温泉のホテル百万石に宿泊。百万石のお殿様になった気分で(笑)、加賀料理を頂く。地酒でほろ酔い度3+(汗)。

(つづく)
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久々の旅行 上高地から

2009-10-23 10:56:51 | Weblog
今年は、母のこともあり、旅行は控えていた。今年初めての、ぼくらにはちょっと贅沢な、3泊4日の旅行をしてきた。小百合ちゃんのポスターで知られる、フルムーンの”夫婦の旅”に参加したのだ。上田から、信州安曇野を抜け、上高地で一泊、翌日は、飛騨路を走り、飛騨高山、白川郷と散策、そして、白山スーパー林道を経て、山代温泉に泊る。そして3日目は、東尋坊と永平寺を見学して、能登へ向かい、和倉温泉へ。最終日は、輪島の朝市や能登の名所を巡り、金沢から、特急で越後湯沢に出て、新幹線で東京へ戻るというコースだった。

安曇野の”そば処常念”というお蕎麦さんで、おいしい新蕎麦と岩魚の塩焼きをいただいてから、ぼくらの旅は始まった。蕎麦畑越しの信州の山々も、とてもおいしい景色だった。


上高地に着いたころは、まだ日は高く、散策に十分な時間をとることができた。そして、お目当ての河童橋から観る、穂高連峰。何度か、上高地を訪ねたことがあるけれど、こんなにすばらしい穂高連峰を観たのは初めてだった。幸運だった。空には雲ひとつない(ひとつあったけど、動いてくれた)、加えて、冠雪が。ホテルの人に聞いたことだが、3日前から山頂に雪がみえ始めたが、午後まで残っていたのは、この日がはじめとのこと。なんて、ついているのだろう。

そして、落葉松も黄葉が始まっていた。 からまつはうれしかりけり/たびゆくはうれしかりけり だった。

白樺の木々もうつくしかった。しらかば あおぞら みなみかぜ だった。

紅葉はめったにみられなかった。ただ、紅顔の美少年はたくさんいた。

宿泊した帝国ホテルも紅顔の美青年だった。

夕食は、おいしいフランス料理。赤ワインをたくさんいただいて、紅顔の美初老年になってしまった(汗)。

(つづく)
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国宝那智瀧図と自然の造形

2009-10-19 05:50:38 | Weblog
新・根津美術館展”国宝那智瀧図と自然の造形”は、見ごたえのある展覧会であった。ぼくは、もともと瀧の絵が好きで、今回の主役、”那智瀧図”(絹本着色、鎌倉時代)の前では、しばらく佇んでしまった。一度、熊野巡りをしたときに実物の大滝も観ている。

いろんなことを考えさせてくれる絵があるが、この絵もそのひとつであった。ぼくは、この那智の大瀧を人の一生にみたてた。滝口から、少年期、青年期は細く長く流れ落ち、それが壮年期になり太く、でも短く轟々とうなりをあげて落ちてゆき、最後は岩陰に隠れるように静かな晩年を迎える。そんな自分の人生に重ね合わせて観ていた。それによくみると、右上に月が半分、昇ってきている。たぶん満月だろう、その月明かりで、瀧は白く照らされているのだ。月は、静かに人の生き様をみている。もっとゆっくりみていたい絵だった。

そして、”吉野瀧田図”屏風(江戸時代)も良かった。右双に吉野山の満開の桜、そして、左双に龍田の紅葉が画面いっぱいに、絢爛と咲きほこり、あるいは染まっている。文句なく、考えるまでもなく、ただただ、うつくしい。桜も紅葉も好きなぼくにはこたえられなかった。所々に、和歌の短冊が描かれていたが、これは”古今和歌集”と”玉葉和歌集”におさめられた吉野と龍田の、桜と紅葉の名所を詠んだ和歌なのだそうだ。

こんなふうに、書いてゆくと、いつまでも、どこまでも続きそうなので、いくつか、気に入ったものをノートしておこうと思う。野々村仁清作、色絵山寺図茶壷、光悦筆、和漢朗詠抄、四季花鳥図(伝狩野元信)等である。それとこの美術館が誇る古代中国の青銅器にもいいのがあった。双羊尊(BC13-11世紀)や饕餮(とうてつ)文方盉などの酒器を憶えている。展示室6(展示室が6室もあるのだ)では”初陣茶会”のテーマで、いろんな茶器が並んでいた。茶碗、ぐい呑み等、”そこそこ”いいなと思うものもあった。

次回は、11月18日から、第2部”根津青山の茶の湯”が始まるということだ。鼠志野茶碗銘山端やノンコウの黒楽茶碗銘雪峰なども展示されるらしい。また、来てみたいと思う。

吉野瀧田図

根津美術館八景のひとつ、月の石舟

根津美術館庭園の美女ふたり

。。。
今日から数日間、旅行に行ってきますので、その間、ブログは休ませてもらいます。
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新根津美術館の風景

2009-10-18 07:12:13 | Weblog


3年半ぶりに、改築を終えて、公開となった南青山の根津美術館を訪ねた。新しくなった建物を観るのも、また2万平米もある庭園を散策するのも楽しみだったし、もちろん、なによりも、第1部(今後、二部、三部と続くのだ)”国宝那智瀧図”と自然の造形”展を期待していた。期待に違わず、満足した展覧会だった。

美術館に到着すると、まず、玄関までの長い導線に驚かされる。竹を連ねた壁と、道路側にも竹が植えられている。こんなふうに。



そして、受付からホールに入ると、この美術館の顔といわれる、ガンダーラの弥勒菩薩立像や中国の、6~8世紀の仏像(頭部だけのも多い)が迎えてくれる。ガラス窓越しに庭園の緑がみえるようになっていて、いきなりいい気持ちにさせてくれる。こんなふうに。(ホールの雰囲気だけのカメラ撮影は可能)



弥勒菩薩立像。カタログからの弥勒菩薩立像の写真。

もう少し、ホールの雰囲気を。天井の傾斜、直線もいいですね。その傾斜に合わせて、仏像さんも背の高い順に。




二階の休憩場の風景。ベンチのラインまで気遣いして。


館内は、8万個のLED(発光ダイオード)のやわらかな光りが注がれている。居心地良い新美術館だった。カフェもある。建築家は、サントリー美術館も設計した隈研吾さん。

美術館の外観。ここも直線が主役。


さて、美術作品は。・・これから、出かける用事があるので次回にさせていただきます。
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