気ままに

大船での気ままな生活日誌

ブログ再開は、しばらくお待ちください

2017-04-22 14:36:25 | Weblog

こんにちは。ご心配をおかけしております。難しい肺炎に罹り、入院中です。トホホ。でも、光明も見えてきましたので、ブログ再開目指して、頑張っております。では、皆さま、お身体に気をつけてください。

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八重桜関山 開花

2017-04-16 15:53:26 | Weblog

今朝の散歩で、公園のベンチが空いているのに気付いた。このベンチは人気で、お昼どきなどはいつも満杯で、一度、ここに座り、ゆっくり、お花見をしたいと思っていた。それに、この公園のソメイヨシノはまだ満開で十分見頃なのだ。というわけで、朝のひととき、心ゆくまでお花見をした。

十分、お花見をして、さてと、と立ち上り、川沿いの桜並木に移る。と、ピンク色の八重桜の花が目に飛び込んできた。松竹大船撮影所開設記念植樹のソメイヨシノが朽ちた跡に植えられた関山で、この辺りに数本、植えられている、

ここだけではない、隣りの木、その隣りにも開花を認めた

いずれは、どの木もピンク色に輝く。

さあ、これからは、毎日、花は増える一方。元気の素をいっぱい、もられる。病の身にはことのほか、うれしい。

 

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散る桜

2017-04-15 09:44:29 | Weblog

おはようございます。

今朝、散歩に出ようとドアを開けて、びっくり。玄関口で桜の花びらが数枚、迎えてくれた。マンションのこんな上階まで、それもぼくのうちだけ。もしかしら、原節子桜の花びらかも(笑)。

桜道は、咲く桜から散る桜への時代へ。

突風が吹いてきて、桜吹雪。いいぞ、待ってました、遠山の金さん!この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ! 金さんは知恵蔵が一番。

ひらひらと舞うのは花びらの先の切れ目のおかげだって。

川面をみれば、花筏。川の流れのようにゆるやかにいくつも 時代は過ぎて

花びらと花で華やかに

パンジーと

チューリップと

落ち花同志で

原節子桜、今年も良かったですよ。

さまざまな事思ひ出す桜哉 (芭蕉) 

では、みなさん、今日も一日、お元気で。ぼくは、これから、三日連続お医者さん、わくわくどきどき(笑)。

 

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2017年の満開桜コレクション

2017-04-14 18:04:04 | Weblog

今年は開花期がいつもより遅れ、そのため満開桜も4月も10日前後までつづいた。今年は花見ペースが体調やら予定やらでいつもより、だいぶ遅いペースだった。それでも、思い出に残る満開桜はいくつもみているので、2017年の満開桜コレクションとして残しておきたいと思います。

まずは新宿御苑

桜園地(4月8日)

陽光桜(3月27日)

下の池の枝垂れ桜(3月27日)

日本庭園の寒桜(2月25日)

修善寺寒桜(1月27日)

東御苑 椿寒桜の見ごろをみのがしてしまった。

寒緋桜(3月12日)

上野公園

桜並木(4月6日)

公園入口の枝垂れ桜(3月29日)


東博庭園の枝垂れ桜(3月29日)

六義園の枝垂れ桜(4月5日


小石川後楽園の枝垂れ桜(4月5日)

乾門向かいの枝垂れさくら(4月8日)

千鳥ヶ淵 (4月8日)

熱海桜、河津桜、玉縄桜、横浜緋桜コレクションは次回にでも。

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10年目

2017-04-13 18:32:46 | Weblog

かなり前から、けっこうひどい風邪をひいていたのだが、その間、どうしても休めないクラス会が三度ほどつづき、すっかりこじらせてしまったようだ。今日、はじめてお医者さんに行ったが、肺炎の徴候があり、抗生物質の点滴までしてきた。しばらくは静養しなければと思っている。まだまだ、お花見の時期がつづいているのに残念でしかたがない。

ちょうど10年前の2007年、4月もそうだった。さて吉野の桜でも見に行こうかというときだった。突然、帯状疱疹に罹ってしまったのだ。これは痛みが尋常でなく、だいいち歩けない。それも一月ほどつづく。とてもお花見どころではない。このとき、普通に外を歩いている人をどんなにうらやましく思ったことか。

家内は10年ほど前、足の踵が痛くて十分歩けない状態がしばらく続いていたが、ジム(水泳)に通うようになってから直った。そして、10年後にもっと厄介な坐骨神経痛(脊柱管狭窄症)になってしまった。痛みあり、歩行が不自由となり、活動量が一気に減った。

さあ、二人とも、これを乗り越えて、次の10年を頑張らなければと思う。

今日のご近所のお花見

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妙本寺の海棠満開!八幡さまの段蔓の桜も満開

2017-04-12 22:02:42 | Weblog

こんばんわ、

いつもは、桜が満開になった後、海棠が追うように満開になろのだけれど、今年はほぼ同時に満開になった。それでは、妙本寺と段蔓のデビュー二年目の若桜の満開ぶりご覧ください。

妙本寺の山門は青モミジ

本堂(ほんとは祖師堂)前の両側の海棠が数本、満開になている。

向かって右側の垣根に囲まれた海棠は、小林秀雄と中原中也のゆかりの海棠の三代目。

小林秀雄の”中原中也の思い出”の中に出てくる海棠。
鎌倉比企ヶ谷妙本寺境内に、海棠の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎年のお花見を欠かしたことがなかったが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切り株を見に行くまで、何だか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になくみごとなものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目のように細かく別れて行く梢の末々まで、極度の注意力をもってとでも言いたげに、繊細な花をつけられるだけつけていた。

中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思び出された。中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であつた。前年、子供をなくし、発狂状態に陥つた事を、私は知人から聞いてゐたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るやうになつたか知らなかつた。久しく殆ど絶交状態にあつた彼は、突然現れたのである。晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた、花びらは死んだような空気の中を、真っ直ぐ間断なく、落ちていた、樹影の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた・・・その時、黙って見ていた中原が、突然、もういいよ、帰ろうよ、と言った(中原中也の思い出)  
そのあと、中也は、なんていうほどの海棠でなかったと、後に述べている。

若干、蕾を残し、一番の見頃。

隣りの海棠は縁もゆかりもないが、勢いがあり、花としてはこちらが上かも。

日蓮さまの前の桜もまだまだ鑑賞可能。また、今日は御本尊さまと衣を通して、握手ができる。

八幡宮の段蔓


二年目にしては、見事な咲きっぷりであった。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

おんめさまで咲いていた、白タンポポと日本タンポポ)

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これぞ暁斎 ゴールドマン・コレクション

2017-04-12 10:48:49 | Weblog

 おはようございます、

新宿御苑のハクモクレンが見頃を迎えた3月18日。ぼくはそのあと、渋谷に出て、ブンカムラで暁斎展を見てきた。暁斎は近年、脚光浴びている浮世絵師で、展覧会にもよく現れる。大々的なものとしては。2015年8月に三菱一号館の画鬼暁斎/幕末明治スター絵師と弟子コンドル展を見ている。

画鬼暁斎の紹介をちょとだけ。7才のとき、武者絵で一世を風靡していた国芳に弟子入りした。子供の頃からの絵好きで、かぞえで3歳のとき、はじめて写生し、その対象はカエルだったそうである。しかし、国芳の侠気と品行を心配した父が、間もなく狩野派の絵師に鞍替えさせた。こんなエピソードも残っている。9歳のとき、増水した神田川で男の生首をみつけると、一心に写生をしたそうである。まさに、画鬼暁斎は双葉より芳しだったのである。

今回の展覧会は、ハーバード大学で美術史を学び、ロンドンで画商の道を歩みはじめた、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションである。あるときゴールドマン氏はオークションで暁斎の半身達磨を入手した。その質の高さおどろいた彼は、その後、暁斎のコレクションをはじめる。

また、こんなエピソードもある。もともと画帖に描かれた小品、象とたぬきをニューヨークの画商から手に入れたが、転売してしまった。しかし、この作品が忘れられず、後日、顧客に返却してもらったという。序章にこの作品、そして、蛙、鯰、蟷螂、等、ほのぼのした動物絵が並ぶ。

第一章:万国飛/世界を飛び回った鴉たち カラスの絵が十数枚並ぶ。カラスもお好きだったようだ。こちらも、ほのぼの系。

烏瓜に二羽の鴉

第二章: 躍動するいのち ここも動物たちの世界。暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐、猫、鼠から蛙や昆虫までさまざまの動物を自由自在に描いた。ユーモアもいっぱい。蛙の放下師なども(笑)

動物の曲芸 動物を擬人化するのは、鳥獣戯画以来の手法、暁斎も好んでこの手法を用いた。

第三章;幕末明治/転換期のざわめきとにぎわい

明鏡和魂新板 名匠が作った名鏡が、あらゆる悪鬼羅刹を退散させるよいう図。退散する妖怪達は西洋文化を体現しており、明治期に日本へ怒涛のように流入してきた西洋文化への風刺画。

第4章;戯れる

鐘馗と鬼 神仏さえ滑稽にしてしまう暁斎だが、この絵は鐘馗さんあが真面目に(笑)、鬼退治をしている。

この章では鐘馗さまが何度となく登場する。そして春画のコーナー(笑う/人間と性)もある。明るく笑えるものばかり。

第5章;百鬼繚乱/異界への誘い

地獄大夫と一休 一休伝説に登場する、遊女、地獄大夫。三味線を弾く骸骨の頭上に一休を踊らせるちうなんとも楽しい絵。

百鬼夜行図屏風 よく描かれる画題だが、暁斎らしいユーモアにあふれている。

第6章;祈る/仏と神仙、先人への尊祟

達磨

おわりに、ちょっと長くなりますがゴールドマン氏からのメッセージをお伝えして終わりたいとおもいます。

「なぜ、あなたは暁斎を集めているのですか?」 2002年、東京の太田記念美術館で私のコレクションによる最初の暁斎展について議論しているとき、初めて出会った有名な北斎研究家の永田生慈氏が、私にこういう質問をしました。これまで、だれ一人、このような直接的な質問をした人はいませんでした。ためらいなく、私は本能的にこう答えました、「なぜなら暁斎は面白いからです。

私は暁斎を、その技術的な素晴らしさと人を魅了する力、感傷的でない動物の描写などで崇拝していましたが、何よりも彼の異様なほどのウィットとユーモアこそが、ほかの画家たちと彼との間に一線を画すことに気が付きました。

私は、ロンドンのオークションで誰もが見落としていた彼の傑作、豪勢にも僅か55ポンドで落札して以来、暁斎の作品をおよそ35年以上にわたって収集しています。同じころ、私は一匹の象が遊んでいる小さい作品も入手しました。翌日、私はその小品を著名なコレクターに売却してしまったのです。しかし翌朝早くに目を覚まして、何か極めて価値あるものを失ってしまったことを嘆きました。数年間にわたって懇願した末に、それを買い戻すことに成功しました。(暁斎が私を発見したのであって、逆ではないと信じることは、コレクターの虚栄であります。)

暁斎は収集するに値する素晴らしい芸術家であります。彼の作品は、スタイルにおいて、主題において、また技術において、ずば抜けた広がりを持っています。そして私は彼の代表的な作品を網羅するために、あらゆる努力をしました。今回の展覧会に展示されている作品の多くは、暁斎を愛する人々には良く知られているものですが、およそ80点は完全に新しい発見です。私はこのように暁斎に関する個人的な視点を表明する機会を与えられて、極めて有り難く思っています。

それでは、みなさん、今日も一日、たまには妖怪にでもなって、町を彷徨いましょう。お元気で!

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真央引退 史上最高のフィギア女王だった 

2017-04-11 18:13:52 | Weblog

浅田真央選手が、ブログで”突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として、終える決断をいたしました”と表明した。ぼくは、もっと早い時期でも良かったかなと思うが、スタッフや関係者のことを考えて今日まで延ばしたのだろう。

とにかく、すごい選手だった。歴代最高のフィギア女王と断言できる。ただ、五輪のかみさまに見放され、とうとう金メダルをとれなかったのが心のこり。真央は、五輪運が悪かっただけ。まず、荒川静香が金メタルをとったトリノ大会では、年齢制限で出場できなかった。そのシーズン、GPファイナルで優勝しているから、実力は荒川静香より上を行っていた。そして、4年後、満を持して、バンクーバー。宿命の対決でキムヨナに負け、銀メタルに終わる。ショートプログラムで、真央はトリプルアクセルを決め、完璧な演舞をしたにも関わらず、飛ばないキムヨナの点が上を行った。フリーでもトリプルアクセルを二回決めたが、キムヨナに、異常な高得点がつき負けた。不満そうな真央の顔を思い浮かぶ。一方、男子でもやはり4回転を決めたプルシェンコが、飛ばない選手に金メタルを奪われ、表彰式で悪態をついた。アイスダンスじゃないんだから、高度な技術のジャンプは評価してくれよ、というわけだ。その後、彼の意見も通り、四回転の基礎点が大幅に上がり、今では4回転を飛ばなければメタルはもらえない。一方、女子のトリプルアクセルは依然としてとして低評価で、みな安全運転ばかりして、面白くもなんともない。

そして、ソチ五輪。真央は、ショートプログラムで失敗し、16位に沈んだ。もう、皆、諦めかけていたが、さすが、真央、完璧な演技をした。トリプルアクセルをきれいに決め、次々繰り出すジャンプをミスなしで決め、なんとフリー自己最高点をたたき出し、有終の美を飾った。演技終了後、感極まって、泣く姿が大きな感動を呼んだ。悲願の金メタルはとれなかったが、6位入賞に食い込み、ある意味では金メタル以上の価値があった。思い出に残る、 レジェンドの演技だった。

フィギュアの世界選手権で3回優勝、GPファイナル4回も優勝した選手は真央以外は見当たらない。キムヨナは五輪だけに照準を合わせ、ソチの前の4年間、ゆっくりと休養をとっている。どちらが真の女王かといえば、言うまでもないこと。

ソチ五輪のレジェンドの演技 感極まって、もう泣き顔。

思い出の真央

 

三度目の世界女王

トリプルアクセル3回決め、ギネス認定へ。

八幡さまのぼんぼり祭にも登場

一年間の休養。引退は、このときでよかったのでは。

長い選手生活、ご苦労さまでした。随分楽しませてもらいましたよ。

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横浜山下公園の桜 大船の夜桜お七

2017-04-11 10:26:25 | Weblog

おはようございます。昨夕は中学時代の仲間、5人のミニクラス会を横浜中華街で開催した。今回は珍しく、体調不良が三人もいて、お酒の量があがらなかった。K君は登山中に骨折し、漸く、退院したばかりで、コルセットをはめたままの出席。もう一人の女性も、ひじ痛で痛み止を飲むため、アルコールは厳禁と医師からいわれたそうだ。そして、幹事役のぼくはひどい咳と熱で、生ビール一杯がいいところ。ということで、ちょっと気勢があがらなかった。次回の6月には元気な姿をみせ、あびるほど酒を飲もうと(汗)、誓い合ったのだった。

集合前の山下公園の桜を見に行った。満開で迎えてくれた。


 

そして、帰り道、大船の夜桜お七に出会った。ちょうど、まんまるお月様も姿をみせてくれた!

大船の夜桜お七いかがでしたか。

 では、みなさん、今日も一日、雨にも負けず、風邪にも負けず、お花見に!お元気で!

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大船満開桜

2017-04-10 09:45:45 | Weblog

おはようございます。

珍しく、ほかより遅れていた大船の桜も満開になりました。今朝の散歩で撮ってきましたのご披露いたします。

砂押川沿いの桜並木。

昭和11年4月、松竹大船撮影所開設記念樹

当時のままの樹が中心。84歳。まだまだお元気。

ぼくが名付けた原節子桜と小津安二郎桜

昨日、サライの最新号をみていたら、蓼科にも小津安二郎桜があることを知って、びっくり。小津と野田高梧は茅ヶ崎館で脚本を書いていたが、その後、仕事場を蓼科に移した。ぼくも訪ねたことがあるが、小津の別荘、無芸荘(実際は野田の別荘雲呼荘で仕事をしたが、現在はない)の近くにその桜はあるらしい。原節子桜は、たぶん、ぼくの桜だけであろう。えへん。

原節子桜の華やかさ

赤いじゅうたん桜

散る花びらも

源平桃も今が見頃

それでは、みなさん、今日も一日お元気で。ぼくはまた、(小中高の)3連発クラス会。風邪もひいてるし、少々、くたびれた(笑)。

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