気ままに

大船での気ままな生活日誌

縄文のビーナスはどっち?

2012-04-30 09:20:25 | Weblog
昨日、根津神社の躑躅を観てから、上野の東博に向かった。さきほど土偶としては4つ目の国宝に指定された”縄文のビーナス”が公開されていることを、朝日新聞の”天声人語”で知ったからだ。

”縄文のビーナス”言えば、ぼくも訪ねたことのある、長野県茅野の尖石縄文考古館のふくよかな、国宝土偶(長野県棚畑遺跡の土偶)と相場が決まっているものと思っていた。ぼくも、茅野の縄文のビーナスが大好きだから、そのビーナスの座をほかの土偶ちゃんに奪われるのは心穏やかではない。とくに影響力のある天声人語氏が、茅野のビーナスを一顧だにせず、指名したのだから、一気に世論が、”土偶のビーナスは、山形土偶”という流れができてしまう。

そんなにうつくしい土偶なのか、実際、観てみた。それは本館二階の特別展示室にほかの新国宝、新重文と共に展示されていた。山形県西ノ前遺跡出土の土偶。一目みて、顔ははっきりしないが、すらりとして、スタイルが良い。一見、モネの日傘の女だ。腰もくびれているし、横からみるとお尻をつきだし、セクシーだ。うーん、なかなかうつくしい。これでは、ビーナスと呼んでも、誰も文句はいえない。ぼくも呼びたい。

しかし、二人ビーナスはいかにもおかしい。決着をつけねばならない。数年前、東博で”国宝土偶展”が開かれた。そのとき、二人のビーナスは出場している。図録をみると、茅野のには、はっきりと国宝”縄文のビーナス”と明記してある。一方、山形のは、重文”立像土偶”である。解説文の中にもビーナスの文字を見つけることはできない。これをみても、山形土偶を”縄文のビーナス”と呼称するのは、無理があり、混乱を招くだけだ。新たな愛称をつけてあげて欲しい。さくらんぼ姫なんていうのはどうだろうか。

こんなことを書いているうちに、なんだか、急に、元祖・縄文のビーナスに会いたくなってきてしまった。本当に可愛いんだから。

おふたりの写真です。(土偶展の図録から。東博はこの部屋だけ撮影禁止なので)

新国宝 ”立像土偶”





国宝 ”縄文のビーナス”




本物のビーナス
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根津のカキツバタ 根津のツツジ 

2012-04-29 19:04:14 | Weblog
”根津のカキツバタ/根津のツツジ” はあ?何のことやら、と思う方も多いでしょう。これから、説明しますね。2万7千歩、ぼくのスマホは、今年最高の歩数を示していた。そういえば、随分と歩いた。ぼくら二人は、原宿駅に降り立ち、表参道の根津美術館に向かった。もちろん、KORIN展/国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」を観るためだ。そして、この展覧会と共に、期待していたのは、美術館庭園の池のカキツバタ(燕子花)だ。毎年、ここの光琳の燕子花図を観にくるが、見頃のカキツバタと出会うことは少ない。今年はどうか。はずれだった。でもちょっぴり。大部分の株は蕾だったが、池の端の十数株のカキツバタが紫色の花をつけていた。展覧会の感想はのちほど。(昨日、熱海でみた、又兵衛さんの浄瑠璃物語絵巻の感想文のあとのつもり)

まず、はじめの根津美術館庭園のカキツバタ。


そして、展覧会では、見頃のふたつの、燕子花屏風。本物以上にすばらしい。そのあと、ぼくらは、表参道駅から千代田線で、根津駅へ。ここは、もちろん、根津神社のツツジがお目当て。ほぼ毎年、訪れている。10分くらい歩いて、神社へ。さて、どうか。ほぼ見頃と言っていいです。すばらしいツツジの花の数々だった。











フラダンスのショーも。根津神社とどういう関係があるのだろうか(笑)。


根津、根津と偶然つづいた。できれば、もうひとつ根津と思っていたら、帰り道、根津教会できれいなモッコウ薔薇が咲いていた。ラッキーどす。根津、根津、根津と。

 

えっ?これだけで、2万7千歩? 実はもっと歩いている。ぼくはここでワイフと別れ、さらに上野公園まで歩き、さらに東博まで行って、最近、国宝に指定された土偶、”縄文のビーナス”に会ってきたのです。それについては、ある疑惑も浮び(笑)、真の”縄文のビーナス”のために、反論記事を明日、書くつもりです。楽しみにしてくださいね。では、おやすみなさい。

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プティパレ(パリ市立美術館)辺り

2012-04-29 06:26:08 | Weblog
1900年のパリ万博のときに主会場として建てられたのが、グランパレ。ここは現在国立ギャラリーになっている。所蔵品はもたず、企画展だけを開催する。六本木の国立新美術館タイプだ。動物の絵画展みたいな展覧会を、そのとき開催していた。その大きなグランパレと道を挟んで建っているのが、プティパレ。現在は市立美術館になっている。ここに入った。プティといっても小さくはない。建物内に入ると、びっくりする。宮殿のようなつくりで、その大きな空間に彫刻や工芸品が並べられ、壁には19世紀から20世紀初めまでの絵画が展示されている。ルーブルやオルセーのようには込み合っておらず、静かに鑑賞することができる。家族連れや、子供たちのお勉強グループなどが目についた。

ここでも、(ぼくにとっては)モネが主役だ。一瞬、”日の出”を思わせる、絵をみつけた。でも、これは日の出ではなく、沈む夕日だった。”ラヴアクールの日没”。モネの日の出と日没をパリでみることができて幸せだった。セザンヌやマティス、ピサロ、スラーなどの作品もある。フジタのもあると聞いていたので、捜したが見つからなかった。当時の人気女優、サラベルナールの肖像画をワイフがみつけてきた。ジョルジ・クレランという画家の作だった。サラベルナールはロートレックがよく描いていたので知っていた。工芸品ではエミールガレが目立っていた。陶磁器や七宝もあり、いろいろ楽しめた。

建物自身も、すばらしく、回廊のある中庭もあったりして、19世紀の世界に紛れ込んだような気がした。こういう建造物を美術館に提供しているのだから、やっぱりパリは芸術の都と呼ばれるのに相応しい都市だと思った。

プティパレは、セーヌ川沿いにあり、一番うつくしい橋といわれる、アレクサンドル三世橋もすぐ傍だ。エッフェル塔もみえる。この橋も、グランパレ、プティパレ同様、1900年パリ万博のときに建造されたそうである。エッフェル塔は、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のときに建てられている。1900年万博を終えたあと、壊されようとしたことを、江戸東京博物館の”ザ・タワー展で知った。この橋を渡り、川沿いを左に10分も歩くとオルセー美術館に着く。


プティパレ


プティパレ内部


中庭


ラヴアクールの日没(モネ)


ルノアール


ピサロ



サラベルナールの肖像(ジョージ・クレラン)奥に掛る絵


こういう絵も(汗)


子供たちもいるのに(笑)


グランパレ


アレクサンドル三世橋


エッフェル塔もみえる




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パリ・マルモッタン美術館の”日の出・印象”

2012-04-28 18:48:48 | Weblog
ブーローニュの森に近い、高級住宅街として知られるパリ16区に、その美術館は佇んでいる。歴史家ポール・マルモッタン(父親は実業家)の邸宅だったところで、蒐集した美術品と共に、フランス美術アカデミーに譲与され、今日のマルモッタン美術館に至っている。その間、モネの息子、ミシェルの父親の作品群の遺贈などもあり、モネなど印象派フアンには見逃せない美術館になっている。

とりわけ、”印象派”という言葉を生んだ、モネの名作”日の出・印象”が所蔵されているので有名だ。ぼくも、この作品が大好きで、この美術館で”日の出”を観るのを楽しみにしていた。この美術館では、この絵を観るだけでいいとさえ思った。地下のモネの展示室に、その絵は、美術館の代表作であるのに、ほとんど”ひそやかに”といった感じで、その姿をみせてくれた。大物なのに大物ぶらない絵だった。そういえば、この絵がはじめて展示されたとき、子供が描いた絵のようだ、とまで酷評された。人の評価なんてあてにならないと、この絵はささやいているのだろう。だからこんなに慎ましくみえるのだ。

モネの一連の睡蓮の作もあるが、晩年、白内障に罹り、ほとんど見えない目で、描いた”睡蓮”が印象的であった。赤く塗られたキャンパスの中に、ぼんやりと太鼓橋らしい橋や池の睡蓮らしき物が浮かんでいる。まるで、モダンアートのようだ(笑)。ほかに、ルーアン大聖堂、サンラザール駅などもある。一階には、シスレー、ルノワール、ピサロなどの作品も。ちょうど、ベルト・モリゾ特別展も開催されていた。ベルト・モリゾは、マネのモデルもしていたから、その肖像画はよく知られている。オルセー美術館にある。写真をみると、肖像画そっくりな美人で、身体も、モデルさんのようにすらりとしている。展覧会では、たくさんの作品が展示され、穏やかな気持ちになるようなものばかりだった。可愛い娘さんをモデルにしている絵も多く、身近な、家庭的な作品ばかりだった。いくつか気に入った絵ハガキを買ってきたので、載せておく。ぼくはあまり知らない画家だったが、ここでフアンになった。”日の出”がお近づきの縁となった(笑)。

元邸宅なので、建物の内装や家具や装飾品なども、見ごたえがあったが、撮影禁止なのが残念であった。 地下に降り、もう一度、”日の出”をみて、ぼくはマルモッタン美術館を離れた。

・・・・・

日の出・印象



白内障のモネが描いた”太鼓橋”



ベルト・モリゾ展から





マネが描いたベルト・モリゾの肖像画


マルモッタン美術館


ベルト・モリゾ展
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サウンド・オブ・サイレンスから連想する映画といえば?

2012-04-28 07:06:58 | Weblog
サイモン&ガーファンクルの”サウンド・オブ・サイレンス”が流れてくる映画というと、なんでしょうか?・・・(サイレンス)・・では、第二ヒント、加えて、”スカボロー・フェア”も流れます。・・・(サイレンス・・・では、第三ヒント。”ミセス・ロビンソン”も。・・・ここまでヒントを出してわからない人は、ダスティン・ホフマン主演といっても、はあ?と首をかしげるアラフォー以下の若い人かもしれない。答えは”卒業、The Graduate”です。

鎌倉市川喜多映画記念館で”映画の都ハリウッド/華やかなるスターの世界”展が開催されている。三か月の開催期間中、”風と共に去りぬ”など14本の映画が上映される。今日の上映が”卒業”だった。1968年上映だから、ぼくは劇場でみている。その後もテレビでみたりしているが、スクリーンで観るのは、うん十年振りになる。

いきなり、サウンド・オブ・サイレンスが流れ、主人公のベン(ダスティン・ホフマン)が東部の名門大学を卒業して故郷に戻るところから、この物語は始まる。まさにぼくと同年代の若者が主人公だ。大学卒業後の進路が決まらない、まじめな性格のベンに欲求不満の(笑)、両親の友人であるミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)が誘惑する。ところが、ベンの両親は、バークレーの大学を卒業するミセス・ロビンソンの娘さん、エレイン(キャサリン・ロス)を気に入っていて、息子と結婚させたいと思っている。

幼馴染のベンとエレインは故郷で再会、互いに好意をもつが、ミセス・ロビンソンの邪魔が入り、ぶち壊される。母とベンの不倫を知ったエレインは、ベンとの結婚をあきらめ、バークレーに戻り、医学生とつきあいはじめる。ベンは、あきらめきれず、バークレーの安アパートを借り、エレインを追い掛け回す。エレインも心の奥ではベンに好意を持ち続けている。物語の節目、節目に”スカボロー・フェア”が流れる。そして、アクセントとに、”ミセス・ロビンソン”も。

そして、有名なラストシーン。内緒でサントバーバラの教会で結婚式を挙げている、エレインのところに駆けつけるベン。教会のガラス窓を叩きながら、”エレイン”と叫ぶベン。一瞬、戸惑うエレインも、”ベン”と大声を上げ、花嫁姿のまま、ベンのところへ駆け寄る。そして、鬼の形相のロビンソン夫妻の引き止めを振り切って二人は逃げる。助け舟のように、ちょうどやって来た長距離バスに乗り込む。怪訝な顔の乗客の中で、後部座席に座り、微笑む二人。そこへ、サイモン&ガーファンクルの”サウンド・オブ・サイレンス”が小気味よく流れてくる。青春の一途さに、うらやましくもあり、思わず目頭があつくなってしまう。

映画の中で流れ続けた、サウンド・オブ・サイレンス、スカボロー・フェアそしてミセス・ロビンソンの三曲は、まさにぼくの青春時代、楽しいとき、苦しいとき、いつもどこかで耳にしていた曲だ。約2時間、ぼくの心の中は昭和40年代の空気ですっぽり埋まっていた。

外に出ると、雨が上がっていた。八幡さまの段蔓のツツジは大分、花をつけていた。








the sound of silence

Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence







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パリ・オルセー美術館の輝き

2012-04-27 10:14:27 | Weblog
パリに旅立つ直前、2年間に渡る改装工事を終えた、新生オルセー美術館を紹介するテレビ番組をみた。そのとき、最初に映された絵画が、ルノアールの”ムーラン・ド・ギャラット”だった。青みがかった深いグレーに変えられた壁色の部屋にその絵は飾られていた。天井からは自然光が入り込み、そしてスポットライトの光も当てられている。実に鮮やかに、絵は輝いてみえた。だから、今回のオルセー見学で、一番の楽しみはこの絵だった。

モンマルトルの丘の、野外舞踏場の賑わいを描いた、ムーラン・ド・ギャラット。舞踏場で、楽しげに踊ったり、語ったりしている人々の衣服に、地面に木漏れ日がが降り注いでいる絵だ。その木漏れ日が、本物のようにゆらゆら揺れながら、光り輝いている。木漏れ日好きな、ぼくが言うのだから間違いない(爆)。馬子にも衣装というが、絵にも衣装が必要なのだ(へんなたとえかな)。その左側の壁にも、ルノアールの”ぶらんこ”が飾られている。こちらの木漏れ日も同じように輝いていた。期待通りの満足感が得られた。

”ムーラン・ド・ギャラット”(オルセーは撮影禁止なので別冊太陽/パリ・オルセー美術館より。以下同様。


”ぶらんこ”


ぼくはどういうわけか、少年時代から、モネの日傘の女が好きで、老年時代の今も(汗)複製だけど、書斎に飾っている。オルセー美術館の左向きの方だ。だから、この絵もお目当てのひとつ。はじめに入場したとき、右向きの日傘の女しかいなかったので、少しさびしい思いをしたが、一週間後、訪ねたとき、お揃いだったので、やったと、ダルみたいに軽くガッツポーズした。モデルはモネお気に入りの18才の女性だ。セーヌ川の中の島の土手に立っている。去年観た、ロンドンナショナルギャラリーの”日傘の女、モネ夫人と息子”はアルジャントウイユ(パリ郊外、この旅行で訪ねた)で制作された。日傘の女の近くにあった”ひなげし”も好き。ひなげしといえば、今では、日本でも雑草化し、どこでもみられるが、20年ほど前には珍しかった。その頃、イタリアの田舎でみた、野原いっぱいのひなげしの花には感動したものだ。この絵が頭にあった。

”日傘の女”


”ひなげし”


印象派の先駆者、マネも好きな画家の一人。挑戦的な生き方、挑戦的絵画がいい。オルセーに、世間を騒がせた絵が二つある。ひとつは”オランピア”。オランピアは当時は誰でも知っていた娼婦の源氏名。画中の黒人女性や花束、黒猫(写真では黒バックに隠れてしまった)は性的な意味をもつ。もうひとつは、”草上の昼食”。着衣の紳士と一緒に、娼婦と思われる裸の女子がいて、こちらに目を向けている。マネの絵では、ロンドン・コートールド美術館所蔵のフォリーベルジェールの酒場が一番好き。また、マネは、弟の妻となった女流画家、ベルト・モリゾの肖像画を描いていて、その絵はオルセーにもある。ベルト・モリゾ自身の絵も展示されている。

”オランピア”


”草上の昼食”


ゴッホの部屋も多くの観客でにぎわっていた。名画がたくさん。ここでは自画像だけ載せる。別の記事、”ゴッホ終焉の地”で実際の景色と絵を並べて紹介したい。


以下、オルセーの名画の数々

印象主義以前

アングル ”泉” アングルも好きになった。


ミレー ”落穂拾い” ”晩鐘”は展示してなかった 子供時代からミレーは好き


”羊飼いの少女”


印象主義

ドガ ”浴盤” エトワールは展示していなかった


ベルト・モリゾ ”揺りかご” ベルト・モリゾ展が別の美術館であったので、のちほど紹介します


印象主義以降

セザンヌ
”トランプをする男たち”


”水浴する男たち”


ゴーガン ”タヒチの女たち”


新印象主義

スーラ ”サーカス”


ロートレック ”女道化師”


ルソー ”蛇使いの女”


ギュスターブモロー ”オルフェウス” ギュスターブモロー美術館にも行ってきました、のちほど。


・・・・・
印象派画家たち(ルノワール、モネ、ピサロ、ドガなど)を財政的に支援した画商であり画家、カイユポット

”床に鉋をかける人々”


彫刻もいっぱい。オーギャスト・クレザンジュ ”蛇に噛まれた女” へびになりたい(汗)。ロダン美術館にも行ったので、ロダン作品はそのときに。



何度でも行きたい美術館でした。




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パリ・オランジュリー美術館の大睡蓮

2012-04-26 09:30:03 | Weblog
オランジュリーは”温室”を意味する。その温室に花咲く睡蓮には度肝を抜かれた。だって、その”温室美術館”の二つの楕円形をした大きな部屋には、モネが86歳で他界するまでジベルニーで制作した睡蓮が朝昼夕など様々な背景の中で咲いているのだから。全部で8点の大作で構成されている。モネ好きのぼくには、この上のない幸せだった(ほかの美術館でもモネの作品をたっぷり観ることができて、大満足だった)。この部屋だけ写真を撮れなかったのが残念。オランジュリー美術館について、もう少し、説明すると、ここの前身はコンコルド広場の隣、チュイルリー公園内にあったチュイルリー宮殿のオレンジ温室(オランジュリー)なのだが、1927年、モネの”睡蓮”の連作を収めるために美術館として整備されたのである。はじめはモネのためにつくられた特製美術館なのだ。そのあとさらに整備されていく。

まず、図録から睡蓮の部屋の一部と作品を。







この睡蓮を観るだけで十分なのに、印象派後期からエコール・ド・パリの傑作を集めたポール・ギヨーム・コレクションを見ることができる。ここでは撮影OKなので、ぱちぱち撮った。ポール・ギヨームとは、こういうとぼけた顔の男(爆)。でも、奥様は美人です。うちもそうです(爆)。ぼくは、最近、コレクターに最大の敬意を払うようにしている。その人たちのおかげで、こうした名品をみることができるのだから。ギヨームさんのことだけでも、一本の記事にしたいくらいだけど、それをやっていたら、今回のパリ旅行報告はいつまでもたっても終息せず、ひょっとしたら、2年位後に予定している”再訪パリ”の頃になってしまうかもしれないので省略します(爆)。


モディリアーニ作 ”ポール・ギョーム”

ドラン作 ”大きな帽子を被ったポール・ギョーム夫人”



ビッグネームの作品が次々と出てきます。ルノワールのでぶの裸婦(笑)や可愛い子供、セザンヌの、不揃いのりんごやりんごのような奥様や風景など。ぼくの好きなマリー・ローランサンの影の薄い女とか、ピカソの珍しい、お相撲さんのような裸の女とか、税理士ルソーの人形を抱く子供とか。画名は省略します。


ルノワール





セザンヌ







マリー・ローランサン




ルソー


ピカソ


モディリアーニ


マチス


ドラン


ユトリロ


スーティン


ドビッシー特別展も開催されていた。




すばらしい美術館でした。


そして、ぼくらは近くのオルセイ美術館に向かった。


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大船フラワーセンターの華 シャクナゲ&チューリップ

2012-04-25 17:26:28 | Weblog
ダルの快投に満足して、午後はふらりと大船フラワーセンターに出掛けた。お目当てはシャクナゲとチューリップ。期待通りに咲いていてくれた。









大船フラワーセンターは50周年を迎えている。おめでとう。



そして、今はイースター(復活祭)でもある。巴里もイースターで2週間の休みに入っていた。祭りのシンボル、うさぎちゃんがいた。


気になる木を訪ねた。

倒木大島桜、今年も元気に花を咲かせてくれた。少しの残り花とさくらんぼがいっぱい。



ひねまる子ちゃんは、いつもの通り、まだ芽を覚ましていない。センターで一番のねぼすけ、枝垂れえんじゅ。



次の女王は誰か

もうだいぶ開いてきた牡丹。


そして藤。巴里の藤はもう満開だった。

ここの藤



巴里の藤





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ダルビッシュ ヤンキースを”完封”

2012-04-25 13:13:07 | Weblog
午前中の記事で予告したように、ダルビッシュが強力打線のヤンキースを8回1/3まで見事、”完封”したので、早速、記事にしている(笑)。実はダルの出場試合の中継をみるのは、今日が初めてであった。初登板の日は、巴里に向かう日で、午前中に成田空港でテレビ観戦できると期待していたが、残念ながら、どこの待合室のテレビもつまらないビデオを流していた。日本中が関心をもっているスポーツや事件などは、放送して欲しいと思う。気が利かない空港だ、とイカっていたら、どこかのおっさんも、テレビ放送がないのを知り、ちっと舌打ちして、早速、家族に電話をかけていた。”えっ?2回でもう5失点”の声が聞こえた。ああ、負け投手かと、思っていたら、パリで勝ち投手になったニュースを知り、驚いた。二試合目はパリ滞在中だから見られない。そして2勝目をあげた三試合目は、帰国した日で、帰宅後に結果を知った。今日の試合は、万難(遊びのスケジュール;汗)を排して、テレビ観戦と決めていた。相手はヤンキース、それも先発ピッチャーが黒田だ。こんな、すばらしいお膳立てはない。もし、松井がヤンキースにいてくれたら、とは思ったが、それは贅沢というものだろう。

お膳立てだけではなく、試合内容も、これ以上はないというものだった。ダルの直球と変化球が冴えわたり、ジーターには打たれたけれど、並み居る強打者を相手に三振の山、好調時の日ハム時代のダルを彷彿させる快刀乱麻だった。一方、黒田も、やはり強力打線のレンジャーズを7回途中まで2失点の好投で、試合をつくった。黒田の好投があったからこそ、緊張感をもってダルが9回途中まで投げられたのだと思う。できれば、本当の”完封”をして、先日、プロ初完封した、日ハムの後輩、斉藤祐樹に続きたいところだった。

早くも、3勝。この分なら、20勝も夢ではない。松坂大輔もいよいよ、5月にはメジャーに戻ってくるらしい。さすれば、ダル対松坂の夢の対決も。そのときは、是非、現地に飛んで、観に行きたい。 できれば、ボストンで試合をしてほしい。ボストン美術館にも行けるから。



ジーターと対決するダル
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新宿御苑 八重桜、ツツジ、ハナミズキ、ハンカチノキ、ニリンソウそして新緑

2012-04-25 07:35:47 | Weblog
パリの美術館巡りの記事を書かなくてならないのに、また違う記事を書いている。でも、これだけは後回しにするわけにはいかない。花見情報だ(汗)。昨日、ワイフと新宿御苑に出掛けた。お目当ては、もちろん八重桜。八重桜といえば、大阪が造幣局なら東京は新宿御苑と相場が決まっている。品種数では大阪には敵わないけれど、イチヨウ、カンザン、フゲンソウ、ウコンなど、少数の品種ながら、広い園内に大木の八重桜が咲き揃う、優雅な姿は、毎年のように訪ねないわけにはいかない。それにこの季節は、花見好きを喜ばせるハナミズキも咲き始めるし、新宿門近くのハンカチの木も、白いハンカチをひらひらとさせて花見好きの鼻をくすぐる。そして、池の向こうのツツジも、八重桜のあとはわっち にまかしておくれやす、と咲き始めるんでありんす。加えて、新緑。フランス庭園のプラタナスの並木も、ぼくの見てきたパリのそれより、遅れてはいるものの、小さな新緑をつけ始めてきた。

昨日は、暖かくて、陽春という言葉がぴったりの日だった。写真をいっぱい撮ってきましたので、おみせしますでありんす。

八重桜の巻 (一部、一重も入っていますが)



幼稚園生もいっぱいでちゅ。トキのひな三羽、がんばってね。











散る桜残る桜も散る桜




のんきな父さん ♪まるかいて チョン たてたて よこよこ まるかいて チョン のんきな 父さん 毛が三本 毛が三本 毛が三本 よくよく見たら 奥さんだ♪


つつじの巻



ハナミズキの巻





ハンカチの木の巻




二輪草の巻 ワイフが咲いている場所を知っている。川中美幸の”二輪草”は、おふくろのカラオケのおはこだった。とくに親父が亡くなったあとよく歌っていた。
♪あなたおまえ 呼んで呼ばれて寄り添って やさしくわたしをいたわって 好きで一緒になった仲 喧嘩したって背中あわせの ぬくもりがかようふたりは ふたりは二輪草♪



新緑の巻







このあとは、新宿のシネマ館で、"レオナルドダビンチ展 in シアター"を観てきた。これもよかった。これも記事にしなければならない。それに、これからダルと黒田が投げ合う試合もある。もし、ダル完封ということになれば、これも今日中に記事にしなくては。ああ、ますます巴里記事が遠ざかってゆく。次はオランジェリー美術館を書くつもりなのに。モネの睡蓮の部屋、よかったなあ。


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