ボクは旅好きな方ですが、船旅は、まだ一度もしたことがありません。竹芝桟橋から伊豆大島への”船旅”はありますが(笑)。気まま生活に入ってから、一度、船旅なるものを試してみたいという気持ちがふつふつと湧いてきておりました。ワイフも同様でした。
たまたま、あの飛鳥II に2泊だけできるツアーがあることを知り、渡りに舟と参加したのでござんす。28日午後に、小樽港に寄港している飛鳥II(すでにウラジオストク方面を回って、横浜に帰る途中)に乗船して、日本海から津軽海峡を経て、太平洋を南下、翌々日の、土用の丑の日(鰻が好きなもんで。ついでながらに、小林秀雄さんは辻堂の”うな平”によく行かれたそうです)に横浜港に到着するというコースです。お試しコースといったところですね。
結論を先に言いますと、なかなか船旅も面白い、もう少し長い期間のも試してみたいなと思いました。これなら、お年寄りが喜ぶはずだと思いました。とゆうことは、ボクもお年寄りグループに足を踏み入れようとしている(微妙な表現)証拠でしょうね(笑)。
さて、ボクらはちょうど”潮まつり”が開催されている小樽の町を散策して、この飛鳥IIの”生みの親”会社、旧日本郵船小樽支店の石造りの建物(重文です、ついでながら、裕ちゃんのお父さんもここの支店長をされていたのですよ)を見学したり、北一硝子で緑色のぐいのみ(お酒を入れると本当いきれいな緑色になります)を買ったり、本場の寿司を食べたりして、午後3時頃には乗組員が出迎えてくれている飛鳥II(写真)に乗り込んだのでした。
部屋は9デッキ(階)にある普通のタイプ。なななんと、これが船上の部屋か、地上のホテルの部屋を切り取ってきたみたい、ツィンベッドにバス付き、2脚の椅子とテーブル、バルコニーまでついている、もちろんテレビも冷蔵庫もある、横浜の氷川丸の船室とはえらい違いだ(あたりまえだの声)、”動くホテル”の異名もあるそうだが、その通りだと思いました。
セイルアウェイ・パーティーがプロムナードデッキで始まります、のアナウンスがありましたので、行ってみますと、もう大勢の人が集まっていて、シャンパンやジュースを飲みながら、港で見送る人たちに手を振ったり、ポールアンカのダイアナの演奏に合わせて腰を振ったりしていました。ついでながら、四半世紀も前ですがボクはラスベガスのホテルで本物の(全盛期をすぎた)ポールアンカの歌を聴いたことがあるんですよ。ボクもムカシを思い出しながら、ダイアナの曲に調子に合わせながら、そして、ぐいとシャンパンを飲み干したのでした。馴染みの軽音楽が次々流れ、だんだん遠くなってゆく小樽の港。ボーボーボーと汽笛の音。なかなか情緒ある出航風景なのでございました。
5時半から、5デッキのフォーシーズンダイニングルームで和食膳の夕食。700名もの乗客がいますので、2組に分かれての食事で、ボクらは早い組というわけです。お食事も最高、お酒もうまい、そして、何よりのごちそうはオーシャンビューです。どちらを見ても、太平洋の大海原。毎食こうなんですから、海好きな人(嫌いな人はいませんね)には、こたえられませんね。この日は曇天でしたが、晴れていれば、夕陽もみえたでしょうし、もっと、すばらしかったと思います。クルーズの一番の楽しみでしょうね。テーブルは夫婦二人だけの席(不倫のお二人でも、もちろん構わないですよ、笑)や、大勢用の丸テーブル、いろいろあり、自由に座れます。長い船旅ではこういう席でお友達ができるようです。ボクらは二人席でゆっくり。
夕食後は、演芸会(桂藤兵衛師匠の落語と橘右楽師匠の寄席文字)を楽しみました。そのあと、別の会場で、ハワイアンのショーがあったのですが、これはパスして、12デッキのグランドスパへ。ここはボクが一番気に入ったところ。それこそオーシャンビューのお風呂です、江ノ島のスパのようです。早朝から夜中まで、いつでも入れます。その隣りには資生堂のエステもありました。
翌日は、いろいろなイベントを覗いてみました。コーラスや社交ダンスの講習にちょっと参加したり、ピンポンをしたり、甲板一回り440メートルを5周のウオーキングをしたり、ラスベガスやリノを思い出しながらカジノをしたり(もちろん賭け金なしですが)、遊び回りました。映画もありましたが、時間がなくてみられませんでした。バーやクラブや寿司屋さんもあり、長期乗船者も飽きないようになっています。それとボクが気に入った図書室もありますし、コンピューター室もあり、頭の体操もできます。
そして、明朝お別れとなる、この日の夕方、メインイベントがいよいよ始まりました。
(つづく)
・・・・・・
これから出掛けなくてならないので(うな平に)、この続きは今晩か明日に更新しますね。
たまたま、あの飛鳥II に2泊だけできるツアーがあることを知り、渡りに舟と参加したのでござんす。28日午後に、小樽港に寄港している飛鳥II(すでにウラジオストク方面を回って、横浜に帰る途中)に乗船して、日本海から津軽海峡を経て、太平洋を南下、翌々日の、土用の丑の日(鰻が好きなもんで。ついでながらに、小林秀雄さんは辻堂の”うな平”によく行かれたそうです)に横浜港に到着するというコースです。お試しコースといったところですね。
結論を先に言いますと、なかなか船旅も面白い、もう少し長い期間のも試してみたいなと思いました。これなら、お年寄りが喜ぶはずだと思いました。とゆうことは、ボクもお年寄りグループに足を踏み入れようとしている(微妙な表現)証拠でしょうね(笑)。
さて、ボクらはちょうど”潮まつり”が開催されている小樽の町を散策して、この飛鳥IIの”生みの親”会社、旧日本郵船小樽支店の石造りの建物(重文です、ついでながら、裕ちゃんのお父さんもここの支店長をされていたのですよ)を見学したり、北一硝子で緑色のぐいのみ(お酒を入れると本当いきれいな緑色になります)を買ったり、本場の寿司を食べたりして、午後3時頃には乗組員が出迎えてくれている飛鳥II(写真)に乗り込んだのでした。
部屋は9デッキ(階)にある普通のタイプ。なななんと、これが船上の部屋か、地上のホテルの部屋を切り取ってきたみたい、ツィンベッドにバス付き、2脚の椅子とテーブル、バルコニーまでついている、もちろんテレビも冷蔵庫もある、横浜の氷川丸の船室とはえらい違いだ(あたりまえだの声)、”動くホテル”の異名もあるそうだが、その通りだと思いました。
セイルアウェイ・パーティーがプロムナードデッキで始まります、のアナウンスがありましたので、行ってみますと、もう大勢の人が集まっていて、シャンパンやジュースを飲みながら、港で見送る人たちに手を振ったり、ポールアンカのダイアナの演奏に合わせて腰を振ったりしていました。ついでながら、四半世紀も前ですがボクはラスベガスのホテルで本物の(全盛期をすぎた)ポールアンカの歌を聴いたことがあるんですよ。ボクもムカシを思い出しながら、ダイアナの曲に調子に合わせながら、そして、ぐいとシャンパンを飲み干したのでした。馴染みの軽音楽が次々流れ、だんだん遠くなってゆく小樽の港。ボーボーボーと汽笛の音。なかなか情緒ある出航風景なのでございました。
5時半から、5デッキのフォーシーズンダイニングルームで和食膳の夕食。700名もの乗客がいますので、2組に分かれての食事で、ボクらは早い組というわけです。お食事も最高、お酒もうまい、そして、何よりのごちそうはオーシャンビューです。どちらを見ても、太平洋の大海原。毎食こうなんですから、海好きな人(嫌いな人はいませんね)には、こたえられませんね。この日は曇天でしたが、晴れていれば、夕陽もみえたでしょうし、もっと、すばらしかったと思います。クルーズの一番の楽しみでしょうね。テーブルは夫婦二人だけの席(不倫のお二人でも、もちろん構わないですよ、笑)や、大勢用の丸テーブル、いろいろあり、自由に座れます。長い船旅ではこういう席でお友達ができるようです。ボクらは二人席でゆっくり。
夕食後は、演芸会(桂藤兵衛師匠の落語と橘右楽師匠の寄席文字)を楽しみました。そのあと、別の会場で、ハワイアンのショーがあったのですが、これはパスして、12デッキのグランドスパへ。ここはボクが一番気に入ったところ。それこそオーシャンビューのお風呂です、江ノ島のスパのようです。早朝から夜中まで、いつでも入れます。その隣りには資生堂のエステもありました。
翌日は、いろいろなイベントを覗いてみました。コーラスや社交ダンスの講習にちょっと参加したり、ピンポンをしたり、甲板一回り440メートルを5周のウオーキングをしたり、ラスベガスやリノを思い出しながらカジノをしたり(もちろん賭け金なしですが)、遊び回りました。映画もありましたが、時間がなくてみられませんでした。バーやクラブや寿司屋さんもあり、長期乗船者も飽きないようになっています。それとボクが気に入った図書室もありますし、コンピューター室もあり、頭の体操もできます。
そして、明朝お別れとなる、この日の夕方、メインイベントがいよいよ始まりました。
(つづく)
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これから出掛けなくてならないので(うな平に)、この続きは今晩か明日に更新しますね。