気ままに

大船での気ままな生活日誌

東慶寺 雪景色

2012-02-29 17:47:30 | Weblog
そして、東慶寺へ。

まだ咲かない梅の花の代わりに雪の花が


見事な枝ぶりどす


雪の袈裟を


美乳岩 雪のブラを期待していましたが(汗)


ばかなこと言ってと微笑みを下さる


紅梅はうるわしい白雪と妍を競って


粋な黒塀と婀娜な白雪にはさまれて まんさくの花 


鐘楼と雪の別れ


そして、大船に。大船観音さまはもともと雪のような白い肌ですので、雪が降ろうが、槍がふろうが。

大船撮影所跡地のひばりちゃんは、キッドになって雪だるまと遊んでいました。


楽しい雪景色見物の一日でした。

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円覚寺 雪景色

2012-02-29 16:45:20 | Weblog
そして、円覚寺へ。

入口で


山門


仏殿よこの梅


選仏場で


国宝 舎利殿


仏日庵


黄梅院







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かまくら 雪景色

2012-02-29 16:07:53 | Weblog
ひとつおまけの冬の日に、雪景色をみさせてもらいました。
まだ降り続く、午後、かまくらの雪景色を楽しんできました。

まず、鎌倉駅前の大巧寺から。






梅と松よ椿と







鎌倉駅


駅のホームから


文字通り白いホテルに。 女性専用のホワイトホテル



そして、北鎌倉へ。
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熱海梅園&熱海桜 見頃に

2012-02-28 21:22:11 | Weblog
今年は、全国的に梅の開花が遅れている。熱海も例外ではない。毎年のように訪ねる熱海梅園と糸川沿いの熱海桜。今年は、やきもきしていたが、もういいだろうと、ワイフと出掛けた。大船から踊り子号に乗ると、わずか40分で熱海に着く。そして、待っていてくれたように、梅園行きのバスが出る。15分もすると、もう熱海梅園だ。バスを降りると、もう見頃だというのが、すぐわかる。ピンクと白の梅の花が重なるように咲いている。

二月も末になると、通常なら、もう見納めの頃だ。さまざまな梅まつりに合わせた行事、たとえば熱海芸妓連の踊りや野点茶会などの予定はもう終わっていた。だから、園内は今が旬なのに、お客も少ないし、お店もいくつも出ていない。でも逆にいえば、ゆっくりと梅の花を楽しむことができた。早咲きが6,7分咲き、遅咲きは二、三分咲きというところだろうか。だから、まだ遅くはありません、これからです。でも今日が最高の”梅日和”だったと思う、天気も良かったし。

そして、熱海、街中の糸川沿いの熱海桜。ここも、いつもに比べて、大分遅れて、花が開いた。そして今がほぼ満開。今年も観られてよかった。花見の後は、いつもの中華料理屋さんで、ビールとランチ。そのあとは、お決まりのMOA美術館。楽しい一日だった。

熱海梅園の風景









大杯スイセン


カンザキアヤメ


”絆”の二本松


熱海桜
市役所前


糸川沿い





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原節子の”白痴”を観る

2012-02-28 09:02:20 | Weblog
ドストエフスキー原作、黒澤明監督、原節子主演と、3人のビッグネームの並ぶ映画、”白痴”をはじめて観ることができた。鎌倉駅前のホールで、”第七回鎌倉名画座”で、松坂慶子主演”蒲田行進曲”と共に上映されたのだ。

1951年作だから、原節子31歳のときである。戦犯と疑われ、銃殺刑寸前に容疑が晴れて生還し、しかしそのときの後遺症で癲癇性の白痴になった森雅之がはじめて原節子に出会うシーン。森雅之は原節子の目を、穴のあくほどみつめる。驚いたような顔をしている。銃殺刑の自分の前の女の目とそっくりだったのだ。驚いたのは森雅之だけではない。ぼくもいささか驚いた。こわいような、あやしいような、小津作品ではぜったいみられない原節子の目だった。

原節子は政治家、柳永次郎に囲われている愛人。柳はそろそろ手切れ金で別れようと画策する。そこに、原節子を慕う若き日の三船敏郎が登場する。原節子は”白痴”の森雅之に心ひかれている。森も原には一目惚れだったが、気のつよい久我美子と婚約している。彼らの愛憎激が雪の降りしきる札幌を舞台に繰り広げられる。古い洋館の中でのやりとりが多く、舞台劇のようだった。悲劇的結末に終わるが、森雅之の、どこまでも限りないやさしさが胸をうつ黒沢作品だった。

原作ではナスターシャに当たる那須妙子役の原節子。普段とは違う役柄を見事にこなした。写真集などで、ちょっと怪しい黒いマント姿をしていた原節子をみていた。この映画もみたいと思っていたので、とてもうれしい。受付でもらったちらしの中に、原節子16歳の伝説の主演映画が75年ぶりに上映されるという”新しき土”があった。これも是非みたい作品だった。日独の共同監督で、日本側は伊丹万作(伊丹十三の父)だ。円谷英二も日本初の特撮で協力する。4月7日から東京都写真美術館ホールで上映されるとのこと。ぜひ行ってみよう。

.....


白痴のちらし。蒲田行進曲はみなかった。




新しき土。小百合ちゃんの16歳のときより大人びていて、きれいだと思う。やはり原節子がナンバーワンだ(汗)。


ついでに麦秋の原節子。親友役の淡島千景。淡島千景さんご冥福をお祈りします。
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香港の夜景

2012-02-27 10:59:27 | Weblog
香港といえば夜景。世界三大夜景のひとつと賞される。ナポリ、香港、函館とぼくは思っていたが、香港のガイドさんは、香港、ナポリ、ニューヨークだという。サンフランシスコ、サンパウロを入れるときもあるのだそうだ。いずれにしても、香港はベストスリーに入るとガイドさんは得意そうな顔をした。

夜景をみるポイントがふたつある。九龍半島側から、対岸の香港島の高層ビル群を観るのがひとつで、他は、香港島の丘、ビクトリアピークから眼下に広がる夜景を見物するというもの。正確にいうともうひとつの夜景見物法がある。それは湾内のハーバークルーズに乗ると、両岸の景色を楽しむことできるのだ。ぼくらは、二日目の夜、赤い帆の観光船に乗って、船上から両岸の光の乱舞(午後8時から音楽と光のショー、シンフォニー・オブ・ライツが15分ほどある)を楽しむことができた。ときどきポツリポツリくるような天気だったけれど、ネオンが瞬き、レーザービームが飛び交い、夢のような光景だった。ぼくらはとても満足して船を下りたが、ガイドさんは、これでは100万ドルの夜景とはいえない、せいぜい40万ドルだと残念そうな顔をしていた。空気が澄んだ日は、こんなもんじゃないよ、と言っていた。

ぼくらが滞在していた5日間、朝晩は霧がかかっている日が多かった。夜景見物は12月がいいらしい。4日目に夕食後のビクトリアピークからの夜景見物が計画されていた。楽しみにしていたが、雨でその上、深い霧が立ち込め、登山列車に乗って頂上(700メートルくらい)についたら、そこは雲の中だった(苦笑)。でも、名画”慕情”のロケ地になった場所を訪ねただけでも意味があると、ワイフは肯定的に考えていた(笑)。ここだけではなく、旅行期間中、病院や浜辺などいくつものロケ地を見ることができた。

ついでながら、、『慕情』(ぼじょう、原題: Love Is a Many Splendored Thing)は、1955年に公開されたアメリカ合衆国の映画。ベルギー人と中国人の血を引くハン・スーインの自伝をもとに映画化された。サミー・フェイン作曲による主題歌は映画音楽史上の名作と言われる。第二次大戦終了後のイギリスの植民地の香港で、ヒロインのハン・スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)は勤務医をしている。夫は中国国民党の将校で国共内戦で戦死していた。そこで、アメリカ人の特派員マーク・エリオットと知り合い、二人は恋に落ちる。しかしエリオットは別居中の妻がシンガポールにおり、離婚の話し合いのためシンガポールへ行くがうまくいかず、二人の関係は香港で噂となる。間もなく中国大陸の殆どの地域は国共内戦の末に中国共産党率いる中華人民共和国が支配するようになり、ハン・スーインは中国大陸へ戻るよう説得されるが、ほどなく朝鮮戦争が起こり、エリオットは派遣されるが、そこで戦死する。(ウィキペディアより)

では、いくつかの写真を。夜景モードで撮りましたが、もうひとつ。実際の方がずっといいです。雰囲気だけでもどうぞ。


赤い帆の遊覧船で出発





シンフォニー・オブ・ライツ








ビクトリアピークからは何も見えませんでしたので、登山列車とポスターだけ(笑)




。。。。。

パソコントラブルがあり、そのほかの香港の写真はすべて失いました。
うちのパソコン君、1年前の震災直前にトラブルを起こしましたが、大地震のショック療法で回復して、今まで無病息災だったのですが。
もう少し、がんばってもらおうと思って、再セットアップしました。










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香港の休日 その一

2012-02-25 09:12:40 | Weblog
毎日が休日のぼくが、”香港の休日”なんてタイトルをつけるのはおかしいと自分でも思う(汗)。でも、毎日つづけているブログ記事を仕事と思えば、その仕事のない日々を休日といっても許してもらえるのではないだろうか。

さて、第一日目の楽しみは、はやくも機上から始まった。ふと外をみると眼下に雪山が連なっているではないか。おおっ、とぼくは身を乗り出した。空は晴れ渡り、どこまでも見渡せる。白銀の山々の合間には村落もみえる。そして遠くには、さらにスケールの大きな雪の山脈も目に入る。近くは飛騨の山々、そして向こうのは白山連嶺かと思う。空からみると、ほんとうに、日本はうつくしい国だと思う。しばらくすると、大阪湾を囲む都市が見え始め、淡路島が現れてきた。明石大橋もみえる。鳴門海峡から四国に入り、そして、九州上空へ。

しばらく、海ばかりの景色が続いたので、ワインを飲みながら、観光書などに目を通していた。そのうち、飛行機は厚い雲の中に入り香港国際空港に着陸した。空港内のお店の中に、熊本の味千ラーメンの出店をみつけワイフがすっとんきょうな声を出した。そして迎えのバスに30分ほど乗ると、九龍半島海岸沿いの、4泊する日航酒店(ぼくがいくら飲助といっても、酒屋さんに泊るわけではありません、中国語でホテルの意味です)に着いた。

部屋に案内されて、窓を開けると、海の向いに香港島のビル群が目に飛び込んできた。ここが世界に知られた”夜景の香港”だ。それが4日間、毎夜のようにみえると思うとうれしさがこみ上げてきた(実際のビューポイントは、もう少し右側だったが)。

そして8名ほどのツアー仲間と、香港ビールと紹興酒を頂きながら、夕食をともにした。そして部屋に戻り、テレビをつけると(日本のBSテレビを観ることができる)、ちょうど、東山魁夷の番組をやっていた。ぼくの好きな”年暮る”を香港で観られるとは思いもよらなかった。はじめての香港旅行、第一日目は飛騨の雪山ではじまり、雪の京都でおわった。
。。。。。

飛騨の山々と白山連峰(たぶん)




大阪湾


淡路島


吉野川か


ホテルの窓からみえる香港島


ホテルのテレビに写る”年暮る”。この一月、東山魁夷がこの絵を描いたホテルに泊ったばかり。



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氷室椿庭園の姫君たち 

2012-02-20 04:50:43 | Weblog
先日、氷室椿庭園に行ってきました。椿園の姫君たちはまだほとんど蕾のままです。咲いているのは、本来なら、秋口から咲くような品種が多いようです。それでは、姫君たちをご紹介したいと思います。

”秋の山”。名前の通り、秋に咲き始める。江戸時代につくられた品種。山種美術館の”百椿図”には載っていませんでしたが。


”菊月”。菊月とは陰暦9月のこと。これも、早くから咲き始めることから、この名がついた。開花期は11~3月。


”関東数寄屋”これも江戸系。江の島でも”数寄屋”が咲いていた。本来、12月頃から見頃に入る。


”紅妙蓮寺”京都の妙蓮寺とは関係ありません。愛知原産。


”参平椿”三平師匠とは関係ありません。どうもすみませんデス。(笑)


”近江衣”よく咲いていました。


”太郎庵”江戸中期、高田太郎庵という茶人が、愛好したとのことでこの名がある。ワイフの茶会にもこの椿が飾られていたと言っていました。


そして、”侘び助(赤)”


。。。。。

庭園内の松の緑もうるわしい。


4,5日、ブログをお休みします。では、いってきまあす。まだ夜明け前です。
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北鎌倉 早春

2012-02-19 17:05:06 | Weblog
午後の散歩は、ぼくの準フランチャイズ、北鎌倉。大船からとんでもはっぷん、電車で3分。

もう、あそこでも、ここでもひな祭り。




蝋梅は咲いたか、梅はまだかいな。浄智寺のロウバイ、東慶寺の咲かない梅。おい、そろそろ顔出してね。




あたいは咲きました。えらい。今、東慶寺での一番人気、福寿草。


いえ、一番人気はあたいどす。水月観音半跏像。


今、仏像展が。毎回、覗きます。水月観音さまに会うために。


駆け込み寺時代の資料も。川柳も。

松ヶ岡男をみれば犬がほえ
出雲にて結び鎌倉にてほどき
縁談は出雲破談は松ケ岡
すは鎌倉の大事ぞと仲人来る
松が岡経も三行半おぼへ
去り状をとるうち年が三つふけ
松が岡出づれば桃や栗が成り
(松ヶ岡とは東慶寺のことどす)


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バッハのカンタータを聞く

2012-02-19 10:16:34 | Weblog
高校の同級生がメンバーに入っている、合唱とオーケストラのグループの演奏会が、逗子であるというので友人たちと聴きにいった。このグループは、10年ほど前から”教会カンタータ連続演奏会”をつづけていて、すでに72曲のカンタータと1曲の受難曲を演奏してきたそうだ。今回は、その20回目に当たり、一応、区切りの最終演奏ということで、カンタータ115番(備えなせ、わが心よ)など4曲が演奏された。

ぼくには、カンタータは馴染みのない曲ではあるが、バッハであるし、演奏もすばらしく、ついのせられてしまい、聞き入ってしまった。ぼくは変なくせがあり、クラッシクを聞いていて、のってくると、指揮者のように膝の上の手を動かしてしまう(汗)。きっと指揮者の天分があるのではないだろうか(爆)。

アマチュアとはいえ、永年の活動でみなさんの腕前はセミプロだ。加えて。この演奏会にはプロも入っている。バッハのカンタータの独唱では右に出るものがいないといわれる(あとの飲み会で、メンバーの同級生からきいた)、ソプラノソロの藤崎美苗さん(松井冬子さん並の美人です;汗)、アルトソロの高橋ちはるさん、テノール、バスの男性陣もすばらしかった。

ヴィオロンチェロ・ピッコロの紹介もあり、興味深かった。5弦の小さめのチェロで、バッハがこの楽器のためにだけ作曲したものが、無伴奏チェロ組曲第6番だそうだ。”肩掛け《小型》チェロ”の意味だそうだが、足に挟んで演奏してくれた。

演奏会のあとは、逗子に住む高校時代の先生を囲み、先生行きつけの居酒屋でにわか同期会。○高のマドンナも参加、生徒だけでなく若い先生にも目をつけられたとか、昔話に大笑い。大勢で飲むと、どうしてこんなに飲めるのだろうか、と思う程、飲んだ。でも、二日酔いにはならなかった。朝刊の”天声人語”で、酒飲みの川柳が紹介されていた。
”肝臓に会って一献ささげたい”

朝散歩は二日酔いもなく、気分爽快だった。朝焼けがきれいだった。


わんこも散歩がしたいらしい、一緒につれてって。


音楽界に新星が現れたらしい
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