気ままに

大船での気ままな生活日誌

銀座の街角で

2011-01-31 21:59:23 | Weblog

おまえは誰だ。有楽町駅の構内で。

答えです(拡大してください)

 

おまえ、さびしそうだな。

答えです。

おまえたちは誰だ。

答えです。関係ないのも入っています。

ではおやすみなさい。

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南禅寺、青蓮院門跡、そして知恩院

2011-01-31 10:14:59 | Weblog

京都最終日。ふたつの案があった。南禅寺から哲学の道を歩き、銀閣寺のコースと、南禅寺のあと知恩院、八坂神社方面コースだった。結局、後者のコースをとった。ホテルから歩いてすぐに、南禅寺が在る。去年の晩秋、紅葉のときに訪ねたばかりだ。そのときの人出の多さに比べると、真冬の南禅寺は、万分の一と言ったところだろうか。三門前の楓林は、葉を落とした枝ばかりが目だっていた。こんな静かな南禅寺ははじめてみたとワイフが言う。ぼくもそうだ。天授庵や南禅庵や国宝方丈にも入らず、ただ境内の閑さだけを味わった。人ばかりのときは、目に入らなかった山門の柱の木目までがうつくしい姿をみせてくれた。

南禅寺を出て、しばらく歩くと、ぼくには懐かしい思い出のある、懐石料理の瓢亭の前に出た。そこから、歩みを進めると、大きな楠の木が目に入ってくる。巨木の好きなぼくは立ち止まり、見上げる。熊本城の下にも巨大な楠の木が十数本あるが、ここも、5本ほど並んでいる。壮観だ。親鸞聖人御手植えとの説明文があった。青蓮院門跡の門前である。愚管抄の作者として有名な慈円が住職をつとめたことがあるそうだ。親鸞もここに在籍したことがあり、境内に子供時代の親鸞像が建っている。蓮如もここで得度した。蓮如はこの近くで生まれている。江戸時代に仮御所になったため”粟田御所”とも呼ばれている。ここも見学者が少なく、ゆっくりと、堂内や庭を観ることができた。”青不動”さまもおられたが、暗い堂内で、あまりはっきりわからなかった。三大不動のひとつだという。襖絵の蓮がうつくしかった。

そして知恩院に向かった。身体も冷えてきたし、お腹もすいてきたので、近くの、いもぼう平野家本店で昼食をとった。いもぼう(里芋と棒鱈の煮つけ)御膳と、ぼくは加えて熱癇一本(汗)。冬のお料理だそうで、おいしかった。ここでゆっくりしたあと、知恩院の三門の楼上が特別公開していたので、昇った。楼上の中には仏堂があり、釈迦牟尼仏像と十六羅漢像が安置されている。天井には天女や龍が描かれている。柱には落書きされているが、それらを含めて国宝ですから、新たに落書きをしないでください、との説明には笑ってしまった。明治の廃仏毀釈の頃、荒れ果て、落書きされたらしい。三門はお江(ごう)のご主人、二代将軍、秀忠の建立ということだ。お江さんが、京都旅行の最後を締めくくってくれた。楽しい、真冬の京都旅行だった。

(絵ハガキから、楼上の内部)

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雪が降ってきた ほんの少しだけど

2011-01-30 18:29:41 | Weblog

大船にも、午後4時頃、雪が降ってきた。ほんの少しだけど。ちょうど大船駅にいたところだった。ふわふわした牡丹雪みたいだったので、デジカメで撮れるかも知れないと思い、試してみた。

何とかわかる。

赤い背景ならばより鮮明になるだろうと、とマクドナルドの看板を撮ってみた。はっきり捉えることができた。

大船観音さまは雪で真白になっていた(うそどす)。青空がみえ、この雪は、儚い命だということを知った。事実、半時間ほどで止んでしまった。若い頃、流行った”白い想い出”の歌を思い出した。

白い想い出

山崎唯作詞・作曲

雪が降ってきた ほんの少しだけど
私の胸の中に 積りそうな雪だった
幸せをなくした 暗い心の中に
冷たくさびしい 白い手がしのびよる

灰色の雲が 私に教えてくれた
明るい陽ざしが すぐそこに来ていると
すぐそこに来ていると

(替え歌をつくるつもりでいたが、たまには、まじめに終わろうと思った)

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日本、アジア王者に 川島ミラクルセーブ 

2011-01-30 11:15:57 | Weblog

今日は5時間しか寝ていない。でも、寝起きはすっきり。3時過ぎまで観ていて、もしこれで負けてたら、もう頭痛肩こり樋口一葉になっていただろう。負けても不思議ではなかった。それほど、あわやというシュートが豪州側に多かった。それを川島が、ミラクルといっても過言ではないセーブで失点を防いだ。神様、仏様、川島様だった。耐えに耐え、延長戦へ。そして延長後半、疲れを知らない長友の絶妙な左クロスに、フリーで待っていた、途中出場でスタミナ十分の李が、これまたミラクルといってよい左足ボレーでネットを揺らす。ゴーーーール!!!!! 

でも最後の最後までひやひや、ひや酒一杯、はら一杯(歌謡曲に疎い人のために、これは島倉千代子の”恋しているんだもん”の歌詞にからめてあるのだ)。 あと1分くらいのとき、フリーキックを豪州に与えてしまう。あわや、またもやドーハの悲劇か、悪夢がよぎる。お願い、神様、仏様、小百合さま(小百合ちゃんもスポーツ好きなので観ているはず)。直接、シュートだろう。蹴る。あああああ・・・・・・良かった。ボールは選手の石垣に阻まれた。♪祖霊(それい)まします この山河 敵にふませて なるものか 人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵 仇は敵♪ (歌謡曲に疎い人のために、これは武田節という武田信玄の歌です)

そして、終了のホイッスルが。(うれし涙)(ほっ)(うれしさが湧き上がる)・・・とうとうアジアの王者に。それにしても、一次リーグから、はらはらどきどきの連続。とっても面白い大会だった。MVPは本田。でも、川島にも上げたい。長友にもあげたい。今日のゴールを決めた李にもあげたい。韓国戦の伊野波にも、怪我して帰国した香川にも、チームをまとめた長谷部にも。そして、控えの選手全員にも。チーム青森ザックにあげたい。加えて、ドーハまで応援に出かけたサポーターのみなさんにも。

感動をザクザクありがとうございました、ザックJAPAN。




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三浦海岸 河津桜開花&初カワセミ

2011-01-29 18:27:33 | Weblog

かまくらでも河津桜が咲き始めたので、三浦海岸の小松ヶ池周辺のはどうか調査に行ってきました(汗)。咲きはじめです。開花宣言を出してもいいでしょう。1時間ほどかけて行った甲斐がありました。それと、もうひとつ、うれしいことが。小松ヶ池でカワセミの初見ができたことです。

まず、河津桜の開花状況です。多くの木は蕾ですが、いくつかの木が咲き始めたといったところです。京急沿いにありますので、赤い電車もときどき通りますが、青い、京急スカイブルートレインもはじめて観ました。先日はドクターイエロー新幹線をみたばかりで、最近、珍しい電車に出会います。幸運。

そしてカワセミ。

鳥とりトリ

クイズ

うららかで、早春のような一日でした。カワヅサクラとカワセミが観られ、こんなうれしいことはありません。うれしさ続きで、今日のサッカーも守護神カワシマで絶対勝ちます。カワヅサクラとカワセミとカワシマからすでに、今日の日本の勝利が、仕込まれている謎を解き明かしました。以下の通りです。

カワヅサクラ
カワセミ
カワシマ

カワは共通項なので一端はずします。すると、ヅサクラ、セミ、シマが残ります。これを組み換えます。
サクラヅシマセミ、すなわちSAKURA'S SHIMA SEMIとなります。”桜の島 蝉”です。”桜の島”はいうまでもなく、日本のことです。蝉に謎が潜んでいます。蝉というと?そうです、俳句に疎い人以外なら誰でも知っている句。そうです、”閑さや岩にしみ入の声”俳人も疎い人以外なら誰でも知っている芭蕉です。芭蕉→ば勝です。

すなわち、”桜の島ば勝”です。そしてここで、共通項として残しておいた、カとワを挿入します。”桜の島は(ワ)ばカ勝”。そうです、”日本はバカ勝ちする”という意味が、今日のぼくの行動に隠されていたのです。6対0くらいの大勝ちでしょう。みなさん、どうぞ安心して観てくださいね。  (まともな人)(楽天家)  疎い人)

 

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”江/姫たちの戦国”ゆかりの京の寺

2011-01-29 10:57:47 | Weblog

京都2日目は、京都駅発の定期観光バス”江/姫たちの戦国コース”で一日をすごした。ガイドさんが説明してくれて、効率的に回ってくれ、かつ有名店での昼食までついて、9000円だから安いものだ。

まず、花園の妙心寺・麟祥院の見学だ。お江さんの長男、三代将軍家光が乳母、春日局のために建立した塔頭寺院。桃山時代に建てられた御霊屋(おたまや)は仙洞女御所にあった釣殿を後水尾天皇より下賜されたもの。この中に春日局木像(小堀遠州作)が安置されている。方丈には、父(斎藤利三)と親交のあった絵師、海北友松の子、海北友雪の描いた襖絵”雲竜図”をみることができる。また、家光より賜わった”百椿図屏風”も今もまだ鮮やかだ。御霊屋前の庭園もうつくしい。ついでながら、麟祥院は春日局の法号で、湯島に同名の菩提寺がある。

順に、山門、御霊屋、庭園、雲竜図

 

つづいて訪れたのが、金戒光明寺。京都の人はくろ谷さんと呼ぶそうだ。ぼくは紅葉の頃、隣接する真如堂と共に訪ねたことがある。お城のような寺で、実際、幕末の頃、会津藩が本陣とし、新撰組の発祥の地とされる。藩主松平容保と近藤勇が対面した、特別公開方丈の虎の間(虎の襖絵)も今回、観ることができた。運慶作と伝えられる、ハンサムな獅子のお乗りの文殊菩薩像も拝観できた。若冲作鶴図屏風など”美術品”もいろいろ。紫雲の庭の眺めも良かった。さて、大河ドラマとの関連だが、お江さんの遺髪を納める供養塔がある。大きな供養塔であった。 そして、春日局の供養塔も。

時代は遡るが、平家物語。熊谷直実、若き敦盛を討ち、世の無常を感じ、出家する。鎧を掛けた松が境内に在る。

それから、光雲寺に。哲学の道近くにある南禅寺の境外塔頭である。お江さんの娘で、後水尾天皇の中宮になられた東福門和子(まさこ) が建立。うつくしい肖像画がみられる。仏殿には東福門の木像のほか、伝運慶作聖観音像、菊と葵の御紋が刻まれた仏舎利塔も拝観できる。七代目小川治兵衛作の東山を借景とする庭園もうるわしい。ここは、はじめて訪れた。お江さんのおかげである。

 

そして、最後は養源院に。三十三間堂の向かいにある。お江さんの姉、茶々(淀殿)が父、浅井長政の追善のため建立し、のちお江さんによって再建された。ここには、お江の墓とお母さんのお市の方の供養塔がある。本堂内には有名な血染めの天井がある。この血天井は伏見城攻防戦で鳥居元忠らが城を死守し、最後に切腹し飛び散った血染めの廊下の板の間を供養のために天井としたものだ。説明を受けると、武士の倒れた姿まで浮かんでくる。その血天井を意識して、俵屋宗達が杉戸に”唐獅子図”と”白象図”を描いている。襖絵は松の図であった。

お昼は妙心寺近くの、精進料理の”阿じろ”。京野菜中心のおいしいお料理だった。そのとき、料理人の方が京野菜の説明をしてくださった。実物をもちだしてきて、野球のバットのような野菜、はて、これはなんでしょう?当てた方には、これで、ぶんなぐって、たんこぶを差し上げます。答えは写真のあとにあります。

堀川ごぼうです 今日のアジアカップ決勝戦、勝利間違いないです。

GOーーーーALBOUnd(球がはねかえる) やっぱりキーパーにはねかえされ、ノーゴールで負けだろう 

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北野天満宮、上七軒そして千本釈迦堂

2011-01-28 18:15:51 | Weblog

京都の人は北野天満宮を親しみをこめて、天神さんと呼ぶ。お寺さんだけでなくデパートまでさんづけだそうだ。ぼくもこれから鎌倉の八幡さまを八幡さんと呼ぶことにしよう(笑)。その天神さんの”初天神”が1月25日に開かれているというので、京都の初日、訪問トップバッターは天神さんにすることにした。一度、訪れたことがあるが、その日は、普通の日だったから、人影はほとんどなかったように記憶している。

この日はすごかった。天満宮方面行きのバスも超満員だったし、鳥居からの参道は人人人で溢れていた。さすが、三大天神のひとつだ、それに受験シーズンということもあるだろう。まず、参道の出店や屋台の多さにびくっりした。それにお店の種類が多い。干柿、金平糖、若狭の小鯛のささ漬け、京の漬物等の食べ物から和装品、骨董品、各種道具類、射的まで、まるで出店のデパートといった感じ。これだけ見学していても楽しくなる。ワイフは好物の干柿を買っていた。ぼくは、古唐津風のぐい飲みにちょっと心を動かされたが、高いのでやめた。

ここには見事な梅園があると聞いていたので、楽しみにしていたが、開園は2月に入ってからとのこと。でも境内にも梅の木があちらこちらにあり、早咲きのがいくつか開花していた。咲きそろったら見事なものだろうと思った。社殿にお参りし、宝物殿に入った。国宝の北野天満宮縁起は、鎌倉後期の作ということだが、色もきれいで、見事だった。重文の、蒔絵の硯箱や太刀、日本書紀(兼永本)、等泊の絵馬、北野曼荼羅図、日本地図鏡など、たっぷり目の保養をさせてもらった。ついでながら、社殿も国宝である。慶長12年の造営だそうだ。どちらからみてもうつくしい。中門、東門は重文。また、何匹かの牛がいて、皆に撫でてもらっていた。

そして、祇園に次ぐ花街、上七軒の通りを歩く。室町時代、天満宮の造成で余った木材を使って七軒の茶屋をつくったのが地名の由来になっている。残念ながら芸妓さん舞妓さんには出会えなかった。華やいだ風情の街を抜けると、千本釈迦堂の、華やいだお顔(笑)のおかめ像が迎えてくれる。本堂の建築を担当した大工の棟梁がかけがえのない柱の寸法を誤って切ってしまい、困り果てていたが、妻の、おかめの、”いっそ枡組にしたら”との助言で、無事完成した。しかし、このことが知られては夫のためにならないと上棟式を前に自害した。こんな伝説があるのだ。

本堂は応仁の乱にも焼けず、創建当時の趣きを残す京都最古の木造建築で、国宝である。霊宝館には重文の十代弟子像(快慶作)や六観音像(すべてそろってあるのはこの寺だけとのこと)、千手観音等の仏像や、国宝の本尊厨子と天蓋、本堂棟木と棟札などがある。

ワイフは二度目だからいいわ、とおかめさんの横で待っていた。遠くからみると、よく似ているな、と思った。 でも心はどうか、大いなる疑問符がつく。

。。。。。

北野天満宮 (写真は拡大可能です)

参道の出店

境内

上七軒

 

千本釈迦堂(正式名は大報恩寺)

 

 

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京都旅行、報告第一弾

2011-01-28 10:20:26 | Weblog

二泊三日の京都旅行、報告第一弾(笑)。逐一書いていくと、ブログも二泊三日くらいになりそうだし、まだ、書いていないものもある。モネの展覧会のことや映画”ブスの家計簿(なまっています)”などだ。で、京都旅行のすべてを書けない可能性もあるので、安全策として、三日間の全行程のアブストラクトを記しておこうと思う。そして、暇をみてぼちぼち、各論をと考えています。

第1日。小田原からひかり号に乗る。途中、富士山は見えなかったが、関ヶ原近くで雪景色をみられたのは嬉しかった(大雪で困っている雪国の方にはすみませんが)。京都着。駅構内の松葉のにしん蕎麦を食べて、荷物を預け、行動開始。北野天満宮の初天神を見学、上七軒の色っぽい街を抜けて、おかめさんの千本釈迦堂へ。タクシーで八条口に戻り、送迎バスで都ホテルへ。夜はサッカー観戦。すごい試合でしたね。延長戦で終了直前の韓国の同点ゴールで、また”ドーハの悲劇”かと思ったが、PK戦での川島の、十二神将のような、鉄壁の守りで勝利をもぎとった。”神様、仏様、川島様”だった。おかげさまで、ぐっすり眠りました。 土曜日の決勝戦も楽しみですね。

第2日。10時京都駅発の定期観光バス”江/姫たちの戦国放映記念コース”に乗る。金戒光明寺(江ゆかり)、養源院(淀殿)、光雲寺(東福門和子)そして妙心寺・麟祥院(春日局)。お墓、供養塔だけでなく、襖絵や障壁画も良かった。お昼は妙心寺近くの、精進料理の阿じろ。京野菜中心のおいしいお料理だった。

第3日。ホテルから歩いて、南禅寺、青蓮院門跡、そして知恩院。その近くの、いもぼう平野家本店で昼食と熱癇(京都は寒いですからね)。円山公園を通りぬけて、祇園さん(八坂神社)へ。そこからバスで京都駅へ。帰りの新幹線の米原駅で停車中に黄色い新幹線が追い抜いて行った。えええっ、何?と思ったら、前の席の鉄道に詳しい年配の女性が、連れの人に説明していた。”ドクターイエロー”のニックネームをもち、線路の点検を任務とする新幹線車両だそうだ。10日に一回走り、ダイヤを公表しないため、鉄道フアンは目撃情報を互いに知らせあっているらしい。そのおばさんも息子にメールで知らせていた。この列車に出会った人は幸せになれるらしい。”幸せの黄色い電車”だ。運がよかった。

窓の外は、雪がしんしんと降っていた。その雪も岐阜羽島に着くころには止んでいた。名古屋まで各駅停車のひかり号だが、そのあとは小田原までノンストップで走って行った。

。。。。。

米原付近の雪景色です。

 

 

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真冬の京都へ

2011-01-25 06:15:43 | Weblog

これから、二泊三日で、真冬の京都へ行ってきます。雪の京都をみたいのですが、それは無理ですかね。大河ドラマ、三姉妹ゆかりの寺もひとつ候補にあげています。今日は、北野天満宮の初天神だから、そこもいいかな、梅はまだかな。近くの、上七軒の舞子さんにも会ってみたいな。

PCのお留守番は瑞泉寺の水仙や梅の花、ロウバイ、ナンテンの実にお願いしておきました。

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名曲喫茶

2011-01-25 06:10:39 | Weblog

渋谷の道玄坂の通りから百軒店入口を入ったところに、名曲喫茶ライオンがある。ぼくらの若い頃には、名曲をコーヒーを飲みながら、大きなステレオで聞かせてくれる、名曲喫茶はあちこちとは言わないまでも、結構あった。今は喫茶店といえばスタバみたいな店ばかりだ。先日、渋谷のBUNKAMURAザ・ミュージアムに”モネとジヴェルニーの画家たち”展を観に行ったときに、ふと、その喫茶店のことを思い出し、まだ”健在”だろうかと思い訪ねてみたのだ。勤務地が東京だったころ、渋谷、新宿は通勤コースだったから、よく寄り道をしたものだった。

1926年創業の、名曲喫茶ライオンは、当時のままの、というより、さらに古色蒼然とした佇まいみせながら、開業していた。うれしかった。中に入ると広い”喫茶室”は、数名のお客しかいなかったけれど、オペラの楽曲がすばらしい”立体音響”で流れていた。ぼくはコーヒーを頼み、ガスストーブの傍の椅子に座った。高い天井なので、暖房の経費を節約しているのだろう。椅子は、みな巨大なスピーカーの方に向いていて、まるで音楽会ホールのようだ。壁は黒く、照明も明るさを落としてあり、調度品も昔のままで、ふと昭和のはじめの頃の時代にタイムスリップしたような感じがした。室内撮影禁止なので、その様子をおみせできないのが残念である。

テーブルの上に置いてあったパンフをみると、毎日、午後3時と7時に”ライオンコンサート”があり、その予定が書かれている。その日はドボルザークのチェロ協奏曲ロ短調とあった。その時間以外はお客のリクエストだという。1時間ほど聞いて、外に出た。きっと経営は苦しいと思うが、歴史ある草分けの名曲喫茶としてがんばってほしいと思う。また、渋谷に来たときに寄ってみよう。

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