気ままに

大船での気ままな生活日誌

大晦日の日の出 

2009-12-31 11:12:22 | Weblog
考えてみると、ぼくはお正月元旦の初日の出を観たことが、一度もないのではないかな。お正月はほとんど実家ですごすので、三鷹時代だって、川崎時代だって、実家は日の出をみるロケーションにはない。加えて、大晦日の夜は、だいたい夜ふかししているから元旦は起きるのも遅い。

明日は、生涯はじめての初日の出をみるチャンスだと気づいた。母が逝き、実家はなくなってしまったし、お正月は我が家で迎えるのだ。我が家は、日の出をみるには最高のロケーションにあるのだ。

そう思ったら、明日の、初日の出の撮影の予行練習をしておかなければ、と7時前にガバッと飛び起き、ベランダでシャッターチャンスを狙った。雲が皆既日食のリングのように輝きはじめた。



そして北鎌倉方面の山から日の出が。2009年、最後の日の出。なんてゆうのだろうか。最終日の出?ラストサンライズ?みそか日の出?年末日の出?千秋楽結びの一番日の出?1、2の3の1番日の出?モネ(もー、ねーよ)の日の出?修学旅行日の出(むかし修学旅行列車は日の出号だった)? 本当に、一年最後の日の出と夕陽にはうるわしい名前をつけてほしいですね。


2009年、最後の富士山。ちょっと、かすんでいた。あまりいい年でなかった、ぼくに気遣ってくれているのかな。初富士はばっちりお願いしますね。


2009年どうゆう年でしたか、と尋ねられた狛犬くん。”うん”と口を結んだままだった。あうんの呼吸がわからんやつがのさばっていた年だと言っているようだった(爆)。


朝散歩でみた、散りゆく間際のもみじ葉。


一切無常 (坂村真民)

散ってゆくから
美しいのだ
こわれるから
愛しいのだ
別れるから
深まるのだ
一切無常
それゆえにこそ
すべてが生きてくるのだ
。。。。。

どうぞ来年もよろしくお願いします。
コンビニ同様、元旦から営業しますので、是非お越しください。
抽選で福袋を差し上げます。2010円相当のものです
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年の瀬のお墓参り

2009-12-30 17:34:32 | Weblog

今日は、早春のような、穏やかな一日でした。ぼくの風邪もよくなってきたし、天気もいいしで、この日しかないと、ふたりでお墓参りに行ってきました。お墓参り日和、思うことはみな同じ。たくさんの方がお参りにきていました。

母が仲好くしていた方の、ふたつのお墓の前にも、家族の方が。ぼくは面識はなく、お名前だけ聞いていましたので、軽く会釈をしました。母が会わせてくれたのでしょう。お花は、いつものと違って、お正月らしく、松の枝と南天の実が、菊の花と共に。お墓もいつもよりていねいに洗ってあげました。ただ、うっかり、母の好きだったワンカップ大関をもってくるのを忘れてしまいました。

来年になると、すぐ一周忌。本当に時のたつのは早いものです。母ももうすっかり、仏さまになりきってしまったように感じます。いいことばかりが思い出されます。

母がお寺にくるたんびに洗ってあげていた、六地蔵さま。今日はすっかりお正月用の晴れ姿でした。

大銀杏の前のお地蔵さまも、おそうじをして、銀杏の葉っぱも片づけられていました。


母とお墓参りにきたときは、帰りに武蔵小杉駅前の中華料理屋さんで、餃子でビールが定番でしたが、そのお店が最近、なくなってしまいました。で、今日はふたりで、新しいお店を開拓。いいお蕎麦屋さんをみつけました。天ザルにランチビール。ワイフはランチセット。体調が良くなったら、今度は、お酒とかまぼこ、そしてザル蕎麦でいこうと密かに考えていました(汗)。

そうそう、来春から横須賀線に武蔵小杉駅ができます。大船から乗り換えなしでいけます。

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大船 年の瀬の風景

2009-12-30 09:26:02 | Weblog
まだ微熱があり、風邪が治っていませんが、じっとしてることのできない性分なので、午後から、またブラブラ。風邪のウイルスくんも、ぼくが寝込んでいては、こいつは大分弱ってきている、もうしばらく逗留させてもらおうと思うに違いありません。だから、ぼくが歩き始めるだけでも、むむっ、こやつなかなか手ごわいぞ、早々に退散しようと思うのではないでしょうか。と、勝手な屁理屈をつけ、年の瀬の風景を楽しんできました。

上野のアメ横に行かなくても、歩いて10分、大船の仲通りを行けば、十分、年の瀬の雰囲気を味わえます。第一、毎日が年の瀬のような街ですから(汗)。いきのいい、兄さん、姉サン(ときどきじじさま、ばばさまもいますが)の呼び声。いいなあ、年の瀬って。

仲通り商店街 いつもの倍はいるかな


正月用品の出店 うちは喪中だから必要ない


花屋さんも正月仕様の生花 年末のお墓参りいかねば


魚屋さん、かんのん(観音)。ずいぶん種類が多いな。貝類も結構あって、平貝なんてばかでかいのが1個800円で売ってった。どう料理するのだろう。


ここの90歳を超えるおばあちゃんが元気な姿をみせていた。先日、ある雑誌に出ていた。かんのんは居酒屋でもあり、大船きっての人気です。ぼくもよく行きます。たいてい、ツマミはお刺身と魚フライ。お酒は茅ヶ崎の天青。昼酒はめったにやらないけど、やるときはここ。ずっと開いてる。


ここも人気の居酒屋ですが、鳥肉屋さんが経営してるので、焼き鳥がうまい。ついでに刺身までうまいので、たまには行く。でも、5時開店前に行列ができるほどで、すぐいっぱいになってしまう。

家で飲む方にはこれをお薦めします。ちょっと高いけどね。正月くらいはね。来年は気張って、万寿でいこうかな。いいことがあるように。ここのお店は天青は売ってない。"画龍天青を欠く"かな

仲通りから路地に入ると、さらにごったがえしていた。

何も買わずに、帰ってきてしまったが、悪いので、途中、家の近くのブックオフでこの本を買った。表紙の深水さんの美人画にひかれたこともあるが(汗)、嵐山さんのも結構好きで、よく読んでいる。領収書を出すと、100円引のカフェで、150円のアメリカンコーヒーを飲みながら、一気に読んでしまった。おもしろかった。おれも、来年は(も)、退歩的に生きよう、文化人にもなろう(これは無理かな)



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銀座古書の市

2009-12-29 11:33:04 | Weblog

若いころは、神田神保町の古本屋街を巡るのが好きでよく行ったものだ。今でも、嫌いではなく、鎌倉の古本屋さんをのぞくともよくある。だから、”銀座古書の市”のポスターを観て、そこをはずすわけにはいかない。銀ブラをしていた昨日、たまたま、松屋銀座の8階大催場の古書市をのぞいてきた。

古書といっても、いわゆる古本だけではなく、むしろ美術品が多く、古美術商展といった風情だった。さすが銀座で開くだけあって、値段もいいのが多い。ぼくの小遣いで買えるようなものは限られている。結局、カタログ(500円)だけしか買わなかったが(汗)、観るだけでも、とても楽しめた。

時期的には、江戸から明治、大正、昭和と多岐に渡り、売りものも、浮世絵、版画、書、色紙、短冊、さらには少女雑誌、映画ポスターまである。加えて、江戸時代の古色蒼然とした和本(古本屋さんで作家の、出久根達郎さんの講演で知ったのだが、和本はまだまだたくさん、うずもれていて、今後300年は商売できるとのこと)等、それだけでも風格のあるお爺さんの顔をみるようで楽しかった。


清方さんと松園さんの画集が、それぞれ、なんと1000円だったので、買おうかなと、ぱらぱらめくったら、だいたいぼくの持っている画集に含まれているものばかりだったのでやめた。小百合ちゃんの若いときの写真入り色紙は、数千円の値段がついていたが、これもちょっとふらりとしたが、やめた。小百合ちゃんの昔の映画ポスターもあったが、これも泣く泣くパスした(笑)。江戸名所百人美女(三代豊国)や小泉癸巳男の、昭和大東京百図絵版画なんかも良かったが、お小遣い圏外で、これは笑って(武士は食わねどたかようじ)、パスした。

熊本から出店している古書店があった。これにはびっくりした。熊本の人なら知っている、上通り(下通りと共に、一番賑やかな通り)にある舒文堂河島書店である。さすが漱石さんが住んだ街だ。ワイフが生まれた街だ(爆)。ワイフの女学校の先輩にあたる中村汀女さんの俳句の自筆の色紙もあったが、これも”みるだけ”とした。帰って、カタログをみると、額入りで65000円だった。ついでながら、司馬遼太郎色紙は26万円もする。さらに山頭火は31万円、棟方志功、58万円だった。どうやって値をつけるのだろうか。ついでながら、出店しているお店は、さすが神田が多く、5店、本郷2店、その他、早稲田(五十嵐書店)、小金井、南青山、世田谷上馬(時代や)だった。鎌倉、横浜はゼロだった。京都もなし。熊本に負けず、来年は出てきてほしい。

どなたかがおばあちゃんが蒐集した著名人の色紙が沢山あるのだけれど、観てもらえないだろうかと、書店の人に尋ねていた。書店の人は予防線をはって、今の方が知らない人の色紙では、値がつかないんですよと応答した。東郷平八郎のもあるという。”坂の上の雲”も始まっているし、買う方はいると思うと追撃していた。どうなったのであろうか。

カタログだけを買っただけだったが、これが意外な収穫物がついていた。次回の”川喜多半泥子展”の招待券2枚つきなのだ。入場券は1000円だから、500円で2000円の招待券をゲットしたことになる。これだけでも、大変、お得です。ぼくのブログ観て下さる方だけにそっと教えます。でも、明日で終幕です。

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松井秀喜 NYのファン惜別

2009-12-28 21:16:52 | Weblog



ぼくは家では朝日新聞をとっていますが、外出のときは、必ず産経新聞を買います。同じニュースでも見方がこんなに違うのか、というほど左右に分かれています。で、ぼくは朝日新聞の論調に洗脳されないように、バランスをとるため、産経新聞をみるのです、というのは表向きの理由で、本当はワンコインで買えるからです。

今日も風邪をひいているのに、電車に乗って出掛けましたが、今日の産経新聞のトップニュースににっこり。朝日では絶対トップニュースにはしないネタです(笑)。思い出すのは、どこの新聞も一面トップニュースで取り上げていた、イチローの9年連続200本安打の大ニュースを準トップ扱い、そのときのトップは、よく覚えていませんが、カメちゃんかだれかの閣僚人事予測の、それも結局ガサネタだったように思います。

前置きが長くなりましたが、NYタイムス(本当は朝日と仲がいいのですが)に寄せられた、200件近い、ヤンキースフアンの松井惜別の声の一部が紹介されていたのです。松井秀樹選手が、いかにヤンキースフアンに愛されていたかがよくわかるものでした。

見出しの”最初から最後までヒーロー”。たしかにそうでした。ヤンキースタジアムでの開幕戦に満塁ホームラン、そして最後はワールドシリーズMVP。そんな松井を何故、手放すのかと、フアンの怒りが爆発、ヤンキースのGMには耐えられない、松井の代わりにあいつを追い出せ、とか、ヤンキースは恥じ入るべきだ、何という扱いだ、松井にサヨナラを言うことで、日本人フアンに対するチームを崩壊させた、等々。

一方、松井選手に対する称賛、激励の声もいっぱい。松井は本物のプロフェショナル、どこへいってもあなたの幸運を祈っている、とか、松井は決してゴシップ記事の対象にならなかった、彼は徹底した紳士だった、等々。

まだまだ書きこみはつづいているとのこと。来年、ヤンキースタジアムでの開幕戦は対エンジェルス戦。たぶん4番、松井が打席に立ったときには、通常の大スター選手のような大ブーイングではなく、大拍手で迎えられるのではないかと思います。

”ヤンキースは馬鹿な決断”の小見出しのように、おそらく、NHKもヤンキース戦はほとんど放送しなくなり、財政的にも大損するし、ぼくのような、松井あってのヤンキースフアンは、皆、逃げ出してしまうでしょうし、目にみえない損失は計り知れないでしょう。

逆に、ロス郊外の誰も知らない町、アナハイムは、”利口な決断”をしたことになります。ホームランが出やすい球場だそうで、ヤンキース首脳陣の”馬鹿な決断”を、しまったと思わせるように、ホームラン王、お願いします、かみさま、ほとけさま、松井さま

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真央ちゃん 夢の五輪へ

2009-12-28 07:35:34 | Weblog


真央ちゃんが、オリンピック直前のシーズンに大不振。グランプリファイナルにも出られず、みんな心配していました。この全日本選手権での優勝(2位でもいいのですが)が、五輪出場の最後のチャンス。

ショートプログラムで、真央ちゃんはトップでしたが、上位4名までは1点差程度の僅差で、ジャンプのひとつの失敗も許されない、緊迫した試合になりました。観ているぼくらも、はらはらどきどきでしたから、選手はこれまでにないプレッシャーを感じていたことと思います(すでに出場を決めている、安藤美姫を除いて)。

真央ちゃんは、こんな重圧の中、はじめにトリプルアクセルを決め、ほとんどノーミスで演技で200点越えのトップにたつ。これで優勝は間違いないと確信し、ほっと。あとは2位争いが焦点。中野友加里と鈴木明子の勝負。中野が少しのミスをしましたが、美姫を抜いて2位に。これで決まりかなと思ったら、GP出場し、今シーズン好調の鈴木明子が、尻もちをつきながらも、中野をわずかに上回り2位に。うれしくてうれしくて涙がいっぱいの明子さんでした。

そして、五輪出場選手の決定。女子は、真央、美姫、鈴木。男子は、高橋、織田、小塚。そろってリンクにもどってきました。どちらも最強トリオとなりました。さあ、目指すは、バンクーバーでの金メダル。待ってますよ。風邪をひかないようにね実はぼくは風邪をひいたようなのです。


このこは、15歳の村上佳菜子ちゃん。見事5位。優勝しても年齢制限で五輪にはでられません。前回、真央ちゃんがあと2カ月足らなくて、全日本、GPファイナルに優勝しても五輪出場できず、当時の小泉首相も、この制度はおかしいと文句を言っていました。次の五輪は、カナちゃんが主役カナ。次代が育っています。
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由布院温泉街の風景

2009-12-27 16:26:50 | Weblog
温泉街の風景とゆうと、たとえば熱海や別府(ここは行ったことはないけど、たぶん)のように、射的場があったり(ぼくはわりと好きなのだ)、スナックがあったり、小劇場(汗)があったり、そうした風景を思い浮かべる。ところが、由布院の温泉街は、そんな雰囲気はみじんもない、おじさん好みではなく、若い女性好みの街の風情なのだ。軽井沢とか、鎌倉でいえば小町通りみたいなと、いっていいかもしれない。

ただ、際立って多いのが、アート関係のお店や美術館だ。少なくとも30はあるだろうと旅館の人が言っていた。ぼくは、たった一泊だったから十分探訪できなかったけれど、ひとつだけ、由布院美術館に寄ってきた。ここで42歳の生涯を終えた、佐藤渓さんいう、画家であり、詩人でもある放浪芸術家の作品がたくさん展示されていた。

人物画、風景画ともにあり、繊細そうな作品もあれば、大胆なものもある。色っぽいものもある。人間も風景も一時として同じ景色はない。一瞬一瞬を素直に写しとったという感じである。中庭のある回廊型の美術館で、ついつい多くの時間を費やしてしまった。富士枝さんという方に想いを寄せていたようで、襖絵の4枚に裸の富士枝さんが、大事なところに天狗のお面(爆)や、さまざまなお面をつけて、踊っているような作品は圧巻だった。これは死ぬまで手元においていたらしい。その絵はそこでは撮影できなかったが、たまたま、数日後の飛鳥Ⅱの図書室でみつけた。

(富士枝像)




さていくつか、由布院温泉街のいろんなアート関係のお店や美術館を。シャガール美術館

ゲゲゲの鬼太郎館

猫屋敷。どこかでみたことのある猫の給仕さんが。

トリックアート館。

交通博物館?ミゼット、久しぶりにみた。大村昆さんのコマーシャルを思い出した。ボンネットバスやプロペラ機。なつかしいな。

唐辛子やゆず胡椒屋さん。

朝の散歩で、金鱗湖。湯気があがっているのがみえた。ラッキー。

その近くにある、名旅館、亀の井別邸。もうお正月の準備をしていた。
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由布院 ”玉の湯”でゆず湯

2009-12-26 17:49:58 | Weblog


この由布岳のふもとに拡がる、近年有名になった由布院温泉郷に行ってきました。ワイフは九州出身ですが、学生時代は、大分の温泉といえば、東の熱海、西の別府とうたわれた、別府温泉しかなかったそうです。それが、今では、別府をしのぐ人気温泉に。ぼくははじめて、ワイフは数年前に一度、同窓会できただけという、由布院オンチ同志。

ただ、ぼくは、玉の湯という旅館だけは知っていました。ぼくの敬愛する小林秀雄さんが好んで訪れた宿なのです。本居宣長を執筆中に筆が進まないときは編集者がここに連れてくると、機嫌良く書き始めたそうです(笑)。小林さんは、ここの経営者、溝口さんにアドバイスをして、離れの部屋の回りを雑木林にしたりして、現在では、由布院温泉随一の人気旅館になっているそうです。で、このロビーまでの導入路は”小林秀雄の径”といわれているとか(笑)。



たしかに、いごこちのよい旅館でした。10畳間ぐらいの部屋に大きな電気こたつ、隣りが寝室でふたつのベッド。その奥に、部屋専用の温泉風呂が(ぼくは露天風呂がすきなので、ここにははいらなかった)。そして、居間の前の廊下越しに庭が。おまけに、この日は冬至。大きなゆずがまるごと5つくらい、露天風呂にも内風呂にもぽっかり浮いていました。玉の湯で柚子湯なんて、なんてついているのでしょう。



お風呂上がりは、薪の燃える暖炉のある、談話室兼図書室でゆっくり。さすが、小林秀雄全集がそろっていました。大分県出身の筑紫哲也さんや建築家の磯崎新さんの本も(由布院駅の設計もしました)よくみかけました。それに、昭和初期からの”文藝”や”新潮”の雑誌もずらり。小林秀雄さんもここでくつろがれたのでしょう。いや、隣りのバーかな(笑)。

小林秀雄全集

夕食は、もちろん地ビール、地酒に、和懐石料理。食べきれない程いっぱい。グルメ通のワイフがおいしいと言っていたから間違いないでしょう。メインディシュはそれぞれ、山里料理とすっぽん鍋を頼みました。それぞれ二人分くらいありました。質量とも要望される方にはぴったりでしょう。すっぽん食べたけど、あまりゲンキが出なかった(爆)。
。。。

翌日、玉の湯を去り、日出(ひじ)町の的山荘で昼食をとったとき、ここにも小林秀雄さんの足跡が。女将が、よく、小林先生がお出でくださり、ここで名物の城下カレイを肴に一杯やられてから、玉の湯に出かけたんですよとのこと。皇族の方々も来れれますし、司馬遼太郎さんも”街道をゆく”の取材で寄られ、この部屋いっぱいに古文書を並べさせられたそうです。お城の三の丸あたりに建てられた旧家で、おじいさんのおじいさんが、山師で20数回、失敗し、借金取りに追われていましたが、最後の一発で金山を掘り当てたそうです。人間、最後まで、あきらめずにいきましょう。宝くじか有馬記念で大穴を当てるかな(汗)。

伊藤博文と西郷南州の書


刺繍で描かれた屏風


お雛様もたくさんあるそうで、去年から公開しているそうです。お近くの方はどうぞお運びください。城下カレイはあと3日で終わりだ、というタイミングでした。なんて運がいいのだろう。お刺身をいただきました。そういえば、関さば、関アジもこの近くでしたね。いいな、お魚のおいしいところは。また来たいです。今度は、小林秀雄さんのように、大分空港から、的山荘、玉の湯コースで。
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海上でクリスマスイブ&花火大会

2009-12-25 14:26:43 | Weblog
メリークリスマス。

ぼくらの今回の旅行は、湯布院温泉に泊まり、別府港から飛鳥Ⅱで横浜へ、いうコースでした。今朝、横浜に着いて、帰宅したばかりです。で、昨日のクリスマスイブは船上で、ということになりました。もともと、我が家ではクリスマスイブだからといって何もしない習慣だったともありますが、今回のように船上でイブを迎えるには生まれてはじめてのことでした。

船内のあちこちにクリスマスの飾りつけがなされ、レストランもクリスマス仕様のお料理、お料理のあとのショーも、クリスマスソングとうつくしいバレリーナの頭の上まであげる長い脚を楽しませていただきました(汗)。昼間のシアターではなぜか”おくりびと”。何度観てもいい映画ですね。また目頭をあつくしてしまいました。







前日の23日、別府港を離れるときに、沖合で停泊し、船上で別府の花火大会見物。花火が大好きなワイフ(汗)が、こんな、特等席で花火をみたのははじめてと、感激。たまたま、ぼくらの部屋が、別府港側にあって、船室でふたりだけでみられたのです。いつもは雑踏の中で、もみくちゃにされながら観てばかりでしたから。それに今年は鎌倉花火大会も中止だったし、余計うれしかったのでしょう。そうそう、ちょうど花火の上で、お月さまも花火見物でした。







こうして、ぼくらは今朝、横浜に帰ってきました。写真は、船がベイブリッジの下を渡るところです。
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明月院のロウバイの花

2009-12-22 05:25:32 | Weblog
明月院のロウバイ(蝋梅)の花も咲き始めました。





これから、数日間、小旅行してきます。
昨日、観てきた明月院のロウバイちゃんにブログのお留守番をしてもらいます。ではまた。
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