気ままに

大船での気ままな生活日誌

仲秋の円覚寺

2010-09-30 11:52:18 | Weblog
もう9月も今日で終わり。突然、秋になって、(昨日はちょっと暑かったけど)、昼間の散歩が増えてきた(汗)。昨日は、近場の北鎌倉のお寺散歩を楽しんだ。円覚寺と明月院に入ったが、平日のこともあり、がらがらである。毎日が日曜日の素浪人ならではの、役得である。

円覚寺の松嶺院の萩が観たかった。あそこの萩は上品で、種類も豊富だ。それに、多種多様な秋の草花もみることができる。写真はいっぱい撮ったが、いくつか紹介したい。

(赤萩)

(萩、江戸絞り)

(萩、鎌倉ぼけ絞り)うそどす、本当は”あすかの萩”その他、光悦寺萩などもありますが、あまりよく撮れなかったので。ぼけ撮りも、いい雰囲気ですね。

紫苑。海蔵寺ではまだまだだったのに、ここでは満開。

たぬきまめ

みそはぎ

われもこう


黄梅院では、たむら草


黄梅院ではいつもしかられる。とどまってはいないけど、遊びでは駄目なのだろうか。

おまえは常に前進だな。整列して。

おまえも狩り上手で、いつも前進だな。衣装も華やかだし、蜘蛛の巣も松園さんの焔の着物の柄のようだな。
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川端康成と古賀春江

2010-09-30 10:33:23 | Weblog
葉山の近代美術館で展覧会をみたときには、必ず、地下の図書室に寄る。展覧会に関連した書籍や画集のコーナーがあり、“1粒で2度おいしい”みたいに、また、楽しめるのだ。古賀春江展のときも、もちろん、そこに来た。

なんという雑誌だか忘れてしまったが、”川端康成が愛する美術品”みたいテーマの雑誌があり、ページをめくった。康成が骨董好きで、自分が気に行ったものは値段も聞かずに、家に持ってこさせ、いつまでも支払いをしなかったり(爆)とかいう話しはどこかで読んで知っているが、実際、彼の好きな美術品、とくに絵画の好みについては何も知らなかった。

絵画のページまでくくっていくと、彼の蒐集した絵画が並んでいる。まず東山魁夷の作品が。ぼくも大好きな日本画の画家だし、”美しい日本の私”(ノーベル賞受賞講演)の作家らしい好みで、合点がいく。そして、魁夷と同じほど好きだったのが、古賀春江だったのである。魁夷の絵とはむしろ対極にある画風である。美探究のスペシャリストは昆虫のような複眼をもっているのだろうか。

展覧会では、川端康成所蔵(康成記念会)の絵も展示されていた。”そこにある”という、シャガール風の絵である。その絵は寝室に飾っていたそうである。たいていの人は気味がわるいといって、とくに女の人は目をそむけるそうである。きっと、なにか、大きな目で睨まれているような感じがするのだろう、と康成は笑う。下の絵である。


そのコーナーに川端康成全集があり、そのひとつに付箋があるにに気付いた。そのページには”末期の眼”という随筆があり、それを読んで、康成が古賀春江と親交があり、彼を高く評価していることが分かった。この評論的エッセーは、こんな文章から始まる。

竹久夢二氏は榛名湖畔に別荘を建てるため、その夏やはり伊香保温泉に来ていた。つい先達でも、古賀春江氏の初七日の夜、今日の婦女子に人気のある挿絵画家の品定めから、いつしか思い出話になり・・・で始まり、夢二、芥川龍之介、横光利一評がつづく。中程に”私も早、すぐれた芸術の友二人と幽明境を異にした。梶井基次郎氏と古賀春江氏である”それほどの親交だったのである。

この文章は、古賀春江の四七日(よなのか)が2日後に控える日に書かれている。彼は病死したが、自殺をおもうこと、年久しいものがあったらしい。死にまさる芸術はないとか、死ぬることは生きることだとか、いつも言っていたらしい。川端は、これを寺院に生まれ、宗教学校出身の彼に深くしみこんだ仏教思想の現れだろうと述べている。(川端は自殺したが)。

古賀の絵の評論も載っていた。”私はシュルレアリスムの絵画を解するはずはないは、古賀氏のそのイズムの絵に古さがありとすれば、それは東方の古風な詩情の病いのせいであろうかと思われる。理知の鏡の表を、遥かなるあこがれの霞が流れる。理知の構成とか、理知の論理や哲学なんてものは、画面から素人はなかなか読みにくいが、古賀氏の絵に向かうと、私はまず、なにかしから遠いあこがれと、ほのぼのとむなしい拡がりを感じるのである。虚無を越えた肯定である”

”古賀氏は西欧近代の文化の精神をも、大いに制作に取り入れようとしたものの、仏法のおさな歌は、いつも心の底を流れていたのである・・そのおさな歌は、私の心にも通う”

”サーカスの景”が、絶筆であった。体力がなくなり、画布と格闘するように、やっと描き終えたそうだ。その後、亡くなるまで、色紙を描き続け、文字通りの絶筆の色紙は、ただいくつかの色を塗っただけの、ものの形もないものだったらしい。

康成の文章を読んで、古賀の作品を愛する理由が分かったし、ぼくも、また、ひとり”友達”が増えた気がしたのだった。

絶筆、”サーカスの景”を再掲して、おわろうと思う。




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にゃんこの介捕物控え クロアゲハ取り逃がす

2010-09-29 18:03:05 | Weblog
円覚寺・奉行廻り方同心、にゃんこの介捕物控え (平成22年9月29日)

うちの白彼岸花にちょかいをだすクロアゲハを生け捕りにしようと、円覚寺奉行廻り方同心、にゃんこの介が目を光らせる。(右端の彼岸花にたかっているのがクロアゲハ)


けしからん、ここだとばかり、にゃんこの介、飛びかかる。

あああああ、怪傑クロ頭巾はすばしっこい、さらりと変わして、逃げ去る。

曲者を取り逃がしたばかりか、大事な彼岸花を折ってしまった。これでは、お寺のご主人さまに怒られる。

どうしよう、穴があったら入りたい。とほほ。見通しが甘かったと、どこかのクニの官房長官の言葉と同じことをつぶやいていた。

怪傑クロ頭巾は、Vサインを出して、ゆうゆうと他の彼岸花の蜜をおいしそうに吸っていた。

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古賀春江の全貌展 in 葉山

2010-09-29 11:44:55 | Weblog


ぼくの美術鑑賞歴は浅いから、知らない画家は山ほどいる。古賀春江もそのひとりだった。はじめ名前をみて、女流画家だと思っていた(汗)。ときどき駅構内などでポスター絵をみていて、面白そうだなと思って、昨日、出掛けた。知らない画家でも、一度、展覧会をみると、たいてい”友達”になって帰ってくる。今回もそうだった。川端康成とも知りあいで、康成が彼の作品を何点も所蔵していたことを、県立近代美術館・葉山の図書室で知って、親近感は一層増したのだった。

彼は画家であり、詩人でもある。第四章まであるが、それぞれの入り口に彼の詩、あるいは散文がかかれたパネルがあり、展覧会に彩りを添えていた。たとえば、第一章”センチメンタルな情調/1912-1926)では下記の文章が掲載されている。

水彩は長編小説ではなく詩歌だ。そのつもりでみて欲しい。水彩はその稟性により 自由にして柔らかに而して 淋しいセンチメンタルな 情調の象徴詩だ

久留米のお寺で生まれ、1912年、画家を志し、上京する。水彩画を勉強しつつ、竹久夢二や北原白秋にも傾倒していた。その頃の作品が、第1章にずらりと並んでいる。どれも、詩歌のような絵で、白秋の故郷を描いた”柳川風景”、”考える女”、”檜”、”竹林”がとくに印象に残った。当時のスケッチブックも展示してあり、白秋ばりの詩や夢二風の絵も描かれていた。”白樺”の表紙絵も担当したことがあるらしい。

(竹林)


第二章”喜ばしき船出”1921-1925
はじめに、涙が出そうな絵があった。我が子を死産でなくし、その悲しみを想いつつ、描いた”埋葬”。その下絵もあった。それ以前に待望の二科展に連続入賞し、前衛グループ”アクション”にも参加し、キュピズムの影響を受けた絵を描くようになる。本人は”出タラメの画”を描いていくと宣言する。キュピズムも最近、”ぼくの固有の領土”に入ってきたので、楽しくみることができた。”海水浴”、”海水浴の女”そして”海女”の、半裸の女シリーズ(汗)も良かったし、”女”、”窓際の女”、”手をあぶる女”の和装女シリーズも気に入った。

(埋葬)


第三章 空想は羽ばたき 1926-1928
そして、画風はさらに変貌する。空想的な絵で、花やら人やら船やらが画面のあちこちにあふれている。でも色が明るく、ふとシャガールの画風に似ていると思った。”赤い風景”とか”月花””蝸牛のいる田舎”などが印象に残った。資料展示の中に、クレーとシャガールの模写をみつけた。やっぱり、彼らの影響を受けているんだ。

薄暗の中に動く水色の幻は、実在性がなくて善い 私の空想は羽ばたき 私は息を吸い込んだ (古賀春江)

(月花)

(蝸牛のいる田舎)


第四章 新しい神話 1929-1933
そして、古賀春江は、さらなる変貌を遂げる。
晴天の爽快なる情感、蔭のない光/過去の雲霧を切り破って/埃を払った精神は活動する/最高なるものへの最短距離/・・・世界精神の縫目を繕う新しい神話が始まる(古賀春江)

1929年以降、いわゆる、シュルレアリスムを取り入れた、新たな画風を確立する。科学雑誌の図版や絵ハガキの図柄を画面に積極的に取り入れている。”窓外の化粧”の作品の横には、そのとき使った資料が展示されている。科学画報、科学知識、キング、中央美術、西洋美人スタイル絵などである。こうして、代表作”海”も生まれたのだ。魚、海藻、船、飛行船、ビル、工場、西洋婦人と脈絡なく画面に配置されている。脈絡のない配置はシャガール風だが、絵柄は写実的になっている、面白い絵だった。

(窓外の化粧)

(単純な哀話)

(海)

そして、彼は38歳の若さでなくなるが、療養中に描いていた、たぶん最後の作品、”サーカスの景”。ぼくは、どの作家の遺作をみるときは、息もたえだえ必死にカンバスに絵の具をぬりつけている画家の姿を想いうかべ、いつも胸がつまってしまうのだ。

”サーカスの景”


・・・・・
川端康成との関係も、書こうと思ったのだが、遊びにいく時間が迫ってきたので(大汗)、次回にします。
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葉山の海 大船の夕空

2010-09-28 20:45:07 | Weblog
雨上がりの午後、ふらりと葉山の美術館に行ってきました。古賀春江展、なかなか良かったです。そのあと、美術館の庭で、葉山の海をしばらく見ていました。いつもより、轟々とした波の音でした。まだ、曇り空で、寒いくらいなのにサーフィンをしている人がふたりほどいました。



マツが海をみていた


裸のマハが海をみていた


着衣のマハも砂浜を歩きながら、海をみていた


大船に帰ったら、風呂上がりの半裸のマハが、夕焼け空をながめていた


・・・
一気に秋になりましたね。古賀春江画伯は詩人でもあります。
こんな詩の一節も掲載されていました。

秋となれば
ふさぎの虫の起こる
わが心
しみじみ なつかしかな
・・・
ぼくは、

秋となれば
酒も肴もうまきなり
わが心
しみじみ うれしきかな

これでは、詩人にはなれませんね。
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稀勢の里の四股名を変えよう

2010-09-28 11:24:56 | Weblog

ぼくが、というか日本中の相撲フアンが、期待している稀勢の里が、二場所続けて、負け越し、来場所の三役陥落は確実である。19歳ぐらいから、次の日本人大関、横綱は稀勢の里だ、と期待されつつ、いざというときに転び、ぼくらをがっかりさせる。このままだと、どうも、三役を行ったり来たりの平凡な力士で終わってしまいそうだ。

ぼくは十両時代から、琴欧州、豊之島と共に、三羽ガラスといわれ、勢いのあった時代からのフアンだったが、その頃の四股名は、本名の萩原だった。稀勢の里になってから、どうも勢いがなくなった気がする。姓名判断には詳しくないが、きっと、何か、不運なものが潜んでいるにちがいない。日馬富士も同様だ。安馬時代方がよほどよかった。だから、平幕転落を機に、この四股名を変えたらいいと思うのだ。

二年ほど前にも、このブログで提案したのだけど、鳴戸部屋の親方、元おしん横綱、隆の里には受け入れてもらえなかった。前回は結構、ふさけた四股名が多く、無視されたと思うので、今回はまじめな四股名を提案をしようかと思う。五つほど提案させてもらいました。

1)萩原 (一からやりなおす、本名に戻る。輪島だって本名で横綱になったのです)
2)常陸の里(この部屋は、四股名に里をつけるのが不文律のようなので。郷里(茨城県)の名横綱、常陸山にあやかるのです)
3)筑波の里(名峰、筑波山をみて育っているので。つくば研究学園都市もあるので頭脳的相撲ができるようになります。)
4)龍之里(たしか龍ケ崎市の中学を出ているはずなので。龍馬のような活躍が期待できます、おりょうさんのような、機転のきくお嫁さんもお世話します。ただし、京都に近い大阪場所は気をつけてください。刺客がこわいです)
5)牛の里 (牛久市出身ということで。天神さまと牛は切ってもきれない仲、相手力士が委縮し、全勝優勝も夢ではない。でも牛歩という言葉もあるし・・ますます出世が遅れるかな。ただ、九州場所は気をつけてください。口蹄疫になると、かかとに力が入りません)

ぼくは1)を推薦しますが、親方がどうしても駄目というなら、中をとって、”萩の里”はどうでしょうか。ただし、萩の花咲く、秋場所しか活躍できません。


。。。。

2年前に考えた案

1)呼び名は”きせのさと”のまま、漢字を替えてみる。

稀勢乃里 (のを乃に。貴ノ花から貴乃花で大横綱に、その効果を期待)
奇声の里 (福原愛ちゃんみたいに立ち会いで奇声を発し、めんくらわせる)
気勢の里 (高見盛のようなパフォーマンスを導入し、気勢を上げる)
規制の里 (張り手指しを規制し、また豊真将のように礼儀正しくなるよう規制する)

2)”きせのさと”の”き”の1字だけを替えてみる

汗の里 (さらに稽古熱心になる、あるいは冗談のマーク(汗)で、気分を明るくする)
伊勢の里(伊勢の赤福のように華麗なる復活をする)
失せの里 (安馬のように、たまには立ち会いの変化で消えて、相手をまどわす)
押せの里 (押しを中心にして安定感を増す)
差せの里 (でも、やっぱり左差し右上手)
寄せの里 (琴将菊のおかぶを奪い、がぶり寄りを得意技にする。それは”よせ”という意見もある)
癖の里 (安美錦のように曲者といわれるくらい癖のあるところも、ときにはみせる)
出せの里 (とにかく土俵の外に出せの里、出る出る出島のおかぶを奪う)
辞世の里 (一日一生、毎日引退を覚悟の真剣な土俵をつとめる、毎朝辞世の句をつくる)
寄席の里 (でも、たまには寄席に行き、息抜きもしてほしいです)

3)”きせのさと”の”せ”の1字だけを替えてみる

危機の里 (危機感をもって欲しい、来場所、負け越したらおわりです)
傷の里 (”傷だらけの人生”でも、頑張って欲しい)
飢餓の里 (がっつの魂が必要です。天才の多くは修行時代、飢餓海峡です)

聞くの里 (親方の意見をよく聞いてください。舞の海さんの意見は聞かなくていいです)
機知の里 (機知に富んだ相撲をしてください)
キスの里 (恋人も必要です。年上がいいと思います。江川、松坂、貴乃花、みなそうです)

北の里 (本籍地を茨城から名横綱を輩出している北海道に移します)
木曾の里(義仲の木曾でもいいです)
清の里 (清里高原もいいです、”西の魔女”に心のケアーをしてもらいます)



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大相撲秋場所予想の結果は

2010-09-28 09:27:36 | Weblog


恒例の、ぼくの大相撲秋場所予想の結果を報告したいと思います。

今場所は、何と言っても、白鵬の62連勝の4場所連続全勝優勝という、活躍に尽きると思う。一番、緊張した日は、千代の富士の連勝記録53に並ぶ日と単独2位となる54連勝達成の日だったと、白鵬は述べている。その両日とも、ぼくは国技館で直接、歴史的な対戦を観た。えへん。とくに、単独2位になったときの対戦相手は、稀勢の里で、ちょっとひやりとした一番となった。ぼくは十両時代からの稀勢の里フアンだが、この日は負けてもあまり悔しくはなかった。昨日、白鵬が次の目標は、63連勝の江戸時代の谷風だ、ということを耳にしたとき、子供時代、漫画で知った、谷風や雷電のことを思い出した。まるでイチローみたいだ。年間最多安打を記録したときに、84年ぶりに、忘れられていたシスラーを思い出させたように。谷風の次は、双葉山の69連勝。九州場所7日目、そして新記録は8日目。是非、座席の予約をとっておこう(汗)。

そして、ぼくの予想では負け越し(大関陥落、引退)にしていたけど、魁皇のがんばりも見事だった。勝ち越して、幕内最多勝利数を更新している。九州場所も頑張ってもらって、来年初場所で引退、今場所、日本人力士として久しぶりに関脇で11勝あげた、栃煌山にバトンタッチできるといいのだが。残念ながら、わが稀勢の里は、今場所も負け越し、もう、大関はあきらめて、その代わりなるべく、幕内で長くとって、魁皇の最多勝記録を狙うしかないでしょう それでも応援しますからね。

大関陣はなんたるざま。雷電時代は大関は最強の称号だった。いや10年くらいまでだって、最低二桁勝利。くんろく(9/6)では引退しろと言われたものだ。でも魁皇だけはエコひいきします。

では、本論のぼくの予想の評価をしたいと思います。いつものように、1勝ちがいまでは○、あとは●にします。以下に示しますように、9勝6敗でした。くんろく大関並になりました。ちょっと自信がついたので、競馬か野球賭博にも手を染めてみようかな。
。。。。。

平成22年・秋場所予想と結果
(前頭3枚目まで)

   予想      結果    
白鵬 14勝1敗/ 15勝0敗 ○      
把瑠都 11勝4敗 / 9勝6敗 ●
琴欧洲 10勝5敗 / 10勝5敗 ○ 
日馬富士 9勝6敗 / 8勝7敗 ○
稀勢の里 8勝7敗 / 7勝8敗 ○
琴奨菊 8勝7敗 / 9勝6敗 ○
栃煌山 7勝8敗 / 11勝4敗 ●
鶴竜 7勝8敗 / 9勝6敗 ●
豊真将 6勝9敗 / 7勝8敗 ○
魁皇 6勝9敗 / 8勝7敗 ●
阿覧 6勝9敗 / 7勝8敗 ○ 
時天空 5勝10敗 / 2勝13敗 ●
旭天鵬 5勝10敗 / 4勝11敗 ○ 
栃ノ心 4勝11敗 / 9勝 6敗  ●  
若の里 4勝11敗 / 5勝10敗 ○ 


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八幡さま 土塁の彼岸花

2010-09-27 11:10:18 | Weblog
鶴岡八幡宮の東側土塁の彼岸花も見事なものである。昨日、みてきたが、十分、見頃となっていた。これから咲くのもあるので、1週間ぐらいはいいかも知れない。

地元の人は知っている。カメラを向けている人が10名近くもいた






まだこれからという株もある。ここではちょうど、半々だった。

あれ、あそこにも、と近づいたら、お稲荷さまの垣根だった。お狐さまにしかられた。お狐さまは白彼岸花だった。

お狐さまにしかられて、懐かしい童謡を思い出した。
♪しかられて しかられて あの子は町まで お使いに この子はぼうやを ねんねしな 夕べさみしい 村はずれ こんときつねが なきゃせぬか♪

雲ゆきが怪しくなってきたので、先に帰ったワイフに叱られないように、先を急いだ。
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宝戒寺 白萩

2010-09-27 10:33:01 | Weblog
白萩で有名な宝戒寺。1週間ほど前の下調べでは咲きはじめでしたが、この日(26日)は見頃を迎えていた。たまには、赤紫の萩も混じっているが、ほとんど白萩。見事なものだった。彼岸花まで白が主体。白白白で、白星を重ねる白鵬のようだった(笑)。日曜だったので、人もいっぱい、お昼を食べばかりだったので、お腹もいっぱいだった。





カメラマンもいっぱいだった



白い彼岸花も。



本堂に入ってお参りした。いつものように高倉健さんの御供え物があった。北条家最後の執権、北条高時の一番の家来、苅田式部大夫篤時(北条篤時)の子孫なのだ。すぐ近くの”腹切りやぐら”で自害するが、子供は岡山から北九州へと逃したのだ。江戸時代”東路日記”という、史上初の主婦の旅日記を残した小松屋の主婦、小田宅子さんも子孫のひとりである。このお寺は、北条家の居住地だった。

裏側からみた宝戒寺

近くに滑川が流れている。向こうにみえるのが、滑川の惟一のアーチ状の橋だと、たまたま通った観光人力車の人が説明していた。その橋から少し歩くと、”腹切りやぐら”がある。そこで、いつか、すずめ蜂に刺されそうになった。近づくなということだなと思って、この日も寄らなかった。
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淨光明寺 彼岸花と萩

2010-09-27 09:21:34 | Weblog
昨日(9月26日)の淨光明寺の、彼岸花と萩の開花状況をお知らせします。本当は、昨晩、海蔵寺の萩情報に引き続き、書く予定にしていたのですが、晩酌がちょっといきすぎて、つい、こっくり。で、今朝、書いているというわけです(汗)。結論からいいますと、彼岸花も萩も見頃になってきました。まだ数日間は大丈夫かと思いますので、お近くにお住まいの方はお出かけください。でも、わざわざ、大阪や京都からかけつけるほどではありません(爆)。

淨光明寺に着くと、あらら、かなりの人出。まあるい垣根に囲まれた”彼岸花園”があるのです。

よく、咲いている。2/3の株は開花していて、見事なものだった。


あれ、クロアゲハが何匹も飛んでいる。彼岸花が好きらしい。赤と黒のブルースだ。


このお寺の山には、冷泉為相の墓(藤原定家の孫で歌人、阿仏尼の子供)がある。その山のふもとにも、そして本堂の庭にも、いたるところに、彼岸花と萩が咲いている。






竹林もきれいだった。

。。。。。

このあと、彼岸花の名所、英勝寺に寄ろうかと思ったのですが、2日前に観ていたし、まだまだ、この先、見物予定があったので止めました。

2日前の英勝寺。


冷泉為相のお母さん、阿仏尼のお墓も、近くにあります。十六(いざよい)日記で有名です。ぼくのブログ日記は1600を越えています。えへん。


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