気ままに

大船での気ままな生活日誌

六国見山を歩く

2007-10-31 06:39:38 | Weblog
六国見山は鎌倉を囲む一番外側のやまなみで、大船側の我が家(マンション)のベランダからよく見えます。昨日は朝からよい天気でしたので、この山にノボルことにしました。ワイフは11時から歯医者さんの予約があるので、ひとりで出掛けました。山頂(147Mです、恥ずかしくて登るとは言えません)の展望台が最近整備されたと聞きましたので、近い内、ぜひにと思っていたのでした。

我が家から20分ほど歩くと多門院の前に出ます。その横の道をさらに進むと、六国見山方面に向かう小径が現われます。そして、永井路子さんが著書「私のかまくら道」の中で”鎌倉で最も美しい情緒に満ちた”とおほめになった、切り通しがすぐ目の前に現われてきます。でも、すぐに住宅街に出てしまいます。永井さんが歩いた頃はまだのどかな田園風景だったようです。その住宅街を抜けると、六国見山森林公園の標識が見えてきます。

その入り口からは、正真正銘の山道です。急に小鳥の鳴き声が大きくなってきました。案内標識には、コジュケイやコゲラが生息しているとありましたので、そういう小鳥たちのさえずりでしょうか。顔を上げると、トンビがゆうゆうと空に舞っているのが目に入りました。”山道を登りながら、こう考えた・・”と、漱石の草枕の一節を口ずさみながら、気分よく歩いていきました。すると、アッというまに頂上につきました、なにせ147メートルの"高い"山ですからね、汗ひとつかきません(汗)。

展望台はたしかにきれいになっていました。そしてそこには先客が二人おりました。一人の方は、ボクのマンションの近くに40年ほどお住いの(ボクは2.5年ほどの新米)地元の方でした。よく、ここに来られるそうで、”今日は遠くが霞んでいるが、一昨日は富士山も、伊豆の大島も、神津島も、丹沢のやまなみもみえたよ”と話していました。低い山とはいえ、たしかに見晴らしがいいです。鎌倉の山々が一望でき、源氏山も、鎌倉山も、稲村ヶ崎もよく分かります、鎌倉は本当に緑が多いです。江ノ島の展望台もはっきりみえますし、その右側には藤沢の町が拡がっています。そして、後ろを振り向くと、横浜のみなとみらいのビル群まで目に入ります。

ここから、相模、武蔵、伊豆、上総、下総、安芸の六つの国が見渡せるいうことで、六国見山なのです。空気が澄んでさえいれば、富士山はもちろんのこと、ボクが20数年間、間近にみていた筑波山も遠く望めるそうです。

ボクより年齢が上の、そのおじさんとしばらく話をしました。”寺院の銅瓦葺の職人をやっていたんだが、肝臓をこわして目もきかなくなったので引退した、現役時代は、この下の円覚寺や鎌倉のいろんな寺で仕事をさせてもらった、銅板の下にこっそりオレの名前を彫って入れてあるんだぜ、自分の作品だからな、へたな仕事は出来ないから引退したのさ、でも道具は今も毎日みがいているよ”。いいですね、職人さんは。一番、”人生”にしっくりいく職業だと思います。でも、職人さんが腕をふるえる職場が最近少なくなってきているのは残念なことです。このおじさん、ときどき、ここに来て、以前の仕事場を見下ろして、感慨にふけっているのでしょうか。

そのとき、突然、子供達の話し声が聞こえてきました。先生に連れられお散歩している、近くの幼稚園生たちでした。よく、登ってきました。ここは、幼稚園生でも登れる山なのです(汗)。それで、ボクは、おじさんと、ではまた(近所なので会う可能性が高いので)と、あいさつをして、おじさんのムカシの仕事場だった、たき火の煙のあがっている円覚寺の方に向かって、山道を降りて行ったのでした。



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葉山の海岸でみつけた”石笛”?

2007-10-30 08:09:59 | Weblog
昨日、平家物語の語りの紹介の中で、石笛(いわぶえ)のことに触れました。人の手が全く入らない、自然に出来た石の笛で、まさに神さまがつくられた”神の笛”とも呼ばれています。この笛の歴史は古く、縄文時代の遺跡の中から見つかることもあるそうです。5000年もの生命をもつ、日本最古の楽器といってもいいでしょう。

俳優座での、関係者による石笛の紹介の中で、これは葉山の、裕ちゃんの像がある海岸の、海の中にある赤鳥居の辺りで採取されたものだという話がありました。ボクは何度かその辺りを散策したことがありますから、すぐ、あそこだなとピンときました。それで、翌日、石笛探しに出掛けたのでありんす。

逗子駅近くの、ボクのお気に入りの、ラーメン屋さんのワンタンメンで腹ごしらえし、葉山海岸方面のバスに乗りました。そして、森戸海岸前で下り、森戸神社の境内を抜けて、海岸に出ました。裕ちゃんの像をチラリとみて、そこから石段を下り、浜辺に出ました。葉山らしい岩場の景色の向こうの海の中に、赤い鳥居がみえます。鳥居までは、海水パンツでないと行けませんので、今回は、手前の浜辺で”神の石”探しを開始しました。

ええっ、すぐに、穴の開いた小石がみつかりました。俳優座でみた石笛とよく似ています。拾って、穴の部分に息を強く吹きかけてみました。しかい、あの、かん高い音は出ませんでした。すかし○みたいな弱々しい音でした(笑)。これは違うとポイと捨てました。しばらく浜辺を歩いているうち、3つも4つも似たような石が見つかってきました。いずれも、みなすかし○みたいな音でしたが、はたと気づきました。そうだ、石が悪いのではない、吹く技量がないだけなのだ、トランペットだって、素人が吹くと、すかし○みたいな音しか出ないではないか、これは石笛に違いない、少なくとも石笛の候補だ、と思い直したのでした。

それで、ボクは先ほど捨てた石のところに戻り、それ以後拾った”石笛”を並べて、証拠写真を撮ったのでした。持ち帰ろうとしましたが、使いもしないのに、持ち去っは、神さまのバチがあたると思い、そっと浜辺の元の位置に戻しました。

でも、一個だけでもお守りとして持ち帰れば良かったかなとあとで、思いました。というのは、俳優座での石笛演奏者が、カナダを訪問したときに、石笛を吹くと、めったにみられないオーロラが出現したそうです。そして、グリーンランドでも同様に、オーロラが現われ、びっくりしたそうです。やはり神の笛だと思ったそうです。いつか、オーロラを観るツアーに行ってみたいと思っているので、その時にお守りとして持参すればと思ったのでした。
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平家物語をきく

2007-10-29 10:53:57 | Weblog
昨日は、松坂の快投を5回までみて、午後2時開演の、六本木の俳優座に向いました。”平家物語の夕べ”をみる(きく)ためです。平家物語はもともと琵琶法師によって語り継がれてきた文学です。一度、平家物語の語りを琵琶のしらべと共にきいてみたいと思っていました。市民講座の先生から、そうゆう舞台があることを教えていただき、参加したのでした。はじめてですので、十分鑑賞したというわけにはいきませんが、楽しくきくことができ、また、次回、是非参加しようと思いました。やみつきになりそうです。

この”平家物語の夕べ”シリーズは長く続いていて、今回で16回目となります。語りのスペシャリストの、歌舞伎や舞台で活躍されている方が語り、琵琶や尺八、太鼓や笛は、当代きっての名人たちが奏でます。現代の最高レベルの芸術力で平家物語をきけるのです。今回の出演者は、中村吉右衛門、中西和久、岡崎和彦、緒川たまき、の方々でした。

それぞれの方が、平家物語の「祇園精舎」「宮御最期」「小教訓」「文之沙汰」「副将被斬」「廻文」の項の文章を原文で語るのです。ボクのような未熟者には意味が十分、分りませんが、事前に、和服がよくお似合いの原口雅子さんが語りの内容を概略説明してくれますので助かります。意味は十分分らなくてもいいです、日本語の美しさ、音の響き、優雅な表現を心で感じとっていただければ、とのお話もあり、安心しました。

語りは、もう少し抑揚のある、謡いのようなものを想像していたのですが、朗読に近いようなものでした。しかし、琵琶などの和楽器の調べが、語りの哀しみなどの感情を見事に表現していて、人の口と琵琶等の楽器が、共同で物語を語っているふうでした。

緒川たまきさんは今回、2度目の出演なのですが、すっかり平家物語にはまってしまい、自分でも琵琶の演奏をしてみたいと思うようになったんだそうです。それで、今回は、ご自分で琵琶も演奏し、そして語るというスタイルを採られました。まさに女琵琶法師ですね。とてもよかったです。胸元の開いた、ノースリーブの黒い衣装も良かったです(汗)。

写真は”石笛(いわぶえ)”と呼ばれる、自然石の笛です。今回も重要な場面でこの石笛のかん高い、純粋な音が響き渡りました。人の手を一切加えない笛で、”神の笛”とも呼ばれています。休憩時間にみせてもらえましたので写真に撮りました(暗くてよく撮れませんでしたが、4個の石笛です)。葉山に海の中の神社(裕次郎の碑がある海岸)がありますが、その付近で採れる石だそうです。石に、多分貝が開けたと思われる小さな穴が開いていて、そこに息をふき入れることにより、音が出るのです。近くですので、今日早速、探しに行こうと思います(汗)。でも、ボクが見つける石は多分、鳴らず、噛むだけになるかもしれません。”神の石”でなく”噛みの石”ですね。見つけましたら、ご報告しますね。
・・・・・

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり、沙羅雙樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。









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松坂大輔、ワールドシリーズ勝利投手

2007-10-28 20:54:30 | Weblog
松坂がやってくれました。敵地で、コロラド・ロッキーズ打線を抑え、見事、勝利投手になりました。おまけに、ナ・リーグ方式で打席にも立ち、2点タイムリーの活躍です。有終の(おそらく)の美を飾りました。

いきなり、今日トップバッターになった松井稼頭央と対決(写真)。自信をもって投げたストレートを松井がたたきヒット。しかし、松坂は、その後は落ち着いてロッキーズ打線を抑え、5回まで無失点。レッドソックスは、松坂自らがたたき出した2点を含め、6点をあげて、6対0とリード。ここでボクは安心して、今日の予定の六本木へ出掛けたのであります。

帰ってから、チェックし、”おどろきもものきさんしょのき”でした。一時、1点差までに追い上げられたようなんです。それも、あの岡島がスリーランを打たれたようなんです。危なかったです。でも今日は岡島を使うのはどうかと思いますね、監督さん、どう考えても酷使ですよ。

でも良かったです、最終的に松坂が勝利投手になれて。ワールドシリーズでいきなり勝利投手ですから、運のいい人ですね。あの野茂投手でさえ、一度も経験していないのですから。一方、松井稼頭央も今日は松坂に対する1安打を含め、3安打です。大変な活躍です。

ボクの予想では、7戦までもつれ込み、最終戦で松坂がノーヒットノーランで勝利投手とゆう結末なのですが、たぶん、最終戦前に決着がつきそうです。それで、多分、松坂の登板は今回が最後で、「有終の美を飾った」と、はじめに書いたのです。

でも、明日は、松井稼頭央の大活躍で、ロッキーズの初勝利といきたいですね。もう2,3日、楽しみたいです。

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苔と桜 良寛さんと子供たちみたい

2007-10-28 09:25:43 | Weblog
台風一過、すばらしい秋晴れになりましたね。この記事は、小雨の日のことです。

ふつうの植物の中で一番好きなのは桜です。こまかな植物の中で一番好きなのは苔です(笑)。その大好きな、苔と桜が仲良く遊んでいるのをみつけ、嬉しくなりました。市民講座の”平家物語”の講義を聴くために、二階堂の女子大講堂に向かって歩く道すがらでした。八幡さまを抜けて、すぐの小学校の前の桜並木で、です。ここの老木の桜の、多くの幹に緑の苔が這い上がっていました。年輪を重ねた太い幹の、小雨に濡れた黒灰色をバックに苔の緑がうつくしく映えていました。

年老いた桜が、可愛い苔の子供たちに遊んであげているようにみえました。ふと、手鞠をついて遊んでいる良寛さんと子供たちの姿が思い浮かびました。最近、良寛さん関係の本をいくつか読んでいますので、すぐ思いついたのかもしれません。

我が家の近くの砂押川沿いにも桜並木があります。昭和11年頃、松竹撮影所が蒲田から大船に移転してきたときに植えられた桜ですから、もう、70才を越しています。苔をつけてもおかしくない年齢ですが、帰りに、一本一本調べてみたのですが、やはり緑の苔の姿をみることができませんでした。

ボクはここの桜木の一本一本にあだなをつけています。大船撮影所にちなんで、監督さんや女優さんの名前にしています。たとえば、去年、開花一番のりの桜には、原節子桜、川をはさんで、上の枝同士が手をつないでいる、二番桜には小津桜とゆうあだなをつけています。

同じぐらいの歳の桜なのに、どうして一方は、苔の子供に好かれ、他方は嫌われるのでしょうか。ボクはこう考えました。小学校前の桜は、生まれたときからずっと、校庭で遊んでいる子供たちみて育ち、知らぬ間に子供好きになったのだろう、それで苔の子供がきたときも優しく迎入れて遊んであげたのだろう、と考えました。一方、撮影所の桜は、いつも女優さんたちの目にふれて育ちましたので、自分たちも、いつも身ぎれいにする習慣になったのでしょう。それで苔の子供が遊びにきても、あらいやだ、湿疹ができちゃたわ、と言って薬を塗ったりして、追い出されてしまったのでしょう。

手鞠をついて遊んでいた、良寛さん桜と苔の子供たち、これから、秋が深まり寒くなると、どんなお遊びをしているのでしょうか、また観察してみたいと思います。






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続・もし夕日が朝日だったら

2007-10-27 07:23:02 | Weblog
昨日のつづきです。

夕日が朝日になっただけで、ずいぶん世の中は変わるもんですね。社名や校名を朝は夕に、東は西に、数字は1を引いた数字に変更するようにとゆう風潮が、個人名までに及んできて大変な騒ぎになってきたのです。

まず、あのモンゴルで謹慎中の朝青龍関はこの際、夕青龍と改名し、謙虚になった姿を国民の前に示すべきと、内舘横綱審議委員から提案がなされました。夕日新聞(元朝日)の社説もそれを支持するなど、世論は一気にその方向に向かい、朝青龍はその要求をしぶしぶのんだのでした。どうも親方が、ユウショウ龍は、”優勝龍”に繋がる縁起のいい四股名だと、言って説得したらしいです。

天下の横綱が改名したとゆうので、各界の大物もこぞって改名を始めました。歌謡界では五木ひろしが四木ひろしに、SMAPの吾郎ちゃんが四郎ちゃんに、五輪真弓が四輪真弓に、テレサテンはテレサナインに、女優では松嶋ななこちゃんが松嶋むむこちゃんに、新玉三千代が新玉二千九百九十九代とややこしい名前に、等々です。

改名後、人気が上がったとゆううわさは聞こえてきません。むしろ低迷している方が多いようです。でもまだ、この方たちは、いい方です。というのは、一のつく名前の方はゼロになる、すなわち廃業するしかないのです。一番ショックを受けていたのは、政治家の小澤一郎さんです。次期総理を狙っていましたが、とんだことになりました。でも、さすがですね。小泉純一郎元総理(この人も廃業)を誘って、函館の四稜郭(元五稜郭)に立てこもったのです。こんなバカな制度がまかりとうる国は捨て、明治維新前後に榎本武楊が夢みた、北海道に独立国をつくろうとゆうのです。

ライオンのたてがみをもつ小泉さんが王様で、小澤さんは首相です。賛同者も結構いて、あのイチローもスポーツ大臣に就任の予定です。函館出身の北島三郎も二郎さんになるくらいなら、地元函館で有終の美を飾りたいと、♪はるばる来たぜ函館へ♪と、音楽大臣に就くとのうわさです。そのまんま東知事も、そのまんま西に改名せよ、との要請をことわり、まだ、そんまんま北の方がいいと、ここに来る予定です。どうも農林大臣になりたいらしいです。宮崎のマンゴーと夕張メロンを交配して、函館メロマンつくり、大々的に売り出したい、とか”白い恋人たち”と”赤福”を調合した創作お菓子”桃色吐息”の発売も考えているようです。さすが、アイデアマンのそのまんまさんですね。そうそう桝添要一さんも廃業組で、ここでは念願の外務大臣になれそうです。北方領土返還が一番の課題となるようですよ。山本一太さんは屁理屈がじょうずなので、官房長官が予定されているようです。

松山千春さんも999春への改名要請に禿頭を真っ赤にして激怒し、鈴木宗男代議士の大地党と共に、この王国に合流するとゆううわさです。北方領土返還のあかつきには、そこの知事になるのが条件だそうです。新国家の作詞作曲もすでに始めたようです。まだまだ賛同される方がいるようです。前述の改名を押しつけられた、女優さんや歌手の方も、嫌気がさし、♪ムカシの名前で出ています♪と、新天地で活躍したいとゆう方も結構いるようです。面白そうな国になりそうですね。

もちろん、この王国は、ちゃんと、朝日は東から、夕日は西に沈む、まともな国ですよ。
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もし夕日が朝日だったら

2007-10-26 08:59:44 | Weblog
同じお日様でも、朝日と夕日、どうしてあんなに違うのでしょうか。日の出のお日様はきらきら輝き、いかにも、♪朝だ朝だよ朝日が昇る♪とラジオ体操でもしたくなるような、元気にさせる雰囲気をもっています。それに引き替え、夕日はもう輝きはなく♪夕焼けこ焼けで日が暮れて ・・からすといっしょに 帰りましょ♪の雰囲気です。

もし、夕日が朝日だったら、今の世の中どう変るだろうか、そんなへんなことをちょっと考えてみました。ムカシそうゆう漫談がありましたね。

まず、早起きの人の生活スタイルががらっと変ります。朝起きて、窓を開けると、そこにはいつもの輝く朝日の代わりに、どんよりした”夕日”が昇ってきています。せっかくパッチリした目もとろんとして、もう少し寝ようとゆうことになってしまいます。一方、朝寝が好きな人は、早起きになるかと思えばそうではありません。ああ、まだ夕方か、うれしいわと、また一寝入りしてしまいます。結局、平均すると、3時間ほどみんなの起床時間が遅くなります。会社に出勤すると、すぐお昼のお弁当です。午後から仕事をはじめて、すぐ、5時頃には、ぎらぎらした”朝日”が、沈みます。夜になる時間は変わりませんので、みな帰ります。おかげで、労働時間が大幅に短縮され、労働組合は大喜びです。経営者はしぶい顔をしていますが、天災だからしょうがない、とあきらめています。

こうして、スローライフスタイルが始まった世の中をみて、世論に敏感な新聞社が真っ先に反応します。まず朝日新聞が社名変更します。”これからは朝日のようなぎらぎら人生ではなく、夕日のようなおだやか人生を”のキャッチコピーを添えて、夕日新聞と社名変更します。毎日新聞も、”くだらないニュースなど1日おきで十分です”とゆうコピーを添えて、隔日新聞と社名変更します。負けてはならじと、サンケイ新聞もニケイ新聞と、ニッケイはイッケイと、ヨミウリはサンミウリと、それぞれ数字を一つ減らした謙虚な社名にして、追従します。

そして、いつもは仲の悪い朝日と産経も一緒になって一大キャンペーンを始めます。社名や校名に”朝”をつけるのはけしからん、”夕”に変えよ、数字の場合は一つ減らすべきだ、と。するとすぐ、朝日のお抱え東大教授が、朝日は東から昇る、「東」は夕日の「西」に変えるべきだとおべんちゃら主張をしました。そして、東大の校名を”西大”にしてしまいました。ついでに改革も行い、現職の教授は全員クビにして、代わりに全国の奇人変人研究者を大量採用したそうです。きっと、一風変わった、夢のある研究だけをする大学にするのでしょうね。

東大が動いたとゆうので、全国の大学でも校名変更案が検討されています。九大は八大となり、九州にいる必要性がなくなり、青森の八戸に移転するそうです。一橋大は、1引くとゼロになってしまい、校名がなくなり廃校に決まりそうになったのですが、それではあまりにかわいそうだと、隣りの津田塾に吸収合併されるとのことです。卒業生の都知事が、何!女の大学に吸収だと、ばかめ、オレの目の黒いうちは許可せんと激怒してるそうです。一方、元長野県知事はいいんじゃないの、改革には痛みがつきものよ、ただ新学長室はガラス張りにしてね、と言ってるそうです。東洋大は西洋大になりキリスト教関係の講座も新設すると聞いています。ニホン大はイッポン大になり一本気な性格をもつ社会人を養成するようになります。

会社関係でも大きな変化がみられましたよ。東芝は西芝、三菱は二菱、三洋は二洋などです。問題もありました。東武電鉄が西武電鉄と社名変更しましたら、もとの西武電鉄に吸収合併されてしまったそうです。

夕日が朝日になっただけで、ずいぶん世の中は変わるもんですね。

・・・
この続きはまだまだあるんですが、これからワールドシリーズをテレビ観戦しなければなりませんので、この辺でやめておきます。
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江ノ島西浜夕照

2007-10-25 09:10:29 | Weblog
昨日も秋晴れの空でした。こんな日の海に沈む夕日はきれいだろうな、とモノレールに乗って、江ノ島を望む西浜(海水浴場)海岸に出てきました。お日様はまだ西の空の上の方にいましたが、もう昼間の輝きはなく、ぼんやりしたオレンジ色の光の帯を海に落としていました。浜辺には夕日を観ようと、若いカップル、子供を連れた家族、老夫婦たちが座ったり、柵に寄りかかったり、思い思いにの格好で海を眺めていました。ボクも少し歩いて、浜辺に残されたボートのうしろの石段に腰を下ろし、沈む夕日を待ちました。

左側に江ノ島が、右前方には茅ヶ崎のえぼし岩がみえます。富士山がみえれば最高だったのですが、この日は天気はいいのですが、水平線の向こうにはうすい雲がかかっていて、全くみえませんでした。オレンジ色の太い光の帯がお日様からまっすぐボクの目のところまで繋がっていて、なんだか、お日様と握手をしているようでした。そのうち、海の色がエメラルドグリーンに変ってきました。そして空の色もうすいオレンジ色に染まり、なんともいえない、うるわしい景観になりました。”江ノ島八景、西浜夕照”と命名したいです。浜辺の人々もうっとりと、まるでイースター島のモアイ像のようにじっと海をみつめていました。

真っ赤な、豪快な夕日もいいですが、こうゆう、うすぼんやりと沈んでいゆく夕日もなかなかいいです。夕日が沈むのを確認してから、ボクは立ち上がり、歩き始めると、反対側の空に、昨日みた十三夜のお月さまが、十四夜になって出迎えていてくれていました。

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のどかな1日

2007-10-24 10:29:59 | Weblog
もし、あと1日しか生きられないとしたら、その日はどうゆうふうに過ごしたいか、と尋ねられと、たいての人はごく平凡な、のどかな1日をイメージするようです。今日もそんな日だったなと、昨夕、高台の公園で十三夜を眺めているときそう思いました。

半年ほど苦しんでいた、足の踵の痛みがようやく、なくなったワイフは、最近ボクのロング散歩につきあうようになりました。その日の朝、ワイフが急にカワセミを観にいかないと言ってきました。以前、ボクがいたち川上流の尾月橋でカワセミをみたとゆうのを覚えていて、そこに行きたいと言うのです。

柏尾川に流れこむあたりから、その尾月橋までは4,5キロメートルあり、往復すると結構な距離になります。その間はプロムナードが整備されていて、歩きやすくなっていますし、川に遊ぶ水鳥や、水中の鯉を眺めたり、川辺の植物に目をやったりと、散歩にはもってこいのコースです。歴史的にも、あの兼好法師が鎌倉時代に金沢(文庫)のお兄さんを尋ねて歩いた道でもあります。

歩き始めてすぐ、白いコサギ(白鷺)の出迎えを受けました。川の石の上から水中の獲物をねらっているようでした。その向こうにも、もう一匹の白鷺がうつくしい真白な羽根をくちばしでいたわっていました。そして、しばらく歩くと、鴨の一群も。また、しばらく歩くと、”あっ、灰色の鷺が”とワイフの声。アオサギです、アカ詐欺ではないですよ(笑)。よく白鷺といっしょにいますので、はじめ同種の雄雌かと思ったのですが、別種でした。ゆうゆうとしている風情がボクは好きです。そこで、パチリ。ゆうゆう風情のすすきとツーショット。ゆれる川面までゆうゆうとしていました。

中間点の天神橋近くに、栄図書館があります。ここでトイレ休憩(笑)。そして、さらに上流に。ワイフはこれから先に行ったことがありません。急に周囲に緑が増え、畑などあったり、ちょっぴり田舎っぽい風景になってきます。そして川はどんどん細くなり、”深山を歩いてるみたい”とワイフの嬉しそうな声。それまでの高いところから川を眺めるのではなく、もうここでは直接、川の流れに手をいれられる道を歩いているのです。小魚はみえるし、アメンボもすいすい泳いでいるし、小鳥の声もここちいいです。

ようやく、尾月橋がみえてきました。案の定、数人のカメラマンが待機していました。もちろん、カワセミ狙いです。まだ、みんな三脚のカメラから離れていますので、カワセミは来ていないようです。カメラマンに近づいていくと、突然、カメラをのぞき始めました。カワセミですか、とボクは小声でシニアのカメラマンに尋ねました。にんまりとして、指さす先に、なななななななな、まつしまななちゃん、なななんと、自分より大きな魚を加えたカワセミが竿の先に留まっているではありませんか。にんまりした理由が分りました、こんな幸運はめったにありません。

”魚が暴れてる”とワイフの声。ボクはすぐデジカメを取り出して、パチリ、パチリと5つぐらい撮る、”獲物を自慢そうに俺たちにみせているようだね”と言いながら、シニアカメラマンは連続シャッター。もういいかい、とカワセミちゃんが大きな獲物をくちばしでしっかり押さえて、ゆうゆうと飛んでいきました。

今日もここでもう、2時間待ってたんだ、こんな、いい場面を撮れるのはめったにないよ、よかった、と嬉しそうなカメラマンさんでした。カメラの画面で今撮った写真をみせてもらいました、どの写真コンクールに出しても、入賞しそうな、とてもいい写真でした。ボクのデジカメ写真のは、魚をくわえていることはなんとか分るのですが、ちょっと、ここには出せる代物ではありません(泪)。

ボクはここは2回目ですが、いずれも待ち時間なしでカワセミちゃんが迎えてくれました。ボクの想いが通じたのだと思います。ワイフも運がいいです。とても喜んでいました。

それから、天神橋まで戻って、華屋よへいでランチしました。ワイフはお寿司と肉うどん(ワイフの好物)のセット、ボクは鴨汁のお蕎麦と釜飯のセットプラス生ビール。食後は隣りの図書館でのんびり。ワイフは好きなサライを、ボクは広重の東海道五十三次の浮世絵集を、ちょっぴりいねむりを交えて(汗)、眺めたのでした。

そしてワイフはそこからバスで、ボクは、また川沿いを歩いて、そして、夕方の十三夜を観て帰ったのでした。こんな、のどかな1日が最近、とても好きになりました。

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十三夜

2007-10-23 18:37:10 | Weblog
今晩は十三夜ですね。ボクは今夕、近くの高台の公園で4時半頃から月の出るのを待っていました。西はきれいな茜空でしたが、月が出る東の空は、雲で覆われていました。でも雲が結構なスピードで動いているので、ひょっとしたらと、しばらくベンチに座って、空をながめていました。昨日も”十二夜”のきれいなお月さまを観ていますので、だいたいどの辺に出てくるか検討がつくのです。

30分待っても、なかなか雲は切れず、今日はだめか、晴れたあと、家で観るしかないと、ゆっくり帰りかけました。公園の下まで降りて、ふと見上げると、なななんと、雲の切れ目からお月さまが、うっすら顔を出しているではありませんか。で、ボクは先ほどの公園に急いで戻りました。そして、ボクのお気に入りの、”すすき越しの月”が観られるビュウポイントにどっかりと腰を下ろしたのです。お月さまは、しばらく雲から、出たり入ったり(雲の衣装を脱いだり、着たり)していましたが、10分もすると、雲がどんどん切れていき、出っ腹の、し失礼しました、満月まえのしとやかな、全裸の、うつくしい姿をみせてくれたのです。着衣のルナから裸のルナに変身です(汗)。そこをパチリ。しばらく、そこで、ひとりで、お月見を楽しみました。

帰って、手元の杉浦日向子さんの「お江戸でござる」を開いてみましたら、江戸では「十三夜」は枝豆を食べながら月を待つので「豆名月」とゆうそうです。栗をそなえて「栗名月」ともゆうそうです。十五夜と十三夜の両方観るのが風習で、片方だけみるのは「片見月」といって、縁起が悪いそうです。

で、ボクは十五夜に続いて、今晩の十三夜も堂々と月見酒が飲めるのです。つまみは、枝豆がありませんでしたので、お仲間の、納豆と豆腐にします。それに、偶然、今日は栗ごはんでした。これからいただきます。では、みなさんもお月見を。

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