気ままに

大船での気ままな生活日誌

弥生 半月見ぬ間のフラワーセンター 

2008-03-31 17:09:16 | Weblog
弥生3月、最後の日曜日、半月振りにフラワーセンターに行ってきました。この時期の半月というのは、”三日みぬ間の 桜かな”ですね、移り変わりが激しいです。半月前、満開だった玉縄桜は葉桜になり、代わってソメイヨシノが満開になっていました。

葉桜(玉縄桜原木)と満開の桜(ソメイヨシノ)が交叉している図


そして、ハクモクレンが終盤を迎え、代わって紫のモクレンが見頃になっていました。



シャクナゲも、すっかり見頃になっていました。




キブシも。そして珍しいベニバナキブシ。




遠くからみると、黄色い花の木のよう。でもこれはカエデの種類。やくしまおながかえでの芽吹き。


他のカエデの芽吹きも探してみました。こんなきれいなカエデの芽吹き。花のようです。





締めはやっぱりサクラ。 サクラ草と大島サクラ




”弥生 半月見ぬ間のフラワーセンター”でした。

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遅ればせながら大相撲春場所総括

2008-03-31 09:31:16 | Weblog
ボクは大相撲春場所の中日の午後、横浜港から船に乗って12日間の旅に出てしまいました。でも船室内にテレビもあり、NHKのBS1,2は東シナ海の中国領域でも受信できますので、毎日のように相撲を観ることができました。千秋楽からちょうど1週間目となり、気が抜けたビールみたいですが、一応、恒例の(笑)ボクの予想星取の”自己評価”と、ボクが期待する有望力士への苦言(予想が当らなかったので悔しまみれの愚痴にすぎませんが)を述べてみたいと思います。

ボクは今回、”荒れる春場所”になるに違いないと思い、白鵬、朝青龍は12勝どまり、大関陣は負け越しか、せいぜい8勝止まり、優勝は平幕力士の豊真将あたりになるのではないかと予想しました。そして、一番近い大関候補、稀勢の里は11勝、安馬は10勝、とも予想しました。

さてその結果ですが、平幕優勝はなりませんでしたが、横綱、大関の成績、平幕の活躍と、ある程度の傾向は当てています。まず、両横綱の成績ですが、一般の予想は、14~全勝でしたから、ボクの予想の12勝前後というのは、ごく少数派でした。これは誉めてやってください(笑)。両横綱が2,3敗すれば、平幕優勝の可能性も十分ありました。なのに、中日まで全勝だった豊真将の後半の大くずれしてしまい、本当にがっかりしました。9日目に勝ち越してからあと、わずか1勝です。この地位でやっと9勝では、まだまだ三役直前までいった頃の力には戻っていませんね。

がっかりした力士の2番手は稀勢の里です。前半で3大関を破り、十分二桁勝利の可能性がありましたのに、後半で下位力士に負けてばかり、そして極め付きは、千秋楽の琴奨菊戦のふがいない敗戦。ここをとっていれば、新関脇確実でしたのに、大事な相撲を落としてしまいました。勝ち越しを狙う琴奨菊に比べ、明らかに集中力を欠いていました。これで、ボクが初場所後、予想した年内大関は一気に遠のきました(きっぱり)。体重も増加し、力もついてきたのですが、やっぱり欠けているのは、何にも動じない精神力だと思います。親方はおしん横綱といわれた元横綱、隆の里ですから、見習ってメンタルな面も成長して欲しいです。

ボクの応援する三羽がらすのもうひとり豪栄道豪太郎にもがっかりしました。とくに勝ち越したくて、変化した相撲はいただけません。後半くずれ、8勝止まりに終ってしまいました。ライバルの栃煌山にまた追い越されてしまうでしょう。来場所は”出直してこい ”ですね。 

そして、大関陣のふがいなさが当初、予想した通りでした。むかしは数場所つづけて、8,9勝であれば、はずかしくて引退していました。大関の地位の価値が下がってしまったのでしょう。大関になったら下には落とさない、その代わり負けが込んだら引退する、という制度にした方が良いかもしれません。いつまでも古参が残っていると、中途半端に強いので、有望若手力士の星を食い、若手の大関候補がなかなか上がることができませんし、そして、そのうちやる気をなくしてしまいます。プロ野球でもよくみられる現象です。新陳代謝はどの世界でも絶対必要です。

ついでながら、十分資格のあった魁皇は横綱にすべきでした。そうすれば、横綱をしばらく張り、朝青龍にも対抗して何度か優勝したでしょうし(相撲はメンタル面が大きいのです)、そして力の落ちてきた頃に素直に引退したことでしょう。今は横綱にさせてくれなかった腹いせで止めないのだと思います。もう引退してしまいましたが、栃東も横綱にして欲しかったです。どの世界でも”人事”は大事ですね。

えらそうに、居酒屋の話題のような(汗)、ずいぶん余計なことまで書いてしまいました。でも、プロスポーツはただ個々の勝負だけではなく、あーでもない、こうでもないと、まるごと楽しむと、一層面白くなりますね。
・・・
ボクの初日段階での予想と実際の成績一覧です。

白鵬     12勝3敗 (ぴたり賞)
朝青龍   12勝3敗 (ほぼぴたり賞、13勝)
琴欧州   8勝7敗 (はずれ、2勝6休)
琴光喜    8勝7敗  (ぴたり賞)
魁皇      6勝9敗 (ほぼはずれ8勝)
千代大海   6勝9敗   (ほぼはずれ8勝)
安馬     10勝5敗 (ほぼはずれ8勝)
琴奨菊    7勝8敗 (ほぼぴたり賞) 
稀勢の里   11勝4敗 (はずれ8勝)   
豪風    5勝10敗  (ほぼはずれ3勝)

朝赤龍  9勝6敗  (ほぼぴたり賞 8勝)
鶴竜    7勝8敗  ほぼぴたり賞 6勝)
安美錦     8勝7敗  (ほぼはずれ6勝) 

豊ノ島    9勝6敗 (はずれ6勝)
豪栄道   11勝4敗 (はずれ8勝)
栃煌山    10勝5敗 (ほぼあたり11勝)
把瑠都   10勝 5敗 (ほぼはずれ12勝)
豊真将    13勝2敗 (はずれ9勝) 
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桜桜桜 人人人

2008-03-30 10:57:48 | Weblog
桜中毒みたいだなと、いつもこの季節になると思います。今朝の散歩も、少し足を延ばして、高台の団地の公園の桜を観てきました。この団地が造成されたときに住民のみなさんが若木を植えたんだそうです。40年近くになり、りっぱな桜樹になっています。そのことを教えてくださった年配の女性とボクだけが、あふれるような桜の花をしばらく見上げていました。やっぱり桜は静かがいいと、昨日の上野の桜を思い出していました。

”サンデイ毎日”のボクはうっかり、その日が土曜の休日であることを忘れていました。ものすごい人出です。先日旅行した上海の豫園の人混みにびっくりしたばかりでしたが、それ以上です(笑)。上野駅に到着してからすぐ、”公園口は混み合っていますので、他の出口をご利用ください”のアナウンスに一瞬不安がよぎる。そして、不安が的中、やっぱり花見会場は人人人。上野の花の山は人の山でもありました。

上野の桜はさすがに見事ですが、これだけ人が多いと、不思議なもので、桜よりも人の方に目がいってしまいます。落ち着いて桜を愛でる気がおこりません(笑)。これまで何度も来ていますが、これほどの人出のときはありませんでした、結構静かに観たことが多いです。

人のウオッチングも面白いですが、すぐ飽きて、少しは空いているだろうと思って忍ばずの池の方に回ってみました。ところが、ここはさらに輪をかけた混み合いでした。池の向こうの桜並木に到着するのに相当の時間がかかりそうでした。トホホ。どうしようもなく、ここも退散することにしました。

それで、あの広い駒込の六義園なら、いくら混んでいても大丈夫だろう、枝垂れ桜が満開のはずだし、去年は咲かなかったあの大きなコブシの木はどうなったか、楽しみだな、とそこに向いました。入り口にたどり着くと二重、三重の長い列。一瞬不安がよぎる、なななんの列でしょうか、と尋ねると係の方が、はい、入場の為の列です、どれくらい待つのでしょうか、3,40分はかかるでしょう、

サンデイ毎日の人は土日に行動しない、これが鉄則ですね。で、今日は、ご近所の桜見物だけにします。

・・
桜桜桜 人人人


花よりコスプレ


外人もいっぱい


インタビュー


ヒト見の桜



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春らんまん かまくら

2008-03-29 09:18:25 | Weblog
朝、ほぼ満開になっていた散歩道の桜並木を観て、もうそわそわ、その日の午後、電車で一駅の北鎌倉に出掛けました。どのお寺も春らんまんでした。

東慶寺といえば、ハクモクレン。山門近くのはもう盛りを過ぎていましたが、茶室近くの2本のハクモクレンは今が見頃、見事な花を咲かせていました。



そして、本堂前の枝垂れ桜も満開。



彼岸桜もやさしげに。



小道を歩いていると、ミツマタの花が満開、あれカタクリの花が。そして、赤い若葉がきれいな、なんじゃもんじゃの木(笑)。



竹林の向こうのカエデの新緑もまぶしい。


小林秀雄さんの墓地の向こうには、こんな春らしい風景も。ショカツサイの紫の帯が。


・・・
お隣りの浄智寺。ここは、やはりタチヒガン。十分開いていました。さすが市の天然記念物、見上げたものです。



意外と椿が多いのにびっくり。珍しい品種もたくさん。巨大な花の椿。おしべの花糸がうすいピンクで葯が真っ白な椿。名札がないので品種名が分かりません。で、ボクが命名。”デカパイ椿”と”玉三郎”(雄しべが女っぽいので)。散った椿の花の下の苔もうつくしいどす。



・・・
その先の長寿寺では本堂新築を記念して特別拝観をやっていました。足利尊氏のお墓があるところです。いつも入り口から覗くようにして観てました。生まれてはじめて入りました(笑)。本堂の部屋から観た、苔と石の庭園がとてもきれいでした。京都のお寺みたいでした。



裏庭にはもう、シャガとショカツサイが。



・・・
亀谷切り通しを抜けて、海蔵寺へ。カイドウが一、二輪咲き始めていました。開花宣言です。来週、必ず来ますよ、満開になっててね。ユキヤナギは見事でした。白い恋人たちです。



そして締めは八幡さまの、段葛の桜並木。満開の段葛は久し振りに観たような気がします。



春らんまん かまくら でした。
・・・

今日の土曜は混むでしょうね。ボクはこれから上野の桜を観に行きます。ではまた。














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今年の原節子桜は

2008-03-28 18:47:22 | Weblog
飛鳥Ⅱに乗って、12日間海ばかりみていたせいか、陸に降りてみると、なんと地上の美しいことか。ボクらの大祖先は海の中に棲んでいたかもしれないけれど、今のボクらは間違いなく陸棲生物なんだと納得する今日この頃です(笑)。

まず朝の散歩から、もううきうきどきどき。行き先はもちろん、家の近くの、砂押川沿いの桜並木です。何度も紹介していますので、覚えてくれた方もいらしゃると思いますが、この桜は昭和11年に松竹撮影所が蒲田から大船に引っ越ししてきた記念に植えられたもので(古稀越えです)、そんじょそこらの桜とはちとワケが違うのです。
で、ボクはこの偉大な桜の木に松竹関係の女優さんや監督さんの名前を借りて、あだなをつけています。

今年は開花の時期に不在でしたので、開花一番乗りがどの樹であるか確認がとれていないのですが、まず間違いなく原節子桜、二番手が小津安二郎桜だと思います。というのは、去年まで2年続けて、1,2番をとっていたのです。それも、ぶちっぎりです。他の樹より4,5日早く咲き、さらに驚くべきことに、他のより1週間長く咲いていたのです。

今年の原節子桜(左)と、川をはさんで小津桜です。上の枝はしっかり手をつないでいます。見事な花でしょ。



原節子桜の、一部の枝はオナシスのように水面に自分の顔を映していました。相変わらずの美貌に自分でもうっとりしているのでしょうね。

アップで撮っても、皺ひとつみつかりません。色白ですべすべ肌です。


ただ、お着物をぬぎますと、すこしお年を感じさせます。でも、血圧も血糖値も、標準値だそうです。よけいな体脂肪はそぎとったようです。


・・・
途中で小雨が降ってきました。雨に咲く花 ♪およばぬこととあきらめました♪


股に咲く花 ♪枝に咲くのは、およばぬこととあきらめました♪


お菓子好きの桜。”白い恋人”にうっとりする桜。


”ニセの赤福”にうっとりする桜。





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船旅から帰ってみると

2008-03-27 18:16:00 | Weblog
驚きました。12日前の3月16日の午後、ボクらは横浜大桟橋での集合時間にまだ大部時間がありましたので、少し手前の横浜開港資料館のロビー室で休憩しました。そのときには、隣りの教会の前の桜は、まだ固い蕾でした。その桜が、もうほとんど満開になっていたのです(トップ写真)。わずか2週間程度でのあまりの変容ぶりに、ボクはまるで浦島太郎になった気分でした。その日、ぼくらは飛鳥Ⅱに乗船し、翌々日、鹿児島で下船して以降、日本の陸地には足を踏み入れていませんでしたので、いきなり今日、桜のほぼ満開をみたことになるのです。

3月はじめの開花予想では、横浜辺りはちょうど今頃のはずでしたので、しめしめ、船旅から帰ったあと、ゆっくりと、桜の咲き始めを楽しめるぞと、喜んでいたのです。ところが、ボクが出掛けたあと、急に暖かい日が続いたりして、なんと、開花がどんどん早まってきてしまったのです。

今回の船旅は、鹿児島に寄港し、九州地区のお客さんを乗せたあと、東シナ海を渡り、青島(1泊)と上海(2泊)に寄港する船内11泊のクルージングでした。おいおい、ご紹介するつもりです。ゆったり旅のせいか、ボクの頭の中までぼーっとしてしまい、もう、すっかり10日前のことは忘れてしまいましたので、今日は、まだ記憶に新しい、本日の横浜帰港の様子だけを紹介したいと思います。

ほぼ予定どおり、午前8時前に大桟橋に近づいてきました。まずベイブリッジをくぐります。こんな大きな船がくぐれるのかと、往くときも思いましたが、ぎりぎりいっぱいですが、うまく通り抜けました。一番上の、青いスカイデッキの上から撮りました。




大桟橋が近づいてきます。



そして、途中で向きを変え、バックで大桟橋に。飛鳥Ⅱの船尾につながれた小舟が引っ張るようにして接岸させます。細かい指示が機関士さんによって出されていました。無事接岸しました。




顔を上げると、マストには、今までなかった、万国旗がはためいていました。無事帰港のお祝いです。


接岸すると、早速、乗客の荷物下ろし、そして、飛鳥Ⅱには次ぎに航海のための食料や資材が次々と積み込まれていました。車が並んで待っています。




その間、ボクらは下船の準備に入ります。お世話になったメイドさんにお別れの挨拶をして、入国審査を受け、スーツケースの配送手続きをして、接岸2時間後にようやく外に出ました。



さようなら、飛鳥Ⅱ、また逢う日まで。






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お留守番 満開の玉縄桜

2008-03-16 08:27:17 | Weblog
今日これから、10日間ほど留守にします。お留守番には、フラワーセンターの、満開の玉縄桜さん、タマ三郎さんにお願いしました。

そしてこの桜さんたちにもお留守番をお願いしました。

玉縄桜


大寒桜


おかめ桜


春めき桜


ハクモクレンも咲き始めました。


サンシューも


家の近くのカンヒザクラ


旅行から帰りましたら、また報告します。See you.
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稀勢の里、白鵬に惜敗 豊真将は全勝

2008-03-15 21:18:30 | Weblog
大相撲春場所7日目、結びはわくわくする一番でした。白鵬対稀勢の里戦です。稀勢の里優勢で推移しましたが、最後に下手出し投げをくい、惜しくも破れました。でも、もう白鵬とは互角に戦える力をつけてきたことを証明する一番でした。

ここまでで稀勢の里は3大関を破っての3勝で、まずまずの序盤戦だったと思います。できれば、昨日の安馬を破り、4勝3負で抜けて欲しかったです。そして、ボクが初日に予想した11勝4敗で、関脇昇進に繋げたかったです。でも、あと対戦相手は、下位力士がほとんどです。気をゆるめなければ、全勝で11勝も可能です。がんばって欲しいです。

ボクが今場所優勝と大胆にも予想した、豊真将が今日も若麒麟を破り、全勝を守りました。13勝は間違いないでしょう。ただ、横綱陣、とくに朝青龍が安定していて、なかなか負けそうにないのが不安材料です。”荒れる春場所”を期待して、”豊真将、優勝”になって欲しいと思います。

ボクが期待している3羽ガラスの、もうひとり、豪栄道豪太郎は今日勝ち、4勝3敗としました。これで二桁勝利は間違いないでしょう。その他の若手、栃煌山が全勝、把瑠都が5勝2敗と好調で、ボクの予想通りです。

大関陣のふがいない結果も予想しましたが、琴欧州、琴光喜は予想以上にふがいなく、逆に、千代大海と魁皇はまあまあ健闘しています。でも最終的にはいずれの力士も、8勝前後の勝ち星しかとれないでしょうし、琴欧州、琴光喜は負け越す可能性さえ出てきました。

稀勢の里は二桁勝星で関脇昇進、豊真将は初優勝、栃煌山準優勝、豪栄道も二桁勝星。4つのお願い、聞いてください、お星様。




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ヘボン博士の神奈川時代

2008-03-15 10:10:21 | Weblog
ヘボン博士の姓は正式にはヘップバーンなのです。で、奥さんの名はオードリーなんですよ。・・・本気にしないでくださいね。クララです。クララさんも大変な活躍をされました。ご主人は和英辞典をつくりましたが、クララさんは英語塾を開き、幾多の有為な人材を育てました。高橋是清もここの塾生でした。のちに、メアリーキダーが、このヘボン塾の女子生徒を集め、明治3年に学校を創設しました。フェリス女学院の前身だそうです。

今年の初め、まだ松の内の頃だったと思います。急に思い立って(いつもそうなのですが)、まだ未調査だった(笑)旧東海道の神奈川宿の辺りを歩いてみようと、東横線の反町駅を下車しました。地図もなく、勘だけで探しましたが、その日は、結局、神奈川宿の場所は見つかりませんでしたが、(川崎、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯宿はなんなく見つかりましたが、ここは難しかったです)、横浜開港に関連する史蹟をたくさん発見しました。そのひとつに、今日紹介する、ヘボン博士が来日してから3年間過ごしたという、成仏寺がありました。

反町駅から高台を目指して歩くと、横浜が一望できる高島台というところに出ます。高島嘉右衛門の業績をたたえる望欽台の碑があります。横浜開港に実業家として活躍された方で、日本最初のガス灯をつくったこと、牢獄中に勉強した”高島易段”などが有名です。晩年はこの高台に住んでいたのです。

この高台を京急神奈川駅に向かって降りて行き、そしてそこから、JR東神奈川駅方面に通じる道を歩いて行きますと、たくさんのお寺があり、それらが、横浜開港当時の欧米の領事館等であったことが知られます。たとえば、本覚寺はアメリカ領事館、基行寺はフランス公使館です。成仏寺はそうゆう並びの中にありました。

成仏寺は宣教師館として位置づけられ、ヘボン夫妻もここで3年間すごしました。日曜礼拝もここで行ったそうです。仏教の寺で、キリスト教なんて可笑しいですね。ここに住んですぐの頃、日本のお役人の一隊が訪ねてきました。大村益二郎もいたそうです。ヘボンさんは、彼らの学力を試してみましたら、みな二次方程式を含む代数や平面、球面三角法を理解していて、アメリカの大学卒業生をしのぐ実力をもつことが分かりました。それで、英語教育だけで十分だと判断されたようです。

宗興寺というお寺がこの近くにありますが、医者でもあるヘボンさんはここに施療所を開いていました。ここで、病人の治療をすると共に、日本の若者たちに、近代医学の実践勉強をさせていたわけです。境内にはそのことを示す石碑があります。

来年は、横浜開港150年になるそうです。記念事業も計画されているようです。近代日本の発展に貢献されたヘボン夫妻のような方々に、時折思いをはせる必要があると思いました。

・・・
旧東海道神奈川宿は、前述の高島台を反対の方角に降りて行くとぶつかることが、後日分かりました。それについてはのちほど、報告します。

ついでながら、横浜の高島町は、高島嘉右衛門さんが鉄道用地として埋め立てた場所で、そこからきています。伊勢佐木町は、旧吉田新田の埋め立てに財政的に協力した3人、伊勢屋中村次郎左右衛門、佐川儀衛門、佐々木新五郎の名前に由来します。昨日紹介した”ハマの謎解き展”から仕入れた知識です。
・・・
関連の写真です。

望欽台の碑


アメリカ領事館のあった本覚寺


フランス公使館のあった基行寺


宣教師館であった成仏寺と近くの松並木



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ヘボン博士の足跡

2008-03-14 16:21:36 | Weblog
お彼岸中は旅行の予定がありますので、昨日、父のお墓参りを済ませました。その帰り、東横線の日本大通り駅で下車、山下公園でも散歩しようと歩き始めたところ、横浜開港資料館の”ハマの謎解き;地図でさぐる横浜150年”の看板に目がとまりました。

中華街はなぜ斜めなのか、なぜ伊勢佐木町という地名なのか、とか、その特別展もなかなか面白かったのですが、ボクは常設展の一枚のパネルにも興味がひかれました。そのパネルは、ヘボン博士の業績を紹介したもので、彼が7年かけて仕上げた日本最初の和英辞典である”和英語材集成”が展示されていました。その3版から採用されたローマ字つづりの”ヘボン式”で彼の名前は知られました。宣教師でもあり、またお医者さんでもあります。

ヘボン博士について最初に興味をもったのは、一昨年の秋、日光金谷ホテルに泊ったときでした。そこの資料室で、このホテルが、日光を訪れたヘボン博士の助言により出来、1873年(明治6年)に自宅の一部を改造した洋式の宿泊施設”金谷カッテージ・イン”がその始まりであったことを知りました。”ヘボン式”のヘボンさんぐらいの知識しかなかったボクには、日本初の洋式ホテルの設立にまで関わっていたことを知り驚きました。その後、彼に関する本を読んだりして、日本の文明開化に、実に幅広い分野での貢献があることを知り、すごい方だなとソンケイしていました。

そのブースには当時、ヘボン博士が住んでいた洋館の絵も飾られていました。1862年(文久2年)の、山手側からみた川向こう(山下)の谷戸橋近くに建つヘボン邸です。ボクはどうしてもその場所を確認したくなりました。そして、特別展の古い地図をみたりして、そこが、今の元町通りの海岸側の入り口辺りで、当時は山手側だけではなく、山下側も海岸沿いの一部が外国人居留地だったということを知りました。

思った通り、谷戸橋は元町通りの入り口近くにありました。昭和2年の設立という銘の入った(大正12年の震災で古い橋は壊れたのでしょう)りっぱな石橋でした。あの絵からでは、山下側の橋の左側にヘボン邸が描かれていましたので、その辺を探しましたが、碑らしいものは見つかりませんでした。それで、あちこち歩き回り、ようやく、ヘボン邸跡の石碑をみつけることが出来ました。それはあの絵とは反対側(右側)にありました。画家が絵の構図上から橋の左側にしたのでしょうか。それとも、当時の橋はもう少し右にあったのでしょうか。今のフランス橋あたりですと、位置的にはぴったりです。近くに新しいマンションが建っていますが、マンションを探していたときに、ここも候補にあげたことがありました。もし、ここに住んでいればヘボン博士の”隣組”になるところでした(笑)。以下に関連の写真を載せます。

・・・
金谷ホテルの、創業以来灯しつづけれらている階段の赤いランプ


横浜資料館中庭の玉楠の木です。この下で日米和親条約が結ばれました。今の木は二代目です。玉楠はタブの木とも呼ばれ、逆読みすると”木のブタ”になります(笑)。ここの木は、スマートですが、長谷寺門前のタブの木は、まさに”木のブタ”です(笑)。



山手側(元町)からみた谷戸橋です。絵では向こう岸の左側にヘボン邸が建っていましたが、実際は、右側の方にヘボン博士の顔が彫られた石碑がありました。ここに30年住みました。



次回はヘボン博士の最初の3年間の居住地、東神奈川の成仏寺付近を紹介したいと思います。
















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