気ままに

大船での気ままな生活日誌

よいお年を

2011-12-31 18:05:53 | Weblog
ご主人様(ぼくのこと)になり代わり、年末のご挨拶をさせていただきます。
私たちは、ご主人様がわざわざ現地までおいで下さり、面接試験をして、合格した、ご主人様直属の家政婦でございます。

いつも、この拙いブログにおいでくださり、ありがとうございます。来年も元気であるかぎり続けていきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。みなさま、良いお年をお迎えください。元旦からスタートしますので、また、ぜひおいでください。

家政婦一同。
。。。。。

家政婦のテン。白貂(てん)を抱く貴婦人(レオナルドダビンチ展;ロンドンナショナルギャラリー)


家政婦のミミ。真珠の耳飾りの少女(フェルメール;マウリッツハイス美術館常設展)


家政婦のマネ。 フォリーベルジェールの酒場(マネ;コートールド美術館常設展)


家政婦のヤエ。千草の丘(松岡映丘展;練馬区立美術館)初代水谷八重子がモデル


家政婦のキバ 黄薔薇(橋口五葉展;千葉市美術館)


家政婦お仙 笠森お仙(伊東深水展;平塚市美術館)

 

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江の島の児玉神社

2011-12-30 17:58:22 | Weblog

横須賀の三笠公園にある戦艦三笠が、年間18万人を越える見学者で、40年ぶりの賑わいをみせているという。もちろん、NHKドラマスペシャル”坂の上の雲”効果である。このドラマは3年前にスタートしたから、見学者の増加もその頃から始まっている。ぼくもその一人で(汗)、2009年に訪ねている。そのとき艦内では”正岡子規展”が開催されていた。当時のドラマ(前篇)では秋山兄弟と共に、香川照之演じる、若き日の子規が随分、顔を出していたことに依るのだろう。今回の最終シリーズでは、日露戦争のハイライト、”二○三高地”と”バルチック艦隊”が中心だから、戦艦三笠も前面に出てきた。それ故、見学者が一気に増加したということだろう。

戦艦三笠


さて、江の島にも”坂の上の雲”に関連する施設があるのを御存じの方は少ないと思う。児玉神社という、児玉源太郎を祀った神社である。乃木将軍と参謀長・伊地知幸助の無策、無能により、旅順総攻撃は失敗に失敗を重ね、作戦当初からの死傷は二万数千人に登っていた。”無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう”とまで司馬遼太郎は書いている。海軍の当初の要望であった、二○三高地攻撃に変更するも戦線はどうしようもない状態になっていた。たまりかねて、出て来たのが、乃木の友人でもある、満州軍総司令部の児玉源太郎総参謀長であった。そして、反抗する伊地知参謀長を、”おまえらのアホ作戦がどれだけ多数の兵士の尊い命を奪ったか、まだわからないのか”と怒鳴りつけ、自分が采配をふるった。そして、彼の作戦が功を奏し、二〇三高地を占領。同時に山越えに大砲弾をぶちこみ、旅順に停泊中のロシアの戦艦を撃沈させたのだった。ドラマでは高橋英樹が演じている。

児玉は、日露開戦前は台湾総督と内務大臣を兼務していたが、参謀としての能力に自信があり、降格人事ながら、自分から志願して総司令部の総参謀長になった。この二〇三高地戦から一年後に脳溢血で急死した。55歳であった。

児玉神社



爾霊山高地の石塊。 爾霊山は二〇三高地の呼び名。 児玉山、旅順富士の案もあったが、乃木がつくった漢詩の中での呼び名が残った。 ”爾霊山”という、この言葉のかがやきはどうであろう、この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻を帯びているといってよかった。二〇三(にれいさん)という標高をもって、爾(なんじ)の霊の山という。単に語呂を合わせているのではなく、この山で死んだ無数の霊・・乃木自身の次男保典をふくめて・・に乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけた、と司馬は書いている。
そのほか境内には、後藤新平、山縣有朋の詩碑もある。



神社はひっそりとした山の中腹にある。ヨットハーバー側である。

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円覚寺でカワセミ

2011-12-29 18:07:08 | Weblog
円覚寺でカワセミをみました。はじめてみました。

ここで。


そうです、虎頭岩の池です。なななんと、看板の上に。看板娘のつもりだろうか。


たしかにカワセミだ。



ひょいと飛んで、今度は虎頭岩の上に。こんどは東慶寺の美乳岩にもお願いします。池がないとだめ! たしかに。餌をとりに来てるんですね。


おっ、見つけたぞ。


おいしいお刺身を捕えました


のどかな、年の瀬の円覚寺だった。








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えのすいからこんにちわ

2011-12-29 07:22:15 | Weblog
えのすい(新江ノ島水族館)からこんにちわ
はやばやと、しんねんのごあいさつをさせていただきます。

かいうんたつぎょ(開運辰魚)です。べに(紅)はこううん、きん(金)はきんうんをよぶといわれています。えへん、えへん。



ジャンピングたつぎょ(龍魚)だがや。らいねんもどらごんずだがや、にゃーにゃー。



わてはたいがーすぎょだす。らいねんもだめとちゃうか。


ギョギョ


あかいたこはおしょうがつにたべてください。


あかいくらげはおいしくありません。


おいしそうなおさかなさんがいっぱいです。


いるかしょー、らいねんもどうぞよろしくおねがいします。やじるしがいるかどす。


うちのごしゅじんさまは、いとうようかどうとおなじで、ねんまつねんしやすみなしですので、まいにちおいでください。う(鵜)より(まいにちごしゅじんさまのおさしみをしゅうかくしてきます)
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シャルロット・ペリアンと日本

2011-12-28 10:59:46 | Weblog
県立近代美術館で開催中の”シャルロット・ペリアンと日本”展をみてきた。ペリアンの一代記を読むようでとても面白かった。著名な日本人がたくさん登場してくるのも、この一代記を一段と面白くさせている。パリのル・コルビュジエのアトリエでは前川國男、坂倉準三と机を並べている。1940年(昭和15)に我が国の商工省に輸出工芸指導顧問として招聘されるが、船中ではパリから帰国中の岡本太郎らと交流。上海では仕事中の前川が迎えてくれた。来日すると坂倉準三と、先日亡くなられた柳宗理が待っていた。柳はペリアンに”民藝”の父の宗悦や河井寛次郎を紹介するとともに、全国を連れて回った。ここで、地方に残る日本的意匠を研究する。以上のように”日本の名優”がたくさん登場している。このあと、再来日するが、そのときは丹下健三とも一緒に仕事をするようになる。

この展覧会では、彼女の作品が実物、あるいは写真で展示されている。日本の影響を受けたことが濃厚な竹製の椅子とか、民藝調の蓑まであった。段違いの棚もあったが、日本古来の意匠なんだそうだ。バスタブの意匠も面白かった。これは帰国後の仕事だが、日本式のお風呂が気に入って、それを基にしてデザインしている。しゃがんで湯につかるタブ、洗い場とシャワーはタブの横におき(ここまで一段高くなっている)、そこで座れるようにして着変えをするユニットであった。

5つの章に分けて、家具、インテリアの図面、写真、そして、ペリアン自身が撮影した写真、書簡など約500点が展示されている。なお、ペリアンを日本びいきにさせた、坂倉準三は、この神奈川県立近代美術館/鎌倉を設計した建築家である。”坂倉準三展”もここで一昨年、開催されている。坂倉は大学では美学を専攻し、家具類のデザインも手掛けたそうだ。だから、ペリアンに特別な親しみを感じたのだろう。

シャルロット・ペリアン、今までのぼくにとってははるか遠い人だったが、この展覧会で、だいぶ親しみをもつようになった。だから、展覧会は入ってみるものだ、と思った。
。。。。。

椅子のデザインが有名とのこと





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幕末太陽傳

2011-12-28 09:36:52 | Weblog
日活の創立100周年記念として、特別上映が始まった”幕末太陽傳”(デジタル修復版)を横浜ニューテアトルで観てきた。1957年作だから、映画全盛時代の作品だ。ぼくはその頃、東映の時代劇専門だったから映画館ではみていないはず。その後、テレビでみたような気がする。フランキー境が主演で、裕次郎も出ていたな、それに、たしか玄人筋に評価の高い映画だったな、それくらいしか予備知識はなかった。

プログラムをみると、その冒頭に、井上ひさしの短評が載っている。”落語種を映画にして成功したのは、日本映画史上で、これが唯一。その意味でこれは奇跡である”古典落語の居残り佐平次を軸に、品川心中、三枚起請、お見立て、星野屋、お初徳兵衛、坊主の遊びなどを織り交ぜて脚本にしている喜劇である。だから、落語をきくノリで観るととても面白い。テンポも早いし、リズムもあり、さすが名作と評されることはあると、思った。

舞台は品川色街の相模屋。一文なしの佐平次(フランキー境)が仲間を引き連れて、大尽遊びをする。お代が払えず、そのまま居残り、働いて返金するということになった。ところが、佐平次は口八丁手八丁のやりて、遊郭内に起こる様々なトラブルをたくみにさばいていく。楼主(金子信雄)、女房(山岡久乃)をはじめ遊女たちにもすっかり気に入られる存在となった。

相模屋では、女郎こはる(南田洋子)とおそめ(左幸子)の筆頭遊女争いがあり、おそめは誰かと心中して浮名を流そうと、出入りの貸本屋金造(小沢昭一)をそそのかしたが、桟橋から身を投げたのは金造だけ。加えて、若旦那と奉公人おひさ(芦川いずみ)の駆け落ち事件、さらにここに投宿している高杉晋作(石原裕次郎)ら攘夷派の浪士の御殿場の異人館焼き打ち事件などのドタバタがいっぱい。それらに佐平次が首を突っ込み、見事に処理していく。そして、鮮やかに相模屋を立ち去るところで幕となる。

川島雄三監督。助監督に今村昌平、脚本は田中啓一、川島、今村。音楽に黛敏郎、風俗考証に木村荘八。2009年キネマ旬報オールタイムベスト遺産200で第4位に選定される。ちなみに1位、東京物語(小津安二郎)、2位、七人の侍(黒澤明)。3位、浮雲(成瀬巳喜男)だった。

南田洋子、左幸子、芦川いづみのきれいだったこと。フランキー境は28才だった。裕次郎、小林旭の若々しいこと。ぼくも少年時代に戻ってしまった、2時間だった。










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年の瀬の紅葉狩り 東慶寺

2011-12-27 10:04:36 | Weblog
年の瀬の東慶寺を訪れた。もう紅葉もおわっているだろうと思っていたが、とんでもはっぷんあるいてじゅっぷんだった。ちょうどおひさまが裏山から顔を出してくれたのが、良かった。もみじも近くでみると、人間でいえば、アラ半世紀、アラもうカンレキくらいだけど、日が当たって、遠目でみると、アラフォーの松嶋菜々子さんくらいの美人にみえる。元尼寺、東慶寺の美魔女のような、年の瀬の紅葉をどうぞご覧ください。







二十代にみえたけど美魔女かもしれない アラカン(レキ)かな



この岩も美魔女です。美乳岩。ぼくが本ブログで命名して以来世界的に有名になりました。ウソを重ねてほんまどす。アホを重ねてとんまどす。舌を重ねてえんまどす。紅葉とのツーショットの写真は今回が初めてです。


今回、この石にも、美乳石のミタ(右)、美乳石のナナ(左)と命名しました。よろしくお願いします。ただ、お正月は石を重ねておそなえ餅になります。ほんまどす。


108の煩悩 除夜の鐘。
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今朝の散歩

2011-12-27 09:18:42 | Weblog
富士の高嶺に降る雪も


京都先斗町に降る雪も、蕗の葉っぱに降る霜も 溶けてながれりゃみな同じ


大木は退職後も役にたち でもすぐ灰になり 


寄らば大樹の陰 現役大木はいいな ちやほやとされているよでばかにされ


花咲か爺さんがいるのかな 枯れ木に花を咲かしたみたいにたくさんの山茶花の花 ♪山茶花山茶花咲いた道焚火だ焚火だうれしいな♪・・二つ前に戻る



今年も暮れる ”思い通り”という道はない 来年も

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2011年報道写真展

2011-12-26 08:53:03 | Weblog
日本橋三越本店で開催されている(25日で閉幕)、2011年報道写真展をみてきた。予想通り、大震災の写真が会場を埋め尽くしていた。テレビなどでその惨状は知っているが、改めて、大きなサイズの報道写真を目の前にすると、胸がつまる。ハンカチで目を押さえながら、見ておられる御婦人を何人もみかけた。”ままへ、いきているといいね”と画用紙に描きながら疲れて、寝入ってしまっている幼児の写真には、おもわず目頭が熱くなってしまった。

原発事故の惨状は、もともと目にみえないものなので、なかなか写真では表現できないせいか、数は少なかった。その中の一枚の写真の前で立ちつくしてしまった。それは、屋内につくられた砂場で遊んでいる子供たちの姿をとらえた写真だった。子供たちの笑顔がかえって痛ましい。ごめんね、みんな、ぼくらの世代がこんな汚れた日本にしてしまった。いくら、あやまってもあやまりきれない、ぼくらの世代の大犯罪だ。ぼくは、怒りとか、悲しみとか、むなしさとか、いろいろな感情が胸に込み上げてきて茫然としてしまった。

そのあと、スポーツや文化関係などの写真を眺めたが、例年のようには穏やかな気持ちでみられなかった。でも、金色の紙吹雪の舞う中でWP優勝を喜ぶ女子サッカーの選手たちの写真の前で、ようやく笑みがこぼれた。ぼくらに随分勇気を与えてくれたっけ。ありがとう。

その2011年も、もうすぐ、過ぎ去っていく。



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真央ちゃん 全日本優勝

2011-12-25 22:41:22 | Weblog
”まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている”で始まり、”(明治時代の)楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう”で、締められた、NHKの”坂の上の雲”の最終回が終わり、チャンネルを回すと、そこは雪国であった。真央ちゃんがいた。

真央ちゃんは昨日のSPで、首位、村上佳奈子ちゃんに僅かの差で二位につけた。母の死という悲しみをこらえての出場であった。GPファイナルをキャンセルし、もしこれで不成績であれば世界選手権の出場も危ぶまれる、背水の陣であった。4分間の演技が始まる。観客席もぼくも、そして放送席のアナウンサーも解説者も、みな金メタルをとってほしいと思っているのがひしひしと伝わってくる。

真央ちゃんも15,6歳の頃は、”のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう”だった。成人になった今は違う、いろいろ迷いが出て来た。平成の時代の日本と同じといえるかもしれない。

大きな失敗はなく演技を終え、鈴木明子を抑え、首位にたった。あとは、最終演技の村上佳奈子の結果次第となった。17歳の佳奈ちゃんは、演技用の衣装をホテルに忘れてしまうほどの大物だ、恐いものなしの、まさに”坂の上の雲”の娘のはずだった。しかし、その大物、佳奈ちゃんがミスを重ねた。そして金メタルは真央ちゃんに転がりこんできた。

今回だけは、何としてでも金メタルをあげたかった。そんなみんなの気持ちが、通じたのかもしれない。おめでとう、真央ちゃん。次は世界チャンピオンだね。



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