気ままに

大船での気ままな生活日誌

天は二物を与える

2009-02-28 11:24:07 | Weblog
母が入院して以来、見舞の折に、病院の最寄駅である川崎駅周辺をハイカイすることが多くなっている。昨日も駅前のデパートに立ち寄ったら、ある画廊で開催されていた”八代亜紀のアートの世界”展に出くわした。八代亜紀さんといえば、名曲”舟歌”をはじめ数々のヒット曲をもつ大歌手であるが、また”画家”としても結構知られてしている。ボクは、彼女の絵をテレビなどで拝見したことはあったが、実物を観るのは今回が初めてであった。

まるで写真のように、ていねいに描かれていて、またモチーフが可愛い猫やペットが多く、ほんわかとした気分にさせてくれる。そういえば、亜紀さんの顔は猫のイメージだな、と思いながら観ていると、人物画も亜紀さんそっくりであった。ナルシストなのかもしれない(笑) 。ボクの好きな、富士山と桜の絵があって、買いたいと思ったが、100万円以上の値段がついていて、とても手がでなかった(涙)。

昨年だったか、上野の森の美術館で”百華繚乱展”(芸能人・文化人による華やかアートの共演)を観たことがあり、ここでも歌手の方々の、くろうとはだしの作品に感心したことがある。五月みどりさんをはじめ、田中好子、岩崎宏美、藤あや子さんの名を憶えている。

”天は二物を与える”のですね。

今日(28日)、本人が画廊に来られるそうです。また行こうかな(汗)。川崎さいか屋です。ついでながら、さいか屋は、戦国時代の最強の鉄砲傭兵集団 ”雑賀衆(さいか);雑賀孫一”の流れなんですよ。司馬遼太郎の”尻くらえ孫一”で知りました(汗)。だいぶ宣伝してしまいましたが、さいか屋さんから一円ももらっていません。無料の、亜紀さんの作品の絵ハガキをもらっただけです。



せっかくですので、ボクの好きな舟唄をのせておきます。川口松太郎さんも大好きだったらしいですね。

・・・・・

舟唄

作詞 阿久 悠  
作曲 浜 圭介 
歌唱 八代亜紀

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟唄を


沖の鴎に 深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ
朝寝する ダンチョネ


店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃 あの娘を 思ったら
歌い出すのさ 舟唄を


ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌い出すのさ 舟唄を


ルルル・・・・・・


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アカデミー賞効果にびっくり ”おくりびと”

2009-02-27 11:06:02 | Weblog
藤沢の映画館で、今回、アカデミー賞を受賞した”おくりびと”が、金曜日(今日)まで、1週間限定上映されているというので、昨日、木曜日にふたりで出かけた。1日2回、午前10時と午後1時からの上映ということだった。たぶん午後の部が混むだろうからと、午前の部の、開始15分前に到着した。映画館前に行列もなく、これは良かったと、入口まで行くと、係りの人が、な、なんと、”もう立ち見席もいっぱいです”。もうすでに、皆、映画館内に入ってしまったあとだったのである。

”次回の、午後の部は200席以上ある3階で上映しますが、そのチケットを10時半から発売します、もう、並んでいます”とのこと。最終日の翌日は、きっと、もっと混雑するだろうからと、ぼくらも並ぶことにした。3階までの階段にずらりと並ぶ長い列のあとにつき、ようやく午後の部のチケットを手に入れた。

ボクは大船に住んでいるが、ここはむかし、松竹の大船撮影所があった由緒ある地であるにもかかわらず、映画館がひとつもない(古い地図をみると、駅前にオデオン座があったらしいが)。ついでながら、”おくりびと”の配給元は松竹なのだ。そんなわけで、ボクが映画を観るというと、一番近い、藤沢の映画館に出かけることになる。藤沢には最近まで、二つの映画館があったが、今はここだけになってしまっている。

こんなことは初めてである。藤沢の映画館はいつも閑散としていて、かなり評判の映画でも平日ならば(たぶん休日でも)、数十人程度の観客である。コートやバッグを隣りの席において、ゆっくりとした気分でみられる。一面、さびしい気持ちもあった。それが、今回は満席である。それどころか、通路に補助椅子があるったけ並べられ、それらもいっぱいなのである。

いつものように、バッグやコートを隣りの席におけないで、ゆったり感はなかったけれど、なんだか、とてもうれしい気持ちになっていた。昭和30年代、映画全盛期のころ、どの映画館もこうだった。立ち見席もぎゅうぎゅうで、前の人の頭の隙間から画面の一部をようやっと観ていたものだった。ボクの少年時代は東映専門。ちゃんばらが大好きで、錦ちゃんのフアンだった。森の石松、一心太助、宮本武蔵、どれもこれも良かった。お正月映画はオールスター総出演で、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、東千代の介等、主演級スターが勢ぞろいして、大変な人気であった。

アカデミー賞効果にびっくりした1日であった。これをきかっけに、日本映画の再興を期待したいものだ。

・・・

”おくりびと”は評判通りの、いい映画でした。昨日も、”クローズアップ現代”でとりあげていましたね。他日、ボクなりの感想文をと思っています。そうそう、この映画館では、急遽、15時50分からの追加上映もすることにしたようです。近くの方は、これからでもどうぞ。でも今日が最終日、多分、大行列でしょうね(笑)。









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北村西望の彫刻だったのか

2009-02-26 08:42:13 | Weblog
先日紹介したように、ボクは中学2年まで、三鷹に住んでいて、井の頭公園には自転車でよく遊びにきていた。そして、公園内の、玉川上水側の雑木林の一画に、いくつもの彫刻像が”突如”出現したのをよく憶えている。

その後、ボクは遠方に引っ越してしまい、井の頭公園を訪ねることは、ほとんどなくなってしまった。社会人になってからも、ますます縁遠くなり、たまに井の頭公園に寄ることはあっても、駅側の池の周辺だけで、彫刻園にまで足をのばすことは一度もなかった。

今回、中学生以来(半世紀近く;汗)はじめて、そこを訪れて、仰天した。ボクが当時、何気なく、ながめていた彫刻は、あの北村西望の作品群だったのである。

解説によると、北村西望は、昭和28年に公園からこの一画の土地を借り、アトリエをつくり、ここであの、有名な”平和祈念像”を作成する。昭和30年に長崎市平和公園で除幕式があり、昭和33年には文化勲章を受けている。同年に祈念像の原型やその他多くの作品が都に寄贈され一般公開になる。これが現在の彫刻園の始まりなのだそうだ。

当時、中学生だったボクは、そんな著名な彫刻家の作品とはつゆ知らず、その後、半世紀あまりも気付かず、数日前、はじめて知ったというわけだ(汗)。西望先生にお許しを乞いながら、雑木林の中や彫刻館内の、数々の作品を改めて鑑賞させていただいた。
。。。。。

彫刻園入口の”天女の舞”

彫刻館前の3作品。”光に打たれる悪魔、晩鐘、怒涛”

”笑う少女”と母子像

鎌倉関係も。畠山重忠と北条時宗

健康美の数々

”考える人”のポーズみたいのも

このひとも(笑)


そして、”平和祈念像”原型


それはたくましい男性の健康美 全長三十二尺余
右手は原爆を示し 左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る (作者の言葉より)

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三浦海岸の河津桜

2009-02-25 09:17:31 | Weblog
昨日は小雨模様の寒い一日でした。こんな日は、おとなしく図書館でもと、逗子に向かったのですが・・。JR逗子駅をおりて京急逗子駅の近くでみた観光ポスターについ、ふらり(汗)。京急三浦海岸駅近くに河津桜の並木があるらしい、ぜひ観なければ、まだ大丈夫だろうと・・。京急逗子から金沢八景経由で、三浦海岸駅に辿り着きました。

駅前広場に河津桜が。満開をすぎて、葉桜にすすむ時期でした。でも、まだまだ女盛りの5,60代(爆)。

散ったあとも、おうつくしいです。黄水仙の”おくりびと”がお化粧してくれています。

駅から10分ほど歩くと、桜並木が。お店もずらり。でも人出はさらり(笑)。

本場の河津桜並木は川沿いですが、ここは京急沿い。菜の花は一緒。


桜並木がとだえ、下りてゆくと池があります。小松ヶ池といいます。お松ヶ池とも呼ばれ、池にしずんだお松という働き者の嫁さんの民話が語り継がれています。ここにも河津桜の並木が。



駅への帰り道、大根畑をよくみました。三浦大根ですね。女高生のような大根足がにょきっと。それにしても、今の女高生はなぜミニスカートでぶっとい足をさらけだすのでしょうか、隠すのがふつうの感覚でしょ(爆)。


駅の近くでみつけた海防陣屋跡の石碑。弘化4年(1847年)に江戸幕府が、異国船渡来に備えた陣屋だそうです。はじめは彦根藩、そして長州藩、熊本藩(えへん)そして佐倉藩へと引き継がれたようです。仕事は長州藩が一番よくやったそうです。

そこにも1本、河津桜が咲いていました。ここのはお世辞抜きの3、40代の女盛りでした(笑)。
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おくりびと アカデミー賞

2009-02-24 10:25:12 | Weblog


滝田洋二郎監督の”おくりびと”が、アカデミー賞(外国語映画賞)を受賞したとの報には驚きました。加えて、加藤久仁生監督の”つみきのいえ”も短編アニメーション賞と、ダブル受賞。日本映画界、”久々の逆転満塁ホームラン”ですね。

こんな評価の高い映画ですが、ボクはまだ観ていません。先月も藤沢の映画館で上映していましたが、これはちょっと暗そう、とワイフが言うもんで、別の映画を観てしまいました(汗)。こうなれば、是非、観たいです。ネットで調べましたら、藤沢の映画館で再上映していることを知りました。もう”日本映画史上初 オスカー獲得”のコピーが入っていました、さすが。今週中にぜひ行かねば。

滝田洋二郎監督。81年”痴漢女教師”が監督デビューだそうです(汗)。その後、”病院へ行こう”や”バッテリー”、そして中井貴一主演の”壬生義士伝”(これはボクも観ました。南部藩随一の剣の使い手が赤貧洗うがごとくの生活から脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊する物語。いい映画でした)の監督もしています。ポルノからスポーツ、歴史、病院、そして葬儀と実に幅広く人間を観察している監督なんですね。今後、ますます楽しみな映画監督です。

今日の朝散歩の風景写真は、”おくりびと”関連(笑)。いつものお寺で撮りました。





やさしい人になれるかな 自分が働かなければ人は動かない おくりびと









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井の頭公園は思い出ぼろぼろ

2009-02-23 11:10:09 | Weblog
土曜日に、三鷹の小学校のミニクラス会があったとき、夜遅く、帰るのがおっくうでしたので、吉祥寺駅前のホテルに予約を入れておきました。なぜ吉祥寺にしたかというと、久し振りに井の頭公園を散歩したいな、と思ったからです。

ボクは中学2年のときに川崎に引っ越すまで、ずっと三鷹に住んでいて、ボクが自転車に乗れるようになってからは、井の頭公園あたりまでは、行動範囲に入っていたのです。で、ここは、懐かしの公園というわけなのです。ついでながら、この近くの”路傍の石”の山本有三記念図書館なんかにもよく行きました(今でもあるのかな)。子供のころから結構、本好きだったのです(汗)。

ホテルに午後、早めに到着。すぐ公園へ。

井の頭公園というと、やっぱり池がまず思い浮かびます。江戸時代、神田上水の水源でもありました。水が澄んでいて”江戸紫”の染物にも利用されていたそうです。
ぼくらの時代の、クラシックな手漕ぎのボートはどこにいったのかな。

この橋はむかしのままみたい。

池の畔の、弁財天さまの狛犬。

雑木林。もっと広かったように思ったけど。イヌシデが多かったのだ、と今、気づく。

玉川上水。もっと大きい川だったような気がしたな。山本有三図書館はこの少し上流のあたりだった。


。。。
ばかっぱなし8割(汗)、思い出話2割の、楽しいクラス会を終え、一泊。もちろん朝散歩もここ。

まだ、朝寝を楽しむ鴨。

ちょっと距離を置いてる、”おしどり夫婦”。白州次郎の言葉を思い出す。”夫婦円満のこつは、あまり一緒にいないことだよ”(笑)。

噴水は早起きだ。

ここの池の水は熟睡していた。ぴたりとも動かず、春の、満開の桜の夢をみているようだった。

こぶしがもう咲き始めていた。原宿駅前のはどうかな。

ホテルに戻る道で、小学校時代の初恋のひとに似た(汗)少女におはようと、挨拶された。


井の頭公園は、小学校時代の”思い出ぼろぼろ”の公園だった。
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妙心寺展 in 東博

2009-02-21 11:20:29 | Weblog


一昨年、京都の祇園祭に行ったとき、ついでに花園の、広大な敷地の妙心寺の塔頭のひとつ、退蔵院を訪ねました。その名園”余香苑”とあの瓢箪で鯰(なまず)をつかまえようとする、国宝”瓢鯰図”(それが本物だったかコピーだったか憶えがないのですが;汗)を観ている、それがボクの、妙心寺との唯一の関わりでした。ですから、東博で”妙心寺展”が開かれたといっても、是非に行かねばという気持ちはありませんでした。

でも、観に行ってよかったです。臨済禅の概要も分かりましたし、白隠禅師の絵も字も好きになりましたし、それに、すばらしい、障屏画(しょうびょうが)の数々にも魅了されました。

まず、開山慧玄(かんざんえげん)坐像が迎えてくれます。鎌倉の建長寺で修行されていたことに、まず親近感をもちました。のちに大徳寺の大燈国師から印可を得て、妙心寺に入りました。禅の教えは”不立文字””教外別伝”で文字や言葉で伝えるものではなく、以心伝心で伝えるものだと、何も残していないそうです。

臨済宗中興の祖ともいわれている白隠さんは、逆にいろいろな書画を残しています。駿河の生まれで、”駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原(地名)の白隠”と讃えられたそうです。白隠さんの達磨像や自画像などの絵、そして、まったく技巧を感じさせない、ぶっとい、力強い、でも暖かさを感じる字にも、うっとりしてしまいました。ボクは字のことはぜんぜんわかりませんが、三筆、三跡と呼ばれる名人の字には全くカンドーしませんが(汗)、こういう字や、良寛さんや足利義満の字などには、つい微笑んでしまうのです。

そして、すばらしい障屏画の数々。重要文化財 花卉図屏風 (海北友松作)。そして、メトロポリタン美術館所蔵、狩野山雪の”老梅図襖”等々。老梅の花もうつくしかったけど、幹や岩にはびこるウメノキゴケも、きれいに描かれていました。ウメノキゴケになりかわり、御礼申し上げます(笑)。狩野山楽作”龍虎図屏風”は、前期のみの展示で、残念ながらみられませんでした。ここの”第8章 禅の空間2 ”に一番、時間を費やしてしまいました。

おわりに、また”第7章 近世の禅風”の展示室に戻り、白隠さんの達磨像や字をもう一度、観てから外に出ました。東京国立博物館構内には、紅梅や寒桜、それになんと河津桜まで咲いていました。うっとり眺めていて、ふと、白隠さんの書にあった、”目前の、柏樹の中に真理がある”といった意味の、言葉を思い出していました。

。。。
絵葉書から

花卉図屏風 (海北友松作)

達磨像 (白隠)

白隠の書

国宝”瓢鯰図”


。。。
紅梅

河津桜

これは、上野公園の寒桜と裸婦像。



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午後3時の東慶寺の梅

2009-02-20 14:32:48 | Weblog
去年だったか、一昨年でしたか、ここで一瞬息が止まるほどの美しい光景に出会いました。それは、ちょうど梅が満開のときで、日が、まだ裏山に隠れていない午後3時頃だったと思います。あのときの、向かいの日のひかりの中(逆光)に浮かんだ、梅の花々の美しさは忘れられません。

その日、ボクはまた、あのときの恍惚感にも似たカンドウを得たくて、梅が満開になっているはずの、東慶寺を訪れたのでした。もちろん、ちょうど時間もあのときと同じです。

山門からつづく満開の梅並木、そして前方に、まだ山に沈む前の午後の太陽。あのときと同じ条件です。

たしかにうつくしい。輝いている。でも、あのときのカンドウが、ボクの胸に湧き上がってきません。どこかがちがう。微妙な光の加減なのかもしれない、いや、これを受ける側のボクの心がちがっているのでしょう。一瞬一瞬、景色も変わるように、ボクらの心もゆれています。両者がぴたりとあったときに”恍惚のブルース”(笑)になるのでしょう。

でも、やっぱり午後3時の東慶寺の”逆光の梅”が好きです。素人写真では十分、うつくしさが表せませんが、紹介します。







黄梅もあったんですね。今まで見落としていました、すみません。黄梅というと瑞泉寺だけだと思いこんでいました。いつか紹介した、花弁が”ありそで、なさそで”の、きいろいうめの花です。



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幻の山岡コレクション

2009-02-19 09:55:31 | Weblog


ヤンマージーゼルの創設者、山岡孫吉さんの、幕末から明治期にかけての日本近代洋画のコレクションは、公開されることがなく、関係者の間で”幻のコレクション”と呼ばれていたそうです。御子息の代になってから、そのコレクションが、2001年、笠間日動美術館に移され、はじめて多くの人の目にふれるようになりました。

茅ヶ崎市美術館で、その山岡コレクションを中心とした”日本近代洋画への道”展が開催されていましたので観てきました。

近代日本洋画の父と呼ばれる、高橋由一の作品も5点ほど展示されていました。ちょんまげ姿の自画像にはおどろきました。考えてみれば幕末の人ですね。それと鮭図。芸大美術館所蔵のとそっくりでした。ふたつ並べてみたいですね。鯛図というのもありました。いずれも精密な描写にはおどろきました。

ワーグマンの百合図も気に入りました。ぼくが山百合を好きなこともありますが、この絵の山百合のイキイキした様子にほれぼれしました。高橋由一が教えを乞うた方だそうです。ということは、”近代日本洋画のおじい様(父の父)”でしょうか(笑)。

五姓田義松の”人形の着物”も良かったです。フェルメールの作品のようでした(素人的感想;汗)。そのほか、明治美術会系とか白馬会系の画家、そして丸山応挙や徳川慶喜の作品までありました。

幻の山岡コレクション、近場でみられてよかったです。茨城県民だったころ、笠間日動美術館にも寄ったことがありますが、気づきませんでしたから、きっと2001年前だったのですね。

。。。

絵葉書から

高橋由一 ”鮭図” 


ワーグマン ”百合図”


五姓田義松 ”人形の着物”
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早春 フラワーセンター

2009-02-18 18:21:39 | Weblog
早春のフラワーセンターは、タマ縄桜だけではありません。こんなにも、個性豊かな木々や草花がうつくしい姿をみせてくれています。タマがった?(熊本弁でおどろいた?という意味です。)ついでながら、”あとぜき”とは戸や窓をきちんと閉めるということです。ワイフからおさわりました。

枝垂れ梅が見頃。うつくしか。

おかめ桜が咲き始め。ずいぶん早い、たまがった。

去年、植えられた若木の河津桜も見頃。すっかり大船に馴染んだようです。

しなまんさく

まんさくエレナ

みつまた

アイスランドポピーと緑の芝生(ばってん、イタリアンライグラスを混ぜているタイ)

雲南黄梅

西洋しろやなぎ。 もぞらしか(かわいらしいという意味です)

日本庭園に初登場、牡丹。春牡丹を温室で早く咲かせたとのこと。この藁ぼっちだけは”あとぜき”できませんね。

ボクが、ひねまる子ちゃんとあだなをつけた、しだれエンジュ。ひねくれた頑固な娘でしたが、ヨガをやるようになってからすっかり素直な娘になりました。得意のポーズは、DNA二重らせんのポーズ。


ついでながら、頑固もののことを”もっこす”と言います。義父はその典型でした(汗)。うちの近くに、”もっこす”という名の飲食店がありますが、とてもおいしいですよ。
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