気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏休みします

2010-07-23 09:28:58 | Weblog


小学生も夏休みに入りましたね。恒例の朝のラジオ体操もはじまりました。
ぼくも、今日から夏休みに入ります。
はあ?毎日、夏休みなのに、何故? たしかにそうですね。
ただ、ぼくの唯一の仕事(汗)、ブログを10日間ほど休むので、
ブログの夏休みというわけです。

ロシアに行ってきます。サンクトペテルブルグやエルミタージュ美術館を訪ね、酷暑のロシアを楽しんできます。えへん。うそどす。

でも半分本当です。ロシアと言っても、樺太にちらりと寄るだけです(汗)。だから、一応、パスポートはもって行くのです。

船旅で、横浜を出て、小樽、利尻、網走、函館等に寄港して、それぞれの地を散策するコースです。そのとき、ついでに樺太の港町にも寄るということです。

週間天気予報をみると、本州は酷暑ですが、北海道は、最高温度が25,6度という涼しさ。良かったです。

小樽の人(東京ロマンチカ)や函館の女(北島三郎)にお会いできるとうれしいです。合い言葉は”気まま”と”わがまま”にしましょう。

それでは、しばらく、ブログ、お休みします。その間、熱中症で寝込まないようにしてくださいね。8月1日に戻ってきます。
。。。

PCのお留守番は、にぎやかに祇園祭りの、八坂神社のお神輿さんと祇園の舞子さんにお願いしました。
















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”誕生/中国文明”展 in 東博

2010-07-22 19:59:50 | Weblog


東博で開催中の”誕生/中国文明”展を観てきた。もともと中国の歴史については疎く、今回の展覧会も勉強のつもりで行った。中国に王朝ができたのは、なんと紀元前21世紀だという。そしてそのクニの名は”夏”という。あれ、井上靖の”敦煌”に”夏”というクニが出てきたような気がして、帰って調べたら”西夏”だった。もちろんずっとあとの時代である。ついでながら、”西夏”は、本当は”夏”という国名だったが、この幻の王朝”夏”と混同するので、西夏としたそうである。

河南省(かなんしょう)に、その王朝があり、はじめは神話の中に出て来たが、考古学的にも証明されつつあるそうだ。そのひとつにポスター絵に採用された、動物紋飾板である。二里頭遺跡から発掘された、青銅に400個前後緑色のトルコ石を象嵌した、16センチくらいの、うつくしい作品である。狐かなにかの動物ををモチーフにしている。4つの穴があいていて、身分の高い人が衣服につけて飾ったものらしい。


その他、前述の遺跡から発掘された、爵(お酒を温める酒器の一種)、玉刀、器などが展示されている。そのあと、同じ河南省に商(ぼくらは殷と教えられたBC17~11)、周というクニができる(BC11~8世紀)。扁足鼎とか尊とか、”ゆう”とかの青銅器の数々が展示されている。祭祀や儀式に使用したものが多いとのことだ。そして、第1部(3) 競い合う国々 春秋・戦国(前8~前3世紀) 、第1部(4)大帝国の形成 前漢(前3~後1世紀)と続く。

九鼎(春秋時代(鄭国)・BC7~6世紀)


その後、”第2部 技の誕生”で「暮らし」「飲食の器」 「アクセサリー」、そして ”第3部 美の誕生”で「神仙の世界」「仏の世界」 「人と動物の造形」「書画の源流」という分類で、ほぼ時代順に展示されている。

いくつか印象に残ったものを挙げると、卜骨(商時代・BC13~BC11)は興味深かった。これは動物の骨を焼いて、ひび割れの状態から占いをするもので、その占いの結果がいわゆる甲骨文字で書かれている。漢字の源流になった、貴重な資料だそうだ。

北宗時代(11~12世紀)の澱青釉碗も良かった。汝窯の青に通じるようなうつくしい青だった。唐(8、9世紀)の青花塔形台付壺も、のちの青花磁器の源流のようで麗しかった。唐(10世紀)の”獅子”も、日本の狛犬の原型をみるようでなぜてしまいたかった。青銅でつくられていて、精悍な顔つきをしていた。唐時代のものは以下の、御者と馬、楽舞俑など、親しみやすいものが多く出てくる。

御者と馬

楽舞俑


めったにみられない、いいものをみせてもらった、東博さん、ありがとうと、外に出ると、東博のシンボルツリー、ユリの木がどういたしましてと答えてくれた。もうすっかり真夏の、深緑色になっていた。


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八幡さまの早朝蓮見

2010-07-22 10:28:08 | Weblog
朝5時から、八幡さまの源平池の蓮見に行った(汗)。

とくに、県立美術館側の”平家の池”のが良かった。
平家池なのに白い蓮ばかり(笑)。
こんなに咲きそろっているのは初めてみた。






蓮の花は、早朝に開いて、昼間はしぼんでしまう。
そして、わずか3,4日の命。
こんないい時に出会える人は、よほど普段の行いがいい人か、
よほど、暇で歩き回っている人だろう(汗)。




源氏池の方は、ピンク系が多いが、花の数がずっと少なかった。もう終わりだろうか。写生している女性がいた。






今日の勝負は平家の勝ちだった。もう一度、平家池の蓮の花を観て帰った。




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猛暑

2010-07-22 09:19:34 | Weblog
夜明けだ。

ちらりと

日の出だ

朝日が昇る

山を抜けだした

真夏の太陽になった

今日も猛暑かな、 雲がそう言っていた。 130年振りの猛暑でロシアも大変らしい。ウオッカ飲んで水浴びして亡くなる方がたくさん出ているらしい。冷酒でぬるいお風呂程度ならだいじょうぶかな(汗) 


で、早朝行動しかないと、今朝5時頃、八幡さまの蓮見に行った(汗)
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今日の空

2010-07-21 20:44:47 | Weblog
今日の空も良かったなあ

朝 朝焼けの空


昼 上野の東博でみたスカイツリーと空


夜(1) 由比ヶ浜の花火 音だけはよく聞こえる でもときどきベランダから花火もみえる 赤いのがそう(汗)


夜(2) お月さまはよくみえた 満月は26日。今年は、北海道、利尻島で観月の予定

。。。。。

去年の鎌倉花火大会は中止だった。特等席を予約しておいたのに。
一昨年の由比ヶ浜の花火は観た。思い出すなあ。あのときは8月11日だった。
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京都歴史散歩

2010-07-21 19:12:03 | Weblog
祇園祭見物の間、山鉾町周辺だけれど、ぶらり散歩もしてみた。さすが、千年の都のことはある、あちこちに、歴史的人物の足跡があったりして、とても面白かった。

西洞院四条当たりに妙な石碑をみつけた。”化粧水”とある。どこかの化粧品屋さん発祥の地なのかなと、横の案内板をみると、おどろいた。あの小野小町がこの辺りに住んでいて、西洞院の清流の井戸を使っていたということだった。清い水を使うと、お化粧をしたように、色白の美人になるということだろうか。うちのワイフの郷、熊本市もきれいな水で有名だが、どうしたことだろうか(汗)。


新京極通りを歩いていると、和泉式部が初代住職であった誠心院と彼女のお墓をみつけた。そして、当院に伝わる”和泉式部縁起絵巻”の物語がパネルで展示してあった。その一枚に、一遍(遊行)上人との出会いがあった。御所の近くに住んでいた紫式部が、あの人の和歌は素晴らしいが、恋愛遍歴の素行は感心できないと言っていたそうだ。やっぱり京女は辛口だな(笑)。ついでながら浪速女は軽口だ(爆)。でも最後はご住職に。セトウチなんとかさんとそっくりだな(爆)。


そして丸山応挙居住地も。場所は錦市場の手前だったかな。翌日訪ねた、高台寺で”百鬼夜行展”をやっていて、応挙の幽霊図を観てきた。足のない幽霊はこの絵から始まったそうだ。ここで幽霊を描いていたのだ。話は違うけど、”ゲゲゲの女房”貧乏神が退散したようだね。視聴率トップになったらしい。


文藝関係だけでなく、お侍さん関係も。

敵は本能寺にあり。あれだけ光秀を窮地に追い込めば、やられるだろう。でも、信長の桶狭間の奇襲作戦は見事だった。あのときの本能寺は現在とは別の場所にあったとのこと。


池田屋騒動の池田屋は居酒屋チェーン店になっていた。お店の入り口に、案内板があり、騒動は祇園祭の宵々山(7月15日)の日に起こったそうだ。現在も、新撰組、勤王派、佐幕派、差別せず死者の供養をしているそうだ。龍馬はここにはいなかった。

龍馬と中岡慎太郎が京都見廻組に暗殺された近江屋は、河原町(四条に近い)の大通りにあった。現在はコンビニになっている。龍馬33歳のときだった。


京都の台所 錦市場。延暦年間(782-805)に開かれたそうだから、以上の歴史的人物は、みな此処を利用したことだろう。

。。。。。

数年前の円覚寺夏期講座で、京都にお住まいの宗教学者の山折哲雄さんが、京都はいいですよ、散歩の途中で、いろいろな時代の史跡に出会えますからね、と言っておられたことを思い出した。本当にそうだと思った。
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円覚寺に稀勢の里勝利祈願

2010-07-20 19:24:26 | Weblog
昨日は”海の日”で、由比ヶ浜に出かけたので、今日は”山の日”にしようと散歩に出かけた。山とは言っても、六国見山や天園コースでは、この暑さの中、さすがのぼくも苦しいので、さてと考えた。そうだ、お寺さんは、たいてい○○山○○寺だ。その山にしようとすぐさま頭に浮かんだ。

そして、そうだ今日は、わが稀勢の里が、全勝横綱、白鵬と対決する。今日、勝つか負けるかで、今場所の成績が大きく違ってくる。ぜひ勝利祈願しなければと思ったのだ。どこのお寺がいいか。これまた、すぐ頭に浮かんだ。円覚寺だ。このお寺は、蒙古軍の二度にわたる襲来を、神風が吹いて、防いだ、時の執権、北条時宗公が建立したお寺で、時宗公のお墓もある。ぴったりではないか。

山の名前は”瑞鹿山”という。

開山のときこの洞から、一群の白鹿が出てきて式に出席したという。この奇瑞により本山を”瑞鹿山”と呼ぶようにしたという。白鹿?うーん、白鵬、有利かな。


時宗公の開基廟に入り、蒙古襲来に神風が起き、稀勢の里に勝利をお導きいただくよう祈願した。 これで勝利は間違いないだろう。ふと横をみると、臥龍梅に目が入った。臥龍、龍が伏せる・・朝青龍ならいいけど、白鵬ではだめか



開基廟の外に出ると、白百合が1本、うなだれている。白鵬負けのしるしではないか。

一方、黄梅院では、日本特産の山百合は6本きれいに咲いている。稀勢の里、今日を含めて6勝という意味だ。 吉兆だ。


山門を出ると、お相撲さんのように半裸体の女性をみつけた。外人だ。稀勢の里不利か。



北鎌倉駅。きたかまくら、稀高枕と読める。稀勢の里、高枕で安心して眠れるということに違いない。 でも、上の42が気になる。白鵬42連勝ということか。


さあ、ぼくのお祈りが功を奏するか。これから、相撲協会の映像配信で楽しもう。(PM5時)

・・・一時休止・・・

そして結果は!

仕切り(PCでの相撲協会の生中継映像配信)


以下は、映像が良い、6時半からのNHKダイジェスト版より)




ああああああ、半分勝っていたのに・・・惜敗
白鵬42連勝。とほほ、北鎌倉駅の42がいけなかった。
明日も強敵、把瑠都海峡冬景色。負けたら、もう明日はない、万年関脇で生涯終えるだろう。

でもうれしいこともあった。豊真将10連勝 ひょっとすると平幕優勝。あすは2連敗の鶴竜、問題ない、11連勝だ。

松坂も勝った。7勝目。 
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屏風祭 とくに杉本家住宅

2010-07-20 12:12:10 | Weblog
祇園祭の山鉾巡行の前々日くらいから、多くの山鉾町の旧家で屏風や衣類等の宝物を展示してくれる。これを屏風祭というが、これも楽しみのひとつである。ワイフはとくに、今年は今まで観ていなかった、綾小路きみまろ通り(後半は冗談です;汗)の杉本家を見学したいという。これまでは、京都市指定有形文化財だったが、今年の6月からは重要文化財になったというからすごい。明治3年の棟上げで、一階部分は京格子を建て、厨子二階(中二階)は虫籠(むしこ)窓にした典型的な京町屋ということだ。

実際、中に入らせてもらえる。もちろんタダではない。いくばくかのお銭を払う。京の町屋は、うなぎの寝床と称されるように間口が狭いが奥がどこまでも続いていて、中庭まである。この中庭のおかげで風も通り、意外と涼しさを感じる。表通りに面して”店の間”があり、玄関をはさんで”住居の間”がある。そして中庭の向こうには隠居部屋ともいうべき部屋がつづいている。中二階は物置に使われるが、虫籠窓(虫駕籠のようなのでその名がる)が通り側についている。京都は火事の多いところで、防火用としての意味もあるそうだ。

屏風祭をふくめ年3回公開していているとのこと。残念ながら、屋内の写真は撮らせてもらえないので、絵ハガキからのものを紹介したい。たまたま、奥さんが友人とお話しされていた。上品な方で、料理家としても有名な方らしい、テレビで拝見したわと友人が言っていた。うちの女房にはとても、こうゆう家では勤まらないと思った。でも最近はお料理を習いはじめている。だけど先生のつくった料理を食べてくるだけで、家ではつくったことがない(汗)。でも煮魚なんか、最近おいしくなってきているので、腕が上がってきているのだろう、気長に待とうと思う(爆)。











そして、京都市指定有形文化、長江家住宅。これも有料で撮影禁止。絵ハガキもないので外見だけ。いい屏風があった。新町通り綾小路下る船鉾町で、船鉾が近くに。




松坂屋 一昨年は小袖を展示していた(あとでサントリー美術館でも)。今年は屏風と鎧




お宅の名前はメモしなかったので、わかりませんが、それぞれのお宅に宝物ぞくぞく










屏風展の部屋の奥で、舞子さんと会食しているグループがあった。うらやましかった。来年こそはといつも思い、実現しない。年金暮らしではとても無理だろう。
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”海の日”に出会ったお祭り

2010-07-19 23:26:28 | Weblog
今日は海の日。午後から、暑い中、海をテーマにした散歩をしようと出掛けた(汗)。歩きながら考えた。江ノ電に乗って、由比ヶ浜、七里ガ浜、江の島海岸を巡って、海景色をみることにした。

まず、江ノ電で長谷駅に降りた。由比ヶ浜に一番近い駅なのだ。数分も歩くと、海岸に着く。左側には海水浴の人々でいっぱいだ。右側の坂ノ下漁港の方をみると、海水浴客はいないが、海には大漁旗を掲げた漁船が二隻、そして向かいの浜辺に目をやると、何やら人だかりが。なにごとだ、と近づくと、な、ななんとお神輿ではないか。そして神主さんが祝詞をあげている。お祭り好きのぼくは、言うまでもなく、その神事を一部始終みたのだった(汗)。

神主さんの祝詞

お神輿が、若者にかつがれる

浜辺近くの海での海上渡御だけかと思ったら、な、ななんと漁船にお神輿が、そして神主さんも一緒に。

そして、この若者たちも、海に入り、泳ぎ出したのだ。えええっ。

そして、神輿を乗せた漁船と若者たちはどんどん沖へ。

そして、水平線の向こうまで行って姿が見えなくなってしまった。あとで知ったことだが、二キロ沖の石の神様に赤飯を供えに行っていたのだ。近くの人に聞いたら、御霊神社内にある石上神社のお祭りだという。で、ぼくはそこから歩いて5分くらいの御霊神社に行ってみた。今年、紫陽花を観にいったばかりで、何度も行っているのに、これまで石上神社があるなんて気付かなかった。そんな小さなお社だった。

御霊神社

境内にいくつか小さなお社があり、そのひとつがそれだった。

案内板があり、むかし、神社の前浜に巨石があり、多くの漁船が座礁し、多数の死亡者が出た。これは海神様のお怒りだろうと、巨石を取り除き、その半分を神様として崇め、石上神社とした。そして、7月下旬にその巨石のあった場所まで、お神輿と御供物の赤飯をもって、お参りするそうだ。それが今日のお祭りだったのだった。

確かに、お社のうしろに、巨石がまつられていた。


ぼくは、また、力餅屋さんの横を通りすぎて、海岸に戻ってきた。まだ海の向こうには、船の姿もなかった。しばらく、砂浜に腰を下ろし、海をみつめていた。すると、遠くに、大漁旗をつけた漁船の姿が遠くに見え始め、だんだん大きくなてきた。そして、海岸にたどり着いた。無事、あの巨石のあった海上での神事が終わったらしい。船から、神主さんが降り、そして、お神輿が降りて来た。そして、泳いでついていった何十人の人々も次々と帰ってきた。




そして、鎌倉囃子を先頭に、神輿はしずしずと、海岸から、力餅屋さんの横を抜けて、江ノ電を横切り、神社に戻った。神主さんによる最後の儀式が行われ、無事、神事は終了した。






いいお祭りをみさせていただいた。海で仕事をしている人たちの、海の神様へのおそれと感謝の気持ちがとてもよくわかる神事だった。こうゆう気持ちをいだいている人々であれば、海底に穴ぼこを開け、原油を取り出すような、愚かな行為は絶対しないだろうとふと思った。最近、ようやく流出が止まったようだが、海の神様のお怒りだったのだろう。

はじめの予定は、もちろん変更して、由比ヶ浜だけをみて、家に戻った。いい海の日だった。
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祇園祭 山鉾巡行

2010-07-19 11:28:44 | Weblog


梅雨明け宣言も出て、今日も朝から暑いですね。6時頃の朝散歩でも汗をかいてしまいました。真夏は5時散歩にしなければ。

さて、祇園祭の報告書を早く、片づけなくては。次々と、新たなあそびが予定されているので、仕事がたまる一方だ。ああ忙しい(汗)。今回は祇園祭のハイライト、山鉾巡行についてです。

三十二もある、山や鉾が、長刀鉾を先頭に、くじで決められた順に、四条烏丸から河原町通りに出て、そこを御池通りまであがり、有料観覧席が並ぶ御池通りを進み、新町通りで左折して巡行が終わる。

祇園祭の始まりは、当時はやった疫病を追いだすために始まったもので、巡行の意味は自分たちの近くの疫病の主を山鉾を飾りたて、集め、そいつらを、巡行の間に他の町内に置きざりにしてゆく意味があるそうだ。だから、ゆっくり廻り、疫病の主を全部、追い払ってから、巡行後は素早く、地元に戻るそうだ。ジコチューの祭りなのだ(爆)。でも、ほかの町の山鉾からの疫病の主が自分の町に落とされていることもあるわけだから、自業自得ということになるのではないだろうか(爆)。

辻回しというのも人気があり、四つ角にも観光客が集まっている。大きな鉾は簡単には廻れないので、三回ほど、大勢で綱でひっぱり、鉾の向きを変えるのだ。結構、揺れるので、乗っている人は怖いと思うよ。

ぼくらは観覧席に座ったり、日差しが強いときには抜け出して、木陰でこの巡行を観たりしていた。新町通りにも近い処だったので、辻回しも観に行った。1時頃、最後の南観音山が来て、終了という予定だったが、大分遅れ、2/3ほどの山鉾を観てから、離れ、昼食に行った。しんがりをつとめる南観音山の人が、うちらが回る頃には、たいていの観光客は帰ってしまうんですよね、と言っていた。ごめんなさい、我々も。
。。。

あ、先頭の長刀鉾が現れた。洛中洛外図などでも必ず出てくる有名鉾だ。矛先が大きな長刀をつけている。それに、生稚児(いきちご)が乗る惟一の鉾でもあり、その子の姿がみえると、みんなで拍手する。ぼくは長刀鉾の生稚児になったんだよ、と一生の自慢話になるだろう。その子のお母さんのうれしそうな顔が目に浮かぶようだ。

長刀鉾と鉾先

生稚児ちゃんもばっちり撮れました。二人いますが、一人はいざというときの影武者。

鉾先のない”山”

函谷鉾(はんこぼこ)

珍しい傘鉾(四条傘鉾)

菊水鉾と鉾先

孟宗山 胴懸は平山郁夫、見送りは竹内栖鳳

子供たちも参加。暑さで疲れた様子。ごくろうさま。

蟷螂山(かまきり山とも)からくりカマキリの動きで人気。小田原の”ういろう”のご先祖さまが始めた。前回はここのチマキを買った。

今年は月鉾のちまきを買いました。この鉾も好きです。月が好きなんで(汗)。


祇園祭見学を終え、新幹線で帰るときに、ちょうど月鉾の鉾先のような三日月が夜空に浮かんでいた。
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