気ままに

大船での気ままな生活日誌

10月のおわり いたち川の夕景と夕月

2019-10-31 22:02:04 | Weblog

こんばんわ。

10月おわりの日は、いたち川沿いの散歩で締めくくった。

警察学校前の十月桜がよく咲いていた。

アオサギとチュウサギが仲良く。

アオサギ

チュウサギと思ったが?首が短い?ゴイサギも見かけるが、色がちがう。鷺はサギ師(笑)。

夕陽の関係で薄青に見える羽の色、青鷺と呼びたい(笑)。コサギ。

今日はハロウィーンの日。ハロウィーンガールズ。

夕陽のいたち川。

ここから我が家まで徒歩で20分ほど。途中で夕月が。

飛行機雲。

家の近くで。

我が家から。

すばらしい10月最後のいたち川の夕景と夕月でした。

では、おやすみなさい。

いたち川近くのアースプラザで見た展覧会ふたつ。いわさきちひろ展と安田菜津紀展。

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蜜蜂と遠雷

2019-10-31 10:10:37 | Weblog

おはようございます。

昨日、辻堂のシネコンで”蜜蜂と遠雷”を見てきた。原作が恩田 陸で、2017年に直木賞と本屋大賞のダブル受賞した作品とのこと。ぼくはこの本を読んでいないが、恩田がこれは絶対、映画化できない主題だと言っていたそうだ(笑)。でも、とても感動的な、いい映画に仕上がってしましたよ。

映画の多くは4人の若手ピアニストのコンクールでの演奏風景で、まるで、”シネマ音楽会”みたい。でも、その合間に若者の過去のエピソードや現在の心理状態が紹介される。一次予選、二次予選とすすむにつれ、彼らの人生がピアノ演奏の中に溶け込み、それが、5人に絞られた本選のピアノ演奏では最高潮に達する。ぼくらも思わず、まるで自分がピアノを弾いているような(弾けないけど)気持ちになってしまう。たとえていえば、”ボヘミアン・ラプソディ”の魂に響くラスト21分の演奏のような感動。

若手ピアニストの登竜門として注目される芳ヶ江国際ピアノコンクール。かつて天才少女と言われ、その将来を嘱望されるも、7年前、母親の死をきっかけに表舞台から消えていた栄伝亜夜(松岡茉優)は、再起をかけ、自分の音を探しに、コンクールに挑む。そしてそこで、3人のコンテスタントと出会う。岩手の楽器店で働くかたわら、夢を諦めず、“生活者の音楽”を掲げ、年齢制限ギリギリで最後のコンクールに挑むサラリーマン奏者、高島明石(松坂桃季)。幼少の頃、亜夜と共にピアノを学び、いまは名門音楽院に在学し、人気実力を兼ね備えた大本命のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)そして、今は亡き“ピアノの神様”の推薦状を持ち、突如として現れた謎の少年、風間塵(鈴鹿央士)。国際コンクールの熾烈な戦いを通し、ライバルたちと互いに刺激し合う中で、亜夜は、かつての自分の音楽と向き合うことになる。果たして亜夜は、まだ音楽の神様に愛されているのか。そして、最後に勝つのは誰か? 監督は、2017年『愚行録』で長編監督デビューを果たし、新藤兼人賞銀賞を受賞、今もっとも注目される新鋭・石川慶。(公式サイトより)

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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江の島で三日月を見る

2019-10-30 21:57:14 | Weblog

こんばんわ。

辻堂のシネコンで”蜜蜂と遠雷”を見終えて、駅への連絡通路から振り返るように西空を眺めると、まるで噴煙のような雲が昇っていた。

そうだ、今日は新月から三日目の正真正銘の三日月だ。これくらいの晴れ間があれば、月が見える可能性は高い。そうだ、江の島で三日月を!と即断即決。藤沢から小田急で江の島へ。

片瀬江の島駅の改札口を出ると、すぐ、三日月が見え始めた。おまけに、まだ夕焼けが少し残っている。

江の島と三日月

江の島へ渡る弁天橋からの三日月。夕闇が迫る。

残念ながら富士山は雲に隠れていたが、木星が月の左上に。江の島の展望台の灯りを結ぶと大三角。

しばらく、うっとり眺めていた。そういえば、江の島で見る三日月は生まれて初めて!まさに奇跡の一日だった。”蜜蜂と遠雷”も最高だったしね。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

今朝の富士山は見事だった。

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手塚雄二展

2019-10-30 09:21:16 | Weblog

おはようございます。

先日、芸大美術館で、退任記念・手塚雄二展を見てきた。ぼくは、毎年、欠かさず院展に行っているので、手塚雄二の作品は年に一、二度(春の院展もあるので)は必ず見ている。好きな画家の一人である。10年ほど前、横浜のそごう美術館で”手塚雄二/一瞬と永遠のはざまで”展があり、そのとき、ご自身のギャラリートークも聞いた。話しがお上手で、ユーモアたっぷり、まるで落語家の噺を聞くようであった。それ以来のファンである。

この日は最終日で、ひょっとしたら手塚画伯のギャラリートークがあるかもと期待したが、それはなかった。でも、帰るときに受付のところで端正な顔立ちの画伯を10年振りに拝見することができた。

この展覧会は無料で、一部の作品を除いて、写真撮影は可能という大盤振る舞い。さすが手塚亭雄二師匠(笑)。では、まず、三十三間堂の風神雷神をモデルに制作したという作品から。10年前の横浜展でも出ていたもの。

風神雷神屏風(1999、2000)院展・内閣総理大臣賞

風雲・風神 風の表現は風に飛び散る紙片を金箔で表している。

雷神雷雲

海音(1997)院展・文部大臣賞

市民(1991)院展・大観賞 西美のカレーの市民(ロダン)がモデル。



波洸(1996)

終宴(1994)

幻の瀧(1994)

きみ鶴(2010)

手塚雄二は1953年に神奈川県に生まれ、80年に東京藝術大学絵画科日本画専攻を卒業しました。卒業制作ではサロン・ド・プランタン賞を受賞し、同大学院の終了制作では台東区長賞を受賞しています。1989年~91年、再興院展にて日本美術院大観賞を受賞し、その翌年には39歳という若さで日本美術院同人に推挙されました。以来、現代の日本画壇を牽引するトップランナーとして、個展も積極的に行い、絶えず新しい日本画を探求するべくアグレッシヴな活動を展開しています。(公式サイトより)

すばらしい展覧会でした。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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海棠のくるい咲き&金木犀、山茶花、つわぶきのまじめ咲き 妙本寺

2019-10-29 21:42:05 | Weblog

こんばんわ。

妙本寺といえば海棠。だから、くるい咲きでもトップニュースに(笑)。

数輪の海棠の花。

まじめ咲きの頃、今年3月27日の海棠。今回のくるい咲きは右の木。 どう、素晴らしいでしょ。

山茶花は今がまじめ咲き。

ツワブキも咲き始めました。

金木犀並木はちょっと不真面目咲き(笑)。来年はもっと華やかに咲いて!

でも、香りは十分。

今日の竹内整一先生の公開講座で九鬼周造の木犀の香りに関する文章が紹介された。そして私は秋になってしめやかな日には庭の木犀の匂いを書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生まれたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。両親が生まれる以前の、いや、もっと以前の、人になるか獣になるかといったはるか原始の時代へ運ばれる、という意味だそうだ。香りというものは問答無用に一気に”原始の心”に戻してしまう。

今日のテーマは”なつかし”。牧水の”かたはらに秋ぐさの花かたるらく(語ることには)ほろびしものはなつかしきかな”の歌をかわきりに、やまと言葉の”なつかし”の意味を探る。なつかしさは、”かなしみ”や”さびしさ”でありつつ、なお、かなしみやさびしさに耐えうる、あるいは乗り超え得る感情として働いている、とのこと。いくばくかのなつかしさ(たとえば大切な思い出)があれば、(現在、どんな状況であっても)人生を肯定的に生きることができる。

講義がおわると、雨が上がっていた。西空にかすかな夕焼けが。ひょっとすると、二日月が見られるかもと期待したが、残念だった。明日の三日月は大丈夫だろう。

では、おやすみなさい。
いい夢を。

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八千草薫さん逝く

2019-10-29 10:00:37 | Weblog

おはようございます。

名女優、八千草薫さんがお亡くなりになりました。享年88歳。ご冥福をお祈りします。

6年ほど前、近くのホールで八千草薫さんのトークショーと、八千草さん主演の日伊合作のオペラ映画”蝶々夫人”(1955年)を見たが、それを懐かしく思い出している。当時、82歳だったはずだが、10はお若く見えるうつくしさで、また、話しぶりもしかりしていて、おやさしく、さすが名女優と感銘を受けたものだ。

このオペラ映画は、ちょうど宮本武蔵のお通さん役をやっているときに、話しがあって、撮影が終了すると同時にローマに向かったそうだ。当時、”蝶々夫人”はイタリアでも人気のオペラなのだが、日本人からみると、蝶々さんのイメージや舞台装置がちょっとおかしいので、日本人キャストとスタッフを入れて、川喜多長政さんが要望してイタリアと共同で制作したとのことだった。若い時にこういう冒険的な仕事ができて、良かったと八千草さん。今度はネ、はじめて年上の役をやりますから、観てくださいねと。90歳過ぎてから詩集を出し、101歳で天国に行かれた柴田トヨさんを演じた”くじけないで”という映画。

蝶々夫人(1954)

くじけないで(2013)

ゆずり葉のころ(2015)これも見ている。八千草薫が85歳で、仲代達也は83歳、そして、中みね子監督は76歳というシニア世代コンビの作品。中みね子監督は、故・岡本喜八監督の奥さんで、プロデューサーとして夫の作品のお手伝いをしてきたが、この映画で監督デビューした。

宮本武蔵(1954)。三船敏郎の武蔵に八千草薫のお通さん。

寅さんのマドンナ役も男はつらいよ・寅次郎夢枕(1972)

テレビドラマといえば、多摩川の氾濫シーンが出てくる”岸辺のアルバム”。そして、最後の出演となった、現在進行中の”やすらぎの刻”

どうぞ八千草の花咲く、花香る、天国でやすらかにお眠りください。

今朝の散歩道から。
花咲く

花香る

 

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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東慶寺 野葡萄、竜胆、秋明菊

2019-10-28 22:07:47 | Weblog

こんばんわ。

東慶寺の野葡萄が見頃になっていました。七つの顔を持つ男は多羅尾伴内なら、七つの色をもつ葡萄は野ぶどう。

四つの花をもつ菊は秋明菊。

白一重。

白八重。

ピンク一重。

ピンク八重。

野菊系は三つの顔をもつ。

竜胆は鎌倉の顔。市の花。

いつもきちんと藤袴。

ひょうきんな彼岸桜のくるい咲き。

きまじめな十月桜のまじめ咲き。

裏表のある金木犀の裏咲き。表の道路側はほとんど咲いていない。


紅葉の一番手はどうだんつつじ。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

大巧寺の向かいのビルの蔦。もう紅葉。

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続カワハロ

2019-10-28 10:28:27 | Weblog

おはようさん#2

カワハロとはカワサキハロウインの愛称。カワハロがはじまったのは1997年(平成9年)とのこと。まだその頃はハロウィンへの馴染みがなく、初年は人集めに苦労し、ビラを配ったり、社員を強制的に参加させたりして、パレード参加者は目標の半分の約150人ほどだったそうだ。沿道の観客は500人程度だったとか。それが、今は、パレード参加総数約2600人、見物客は約12万人(2016年)と、日本最大級を誇るハロウイン・ビッグイベントになった!

では、発祥の地、シネコン・チネチッタへ。

ここにも仮装した人々がたむろし、互いに写真を撮りあったりし、なごやかに。

わんこも仮装

そして、大通りに戻ると、パレードがちょうど終了するところだった。

夕食は川崎の予定だったが、あまりの混雑に、家内の意見を取り入れて、横浜に変更。

横浜でも仮装したもみじが。

スカイビルのレストランから。富士山がなんとか姿を見せてくれた。

さて、今日は何処へ。

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カワサキハロウィン

2019-10-28 09:20:52 | Weblog

おはようございます。

昨日、日本最大級といわれる川崎のハロウィンパレードを見学してきた。川崎はぼくのホームタウンといってもいいくらい馴染みの町なのだが、今回が初めて。

駅前の大通りに辿り着いたとき、ちょうどパレードが始まったところだった。もう、大変な人出で、なんとか隙間をみつけて、カメラを向けた。

上から見るとこんな風↓ (朝日新聞の朝刊から)

 

しばらくして、パレードが中断したので、集合場所になっているはずの、シネコン「チネチッタ」に向かった。すると、パレードに向かう隊列に遭遇。ラッキー! 目の前で写真が撮れる!

楽しい変装がいっぱい!こわいのも!

うさちゃんも見物。

次々と。1800人が思い思いの変装をしてパレードに参加している。

行列が一旦、おわったので、チネチッタへ。ここでもさまざまな怪人、変人がたむろしていた。(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、たまには変装して、お元気で!

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シューマン夫妻の伝記映画 ”愛の調べ”

2019-10-27 10:42:41 | Weblog

おはようございます。

先日の公開講座”音楽史”はシューマンだったが、そのとき、彼の伝記映画「愛の調べ(Song of Love)1947」が上映された。物語そのものも面白かったが、舞台がドイツのドレスデンやライプツィヒで、当地には6年前に訪ねているので余計親しみを感じた。というわけで、そのときの旅行の思い出(緑色)をはさみながら、この映画の紹介をしたいと思う。

映画は、1839年、ドレスデンのオペラハウスでのザクセン王(アウグスト2世)の御前演奏会でクララ(キャサリン・ヘップバーン)がリストのピアノ協奏曲を演奏している場面から始まる。厳しい父親が横で目を光らせている。大喝采のあとアンコール曲を弾くことになる。父親はリストの曲をと厳命するが、クララは、まだ無名で彼女が思いを寄せているシューマンのトロイメライを演奏してしまう。

このオペラハウスは恐らく、劇場広場のゼンバー歌劇場であろう。設計者ゼンバーの名を冠した、世界的に名高いオペラハウス。2度の焼失を乗り越え、1985年に再建。

ドレスデンは、ザクセン州の州都であるが、かってザクセン王国の都であり、とくに18世紀前半のアウグスト2世(強王)と3世の時代に繁栄し、バロック建築の宮殿や教会がつくられ、また、類を見ない宝物が蒐集された。そのうつくしい街並みは、”エルベ河のフィレンツエ”とまで讃えられた。しかし、第二次世界大戦で連合軍の大空襲により街のほとんどが破壊されてしまった。戦後、徐々に建物の復元などが進み、現在では往時のうつくしい街並みを取り戻しつつある。

クララとロベルト・シューマン(ポール・ヘンリード)の結婚は父親に反対され、裁判所に持ち込まれる。リストの応援証言で、無事、二人は結ばれる。しかし、貧乏なロベルトとクララの新居はアパートの小さな部屋。申し訳なさそうなロベルトに対して、クララは”お掃除が楽だわ”と笑顔を返す。楽しい新婚生活がはじまった。

ライプツィヒに二人が住んだアパートがあり、観光名所になっている。1840年、結婚式翌日から4年間、この建物の2階に住んだ。メンデルスゾーン、リスト、ワーグナー、アンデルセンらが訪問したという。

ライプツィヒにはメンデルスゾーンの(1809~1847)の家もある。家族と共に建物2階の一画に住んだ。メンデルスゾーンは、長年にわたりゲヴァントハウス楽長を務めた。

ゲヴァントハウス・コンサートホール。世界最古(1743)の民間オーケストラといわれるゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地。クララは、1828年、ゲヴァントハウスでモーツァルト・ピアノ協奏曲のソリストを務め、プロデビューした。

滝廉太郎(1879-1903)は、1901年から1902年の間、フェルディナンド・ローデ通り7番に住み、ライプツィヒ音楽院で学んだ。

それから何年かがたち、大きな家に引っ越す。シューマンが作曲しているところに赤ちゃんがはいはいして入って来る。そのあと、子供たちが次々に、なんと、7人も!まるで保育園。クララとお手伝いさんはてんてこ舞い。あまりに人使いが荒いと、お手伝いさんは止めてしまう。よくしたもので、そこへ、ロベルトの友人の紹介状を持った青年ブラームス(ロバート・ウォーカー)がやって来る。結局、住みこんで、家事のお手伝いまでしてくれる。シューマンを尊敬するブラームスだが、どうも、クララの美貌にもくらくらしているようだ。

ここで本日の授業はおわり。続きは一か月後の講義のお楽しみとなった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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