尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

真剣に読まないで、今日のは(笑)

2007-08-14 00:38:15 | 健康 整体
どうしたらお客様に早く良くなっていただけるか。
その問いかけは必要ですよね。

そういう意味では、いろんなバリエーションの技術を習得して引き出しをいくつも持っておく、というのは大事なことなんじゃないか、と思います。

でも、いろんなバリエーションのテクニックの整合性がとれていないと、ちょっと浅いテクニックで終わっちゃう気もします。テクニックというか、哲学みたいなものが浅くなる、というか。

つまり、人体とはどういうもので、疾病とはどういうことを言い、それを改善するにはこうするんだ、というものに一貫性がなくなるような感じがするんですよ。

逆に言うと、人体とはこういうもので、痛みとはこういうことで起るので、それを改善するにはこうしたらいい、という筋道があるなら自分の中でいくつものバリエーションは生まれてこないはずなんですね。

人体とは骨格が基礎にあり、それがずれると痛みが生じるので、それを改善するには骨格矯正をすればよい。
という筋道があるなら、「痛みを消すためにAというテクニック(骨格矯正)をするがそれでも痛みが取れなければBというテクニック(骨格矯正以外)も知ってます」というのはアリなんかな?と思っちゃうこともあるんですよ。
それだと痛みは骨格のズレ以外で起ることもある、ということに施術者が気づいていないとおかしいんですよね。

理論と技術が一致していない、というか。
本当は、ね。
医学的に認められていなくても、実際の場で。
「痛みはこういうことで起るので、ここをほら、こうしたら痛みは消えるでしょ?」と見せることができれば。
それは理論と技術が一致している、と言えるんじゃないかと考えるんですよ。
つきつめれば、人体観と疾病観と改善テクニックが一致している。

そこまで整合性がとれれば、ね。
テクニックも深まって、いずれは一つですむんじゃないかなあ、なんて思うわけなんです。
AというテクニックとBというテクニックが必要なんじゃなくて、Aというテクニックだけでいいんだけど、それで解消できなければAというテクニックの中の別バージョンで対応できる、みたいな。

んー、、、一体これは誰に向けて書いているんだろう。
自分でもわかっていません(苦笑)。
コメント
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