尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

痛いもんは痛いんじゃ

2005-10-31 11:13:40 | 健康 整体


どのくらいで痛みを感じるかは、「個性」だと思うのです。
ガマン強くなければ、他人がみたら「そんなに痛くないでしょ?オーバーな」という話になります。でも、本人が痛いと言うなら他人がどう言おうと「痛い」んです。

この業界でもよくそういう話を聞かされます。どこどこでリハビリ中に「痛い」と言ったが「これくらいで痛いはずはない」と言われた、とか。

あそこの整体院で、しつこく「まだ痛い」と言ったら「もう痛くないはずです」と言い返された、とか。

痛いか痛くないか。本人にしかわかりませんよね。だから、他人が「痛くないはず」なんて言えないはずなのです。本人しかわからないから、彼がウソを言ってるかも、なんてこの業界の人間は思う必要ないのです。

精神状態でも変わります。ストレスにあると人は「闘争か逃亡か」の選択を迫られます。そのとき、外部からの刺激には敏感になります。逃げるべきか闘うべきかの判断材料になりますから。もしかしたら、それで少しの刺激でも強く感じるのかもしれません。

ストレスが慢性化したら、肉体は鎧を纏うとも言われます。いつ、攻撃があってもいいようにカラダを厚く覆ってしまう。そうしたら逆に少々の刺激には反応しなくなります。内部に伝わりにくくなりますから。すると、人は痛いはずなのに「感じない」と表現することがあります。

要は痛い、痛くない、という本人の感じ方自体にヒントをみつければいいのです。

だから、「これくらいで痛い、ということは、、、」といくらでも考えることはあるのです。

同業者の方には、共感するチカラを失わないでもらいたいなあ、と願う次第です。
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いやあ、どうしたもんか(例のセミナー)

2005-10-30 11:53:50 | 健康 整体
時間や手間。

それとお金。

一生懸命やって汗水ながして、、、ちょっと結果がでるのと
触れるか触れないか、一瞬やそこらで劇的に結果がでるのと

どっちが高い値段設定になるんやろね。

あ、なんでこの話してるかは、二人くらいにしかわからないんだけど(爆)

遠隔してあげても、お金はらう気がない人もいるからなあー(もち、冗談ですよー。コメントしてこないように。誰かわかっちゃうから。依頼があればお金はもらうけど、こっちが練習がてらやるときは勝手にやってるんだからお金はとらなかったりするんだ)

最近、おちついて書いてる時間がないので、すごくショートになってきちゃいました。
幸か不幸か、ですがね。
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ジンクス

2005-10-29 19:39:48 | 健康 整体
ここ最近、というか、前からそういう傾向はあったんだけど。

同じ症状の人は、3人続く。
かいつう館の法則。

腰が痛い、で、この前から続けて。単に「腰痛」なんじゃなくて
「靴下がはけない」というのが一緒。とある女性は「靴下どころかパンツもはけない」と言っておりましたが(見てないだろうな、このブログ、、、)

最初の人が大事。この人で上手くいかないと、同じ症状の人の二人目に思いっきり時間がかかる。上手くいくと、次の人はもっと早く終わる。

慣れもあるけど、、、物理的なこと(手技)してるのに、施術者の自信のあるなしで結果に変化がでることも。

はあ、日々是精進。
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猫背考

2005-10-28 09:37:14 | 健康 整体
これは、重心を見てあげることが大切だと思う。
簡単な理屈である。

例えば、かかとに体重をかける。すると、カラダは後ろに傾くようになる。このままでは倒れてしまうので、上体を前に傾げるようになる。たったこれだけで「猫背」のできあがりである。

この足裏に乗った体重の位置を変えずに、「骨盤矯正」をしても、おそらくは日保ちはしないと思う。

単純に考えればわかる。猫背になっているのなら、その人は、しょっちゅう前につんのめるはずである。そうなっていない、ということは、その猫背でバランスがとれているからである。では、なぜ猫背でバランスがとれるのか?体の何処かを後ろに持っていってるからである。それを、まず、前にもっていってやることが必要なのは、、、当たり前ですよね?

試しに、足裏を地面からはなさず、体重を指側にもっていく。このままでは、前に倒れてしまう。バランスを取るために、上体を後ろに反らす。ほら、猫背じゃなくなったでしょ?
(ちょっと簡単に説明しすぎ?)
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どうも、です

2005-10-27 09:20:07 | 健康 整体
母の件で、電話やメールをくださった方。

ご心配をおかけしました。とりあえずは、元気になってますので。
ありがとうございましたー。脳の手術の方も経過観察ということで、今すぐにどうこう、ではなくなりましたので。

とりいそぎ、ご報告まで。





あ、、、、、手抜きじゃないですよ、今日のブログ、、。
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知識VS叡智は自力と他力でもある

2005-10-25 10:06:22 | 健康 整体
操体法を世にあらわした先生の本の一文に、
コドモは裸足でデコボコした土の上だったか砂利の上だったかを歩かせればよい。デコボコのバランスをとろうとして体をギクシャクと動かす。それがそのまま歪みをとる自然の療法になる、のだというニュアンスのものがあった。

そういえば足裏療法というのもある。足裏で内臓の疲れまで癒せるわけだが、考えてみれば、素足や薄い履物で土なり砂利なりの上を歩くだけで、カラダの外側(筋肉や骨)も内側(内臓)も丈夫なるように、人間は創られているのだとしたら、すごいことである。

コドモを見ていたらわかるが、ほっといてもギクシャクしている。あれで歪めたりしないから大したもんである。逆に、正しい姿勢がどうの、歪みがどうのと知識はある大人の方が疲れを溜めているのだから、いやはや、である。

もしかしたら、コドモはギクシャクなりに流れにゆだねているからだろうかと思った。ゆだねるには、脱力が必要である。脱力したところにカラダの声は届く。大人は自力(じりき)である。自らの知識と努力でもって正しい姿勢を維持しようと試みる。自力でやるならどうぞ、とカラダは沈黙する。いや、そのメッセージが聞こえてこない。コドモは、おそらく他力(たりき)である。頭が重いからとととっと前に傾きつんのめり、がくんと頭を後ろにやったりして、手を挙げ振りまわししながら、それでも移動していく。そこに作為はない。他力の源はカラダの叡智である。必ずバランスを取らずにはおかないシステムである。叡智と一体化したコドモはやじろべえ「そのもの」みたいなものか。その身そのままで、揺れながら真中に戻ってくる。大人は叡智とカラダを切り離す。したがってやじろべえ(肉体)の「外」に頭が分離し、やじろべえを指でつまみ、必死で垂直に保持しようとしている。したがって、疲れて指がブルブルふるえだす。コドモには知識がない分、他力が発揮される。「他」のチカラであるから効率が良い。そして「他力」はラクである。どう立てばラクか?はどのポジションがラクか、というだけの話でラクな立ち方を考案する必要などないのだ。体が元から知っているからである。



そんなことを考えていたら、なぜだか「である」調になったのである。
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息が止まるかと その2

2005-10-24 09:54:45 | 健康 整体


栄養の話は、ちょっとおいといて。

ストレスで狭心症そっくりの発作がおこった、って話をひとつ前に書きましたよね。

で、思い出したことがあったんです。なにに載っていたか忘れたので、与太話の可能性もあるんですが(ブログなんてなかった時代なので、いちいち文献なんかを控えておく習慣がなかったのじゃ)。

多重人格者(日本では認められてないんだっけ?)のケースで、人格の一人が、糖尿を患ってるのね。そう、この「彼」が表にでてくるときだけは、きっちり糖尿の症状や数値的なもの、が表れるんだって。

もちろん、多重人格者の例では、糖尿じゃない「ペルソナ」がでてくるときは、健康体なわけですよ。数値的にもね。


奇跡的な治癒、てありますやん。特殊なケースで、ね。うちの母さんのケースでは、「奇跡的に・劇的に」悪くなったという例ですよね。この、心的作用を逆に使えれば、奇跡的治癒、も有り得るような気がしてきませんか?

起こり得ない病気が発症するなら、起こり得ない改善が、て。

ここらへんに、宗教にみる「奇跡」だとか、カリスマ性をもった人による「奇跡」だとかのヒントがあるのかも知れませんね。

ぶっちゃけた話、治ればなんでもいいんですよ。医学的であろうと、胡散臭かろうと。
そういう奇跡的・特殊な、ケースの研究でもしたら、奇跡的治癒の法則化や普遍化ができないかなあ。

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シリーズ 栄養

2005-10-23 09:22:46 | 健康 整体
栄養ドリンク

サラリーマン時代は、結構好きで飲んでました。子供の頃からオロナミンCに親しんでいたからなのだ(親しむなって)。

でまあ、いろいろと病気したときに自分なりに健康について勉強したわけで。
今でも、好きなんだろうけど、飲みはしなくなりました。

さて、栄養ドリンクでもアリナなんとかの錠剤でもいいんですが、飲んだ後って、おしっこに色と臭いがつきますよね?飲んだことある人はわかると思うのですが。

なんででしょうね?前に「もっと果実を」を書いたときに触れたかもしれませんが(触れなかったかもしれない)、例えば、みかんを十個食べたとしましょう。ん?和歌山県人はそれくらい平気なのだ。
で、おしっこにみかん色がつくかというと、つかない。
なんででしょうね?

ひとつには、着色料の問題があるのかもしれません。知っている人もいるでしょうが、ビタミンCがレモン色(黄色)をしているわけではありません。レモンのイメージに合わせてあるだけです。他の成分にも別にあの効きそうな「黄金色」をしている素材があるとは思えないですが。
そうしたら、あのおしっこの色は着色料か?という話になります。

もし、それ(黄金色)が成分だったら?成分だったら、ですね。それだけ、効能を謳ってる成分が体外に排出されちゃってる、てことなんですよ。みかんの例えでいえば、それだけ、体内で使われようとしているのに(おしっこにみかん色はついていないから)、栄養剤の方は早々と体内からおさらばしちゃってるわけです。

あの小ささで、数百円するのに、そりゃないぜ、て思いません?

この話は続きます。
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息が止まるかと思いました

2005-10-22 09:32:54 | 健康 整体
自営業のため、まったく健康診断や病院にかかったことがない、という女性。
たまたま、めまいを感じたのだそうだ。で、なぜか、今回だけは病院に行く気になったらしい。
こういう直感は大事にしましょう。迷う前の選択が、だいたい正しいらしいですよ?

結果は、めまいの原因は不明。それとは関係なく、脳に動脈瘤が発見された。
知らずに一生を終えられる可能性もあったらしいが、知ったからには手術しましょう、という話になった。まあ、いつ破裂するか、とおびえながら生きていくよりは安心できるでしょうから(検査が病気を作りだす、という観方もあるけれど、ここは、さすが西洋医学、と賛辞を送っておきましょう)。

それからしばらくして。夜に、女性が助けを求めた。
「苦しい、息が出来へん。痛いっ」

夜間救急センターのようなところへ運び込まれた。心電図の結果は明らかに、そう「明らかに」狭心症。ここでは対処できないから、と日赤に転送される。放っておいたら心筋梗塞になるよ、といわれ、そのまま入院して翌朝、カテーテル検査。

その判定は、、、「心臓も元気。血管もきれいなもんです。動脈硬化すらおこっていない」。ちなみにその女性は60歳以上で、丸々とした体型なんですが、、、。

もちろん、狭心症であるはずもなく、医者も首をひねるばかり。

考えられるのは、極度のストレス、不安。
開頭手術、もし、失敗したらどうなるんだ、という不安。頭にチクリと痛みが走るたびに「ついにきたかっ?破裂か?」とおびえる毎日。

それしか、考えられないんですよ。でも、でもですね。心電図にさえ、「狭心症」そのままの波形をだしてくる、という、、、その事実。想いが、心臓や血管の収縮に直接干渉した、と言えますよね。ストレスの、そして、心の持つパワー、カラダに与える影響力のすごさ、を感じ取る事ができると思いませんか?

僕は、心底、畏れを感じました。ただ、この逆の心の使い方をしたらなにが起こるのだろう、という希望も持ちながら、、、。
ちなみに、この女性は、僕の母です。三日前の出来事でした。


(いつも、他人事ばっかりをネタにしていますので、たまには身内をネタに)
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人体の叡智VS人類の知恵その2

2005-10-21 09:10:03 | 健康 整体
このまえ、ネットで花粉症やアトピーを扱う整体院のページを見ていたら、
「それらは、免疫力の低下うんぬん、、、」というフレーズがありました。

最初は読み流していたのですが、ん?と。
え?そうだっけか?

免疫力が低下していたら、「アレルギー症状」はでないですよね?
むしろ、過敏すぎるのか、情報が混乱しているのか、であって。
極端なことを言えば、免疫力を下げまくることができたら、アレルギーの症状を抑えることができるのではないでしょうか?


ガンなんかでも、「風邪も引かないあの人が」という人がなったりします。風邪も引かないくらい免疫力が高いなら、ガンにもならないだろうけど、風邪という症状がでないくらい免疫力が落ちていた、とするなら、どうでしょうか?鼻水は、菌と闘った白血球の死骸やら、菌の残骸やら、ですよね。それらが「症状」として出る、ということは、闘う機能(免疫)が、働いている、ということで。「症状がない」から、「健康体」なのか、ってことです。

症状がなく、風邪に犯されている人、というのを想像するとおそろしくなりませんか?

老人が、肺結核になるのは、彼らは風邪を引いても「熱がでない」から、病が進行するのだ、と言います。熱が「だせる」のは、免疫が活力をもっているからです。
逆には、アレルギー患者さんの、体温を下げて(血行を悪くして)やれば、免疫が落ちて、アレルギー物質に反応「さえ」しなくなるのではないでしょうか?そして、人はそれを「治癒・健康」と呼ぶようになるのでしょうか?



症状を出せるチカラ、を、つまりは人体の叡智を、人類はもうちょっとだけ、信じてもいいのではないでしょうか。少なくとも、我々医療類似行為に携わるものは、、、。
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