尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

かいつう館的食論その② 野菜で命は始まる

2005-07-31 09:22:48 | 健康 整体
あんまり果物ばっかり持ち上げても野菜さんが焼餅を妬くので。

暑いですねー。こう言うときは焼肉を食べてスタミナをつけよう、って、多分つかないです。スタミナは。それが持続力といういみであれば。単純に考えても、インタビューなんかで「焼肉なら何十人前はぺロリと平らげる」と豪語するマッチョ系の人たち(レスラーとか)、おそらくフルマラソンは完走できないと思いますよ。まあ、それは訓練しだいかもしれませんので、また自然界に目を向けてみましょう。

例えば、ですね。フルマラソンがでてきたので、走るつながりで。競走馬をみてください。野生のシマウマでもいいんですが。彼ら草食動物の足腰の逞しいこと、その足の速いこと、持久力のあること。もちろん、肉食動物に追われたら、逃げなきゃならない。で、実際に逃げ切るんです。肉食動物は、彼らを食べたいと思ったらいつでも食べられるわけじゃあない。だいたいは、腹を空かせて様子を窺っている。スピードよりも作戦や戦略で獲物を捕らえているんだと思いますよ。それを見ても、「草ばっかり食べてたら力がでない。スタミナがつかない」とは言い切れないと思いませんか。

さらに視点を転じて。こんなことを考えたことはありませんか?食物連鎖の頂上にいるものは、その下位の物を食べるなら。一番強い肉食獣は、二番手の肉食獣を食べればいい、二番手は三番手を、三番手は、四番手、最下位の肉食獣は、仕方なく草食獣を食べる、、、。でも、陸地の「弱肉強食」の世界ではそうではないですよね。
ほとんどの肉食動物は、草食動物を食べる。もちろん、下位の肉食動物を襲えば勝ったとしてもお互いに血を見るから、最初から肉食獣どおしで争わない、という理由もあるでしょう。でも、たまにはそんなシーンもあっていいはずですが、まあ、聞いたことはありません。なんでか。草食動物を食べるには、それだけの理由、メリット、必要性があるんだと思うんです。(ややこしいので、鷹がねずみを襲う、とか蛇が卵を丸呑みする、とかいうのはなしね。解説すると話がそれていくので)

人間なら食べる、モモ肉、胸肉、背中の肉、ロースにバラにカルビに、って肉食動物はあんまり食べませんよね。四肢は残されてることが多いようだし。つまり、彼らは、はらわたを食ってるんですね。肝臓だとか、腸だとか。(タンを食うグルメな肉食獣はいないよなあ)彼ら肉食動物は、なんで「肉、つまり筋肉」を食わないのか?いや、何を食ってるのか?多分、、、内臓、すなわち消化された「草」だと思うんです。草を直接食べられない分、消化された「草」を草食動物の腹から取り出して食べる。これが、草食動物を襲う必然性ではないでしょうか、、、。

おっぱいを良く出すためにミルクを飲む。でも、牛はミルクを出すために(というか、生きるためでしょうけど)草を食べてるんですよね?牛にミルクを出させるために、もっとミルクを与えるわけじゃあないっしょ?アスリートは筋肉をつけるために良質の肉を食べる。でも、肉食動物は、筋肉はあんまり食べないんですよね。それ以前に、草を食べる動物もかなりしっかりした筋肉を持ってるし。草食動物が貧弱で肉食動物が筋骨流隆々、というわけではありませんでしょ?

繰り返しますが、僕も今日はさいこーに肉を食べたい気分です。肉を食うな、とは言ってませんからね。しかし、食べ物いや、生き物のスタートには、必ず、「草」がくる、それは、魚類でもなんでも。草は、、、すべての生命を養う基礎となるものでできている、と思うのです。勝手に生えてきて、それでいて、他の生命を維持させる。これこそ、文字通りの大地の恵みではないでしょうか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

総量規制 (閑話休題です)

2005-07-30 11:17:29 | 健康 整体
ちょっと長い話が続いたので、今日は息抜きに。

人間は、あらかじめ量が決まっているという話。

例えば、呼吸。人間は一生の間にできる呼吸数が決まっている、という、、、。1時間に何回心臓がバクバクするか。24時間では何回になり、80歳まで生きるなら、総数何回になる。その回数を早めてやれば、人生を早く終わらせる?ことができる。ゆっくりにしてやれば、より長く生きることができる。「生きる」とはまさに「息をする」ことである。ゆっくり息をすることはすなわち「長生き(長い息)」である、と。

怒り、悲しみ、イライラ、、、、すべて呼吸が早くなっているはずだ。ゆったりした呼吸で怒ることはできない。緊張しているときには「リラックスリラックス、、深呼吸して」というのは、呼吸を長くすることで体の緊張を緩める、ということだ。そんなことが呼吸ひとつでできてしまうところに体の不思議さがある。意識しなくても呼吸はできるのに、意識して呼吸を変えることもできる。心拍数を意識して変えることはできない(特殊なヨギなんかは除くよ、もちろん)のに、呼吸を変えることは許されているのだ。なぜなんだろうか。それだけのメリットがあるに違いない。そんな機能が人間に付加されている理由を考えてみるのもいいと思う。


例えば、食事。俗説だが、一生の間に食べる量が決まっている、という、、、。僕は昔、1日に五食くらい食べていた。で、生活習慣病になって、思いっきり食事を減らさざるを得なくなってしまった。今でも、1日二食なら体重を維持できるが、三食なら確実に太る(注意。二食なら体重が落ち、、、ない。それでも維持できるのである。本当に三食必要なのか?)。結局、昔に将来の分まで食べちゃったから、今は量を減らして少しでも未来の取り分を残している、という状況だ。もし、成人病になっても変わらない食生活を続ければ、一生分を食い尽くした時点でオシャカになる、と考えるわけだ。腹八分目は医者いらず、という。腹六分目は薬いらず、という言葉もある。浮いた四分は将来に先送りされていく、と考えれば長生きできるのもうなずける。不老長寿の代表格、仙人はカスミ(霞み)を食って生きる、という。霞みを食って(つまり何も食べずに)生きられるなら、、、そいつはきっと死なない。

まあ、そんな人生なら長生きしても意味は無い、という人もいるだろうが。事故でもない限り、人間が主体的に寿命を決められるかもしれない、という可能性は知っておいてもいい。「なんで、オレが」と言わなくてもいいように。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もっと果実を 続き

2005-07-29 11:26:30 | 健康 整体
昨日は、「人間が肉食だったら、いかに不利か」というテーマでした。今日は、果物
そのものの「存在」について書いていきます。これも、結論めいたことを先に記して
おきましょう。それは「果物は食べてもらいたがっている」ということです。昨日の
末尾にも書きましたが、生き物は他の生命の犠牲の上に存在していると言われます。
ですが、果物の「生態?」を見てみると、、、。

果物は、たわわに実を成らせます。これを生命を考えるなら、「取って食べられてし
まう事」は命の消失につながるわけです。ならば、なぜ、果物は生き延びる工夫を進
化の過程でしてこなかったのか?たとえば、実の色を木や葉っぱと同じ色にして、果
物の存在をわかりにくくする、とか。サボテンのように、実自体に棘トゲをまとわせ
る、とか。もっと単純に、しっぶーい味にして食べる気をおこさせなくする、とか。
鼻が曲がるような匂いにする、とか。(シャケの卵みたいに何千個と実をつける、と
か。それは無理があるな)実際は逆に、色鮮やかで、いい匂いで、甘く、また酸っぱ
く、肉のように調理する必要もなく、その場で食べれてしまうものが多いじゃないで
すか。これは、どう考えても「食べられやすくしている」としか思えません。もちろ
ん、殻を固くする、高いところに実をつける、というものもありますが、それはまた
後日機会があれば。

そんなことは、僕にとって都合のよい思いこみ、、、本当は食べられたくないはず
だ、でしょうか。では、もし、誰にも食べられずに、果物はその命をまっとうしたと
しましょう。すると、どうなるか?実は熟して地面に落ちます。問題は、そこには、
親の木がでーん、と根を張っていることです。しかも、親の木の葉もしげっていた
ら。環境は最悪です。地面の栄養分は親の木がもっていっちゃう、日はあたらない。
熟して落ちた実は腐って親の木の栄養分にはなるでしょうが、、、。ならば、どう
やって子孫を繁栄させるか。少しでも親の木から遠いところに種を落とす事です。タ
ンポポのように風に乗っていくわけにもいかない実(の種)は、誰かに運んでもらう
こと、に将来を託したのではないでしょうか。誰か(猿か、人類か、その他か)が実
をもぎる、どこかで食べる、食べ終わったらぽいと捨てる。そう、その場所に子孫繁
栄の芽を芽吹かせようという作戦ではないでしょうか。種ごと呑み込まれたってかま
いません。あの堅い殻にまもられ、しかも、種自身の養分か?あのねっとりとしたも
のにくるまれ、さらに糞と一緒に排泄された日には、、、肥料つきですから(笑)つ
まり、果物は誰か(動物)が、食べるつまり移動すること、に子孫の繁栄を賭けて進
化したのではないでしょうか?当然、食べてもらうために味や色や香りや多分栄養素
まで、練りに練った完成品だと思うのですよ。

トラやライオンに果物を食え、というのは酷な話です。でも、一人では捕らえること
もできない生き物を、しかも泣いていやがる生き物を食するよりも、「食べてー」と
言ってる食べ物が、そこにある、という事実は知っておいて良いと思うのです。そう
いう食べ物が体に悪いとは考えられない。害を与えるものなら、進化戦略自体が間
違ってるわけですから。もっと言えば果物、いえ、野菜や穀物も自分では移動できま
せん。そして、人間はつまるところ「食べたところのもの」なわけです。せっかく食
べたのではあれば、食べた果物が、野菜が、米が、自分と一緒に移動している、一緒
に体験している、こんな経験が人間と一緒にできて果物さんや野菜さんたちもきっと
喜んでくれているだろうな、と思える1日を過ごしたいものです。人間と一緒に体験
できるんだー、と思って食べられた米さんの体験が悪事であれば、あまりにも食われ
甲斐がないというものです、、、。 

一応、断っておきますが、肉食を否定してませんので。僕も焼肉や鶏肉料理は大好き
なもので。

さらに、続きます。(長い、っちゅーねん)これから、うまく整体(体の観方)に繋
げていきたいんだが、ちょっと無理か(笑)


うわ、今見たら改行がおかしくなってるし。ごめんちゃい




コメント (2)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

かいつう館的食論 もっと果実をその①

2005-07-28 10:54:52 | 健康 整体
異論はあるとは思いますが。

人間はなにを優先的にたべるべきか、をちょっと変わった視点で見てみたいと思います。
結論的には、果物を重視しています。なぜか?それは僕が和歌山出身で、少しでも地元の果物が売れて欲しいからでもあるんですが(ないって)。遠回りして、肉食のことを先に考えてみましょう。

僕も焼肉は大好きです。それはこの際おいといて。
人間をまず、動物とみなして下さい。そう、野生の生き物です。まだ、こんなに知恵や文明がなく、これから今のように発展するためになんとしても生き延びなければならない黎明期です。

さて、人間が肉食だったら?あなたの足を見てください。他の動物を追いかけ追いつくほどの脚力を持っていますか?爪は?一撃でノックアウトするだけの武器になってますか?牙は?相手の首に噛みつき離さない、また皮膚を食い破っていくだけの鋭さは?嗅覚は?聴覚は?視力は?(このあたりは、野生に生きていればもっと発達するんでしょうが)

これだけ不利な条件で肉食で生きていけ、と言われたらそれはハンデがありすぎ、てもんでしょう?じゃあ、逆に、今の体の機能を見ていくと。
手は、果物をもぎるようにできているように思えませんか?実をつかみ、捻りまわす。カラーの色覚をもった人間の目に映るカラフルな色彩の果物。果物なら、肉食動物の持つ能力は何一つとして必要ないんですよ。木は逃げませんからね。歯向かっても来ないし。動物の世界は、弱肉強食といいながら、強い方は何日間もお腹をすかしている状態ですよね。果物なら、木を一本見つけたら、しばらくは安心ですよ。とにかく、人類が種として赤ん坊のときは生き延びねばなりません。そんなときに、不利な条件下で肉食に積極的に挑むよりも、果物、木の実を採る方を優先したように思えるんです。マンモス捕ったって保存できなきゃあ、すぐに飢えはやってくるわけですしね。

米もね、保存はききますが1年に一回しか収穫できないうちは、待ってたら飢えて死んじゃいますからね。やっぱり果物や木の実や野菜に頼ると思うんですよ。

こんな例えをしましょうか。生け簀料理ってありますよね。新鮮さがウリの。これの焼肉バージョンにご招待しましょう。
まず、生きた牛を目の前で選んでください。かわいいつぶらな瞳をしてますねえ。選びましたか?じゃあ、さっそくあなたの目の前で捌いていきますよ。泣いてますねえ、生きてるって証拠ですね。わああ、まだあったかい血が飛び散って、金属臭い匂いが立ち込めてきまたね。超レアですねえ。ちょっと内臓を取り分けますね、待っててくださよお。はい、カルビ一丁、お待ちどうっ。新鮮ですから、生で召し上がれますよー。
どうですか?よだれが出てきましたか?だいたいの人は出てきませんよ。なんでですかね。肉を食べたくないんですかね?そんなことではあなた、肉食として生きていけませんよ?見て匂いを嗅いだだけで「おいしそうな果物ー」とは言いますが、生きてる牛を見て嗅いで「おいしそうな牛さんー、じゅるる」という人がいない、、、ですよね?多分。なんでなんでしょうね?

人間を動物として見た場合、機能的にも感情的にも肉食にむいていない、という可能性はある、と個人的には思うんですよね。


次回は、果物そのものに焦点を当てていきます。生き物は他の生き物の命を奪う事でしか生きられないという。しかし???
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ニューブログ、スタート。

2005-07-25 10:00:11 | 健康 整体
隠しキャラならぬ隠しブログをスタートさせました。いまのところ、二人でリレーブログ形式でやってます。

コチラとは違って「素」(関西では『すぅ』と発音します)の僕が見られますよ。かいつうCANの過去のこと、嫁さんの事、その他素顔の僕周辺のことを飾らずに出してます。それが意外な一面なのか、そのままやんけ、なのかは皆さんの判断にお任せしますが。

念の為。僕の素顔をだすためのブログじゃなくてね。前の方のテーマを受けて書き継いでいくやりかたで延々続けていこうという主旨です。そのなかでお互いの身近な話がでてくるので、結果的に二人の過去やフーフのことが表にさらされるという、、、。

興味の沸いてきた方は、かいつう館のトップページを探してみてくださいね。まあ、「ここしか考えられへんやろ」っていう、まさに「そこ」にありますんで。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

幻の桃子

2005-07-24 11:48:56 | 健康 整体
大好きな桃の季節になりました。

もともと和歌山出身の僕は果物が大好き。また、田舎に農家の親戚がいるのでいつも、なんやかんやと頂いてます。みかん、ネーブル、いちご、ぶどう、すいか、もも、はっさく(嫁さんははっさくとかグレープフルーツとかの苦すっぱ系が好きみたいね)、が手に入るのだ。

こういう環境だと普段着感覚なので、お上品になりようがない。「桃毛対策」をされる方もいらっしゃるようですが、和歌山県人はもっとがさつ。桃を一個手に持って、シンクにいく。水道の水を流しながら手で毛の表面を撫でまわす。軽く洗い流したらそこでツー、と皮をむいて一個まるごとかぶりつきます。ぼたぼたおちますが、そこは流しなのでオッケー。だいたい、こんな感じ。固い八朔やネーブルもむりやり指をつっこんで力づくでむいちゃいます。食べなれているので、房をくるりん、と剥くのも上手いもんですが、今は房ごと食べちゃいます。健康にいいかな、と思って。嫁さんの実家ではきっちり剥いて、一口サイズに切ってくれるので最初はびっくりしましたけど(あのやわらかい桃も)

で、子供がおなかにできた当初は、申年だったので仮称「猿江」と呼んでました。だんだん目立つようになってからは「猿江」はちょっとなあ、ということになって「桃子」にしたんです。もちろん、僕の大好物だからです。嫁さんは梅田桃子は木偏ばっかりで変や、というとりましたが、結婚したら姓も変わるし、ええやん、といっていたのです。

その性別が逆子だったこともあり、産まれる数週間前まで判らず、オトコだと判ってから慌てて名前を考え直したのだ。さすがに「政児(まさじ。まさーじ。マッサージ。ばんざーい。)」はすぐに却下されたが。そんなこんなで「桃子」は幻となったが、僕は今日も桃にかぶりついてます。

追伸 桃子あらため「陽平」は、もっちゃりした食感はいやらしく、ばななとか桃とかを口にいれられるとなんとも言えないいやーは表情をします。そ、それでも和歌山県人の子供かっ。めっ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

おうちのことども 今度はクライム

2005-07-21 12:24:12 | 健康 整体
嫁さんと交代で映画に行った。嫁さんは夜の九時四十分からのやつ。僕は翌日の朝の九時半からのやつ。誰かが子供をみていないといけないので、一緒に映画には行けないの。ちなみに、観てきたのはスターウオーズ。ダースベイダー、って、ある意味「なにも悪い事をしようと思ってたわけじゃなく、誰かのために良いことをしようと思ってただけなのかも」なんて思ったりしました。ちなみによんたんが、両手を挙げて「コォー」という姿が皇帝シスのようで、後で笑ってしまいました。

そのよんたんが、ベビーベッドからダイブしてからだいぶ立ちますが。昨日はなんと。自分で柵を攀じ登ってベッドに帰っていきました。こ、こわい、、、。とにかく、目線より上にあるものに興味をしめすせいか、どこにでも手をかけて懸垂状態。足先も地面を離れて、かろうじて足指だけで壁を保持しています。セミか。指先、白くなってるし。
おかげで、筋肉もりもり。肩、背中、ふくらはぎ、、、あんた、いま、何歳やねん、て感じです。

昨日は、そんなよんたんにビニールプールを買ってきました。水遊び用のオムツもあったのですが、嫁さんの「はだかでヨイ」の一言で却下。うーん、楽しみ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

地域のことども

2005-07-18 13:08:58 | 健康 整体
かいつう館は、兵庫県の尼崎市は武庫之荘というところにあります。あ、実際の地名は南武庫之荘ですが。

なぜか、このあたり一帯は美容室が多い、むちゃくちゃ多い。お客さんも言っていたが「面積あたりの美容室存在率は日本で二番目」だとか。ほかにも、不動産屋さんも多い。さらには、整体関係(マッサージやカイロ、接骨院もね)も多いのだ。

まあ、いいけど。

そのうち、ラーメン横丁みたいに整体横丁になってしまう、、、。それもいいんじゃないかと思うんですよね。お客さんからしたら選択肢が多い、ってことだから。
たとえば、美味いパスタの店が密集しているからといって、同じ麺業のうどん屋さんがやっていけないわけではないし。お客さんの求めているものが違うからですよね。それに、競合店が多いから不景気になる、潰れる、っていう店は不景気にならなくても潰れるような気がします。その店が地域にとって必要であれば、いくら競合店が多くてもつぶれはしないでしょう?

昔、習ってた先生が言っておりました。「そこにあなたの店があることで付近の住民を幸せにしなければいけない。あなたの店があることで(つまり、その場所には他の店は出店できないわけで)、付近の住民が電車にのって遠方まで行くことになるなら(えと、他所にもっと良い店がある、ちゅーことですね)、付近の住民のためにもあなたは店を閉めたほうが良い」と。

さて、、、?


暑い日が続きますが、今日も、地域の皆様に、私の持てる技術をすべてご提供していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。ぺこり。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

かいつう館の「整体」観 その①

2005-07-14 13:50:19 | 健康 整体
「どこそこが痛い」って言いますよね。
かいつう館は、どこが痛いのであろうと全身を触る事をしています。そう、首が痛かろうが腰が痛かろうが、首から足から腕から、、、あちらこちらにチェックを入れていくのです。なんでか?

仮に、そのお客さんが首だけ悪いとしましょう。それであれば、「首だけを」触ればいいわけですよね。で、、、ここからここまでが首、ってきっちりと人体に線を引けますか?
首と肩の境目ってはっきり分ける事ができると思います?まず不可能ですよね。筋肉は上下(表面から深部に至るまで)に重なり合いながら連綿と続いていくものです。つまり、首「だけ」という領域はないんです。
それなら、せめて首から肩にかけて、に範囲を広げますか?あ、ちょっと待ってくださいよ。肩と背中の境目はどこなんでしたっけ?ここから下は背中でここから上は肩っ、、、てはっきりラインをひけますか?あれ、、、そうしたら背中と腰の分かれ目は?ん?腰と尻は?尻と太ももは?あれあれ、太ももとふくらはぎ、ふくらはぎと足首、、、。
つまり、その人の「悪い首」と足までは分ける事ができない状態でつながってる、ってことになっちゃうんですよ。

もし、首だけを触ったとして。実は肩にも痛みの元が在った場合、一時的に痛みは消えても肩からの痛みの元が徐々に首に進出してくることでしょう。なぜなら肩も首もつながっているからですね。じゃあ、肩まで処理しておけば、、、。もし、痛みの元が背中にあった場合、処理されていない背中の痛みの元がいずれ肩へ、そして首へ、、、。そこだけしてもらったら楽になったのに「すぐ戻った」というのはそれが原因かもしれませんよぅ。

どこの痛みであろうとまず、全身を緩めておいてから、その場所にとりかかる。一見、時間もかかり遠回りのようですが、効果は長持ちするように思います。

それがかいつう館スタイルです。


そういえば、過去に、顎の痛い高校生は痛い側の腕を捻って痛みが消えましたし、同じく顎の痛いレディはふくらはぎで症状が解消したようです。
コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

かいつう館の疾病観 その②

2005-07-10 09:40:46 | 健康 整体
今度は病気なんかで言うと。

よく例えにだす糖尿病。
まあ、太ってる人が多いわけで、実際に空腹感もしょっちゅう起こってきます。だから、さらに太るんですが。では、なんでそんなに空腹感がやってくるか?本来なら、食べ過ぎなんだから我慢を強いられるんですが、ちょっと視点を変えてみると。

海で遭難する、喉が渇いて、誘惑にまけて海水を飲んだらどうなるか?もっと喉が渇きます。で、さらに海水を飲んだら?永遠に渇きは癒されませんよね。水分が欲しいんじゃなくて真水がほしいんですよね。糖尿病における空腹感も、もともとはそれが原因じゃないかと私は勝手に想像するのです。もちろん、胃袋が大きくなりすぎてもいるんでしょうが。
つまり、食べても食べても生命を維持するための栄養素が入ってこない、その渇望感が頻繁に食欲をおこさせるのではないか?体は必死になって「それじゃないんだ、それを食べて欲しいんじゃなくてまともなものを食わなきゃ死んじゃうよ、早くまともなものを体に入れてくれ」と叫んでるんじゃないでしょうか?私は糖尿は栄養過多ではなく、栄養失調だと考えています。失調であれば、食べても満足できないのは当然です。

で、そんな生活が続くと今度は糖を吸収できなくなってじゃんじゃん体外に排出しだします。これが糖尿ですね。これを、病状と捉えるんですが、でも、排出するからぎりぎりのところで体を維持できるわけです。でなければ、砂糖漬の肉袋になっちゃいます。その際、かなり喉が渇きます。それは、糖だらけのジュースと化し血液を薄めたいからです。喉が渇いていいんです、それは。そこでコーラなんかを飲むから問題なんであって。おしっこに糖がでること、が病気なんじゃなくて、その状態にある、という体からの一種のメールです。

さらに進むと、体重が勝手に落ちてきます。体が栄養を吸収しなくなって、ガス欠になるわけです。このころの脱力感たるや、すごいものがあります。食べても食べても勝手に痩せていく、食べてないのと同じ状態になっちゃうわけですから。でも、、、体重が落ちるのも、一気に改善する、ほぼ最後のチャンスかもしれません。だって、糖尿患者は体重を落とせ、って言われるんですからね。

その、ドロドロの血液を体中に流し込むために、心臓はポンプ力を高めます。これが高血圧ですね。でも、高めなければ、おいそれと流れてくれるようなサラサラ血じゃないわけです。もちろん、血管を傷めますが、高血圧じゃないと体の端っこのほうは困るわけです、ドロドロとはいえ、血が回って来ないことには細胞は生きていけませんから。

つまり、病態自体を見ると、「糖がでた、高血圧だ」とか言いますが、体は常に限られた条件の中で最善のことをやっていると思いませんか?あなたが考える以上に、、、。

これをもってしても、体は基本的には生きようとする力を持っていることがわかります。悪化に見えても踏ん張ってる姿が悪化に見えているんだと思えてきませんか?

体には、希望がある、これがかいつう館の、もうひとつ疾病観です。あなたの腰痛は悪化しているのか?もしかしたら、あなたの体を守ろうとする、踏ん張る力が増してきたのかも知れませんよ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加