あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

君は海を見たか。(自我その113)

2019-05-11 15:47:06 | 思想
漢字本来の「海」の意味は、「広くて深くて暗い海」である。しかし、三好達治の郷愁という詩に、「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」という一節がある。ここには、日本人と欧米人の感性の違いが象徴的に表現されている。日本人は、海を含めて自然に抱かれることを理想とするが、欧米人は自然を征服し利用しようと考えているということである。さて、私には、一つの思いがある。それは、太平洋戦争で、最初に「特攻死」した9人は、どのような思いで海を見たかということである。一般に、「特攻」は、1944年10月、アメリカ軍のフィリピン、レイテ島上陸に際し行われた「神風特別攻撃隊」とされているが、実際には、1941年12月8日の開戦当日の真珠湾攻撃において、既に行われているのである。ただし、航空機ではなく、小型潜航艇「甲標的」による「特攻」である。「甲標的」とは、二人乗り(甲型)の潜水艇である。100メートル程度まで潜行可能だが、航続力は短く、最大速力では、50分程度までしか航行できず、最微速でも、航続距離は、150キロメートルにとどまった。外洋航行能力はなく、武装として、魚雷2本を搭載しているだけであった。真珠湾攻撃には、5隻が出撃し、戦果は現在でも不明だが、全て未帰還となり、戦死者9名、捕虜1名という結果となった。10名のうち9名が戦死したのは、海軍の中央統帥機関である軍令部は、最初から、甲標的部隊の搭乗員の救出は考えていず、「必死」が前提となった作戦だったからである。戦死した9名は、その後大々的に「9軍神」と喧伝され、2階級特進された。マスコミは褒め称え、国民は感動し、戦争に向かう気分はいっそう高まった。なお。海軍はこの部隊を「特別攻撃隊」と称し、マスコミは「特別攻撃隊の偉勲」と褒め称えた。そして、海軍は、アメリカ軍の捕虜となって生き残った者は、最初から、甲標的部隊にいなかったとし、「9軍神」だけが出撃したようにした。東条英機が、陸軍大臣時代に作成させた戦陣訓の一節に、「生きて虜囚に辱めを受けるなかれ」(捕虜となって生き残るような恥ずかしい行為をするな。捕虜になるくらいならば死ね。)という一節があるが、海軍も同じ思いだったのである。つまり、捕虜になった人は恥知らずの人間なのである。しかし、私は、捕虜になった人を恥知らずな人だと思わない。彼は、「甲標的」に搭乗し、海の中を、「必死」の思いで潜行し、攻撃に出たが、運良く、助けられたのである。彼は、仲間を思い、最初は、自らを恥じただろうが、徐々に、海に抱かれて生き残ったことに感謝しただろうと思う。彼は、そこで、初めて、海を見ることができるようになっただろうと思う。さて、それでは、戦死した9名は、海をどのように見ているだろう。自らの行為を、軍令部は、「9軍神」と喧伝し、2階級特進し、マスコミは褒め称え、国民は感動し、戦争に向かう気分はいっそう高まったので、名誉の死だと思い、海に抱かれたと考えているだろうか。それとも、まだ、広くて深くて暗い海に沈み、漂いながら、現在の日本が再び自分のような者を作ろうとしているのを憂えているだろうか。私は9人の一人一人に尋ねたい、「君は海を見たか。」と。