あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人の思いについて(自我その105)

2019-05-02 17:51:53 | 思想
誰しも、男性であっても、女性であっても、人を好きになると、自分一人になると、「あの人は私のことをどのように思っているのだろう。」と考え込むことがある。その人の自分に対する態度を思い浮かべて、その人の気持ちを推し量ろうとする。しかし、自分が相手のことが好きだから相手の気持ちを探ろうとするのだから、相手には自分に対する思いが無いというような自分にとって都合の悪い結論は苦しいから、いきおい、相手にも自分に対する思いがあるというような自分にとって都合の良い結論を導き出すことになる。片思いからストーカーになる人は、この結論から逃れられない、深層心理の執着心が強い人である。しかし、一般の人は、どのような結論に達したとしても、それに確信が持てない。自分に好意を持っているからあのような態度を取っているのではないかと結論を出しても、他の人にも同じような態度を取っているのではないか、他に本当に好きな人がいるのではないかという疑問が湧いてくる。どのような結論を出そうと、すぐに、若しくは、暫くすると、必ず、反論が湧いてくるのである。意見、反対意見、そして、結論という思考法を、ヘーゲルを中心に哲学者は弁証法と呼び、重んじるが、日常生活において、誰しも行っていることなのである。恋する人は、結論を出そうとして、相手に直接尋ねようと思うのだが、それには、一大決心を要し、なかなかできないのである。なぜならば、相手の気持ちを尋ねるということは、自分が相手のことを好きであるということを告白し、相手に、自分が恋愛の対象者としてふさわしいかどうかの判定を委ねることになるからである。言わば、自分は、自ら、進んで、相手の下位の立場に立とうとすることを意味するからである。しかし、それでも、人間は、思いが募ると、どうしても相手に告白することになる。それは、人を好きになるということは、その人にも自分のことを好きになってほしい、その人の恋愛感情を独占したいという思いが強く湧いてくるからである。「愛は限りなく奪う」のである。しかし、自分が、思いを告白して、相手から、相手も自分に対して好意があること、今他に好きな人がいないこと、すぐに恋愛とならなくても恋愛に発展するような可能性があるような返事をもらえれば良いが、無視されたり、迷惑がられたり、拒否されたりすれば、地獄に落ちるような苦しみを味わうことになる。なぜならば、人間とは、対他存在(他者から好評価を得たいと強く思う・他者の評価が非常に気になる・他者の好評価が生きがいになっている)動物だからである。特に、恋愛の対象者となるかならないかは最大の評価項目なのである。何歳になっても、女性は、化粧やダイエットなどをし、美魔女と言われると喜び、男性はマッチョなどになろうとしたりするのは、そのためなのである。だから、恋愛の対象者として認められなかったことは、対他存在が傷付けられ、自我が傷付けられ、苦悩の中で、もう一度、相手に対して自我を形成しなければならなくなるのである。もしも、相手が会社の同僚や学校の同級生であったならば、自分の失恋が周囲に知られ、全体に広まると、相手に恋愛感情を持ったという自分の秘密の心が、全体に知られることになり、会社や学校全体の人に対しても自我を形成し直さなくなり、苦悩がいっそう強まるのである。そこで、深く対他存在が傷付けられないために、自分の秘密の心を多くの人に知られないようにするために、つまり、深い苦悩に陥らないために、相手の友人を通して、相手の気持ちを確かめようとする者がいる。確かに、こうすると、相手に断られても、失恋という対他存在との傷心は、直接告白した時よりも軽くなり、相手に対しての自我の形成も早くなる。しかし、相手や相手の口を通して、自分の失恋が周囲から全体に広まっていくと、やはり、恋愛感情という自分の秘密の心が、全体に知られることになり、深い苦悩の中で、全体の人に対して自我を形成し直さなくなる。だから、相手の友人を通して告白するということは、相手だけでなく、相手の友人にも、相手に恋愛感情を持ったという自分の秘密の心が知られることになり、自分の失恋が周囲に知られ、全体に広まる可能性が高くなるのである。そういう意味では、友人を通して、自分の思いを告げ、相手の気持ちを聞くことは危険である。さて、人間に、他者の秘密を知りたいという欲望があるのは、それができれば、相手を下位に見、相手を支配するという満足感が得られるからである。逆に言えば、自分には自分だけしか知らない秘密があるという確信がその人の人格を保証しているのである。マスコミや大衆が、政治家や芸能人やスポーツ選手などの有名人の不倫や離婚の秘密を知って喜ぶのは、それによって、彼らをこき下ろし、これまで、自分たちが、下位に置かれ支配されているような劣等意識から一時的にせよ解放されるからである。だから、自分の秘密を自分だけに保持しておくことは大切なことなのである。統合失調症に罹患している人が、「私の秘密が周囲の人に筒抜けになっている」と言うのは、自分の秘密の全てが他者に知られていると思い込んでいるからであって、それが、人格の自律性を損なわせているのである。それを補うものとして、秘密の指令が聞こえてくるなどの幻聴が聞こえ、妄想し、幻覚を見ることになり、周囲との自然な交流ができなくなるのである。さて、自分が愛を告白して、相手に自分の思いが伝わり、相手から、相手も自分に対して好意があること、今他に好きな人がいないこと、すぐに恋愛とならなくても恋愛に発展するような可能性があるような返事をもらえても、安心はできない。相手が嘘を言っているからではない。相手の気持ちが変わりやすいからでもない。本質的に、人間には、恋愛相手、配偶者も含めて、他者の気持ちはわからないからでである。だから、恋愛者は、デートを重ね、手を握り、抱き合い、キスをし、そして、セックスをして、相手からの愛の証を得ようとするのである。だから、相手からどれだけ愛の言葉を得ようと、相手がどれだけ愛の態度を示そうと、相手が別の人とセックスをすれば、二人の恋愛関係は壊れてしまうのである。どれだけ、愛情深い言葉を掛けられようと、愛情深い態度を示されようと、別の人とのセックスは、それらを抹消するのである。もちろん、相手が別の人とデートをすること、手を握り合うこと、抱き合うこと、キスをすることも、相手の自分に対する愛情深い言葉や愛情深い態度などの愛情表現を不信感を抱かせる。しかし、決定的なのは、セックスである。なぜならば、セックスを別の人としないことが、恋愛・婚姻の継続の重要な要素であると、社会的に認知され、個人的の認知しているからである。セックスレスの夫婦が離婚しないのは、自分に魅力が無いのではなく、相手が体力の衰えと共に性欲が減じたためであると思い、少なくとも、別の人よりも愛してくれている、大切の思ってくれていると思っているからである。もしも、相手が別の人とセックスすれば、相手がどれだけ言い訳しようと、相手に対する不信感は消えず、経済的に一人でやっていけたら、さっさと離婚に走るだろう。さて、多くの人は、「人間は外見より中身が大切だ」と言う。しかし、人間は、他者の外見は見えるが、中身は見えないから、外見から、中身を判断するのである。つまり、外見と中身は対比するものではなく、繋がっているのである。だから、多くの人は、茶髪の人を見ると、その人間性を疑うのである。つまり、「人間は外見より中身が大切だ」という言葉は意味を成していないのである。そして、自分の他者の中身観察を、自分自身信用していないのである。だから、相手が、一度でも別の人とセックスすると、別れたり離婚したりし、いや、別の人とデートをすること、手を握り合うこと、抱き合うこと、キスをするがあっただけで、別れたり離婚したりするのである。自分の他者の中身観察よりも、一つの事実を信用しているのである。つまり、自分自身、他者の心はわからないと自白しているのである。しかし、人間は、本質的に、自分の中身を全てさらけ出してはいけないのである。自分の心の中に、自分しか知らない自分の秘密を持っていなければいけないのである。自分の中身を全てさらけ出しまうと、「私の秘密が周囲の人に筒抜けになっている」と統合失調症に罹患している人が言うように、人格の自律性が損なわれ、人格が破壊されるのである。吉本隆明は、「人間は、誰にも、人に話せず、墓場まで持っていくような、心に秘密にしていることが最低二つや三つはあるものだ。」と言っているが、この言葉は真理を突いている。しかし、多くの人は、「人間は外見より中身が大切だ」と言い続け、自分は他者の中身観察に優れ、中身のある人を評価し、自分自身も中身の濃い人間を目指して生きていると思い込んで、生き続けるであろう。