ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

多摩川から羽田

2010-03-17 18:31:53 | 観光
 調布から自転車で、多摩川をずっと下って、羽田空港まで行った。職場で、高校生が前々から行きたがっていたので、進路が決まったら行こうという話をしていた。進路が決まり、一緒に行くことにした。調布の職場を9時40分に出て、ターミナルには12時頃に着く。そこでお昼を食べて、ターミナルの中を歩いて回って、帰ってきた。高校生の乗る自転車は早いので、どんどん先に行き、ついていくのが精一杯。
行きは、登戸の橋で、神奈川側に渡り、丸子橋で東京側に戻ってきた。弁天橋あたりから飛行機が見え初めて、海の香りもしてきた。漁船もあって、都心らしくない雰囲気もあった。羽田というと、埋立地であるので、空港のある町というイメージであるが、海に囲まれたこの土地は、かつて「羽田猟師町」(漁師町ではない)とも呼ばれていて、漁業の盛んな町だったらしい。まだ名残は残っている雰囲気だった。
 羽田に飛行場が開設されたのは1931年であり、羽田の町は敗戦直後の1945年9月に羽田の飛行場をGHQが軍事基地にするために撤収し、海老取川以東(つまり、現在の空港構内)に住んでいた約1200世帯、3000人に対して、48時間以内の立ち退きが命じられたという。そのことを記した碑もあった。弁天橋には赤い鳥居があって、いわくつきである。穴守稲荷神社の跡地に旅客ターミナルビルが建つことになり、鳥居は取り壊されることになっていたが、けが人が続出し、祟りがどうのこうので騒がれた。ターミナル前の駐車場に移され、その後、空港拡張計画により、今ある弁天橋東詰めの地へ移設されている。ある意味、海だから、どんどん空港も拡張ができるわけである。弁天橋からターミナルまでは結構距離もあった。
帰りは東京側をずっと自転車で走らせる。帰りは、さすがに少しお尻が痛くなったり、足腰がきつくなったりしながらも、帰り着くことが出来た。その高校生はまだ余力を十分残している感じであった。羽田まで自転車でいけたことに大変満足して、喜んでいたのは何よりであった。