ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

鍋割山

2016-12-29 16:32:35 | 山歩き
恒例の鍋焼きうどんを食べに、鍋割山に登った。
表丹沢県民の森で車を駐車し歩き出す。天気もよくて、登っていくと、富士山の頭が顔を見せ始め、山頂でくっきりとした富士山が見えた。山頂での鍋焼きうどん、体が温まり、美味しい。展望とうどんに満足し、同じ道を下る。下りは足が痛くなり、ペースが落ちて、どんどん後ろから来た人にも追い抜かれるが、久しぶりの山歩きができたのはよかった。
帰りは、スーパー銭湯「湯花楽」で汗を流す。

大阪城

2016-12-08 05:47:09 | 観光
大阪で研修があったので、大阪城に行った。最近山にあまり山に登れていないが、その分、城や歴史巡りが多くなった気がする。関ケ原や名古屋城に行ったり、沼田城・名胡桃城にも行った。大阪城は、ちょうど今、大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなっているためか、平日だったけど、人でにぎわっていた。あまり時間がなかったので、天守閣は展望台に登って周りの展望を楽しみ、資料館は流すようにみた。大阪城のボランティアガイドさんに、40分ぐらいの時間で城内を案内していただき、石垣などの説明を受けた。案内していただけるとよくわかって、さすがに詳しいと思った。
豊臣秀吉が築いた大阪城には、秀吉は1年ぐらいしか住まなかったようである。豊臣秀頼は、1598年5歳の時に父秀吉が亡くなったあと伏見城から移り、23歳で自害するまで大阪城に住む。1614年秀頼と淀殿は、徳川との決戦を覚悟し籠城、15万とも20万ともいわれる幕府勢に「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」の二度にわたって攻め立てられ、1615年ついに豊臣政権は息の根を止められた。ここに、栄華を極めた豊臣家は滅亡し、比類なき大坂城は灰になった。現在、豊臣期の大坂城は土の下に埋もれている。石垣の積み方や石の刻印などから、江戸幕府が堀や石垣に至るまで天下普請によって造り直している。つまり、巨大な石垣や深い堀は、“秀吉の大坂城”ではなく、豊臣家が滅亡した後に、徳川家がつくったものである。ブラタモリで放映していた地下にある豊臣時代の石垣がみえる穴の蓋には、鍵がしっかりしてあった。大阪城は東、北、西の三方向が上町台地の崖となり、湿地帯に囲まれ、自然の地形の力で、強固に守られていた。幕末に徳川慶喜が大阪城から江戸に逃亡する際に出火し、建造物の殆どが焼失、更に終戦前日の大阪大空襲により焼失した。1665年に落雷によって消失した天守は昭和6年(1931)まで再建されず、266年間大坂城は天守を持たない城でもあった。その後、昭和40年(1965)に大阪城整備工事の一環として再建されたものでが現在の大阪城天守である。

海よりまだ深く

2016-05-23 21:37:26 | 映画
是枝監督の「海よりまだ深く」という映画を見てきた。
団地に一人住まいの母・淑子と、長男・良多、その元嫁・響子と11歳の息子・真悟の、家族をめぐるストーリー。それは“なりたかった大人”になれなかった大人たちの物語。台風の夜に、偶然ひとつ屋根の下に集まった“元家族”を描いていく。この映画の舞台にでてくるのが、清瀬にある旭が丘団地である。是枝監督が9歳から28歳まで実際に住んでいた団地である。かって憧れの集合住宅として全国に建てられた団地が、老朽化と住人の高齢化といった問題を抱えるようになり、シャッター商店街も目立ち、建てた当初のイメージと異なる状況に直面している。是枝監督は、「なりたいものになれなかったのは団地も同じなんですよね」と話す。このような団地のたたずまいをなりたいものになれなかった登場人物たちのせつなさと重ね合わせているかのようである。実際に映画でも、そこで撮影されたということである。日常の風景を切り取っているが、なかなか含蓄のある言葉がでてきたり、それぞれの役者がうまく演技をしていて、見終わって、味わい深さを感じた。テレサテン「別れの予感」の音楽が流れた。
「教えて 悲しくなるその理由 あなたに触れていても 信じること それだけだから 海よりも まだ深く 空よりも まだ青く あなたをこれ以上 愛するなんて 私には出来ない」

桜祭り

2016-04-07 06:03:53 | 山歩き
4月3日、職場の地域で、桜祭りがあった。今年は桜の咲くのが早かったので、
散ってしまうのではないかと心配をしたが、咲き始めてから、冷え込んだので、
ちょうど、この日は満開に近かった。朝のうち、雨が降っていたが、だんだん
止んできたので、人も出て来て、にぎわってきた。春のこの時期に桜を通して、
イベントが組まれるというのも地域のつながりができて、活性化にもなるのかなと思った。

小三治の「千早ふる」

2016-01-13 22:01:17 | 落語
 小三治の落語を聞きに末廣亭に行く。今回も混むのを予測して、伊勢丹で、開店の10時半を待って、弁当を買って行く。11時前には末廣亭に着くが、やはり行列ができていた。それでも前から3番目の席が取れた。最初から聞いて、トリの小三治まで聞いたので、たっぷり落語を味わったことになる。
マクラは寄席の様子の違い、浅草、池袋、そして新宿と、小三治師匠は新宿生まれ、新宿育ちなので、新宿をひいきにする。噺の所々で新宿が出てきた。初日なので、お目出度い噺と来れば、在原業平にちなんだ噺で、千早ふるである。本筋の枕は、知らないのに知っている振りをする悪い奴。もっと悪いのが、知っているのに知らない振りをする奴。さらに悪いのが、知らないのに知らない振りをする奴。と言って、千早ふるに入る。
"ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは"の意味を八五郎は先生に聞きに行く。しかし先生はこの意味を知らない。それでも知らないといえないので、めちゃくちゃな解釈をして、小三治ワールドに入っていく。浪花節が入ったり、乞食の千早を遠くの山まで、ポヨヨン ポヨヨンと突き飛ばして弾ませるしぐさがあったり、跳ね返ってくる音(ホワンホワン)等面白い。そんな馬鹿なと思いながら、先生の解釈に聞き入っていく八五郎である。登場人物の描写、会話のやり取りやしぐさ、小三治ワールドをたっぷり楽しませてもらった。

三ツ頭から権現岳

2015-12-30 22:12:32 | 山歩き
今年の10月に権現岳に登った。前夜に「ロッジ山旅」に宿泊。今回は、2,3日前から天気が崩れるという予報であったので、雨プロを考えなければと思っていた。しかし、雨の降り始めが早く、天気の回復が思ったより早そうで、次の日は、山に登れる様子になってきた。夜中は大雨が降っていたが、朝は雨が止んできた。権現が登れるのではと「ロッジ山旅」の長沢さんからも言われた。急遽、天女山から権現岳を目指して、行けるところまで登ろうということになった。このコースは8年前に、同じようにロッジ山旅で泊まって、登っている。その時はガスっていて、ほとんど眺めはなかった。今回は天気がよくて、リベンジ登山にもなった。最初は樹林帯をゆるやかに歩き始めたが、前三ッ頭の登りにかかると急登になってきた。前夜大雨が降ったので、ところどころで水浸しになっていたり、笹がぬれていたりした。前三ッ頭までは、急坂が続く。下りもここを歩くとなると、下りられるかなという声も出る。展望は開けて、三ツ頭も見えた。きつくなってきたので、前三ツ頭で下りたいという声もあったが、とにかく、三ツ頭までは行きましょうとなる。三ツ頭では、権現岳に登る人と下りる人と別れる。権現岳に登った人は、上に登っていくごとに、少しずつ展望の見え方が変わってきて、山頂も登ってみないとわからない眺めですねと口に出す人もいた。三ツ頭から権現岳までは、岩場や鎖場があったりしたが、思ったより早く登れて、コースタイムより早かった。前日の天気予報で、雨だったためか、登る人は我々以外はいなくて、往復ともに誰も合わなかった。山頂標の上に鉄剣と「金毘羅大権現」と刻まれた石板があった。山頂は狭く、東面は断崖絶壁となっている。下山は往路を下る。三ツ頭で振り返ると、ギボシ、権現岳、阿弥陀岳、赤岳と連なっている稜線がくっきり見えた。三ツ頭から天女山までの距離が非常に長く感じられ、なかなかつかない。下り方向に、富士山が見えて、富士山を眺めながら下っていく。一日富士山がみえ、展望を楽しむことが出来た。帰りは日帰り温泉「パノラマの湯」に立ち寄って、汗を流す。

エベレスト3D

2015-11-08 21:02:32 | 映画
 「エベレスト 3D」は、1996年5月、世界最高峰のエベレスト(8848メートル)で日本人を含む8人の登山者が遭難死した実話を映画化した作品。バルタザール・コルマウクル監督(49)は、気温氷点下26度、風速320キロの強風が吹き荒れる“死の世界”を現地ロケと3D技術で再現し、登山家たちの壮絶なサバイバルを描いた。商業登山のパイオニアのロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)率いるツアー隊と、スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)が率いる隊が登頂に挑戦するが、参加者の体調不良や登頂を断念させられないガイドの心理もあり、下山が遅れて嵐に見舞われてしまう。エベレスト登山は商業化され、ガイドが顧客を連れて登るツアー隊で山頂付近が大渋滞に巻き込まれてしまうという商業登山の実態も描いている。他のチームとの動向、待ち時間の長さも影響したのである。
ロブ・ホールは、遅れて登っていた顧客のダグ・ハンセン(ジョン・ホークス)が登頂を強行したため下山が遅れる。監督は、「ハンセンは、頂上に近付きすぎた。人間の情けないところは、そこに吸い寄せられて戻れなくなること。何かに憑かれるとそういうこと、よくあるよね」と、語る。実はホールは1年前に頂上間近でハンセンを引き返させていたという伏線があり、ハンセンにとって、経費的にも費用が掛かりすぎるという中で、何とか今回は登頂しようという意識が働いたとも考えられる。また、ジャーナリストのクラカワーが参加したことも、ジョンとスコットの意識に微妙に影響をしたのではないかと言われている。一押ししすぎて無理をしたのではないかということである。さらに、ロブ・ホールの5月10日を登頂日に設定し、必ず晴れると戦術を組んだが、必ずしもそうならなかったことの判断ミスもあったといわれる。天候に恵まれるかどうかは決定的な差になる。天気予報には全力を注がなければならないのである。
このように、複数の要因が重なり、惨劇が起きたと思われる。そういう意味では、多くの教訓と示唆を与えた事故であったと思われる。
 新宿の映画館で、IMAX3Dで見たので、エベレストの臨場感を味わうことができ、見ごたえもあった。

『わたしに会うまでの1600キロ』

2015-09-27 06:56:39 | 映画
映画『わたしに会うまでの1600キロ』 (原題:Wild)を見た。シェリル・ストレイドのベストセラー作品が原作である。愛する母を突然失い、その喪失感から人生のどん底へと転落してしまったシェリル(リース・ウィザースプーン)が、トレーニングもせず、パシフィック・クレスト・トレイルという1,600キロもの砂漠と山道を徒歩で旅に挑み、母が愛してくれた本来の自分を取り戻すまでを描いている。『ダラス・バイヤーズクラブ』などのジャン=マルク・ヴァレが映画化。美しく壮大な情景、過酷な旅と共につづられる。リースの体当りの演技も圧倒される。
歩き出してすぐに「バカなことをした」と後悔するシェリル。詰め込みすぎた巨大なバックパックにふらつき、テントを張るのに何度も失敗し、コンロの燃料を間違ったせいで冷たい粥しか食べられない状態である。旅に出る前、シュリルは、どんなに辛い境遇でもいつも人生を楽しんでいた母の死に耐えられず、優しい夫を裏切っては薬と男に溺れていた。遂に結婚生活も破綻、このままでは残りの人生も台無しだ。母が誇りに思ってくれた自分を取り戻すために、1から出直すと決めたのだ。だが、この旅は厳しかった。極寒の雪山、 酷暑の砂漠に行く手を阻まれ、食べ物も底をつくなど、命の危険にさらされながら、自分と向き合うシェリル。歩いたのは、だいたい青森から鹿児島ぐらいまでの距離になるらしい。メキシコからカナダまで、アメリカを南から北に抜ける道で、極度の暑さの砂漠や寒さが厳しい雪山を通り抜けるのである。1,600キロの距離を3か月かけて1人で歩き通した。こうして厳しい旅の中で、一人でずっと自分のことやいろいろなことを考えた。
旅に出る前、彼女は優しい夫からも逃げて、浮気をし、刹那的な生き方をしていた。自分を愛してくれる男からどんどん逃げていって、どんどん自分をひどい目にあわせていく。というのは、子どもの頃にずっとひどい目にあっていたからだともいえる。愛されることに違和感があり、怖くなり、愛されることから逃げてしまうのである。しかし、一方で、母には愛されていたのである。母親に、「お父さんに殴られて、貧乏で。どこが楽しいの」って娘が言うと、思い出の中のお母さんは、『それは結婚は失敗だったけど、でも、こんなに素敵な娘を得られたじゃないの』って言う。物事をいつも肯定的にとらえる母親であった。母親は40過ぎて、娘と同じ大学に入る。しかし、45歳で癌でなくなってしまう。このように主人公は、母からは愛されていたからこそ、母の喪失は大きかったが、過酷な旅にでても、母のおかげで、自分を取り戻せたのかもしれない。また、母の旦那は暴力をふるい、母は貧乏であるが、いつも楽しそうに歌を歌っていたのを思い出し、その歌が、サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』。この歌は、アンデスの山の、4000メートル以上8000メートルとかの山の歌といわれる。なじみのある歌で、映画で流れると、見ている方も元気が湧いてくる。山歩きの意味も考えさせられる映画でもあった。

戦争イヤだ まちなかパレード

2015-09-07 22:01:32 | Weblog
調布のまちなか、9月6日(日)16時から行われた「戦争はイヤだ まちかどパレード」に参加した。集会が始まるころから雨が降り始めたが、人は続々と集まり、合計430名の参加があった。コースは、調布の消防署裏のあおぞら公園から出発し、旧甲州街道を東に歩いて行き、調布駅付近の西友前を通過し、国領駅北口を越えて、「こくきた公園」で、解散となった。職場の同僚も何人か参加し、家族連れで来ていた人もいた。沿道からもたくさんの人たちの応援があり、多くの人たちが同じ思いを持っているのを感じた。本当に安倍首相は、鈍感なのか、見ようとしていないのか。これだけ、あちこちで全国的に「戦争法案」反対の盛り上がりを見せているのにもかかわらず、日本を戦争できる「戦争法案」を押し通そうとしているである。パレードからの「訴え」にもあるように、日本は戦後70年間、憲法9条に守られて、他国民を殺すことも、他国民から殺されることもなかった。自衛隊は戦うために海外に行くことは禁止されているのである。それを「戦争法案」では、集団的自衛権の名のもとに、いつでもどこでも武力行使できる軍隊に変えようとしている。国民の生命を脅かす危険極まりない法案である。立憲主義を破壊しようとするアベ政治を許さない。調布の街の中を、「戦争反対」「平和憲法を守れ」の声が響き渡っていた。

小三治の「野ざらし」

2015-06-29 07:09:01 | 落語
6月の末広亭、下の席に、夜主任で、小三治登場ということで、聞きに行ってきた。11時前に着いたのだが、すでにたくさん並んでいた。前に並んでいた人たちが、なんでこんなに今日は人が多いのかなと言っていたので、今日は小三治が出るからですよと話すと、一人は仙台からきている人で、飛行機の予約の関係で、昼の部が終わったらすぐに出なければならないが、もう一人の方は、夕方帰るつもりでいたが、最後までいることにしたという。とにかく最初から最後までいられるので、たっぷり落語を聞くことが出来た。この日はトリで演じる演目がわかっていたかのように、他の人たちも幽霊話がいくつかあった気がする。小三治が演じるときは、二階席もびっしり埋まり、立ち見も出ていた。小三治は、まくらで、自分の笑い顔は苦手で、笑い顔の写真を撮りたくないという話から趣味の話になり、釣りの話に言及し、「野ざらし」。野ざらしは、上方では『骨釣り』という題名で演じられるが昭和50年代に月亭可朝がそのまま「野ざらし」の演題で東京風に演じたのをきっかけに上方でも浸透している。小三治も十八番にしているとのこと。
ある夜、長屋に住む八五郎の隣りから女の声が聞こえてくる。隣りに住むのは、堅物で有名な尾形清十郎という浪人。八五郎は、翌朝、浪人宅に突撃する。浪人はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて覗いた」と言われ、とうとう語り始める。浪人の話によると、向島で釣りをした時に野ざらしになった人骨を見つけ、手向けの句を詠み、回向の酒をかけてやったところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれたというのだ。その話を聞いた八五郎、「自分も美人の幽霊と話がしたいから」と浪人から無理やり釣り道具を借りて向島へ行く。ほかの釣り客達に、「骨は釣れるか?新造か?年増か?」と質問して白い目で見られつつ良い場所へ陣取り、早速、骨釣りを始めた。「水をかき回すな」との苦情に。川面を思いっきりかき回したりと、八五郎の暴走は止まらない。だんだんと自分の妄想にはまり込んでいく。最後は、幽霊が来たシーンを一人芝居でやっているうちに、自分の鼻に釣り針を引っ掛けてしまった。「こんな物(釣り針)が付いてるからいけないんだよと、釣り針を川に放り込んでしまった。
小三治はこの話をよく取り上げるみたいであるが、初めて聞く。話自体、よく取り上げているので、聞く方も分かっていると思っているのか、マクラでほとんど言葉や関連の説明がないし、落ちも、分かりにくい所があった。それでも小三治が出てくると、超満員の客席がシーンとなり、何か言うと笑いの渦が巻き起こり、しぐさに可笑しさがある。八五郎の浮かれぶりもよく伝わってくる。笑いを無理にとろうとするのではなく、自然体に演じる妙味でもある。落語の面白さは、極端な思い込みの中で生まれてくる可笑しさでもある。自分たちも思い込んでしまうことがあるなと感じながら、他人ごとであるから笑いにつながるとも思える。