駐馬店の主要部分図です。京広線が二本南北に走っており、右(東)側の駐馬店站(駅)があるのが在来線、左(西)側の駐馬店西駅があるのが高速鉄道線です。この二つの駅の中間にある柏林建国国際酒店というホテルに泊まりました。
駐馬店は古来より交通の要衝であり、信使が馬を休めたことからこの地名となったとのことです。春秋戦国時代には蔡の国があり、現在の市街地の東北方向にある上蔡県には蔡国故城遺址があるそうです。その他、解放戦争当時の紅軍遺址や景勝地もあるそうですが、今回は市街地を見ただけで終わりました。
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駐馬店は古来より交通の要衝であり、信使が馬を休めたことからこの地名となったとのことです。春秋戦国時代には蔡の国があり、現在の市街地の東北方向にある上蔡県には蔡国故城遺址があるそうです。その他、解放戦争当時の紅軍遺址や景勝地もあるそうですが、今回は市街地を見ただけで終わりました。
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今日の上海の天気予報は曇り、最高気温は29度、最低は25度です。
今日から黒竜江省牡丹江と申しあげましたが、牡丹江の紹介は今年3月に済んでいました。新彊の資料を船便で送って使えない時期があり、先に牡丹江と南京をやったことを思い出しました。牡丹江の写真を整理し始めて途中で気づきました。
旅をした順番としては先に新彊、次に牡丹江そしてその次が南京でした。南京のは河南省駐馬店(ちゅうばてん)です。それで今日から駐馬店を始めます。駐馬店には昨年11月16日に行き翌17日に出ました。
駐馬店の位置から説明します。画像(1枚目)は鄭州から武漢までの主要都市を黒枠で囲った地図です。北の鄭州から南に向かって許昌(きょしょう)、漯河(とうが)、駐馬店、信陽と続きます。鄭州から信陽まで河南省で、次の武漢は湖北省の省です。鄭州、許昌、信陽には行ったことがあり既に皆様に紹介しています。それで残る駐馬店と漯河にも行って見ようと思い、まずは駐馬店から始めた次第です。後日漯河にも行きました。
鄭州と武漢には飛行場がありますが、許昌、漯河、駐馬店、信陽には無いので、上海から行くにはまず鄭州か武漢へ行き、そこから鉄道に乗り換えていくことになります。鄭州、許昌、漯河、駐馬店、信陽、武漢には北京から広州へ通じる京広線(きょうこうせん)が走っており、新幹線も専用路線があります。それで、今回は武漢経由で行く事にしました。上海から武漢空港へ飛び、武漢空港から車で武漢高速鉄道駅に行き、ここから高速鉄道で北上して駐馬店へ行きました。後日行った漯河へは鄭州経由で行きました。
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旅をした順番としては先に新彊、次に牡丹江そしてその次が南京でした。南京のは河南省駐馬店(ちゅうばてん)です。それで今日から駐馬店を始めます。駐馬店には昨年11月16日に行き翌17日に出ました。
駐馬店の位置から説明します。画像(1枚目)は鄭州から武漢までの主要都市を黒枠で囲った地図です。北の鄭州から南に向かって許昌(きょしょう)、漯河(とうが)、駐馬店、信陽と続きます。鄭州から信陽まで河南省で、次の武漢は湖北省の省です。鄭州、許昌、信陽には行ったことがあり既に皆様に紹介しています。それで残る駐馬店と漯河にも行って見ようと思い、まずは駐馬店から始めた次第です。後日漯河にも行きました。
鄭州と武漢には飛行場がありますが、許昌、漯河、駐馬店、信陽には無いので、上海から行くにはまず鄭州か武漢へ行き、そこから鉄道に乗り換えていくことになります。鄭州、許昌、漯河、駐馬店、信陽、武漢には北京から広州へ通じる京広線(きょうこうせん)が走っており、新幹線も専用路線があります。それで、今回は武漢経由で行く事にしました。上海から武漢空港へ飛び、武漢空港から車で武漢高速鉄道駅に行き、ここから高速鉄道で北上して駐馬店へ行きました。後日行った漯河へは鄭州経由で行きました。
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