立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

ツクシが顔を出した

2011年03月24日 | Zenblog
 庭のコンクリートの脇のちょっとした日だまりに、ツクシが顔を出していました。あまりに遅いお出ましです。そういえば少し前まで、この上には2メートル以上の雪の山があったのでした。

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ツバキの葉が光る

2011年03月24日 | Zenblog
 ツバキの葉が弱く光っています。まだその光が弱いので、ツバキの花が開くまでにはなっていません。「もう間もなく」の期待をさせる蕾の色にはなっています。

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漁港から僧ヶ岳・・・水橋漁港

2011年03月24日 | Zenblog
 僧ヶ岳には弱い春の光?が当たっています。漁港の向こうは白岩川、それに注ぎ込んでいる橋のかかった水路は運河です。春を待つ景色です。

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漁港から剱岳方面を・・・水橋漁港

2011年03月24日 | Zenblog
 漁港の向こうは白岩川、その上の剱岳方面はあまり見えていません。山は寒く新雪を積み重ねているでしょう。手前のコンクリートの上にカモメが背丈順に並んでいますが、弱い光に日向ぼっこでもする積もりでしようか。

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漁船の船縁がきらめく・・・水橋漁港

2011年03月24日 | Zenblog
 水橋漁港に泊まっている漁船の船縁が水のきらめきを映しています。春になったというより、まだ春を待っている風情です。

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ボートや土手にも光・・・春の光?

2011年03月24日 | Zenblog
 まだ春の光とは言えない弱い光です。風は冷たいし、光もそれほど強くはありません。もう彼岸を過ぎますが、白岩川のボートも土手もやっとささやかな光を受けているといったところです。

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竹の葉が光る・・・春の光求めて

2011年03月24日 | Zenblog
 晴れたり曇ったり、頭上を雲が通り過ぎていきます。接骨院を出たところで、竹の葉がきらりと光るのを見ました。ほかの木々の葉も光っています。ああ、春の光かと思いました。

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日本人の呼び方について(3)・・・JingShangの上海レポート

2011年03月24日 | JingShang君からの上海レポート
 「小日本」という言葉は、戦後から現在の日本を指すことが多いように思います。「小」ということばは、必ずしも悪い意味がある訳でもありません。文字通り「小さな」から転じて「可愛い」という意味もあります。

 例えば、見知らぬ子供に呼びかける時には、「小朋友!」とすることが多いです。これは、まさに「小さい」、「幼い」の意味でしょう。会社等で、若い社員の姓の上に「小」をつけて、例えば張さんなら「小張」と呼びかけます。これは愛称ともいえますし、また呼びかけたものが呼びかけられたものより年上であることを暗示します。また、姓ではなく身体的特徴に「小」をつけて呼ぶことがあります。例えば、「胖」(ぱん)は「太っている」という意味ですが、これに小をつけて「小胖」とちょっと太目の男の子を呼んだりします。

 しかし、ヒント一、二でいう「小日本」の「小」は文字通り小さな日本という意味で、日本を見下した表現であるのは間違いないでしょう。そして、「小日本」は「日本鬼子」程、悪人であるという表現ではなく、日本を相対的に低く見ようという感情があるのは確かですが、逆に日本に対するコンプレックスが滲んでいる言葉のようにも思えます。

 10年位前までは経済力や生活レベルに明らかな差があり、そのように解釈することも出来たました。最近はGDPが日本を上回り、世界的にも中国のプレゼンスが大きくなり、中国人自身にも大国意識が出ているので、本気で「小日本」と言い出しているのではないかと思わないでもありません。

 しかし、だからといって、私は中国人はケシカラン論に与しません。経済成長の過程では多少傲慢になることがあり、世界で叩かれることがあります。日本も韓国もそうでした。どこの国でも同じことです。

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日本人の呼び方について(2)・・・JingShangの上海レポート

2011年03月24日 | JingShang君からの上海レポート
 概して、「日本鬼子」という言葉を使う時には、戦争中に中国に侵略してきた日本軍を指すことが多いように思います。現在の日本人を指してそういうことは聞いたことがありません。ブログのチャットではそういう表現があるかもしれませんが。

 私が40年位前(に大学生だった頃、指定された北京語言学院編の「中国語読本」は、暗記するくらい声を出して読みなさいと教えられました。第1章は「北京天安門」でこれはすっと入り、最初のフレーズは今でも憶えていますが、第2章は「小八路軍!」で、日本軍が八路軍の掃討作戦で農村に入り、農民にまぎれた八路軍を探し出そうとするのに、子供がかくまう話しでした。その読本に「日本鬼子」という表現があったかどうか記憶がないのですが、このような同じ状況をテーマにした映画に「鬼子来了!」があります。

 話しが少しそれますが、当時ベトナム戦争中で、アメリカがソンミ村虐殺事件を起こしていました。また別の村で裸で泣きながら走るベトナムの少女の写真を見かけて心を痛めました。当時、アメリカ軍の行状を見て、民主主義を宗旨とする国の軍隊でも侵略する側に立つと同じことをするのだなぁと思いました。

 7月7日の盧溝橋事変から9月18日の柳条湖事変までは日中関係では政治の季節です。毎年この間、中国のテレビでは日本軍の悪業がよくテレビドラマで放映されます。DVDにもなっています。余談ですが、中国人がよく知っている日本語は、「おい、こら、メシメシ」です。みんなテレビの影響でしょう。。「はい」という言葉やお辞儀も日本人らしく見せる秘訣のようです。昔は将校に日本人俳優を使っていたこともありますが、最近は中国人で済ませていることが多く、変な日本語が混じります。日本軍の兵隊は昔から中国人のエキストラで、所作がどうしても不自然です。

 自室で一人でテレビを見ていてこのような映画に出くわすのは慣れっこですが、先日山東省の田舎でバスに乗っていると、退屈凌ぎに車内で見せるDVDで、このような場面がでました。この時も、日本軍が踏み込んだ農村の住民を並ばせて、誰が八路軍か尋問するのですが、だれも否定するので(八路軍をかくまうので)、日本軍将校が命令して機関銃を住民に浴びせて、住民がばたばたと殺される場面がありました。バスの中で大勢の中国人の中で日本人一人の私はこれを見たときには、さすがにうつむいてしまいました。日本人が横に座っているとは誰も思いもつかないまま、下車した時はほっとしました。

 ヒント三で、新四軍記念館で若いカップルの男の子が、「小日本」と言ったのですが、これは若い人が現時点から日本を見てそう言ったのだと思います。この場面では本当は「日本鬼子」なのでしょう。

「日本人の呼び方について(3)」に続きます。

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日本人の呼び方について(1)・・・JingShangの上海レポート

2011年03月24日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は雲が多目の晴れです。予報も雲が多目の晴れ、最高気温は16度、最低は5度です。

 今日は、また河南商丘を離れて中国人の日本人に対する呼び方にについて考えて見たいと思います。

・ ヒント一
21日、太原から上海に戻る飛行機の中で私の背後の座席で40歳くらいの男同士の間で、全部はよく判りませんでしたが、以下の会話がありました:「日本の福島原発は大変だ。小日本はつぶれそうだ」。もう一人が「そんなことはなかろう」と。

・ヒント二
先日浙江省温州のバスステーションで温州の田舎の県行きのバスに乗車して発車を待っていると、40歳前後の男の新聞売りがバスに乗り込んできて曰く「小日本の原発は大変だ、詳しくはこの新聞に書いてあるよ」と。バスに乗って待っている乗客の中で声の太い中年の男がいまして、この新聞売りが来る前から隣の見知らぬ乗客と世間話しをしていて、この声の太い乗客が江蘇省から仕事で来ていることは自然に聞えていたのですが、この乗客が、新聞売りの掛け声に苦笑して、「日本は決して小さくはないのだ」とコメントしていました。

・ヒント三
もう2年くらい前のことですが、江蘇省塩城市の新四軍記念館に行き、展示物をみていた時のことです。新四軍は共産党が組織した軍隊です。日本では八路軍が有名ですが、新四軍は中国中部で抗日戦争を担いました。この展示場で、私以外に若い中国人カップルが手を繋いで抗日戦争再現模型の展示の前で「小日本」という言葉を出したのが聞こえました。

以上の三題は、周囲に日本人がいる等思いもしないでなされた会話です。

・ヒント四
昨年秋、寧夏固原の長征記念館を見にタクシーに乗っている時、運転手が、「この記念館の展示の戦争の相手は、国民党であり、日本鬼子ではないようだ」と私に話してくれました。私は事前に私が外国人であり、日本人であることを話したつもりですが、「日本」という発音が判りにくく、運転手は私が日本人と理解していなかったようです。 私は、「ほら、あなたが日本鬼子といった、その日本が私の国なのだよ」というと、運転手は悪びれもせず、「ああ、そうなのか」と。運転手はその後陝西省平涼まで私を送ってくれましたが特段の変化は全くなく、私に親切にしてくれました。勿論、料金を支払う乗客だからなのでしょうが、私が日本人だからどうだということは全く感じられませんでした。因みにこの運転手は、30歳前後で、愛国教育で日本軍のことをこのように教えているのだろうなと思いました。

「日本人の呼び方について(2)」に続きます。

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