おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

まほろ駅前多田便利軒

2020-04-17 11:01:02 | 映画
「まほろ駅前多田便利軒」 2011年 日本


監督 大森立嗣
出演 瑛太 松田龍平 片岡礼子
   鈴木杏 本上まなみ 柄本佑
   横山幸汰 大森南朋 高良健吾
   松尾スズキ 麿赤兒 岸部一徳

ストーリー
東京から神奈川へ突き出るように位置する街“まほろ市”は都会でもなければ田舎でもない。
そんな街の駅前で便利屋“多田便利軒”を営むバツイチ男、多田啓介は淡々と仕事をこなす真面目なしっかり者だが、ある年の正月、客から預かったチワワに逃げられてしまう。
やがてバス停で見つけたチワワを抱く男は、中学時代の同級生・行天春彦だった。
行天と一緒にチワワを返しに行く多田だったが、依頼人は既に夜逃げ。
所在を突き止めたものの、新しい飼い主を探すよう頼まれてしまう。
さらに、半ば無理やり行天が多田の家に居候することになり、多田と行天、そしてチワワの奇妙な共同生活が始まる。
3月になり、自称コロンビア人娼婦ルルとルームメイトのハイシーがチワワの引き取りを申し出てくる。
多田はそれを断るが、行天は条件付きでチワワの受け渡しを約束してしまう。
行天の勝手な行動に苛立つ多田だったが、“犬は必要とする人に飼われるのが一番幸せだ。”という彼の言葉に心を動かされる。
6月。小学生、由良の塾の送迎を依頼された多田と行天。
親の愛情に飢える由良は当初、生意気な態度を見せるが、次第に2人になついていく。
その傍ら、由良が密かに覚せい剤の運搬に関わっていることを知った多田は、元締めの星と取引して由良を解放。
8月になると、行天の元妻、三峯凪子が現れ、多田は彼の秘密の一部を知る・・・。


寸評
掛け合い漫才の様な二人の会話が絶妙で、微妙な間でそれぞれの感情を表現する静かな映画だ。
派手さのないゆるい雰囲気のコメディといえるような作品ともいえる。
思わずクスクス笑ってしまう会話が多い中で、唯一大笑いをしたのが瑛太の多田が「何じゃこりゃ~!」と叫んで、行天の松田龍平が「誰それ?」と返すシーン。
ある世代の判る人には分かる松田優作を思い出させる楽屋オチ的な場面だった。
二人のキャラがすべてと言っていいほどの作品で、節度を守ってマジメに仕事をする多田(瑛太)と、それに対していい加減で強引な行天(松田龍平)の対比が面白い。

彼等はいつもふざけているわけではない。
いざという時には二人とも熱くなり、マジに行動して含蓄のある言葉を発したりする。
その言葉は説教臭さがなくてスンナリと耳に入る。
二人が処理するのは、依頼事項は簡単なものなのに、それが困ったものになってしまうものばかり。
預かったチワワの飼い主は夜逃げしてしまい、新しい飼い主を探すことになる。
戸の修理を依頼された売春婦にはDV男がいて、それを撃退するハメに陥る。
そして塾の迎えを依頼された小学生は、なんとヤクの運び屋だったというあんばいだ。
それらの漫画的なエピソードにしんみりとした話をからませゆったりしたテンポで物語が進んでいく。
カメラもどっしりと構えてその静けさを後押ししていた。

チワワの預け主である母親の所にいる女の子を連れ出す時に見せる行天の機転のきいたやり方で、この男がチャランポランでありながら、事に望めば見事な適応力を持っていることを我々に知らしめる。
多田の女の子を諭す言葉から、この男もチャランポランに見えてその実、真面目な男なのだと思わせる。
ワンシーンで二人の性格を表すテクニックも決まっていたように思う。

母からの愛に乏しく、ヤクの運び屋をやっている小学生の由良に多田が言う。
「人生をやり直せることは少ないが、しかし誰かを愛することは出来るし、自分が得られなかったものを人に与えることも出来る」
多田と行天にとって自分が得られなかった最大のものが愛だったのだと思った。
彼等はそれを人に与えようとしていたのだろう。
ある事件が起きて二人の背負った闇が明らかになり、彼らはそれに向き合うことになって、彼等に係わる人々を絡めて、人生の苦しさや悲しみ、特に親子関係を中心とした人間関係の難しさが描かれる。
二人は係わった人々の親子愛に否応なく触れることになる。
そして、多田、行天の二人にとっても親子の愛が覆いかぶさってきて、冒頭に行天が棄てた包丁の理由も判別する。なかなか練られた脚本だと感じさせた。
それでいながら、見ている間は多田便利軒ワールドに浸れるが、時間が経つとあまり残像が残っていない映画でもあった。終始一貫して静かに進んで行った作品であったことによるものなのかも知れない。
大森監督の父親の麿赤兒と弟の大森南朋が顔を出しているのがご愛嬌。


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