おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

PK ピーケイ

2024-07-01 06:43:46 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/1/1は「麦秋」で、以下「ハクソー・リッジ」「奕打ち 総長賭博」「白熱」「薄氷の殺人」「幕末太陽傳」「箱入り息子の恋」「ハスラー」「ハスラー2」「裸の島」と続きました。
 
「PK ピーケイ」 2014年 インド

                            
監督 ラージクマール・ヒラニ                    
出演 アーミル・カーン アヌシュカ・シャルマ
   スシャント・シン・ラージプート サンジャイ・ダット
   ボーマン・イラニ    サウラブ・シュクラ
   パリークシト・サーハニー ランビール・カプール

ストーリー            
留学先のベルギーで悲しい失恋を経験し、傷心のまま帰国し、現在は母国インドのテレビ報道局で働くジャグー(アヌシュカ・シャルマ)は、ある日、地下鉄で黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の飾りをつけてチラシを配る奇妙な男(アーミル・カーン)を見かける。
そのチラシには神様の絵に“行方不明”の文字。
この男はいったい何者?なぜ神様を捜しているの?」
さっそく取材してみると、PK(酔っぱらい)と名乗るその男は、“自分は宇宙人で、宇宙船と交信するためのリモコンを失い、帰れなくなった”と語る。
そして、そのリモコンを見つけてもらうために神様を探しているというのだった。
ジャグーは謎めいたPKのリモコン探しの旅に密着する。
世間の常識を全く知らないPKが語る話はにわかには信じられないものだった…。


寸評
宇宙船が登場し裸の男が降り立つ「ターミネーター」のようなオープニングはSF映画を思わせる。
しかし降り立った男がミスター・ビーンのローワン・アトキンソンを髣髴させる奇妙な眉毛と耳を持ったアーミル・カーンで、彼が地球人の不思議に戸惑うくだりではコメディ映画に変身する。
インド映画なので突然歌と踊りが始まるのはお決まりで、その時にはミュージカル映画の様相を呈してくる。
ジャグーとサルファラーズの恋とか、PKのジャグーに対する恋心か描かれるとラブロマンス物語の雰囲気になっていく。
実に盛りだくさん、サービス精神旺盛な作品である。
そのどれもが安っぽい作りなのに、まとまってくると一本芯が通ってくるから不思議だ。
インドとパキスタンの難しい関係を、恋愛にからめて描いているのだが堅苦しいところは微塵もなく、インド映画独特の明るさを保っている。
イスラム教とヒンズー教の宗教対立やテロ行為も描かれるが、同様に深刻なものとして描いていない。
徹底していることで娯楽映画の快作にしている。

仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教と、あらゆる宗教が同居するインドの宗教事情は日本とは比較にならないし、宗教は日本よりもずっと生活に密着したものであると想像する。
その宗教問題の矛盾にもろに真正面からぶつかっていく勇敢な作品だ。
神や信仰そのものを否定せず、多くの宗教が互いに憎しみあったり、導師、教祖、神父などの神の代理人が献金や不正に左右された“ニセモノ”として、その行為に「なぜ?」とPKは素朴な疑問を投げかける。
PKは、神様は二人いると言う。
我々を創った創造主たる本物の神と、人間が創り出してお金を貢がないといけない偽の神である。
偽の神を作った代理人(教祖とか神主、神父たち)はお金を取るだけで、人々の願いを叶えていないと言う。
恐怖心を起こさせ宗教に導いているとも言っている。
我々も誰も見ることが出来ない死後の世界を語られて納得させられている。
お賽銭を投げ入れて願い事をするが、叶えられたことなどない。
宝くじが当たりますようになどという下世話な願いをしたためなのだろうか?
お布施もしているが仏さまに届いているのだろうか。
テロリストは我々の神を守ると言い、PKと対峙する導師も神を守るというが、PKは宇宙を生み出した神を守るなどと、宇宙から見れば小さな地球の人間が言うなどおこがましいと言う。
キリスト教伝来時、一神教としてのキリスト教を説く神父に「キリストを知らなかった我々の先祖は皆救われていないのか?」と問いただしたと聞く。
その時の日本人の思考の到着点として、「神はこの世に一人なのだ、その神が姿を変えてあらゆる国にあらわれたのだ」と考えるに至ったと何かの書物で読んだ。
宗教戦争を起こさなかった日本人の知恵である。
PKは正にそのような思考の持ち主で親しみが持てる。

PKは人の手を握ると相手の心が読める。
それを利用したラブロマンスが切なくて泣かせる。
宝物とされているリモコンがPKのものであると証明する人物がテロに巻き込まれ死んでしまうが、ここからラストに向かっていく盛り上がりは心得たものだ。
導師との宗教対決の逆転劇と、ラブロマンスのエピソードが絡み合って、それまでの滑稽な雰囲気から一変して観客をくぎ付けにする。
PKのピュアな恋も相手の幸せを心から願うもので感動的だ。
我が家は村にある寺院の檀家ではあるが無神論者だと自覚している。
それでも神の愛を感じずにはいられない作品となっていた。
インド映画、恐るべしである。