おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

北斎漫画

2023-03-17 07:20:59 | 映画
「北斎漫画」 1981年 日本


監督 新藤兼人
出演 緒形拳 西田敏行 田中裕子 樋口可南子 乙羽信子 佐瀬陽一
   殿山泰司 宍戸錠 大村崑 愛川欽也 フランキー堺

ストーリー
鉄蔵(緒形拳)と娘のお栄(田中裕子)は左七(西田敏行)の家の居候になっている。
鉄蔵は、貧しい百姓の生まれだが、幼時、御用鏡磨師、中島伊勢(フランキー堺)の養子となった。
巧みに絵を描くので、絵師の弟子となるが、尻が落ちつかず、幾人もの師から破門された。
一方、左七は侍の生まれだが、読本作家になりたいと志し、下駄屋の養子に入り込んだ。
左七の女房お百(乙羽信子)は、亭主が黄表紙本などを読むのを心よく思っておらず、さらに、朝から晩まで絵を描いている居候の父娘に我慢がならない。
そんなある日、鉄蔵はお直(樋口可南子)という女に出会った。
鉄蔵は一目でお直にのめり込み、彼女を描くことで、つき当っている壁を破ろうとするが、不思議な魔性に手応えがない。
鉄蔵はお直を養父、伊勢に紹介することで彼女と別れ、また金もせびることにした。
その伊勢も、お直の魔性にとり憑かれ、首をくくって死んでしまう。
その頃、お百が立派な作者になってくれ、滝沢馬琴という名は良い名だと言い残して死んだ。
左七はせきを切ったように書き始め、たちまち流行作家となった。
今や父と長屋暮しのお栄は左七を訪ね、読物の挿し絵を父に描かせて欲しいと頼む。
左七は喜んで引き受けた。
鉄蔵が北斎の名で描いた絵は評判になり、放浪の旅で「富嶽三十六景」が生まれた。
そして、北斎は八十九歳、お栄は七十歳、馬琴は八十二歳となった。
ある日、お栄がお直と瓜二ツの田舎娘を連れてきた。
馬琴は失明しかけているが、お直と娘を混同することはなかった。
そこで「俺の絵でお前は有名になった」と馬琴に話す父に、お栄は「あたしが左七さんに頼んだのだ。一生嫁に行かなかったのも、父のためじゃない、左七さんのためだ」と告白する。
そこで馬琴は「あんたに結婚を申し込む」と大見栄を切った。
一人になった北斎は“お直”を裸にすると、一気に描き始めた。
巨大な蛸が、裸女に絡みつき、犯している図だ。
かくして、傑作「喜能会之故真道」の蛸と海女の性交の図が出来上がった。
馬琴が亡くなり、そして北斎も亡くなった。
二人の辞世にお栄は「死ぬときは誰でも、ていさいのいいこと言い残すものだ」と咳いた。


寸評
女とギャンブルに入れ込んだ男は身を持ち崩すことが多いらしい。
カップルが別れた時に、女性はすぐに気持ちを切り替えられるが、男の方はいつまでも気持ちを引きずるとも聞く。
男は初恋の人などの面影をいつまでも追い続ける生き物なのかもしれない。
北斎はお直の魔力に取り付かれ、北斎の養父はお直に翻ろうされて自殺してしまう。
女に入れ込んで破滅する男の典型である。
当時の浮世絵師は春画も大いに描いていたようで、そのことも有ってお直の樋口可南子もお栄の田中裕子も脱ぎっぷりがいい。
そして綺麗だ。
北斎が魔性に引き込まれるお直を演じた樋口可南子の妖艶さと美しさは見応えがあり、色彩表現が加味されて浮世絵の世界を髣髴させる。
老人となった北斎の前にお直と瓜二つの若い女が現れ、北斎が「蛸と海女」を描くシーンは圧巻だ。
北斎が海女さんから貰ってきた生きた蛸を、裸身をさらした若い女に吸い付かせる。
生きた蛸は張りぼての蛸に代わっているが、「蛸と海女」で描かれた通り、小蛸が女の口に、大蛸が秘所に吸い付き、女は身もだえる。
北斎はその姿に狂喜して絵筆をふるうのだが、当時の絵師は想像ではなく本当にモデルにあのような醜態を演じさせていたのだろうか。

映画は著名な浮世絵作家である葛飾北斎の一代記で、当時の交友関係は実際にもそうだったのではないかと想像させ興味を引く。
「東海道中膝栗毛」の十返舎一九が宍戸錠、滑稽本「浮世風呂」の式亭三馬が大村崑、浮世絵師の喜多川歌麿が愛川欽也で、映画の味付けとして登場している。
北斎が彼らを半ばけなしながら批評しているが、実際の彼も彼らをそのように思っていたのかもしれない。
北斎は驚くほど名前を変え、引っ越ししたらしいが、破天荒な人物だったのだろう。
有名な「冨嶽三十六景」を描く姿を劇的に描いているわけではないし、タイトルとなっている「北斎漫画」は出てこない。
最も著名な作品の一つである「冨嶽三十六景の神奈川沖浪裏」誕生の瞬間に期待したのだが、どうもそのようなことはテーマ外だったのだろう。
むしろ葛飾北斎の奇人ぶりを描いた作品で、これが葛飾北斎でなかったなら平凡な作品になっていただろうと思う。
北斎は当時としては長命の90歳まで生きているが、長寿の秘訣はその制作意欲にあったのかもしれない。
私のような俗人は死生観を達観することは出来ないのだが、それでも人は長生きをして何を行うかであるとは思う。