おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ボーダー

2023-03-13 11:31:08 | 映画
「ボーダー」 1981年 アメリカ


監督 トニー・リチャードソン
出演 ジャック・ニコルソン ハーヴェイ・カイテル ヴァレリー・ペリン
   ウォーレン・オーツ エルピディア・カリーロ

ストーリー
ロサンゼルスの警官チャーリー・スミス(ジャック・ニコルソン)は、妻のマーシー(ヴァレリー・ペリン)の望みでテキサスの国境の町エルパソヘ引っ越すことになり、彼女の親友サバンナ(シャノン・ウィルコックス)と夫のキャット(ハーベイ・カイテル)を頼って新しい生活へと旅立った。
一方国境をこえたメキシコでは乳のみ子をかかえた母親マリア(エルピディア・カリーロ)が弟のファン(マニュエル・ビエスカス)と共に苦難の生活から何とか立ち上がろうと努めていた。
キャットと共に国境警備隊員として働くことになったチャーリーは、故郷をすて未知の国に希望を託して不法入国する人々の悲惨な状況を知り激しいショックを受ける。
その国境地域の実状の厳しさを彼に教え案内してくれたチャーリーの相棒が何者かに殺された。
不信を抱いた彼は、警備隊の隊長レッド(ウォーレン・オーツ)に会ったが、彼は事なかれ主義だった。
同じ頃彼は赤ん坊を抱きかかえたマリアを川で見かけ声をかけるが、マリアは侮蔑に満ちた表情を返す。
浪費家の妻に嫌気がさしていたチャーリーは、家では安らぎを感じられなかった。
チャーリーは、マリアに恋愛感情とは違う好意を抱き、彼女のために何かしてやりたい、彼女を助けてやりたいと思うようになる。
そしてキャットが不法入国者たちをコントロールする立場にあり、彼らを北部に送っては日銭をとっている事実を知って唖然とするチャーリー。
さらに彼らの手先のメキシコ人がマリアの子供をさらい英国系の家庭に売ろうとしていた。
キャットはチャーリーを自分たちの仲間に引きずり込もうとする。
キャットに批判を浴びせるチャーリーは、やがてマリアたちの味方についた。
様々な防害をはらいのけ、キャットら一味との撃ち合いの末、遂に赤ん坊を救い出したチャーリーに、マリアははじめて笑顔を送るのだった。


寸評
僕がトニー・リチャードソンと出会ったのは高校時代の正月休みの時だった。
友人と遊びに出かけ、ふと入った映画館(今は存在しない道頓堀の戎橋にあった戎橋劇場)でジャンヌ・モローの特集上映をやっていて、1本がフランソワ・トリュフォーの「黒衣の花嫁」で、もう一本がトニー・リチャードソンの「マドモアゼル」だった。
どちらも高校生には不似合いな内容で、見終わった後で友人のK君と「なんか、すごい内容やったなあ・・・」と語り合ったことを思い出す。
トニー・リチャードソンの名前も忘れていたが、大学生となった僕は名画鑑賞会で「長距離ランナーの孤独」を見る機会に恵まれた。
怒れる若者たちと称されたアラン・シリトーの原作も読んだ。
世の中に対する不満や反抗が湧きあがってきた年頃で、その頃の感情にはまった作品だったのだろう。
その後も「トム・ジョーンズの華麗な冒険」や「遥かなる戦場」を見ているが、それが最後となっていて「ボーダー」は僕にとって久しぶりのトニー・リチャードソン作品である。

国境警備員の不正を描いているし、トニー・リチャードソン作品なのだから不正と堕落を告発する社会映画かと思っていたら違っていた。
確かに国境警備員の不正を描いてはいるのだが、それを告発するようには描いていない。
主人公のチャーリーは不正を嫌悪するが、結局はその中に身を置いてしまう。
しかし彼自身が不正に手を染めて堕落していくわけではない。
チャーリーはどこにでもいる普通の男なのだ。
彼の妻は浪費癖のあるバカ女である。
しかし男を作るわけでもなく、貴方がいなければ私は生きていけないと泣き叫ぶ女なのだが、愛情からではなく経済的に夫を必要としているのは倦怠期を迎えた夫婦ならあっても不思議でない関係である。
ガーデン・パ―ティでは妻から給仕係を押し付けられ、料理が遅いとのクレームに切れまくるチャーリーなのだが、不満を抱えながらも離婚しようとは思っていない。
全くごく普通にある夫婦関係を思わせる。

イギリス人のトニー・リチャードソンから見れば、アメリカにはくだらないパーティでバカ騒ぎをする堕落した家庭が存在し、国境では不正が横行し、カリフォルニアはメキシコ貧民の安い労働力を当てにしているし、その為に警備員は形だけの取り締まりを行っているように思えたのかもしれない。
それを普通の姿として描いているので、主人公は正義を振りかざすヒーローではないし、マリアもアメリカに渡ることが出来ず、映画としては物足りなさを感じるところもあるが、これが真実の世界だと言わんばかりに劇的なことは起きなかったのだと思うが、それだからこそ悲惨で腐敗した世の中だと言っているようにも思える。
アメリカを目指すマリアを援助し、見返りに体を提供しようとする彼女を制し「たまにはいい人間でいたい」というチャーリーだが、今日はチョットいいことをしたかなと自己満足する僕たちの気持ちと少しも変わらない。
最後がここで終わるのかというのはトニー・リチャードソンらしいとも思えるが、ジャック・ニコルソンを使いたかった映画だけかもしれない。