おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

2021-04-27 06:58:52 | 映画
「Z」 1969年 フランス / アルジェリア


監督 コンスタンタン・コスタ=ガヴラス
出演 イヴ・モンタン
   ジャン=ルイ・トランティニャン
   ジャック・ペラン
   ベルナール・フレッソン
   イレーネ・パパス
   レナート・サルヴァトーリ

ストーリー
地中海に面した架空のある国で、反政府の勢力が日増しに大きくなっていった。
その指導者はZ氏で、大学教授であり医学博士であった彼は、党員ではなかったが、正義への情熱に燃える彼の行動は政府を脅やかしていた。
そうしたある日、町で開かれた集会での演説に向かった彼は、暴漢に襲われ、妻エレーヌの到着を前に、息をひきとってしまった。
警察と憲兵隊では、自動車事故から起きた脳出血が、彼の死因であると発表。
予審判事も事故死と判定し、訴訟を打ち切ろうとしたが、Z氏の友人たち、エール、マット、ピルゥ、マニュエルの証言から、本格的調査に乗り出した。
そして、直接の死因が二度の頭部打撲と判明、さっそく運転手のヤゴが逮補された。
そして家具師のニックが、ヤゴの犯行を裏づける証言をしたが、その彼も暴漢に襲われ入院してしまった。
判事は調査を急ぎ、ニックを取材した新聞記者も判事に協力した。
やがて、マニュエル、ピルゥ、ヤゴともう一人の運転手ガヤが、警察組織の一員らしいことをつきとめた。
もはや、政治的な計画殺人の容疑は濃厚となったので、意を決した判事は警察組織の要人を告訴した。
だが、この時、七人の重要な証人が突然行方不明になり、それとタイミングをあわせるように当局は、Z氏事件は警察組織とは無関係であると発表した。
権力はその無気味な力で事件を闇の中につつみこみ、その混乱に乗じて権力増大をはかった。
しかし、古代ギリシャ語の《Z》は象徴している、彼は生きていると。


寸評
僕は軍政時代のギリシャのことを知らないし、ランブラキス暗殺事件のことも知らない。
したがってこの映画が描く背景がピンと来ていないので受け取る印象は弱いものとなってしまっているが、しかし国家権力がその力を自分たちの意思に反したものに使いだすと、恐ろしい世界が生じえるのだということだけは伝わってくる作品で、学生時代に見たこの作品においてコスタ=ガヴラス監督を知った。

実在の人物、事件との繋がりは偶然ではなく意図的だというメッセージから始まるのが痛烈だ。
思想の病害の原因は寄生虫と同じだと、作物への農薬散布に例えて訴える権力側の演説もすごい。
民主主義だから集会は禁止しないがあらゆる病気、社会の病巣を根絶してやろう、とりあえずは言語弾圧だというとんでもない冒頭でこの映画の方向性を感じ取る。
イヴ・モンタン演じるZ氏は群衆の一人から陸上選手で教授だと言われているから、知っている人は直ちにグリゴリス・ランブラキスが思い浮かぶのだろう。
冒頭でモデルがいることを宣言していることを思うと、この後に登場する警察署長や軍人たちが誰であるのかも想像できるのかもしれない。
そうであれば、僕はもっとこの映画を楽しむことができただろう。

ジャン=ルイ・トランティニャン演じる予審判事が職務に忠実で気持ちいいが、あっけに取られるようなラストにびっくりしてしまう。
軍政は長髪、トルストイ、ストライキ、サルトル、オールビー、ベケット、現代音楽、そしてZの文字を禁じたとテロップされるのだが、「Z」はギリシャ語の「Ζει」に由来し、彼は生きているを意味するということである。
平和を訴えた男の精神はまだ生きているというメッセージで、それだけが救いだ。
Z氏はやはり英雄なのだろう。
日本においても源義経は死んでいなくて生きていたと言う伝説が各地に残っているようだし、大陸へ渡ってジンギスカンになったという伝説迄ある。
本能寺で倒れた信長がまだ生きていると言う情報を秀吉が流して、光秀に同調する武将を牽制したと言う話も伝わっている。
英雄は生きていてほしいし、生きていると信じたいものだ。
Z氏は民主化を望む人々の偶像となったのだと思う。
権力側がジャン=ルイ・トランティニャンの予審判事によって告訴されたことが分かると、それを夫人に知らせに来た男がZ氏は生きていたと叫ぶことが、そのことを表している。

振り返って、この映画を当てはめて我が国の現状を見ると、国民に知らせるべきことを自分たちの不祥事になるからと隠ぺいしている警察組織や国家組織のことが時々ニュースになっていることがあるので、ここで描かれたような権力側の防衛本能のようなものを感じる。
我々側の権力側への監視が必要だ。
新聞に代表されるマスメディアももう少し気合を入れて取材して欲しいと思う今日この頃である。