おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

西部開拓史

2021-04-25 07:36:03 | 映画
「西部開拓史」 1962年 アメリカ


監督 ヘンリー・ハサウェイ
   ジョン・フォード
   ジョージ・マーシャル
出演 カール・マルデン
   キャロル・ベイカー
   ジェームズ・スチュワート
   ジョン・ウェイン
   デビー・レイノルズ
   グレゴリー・ペック

ストーリー
第1話 1830年代の終わり頃、ニューイングランドの農民ゼブロン一家は長女イーブ(キャロル・ベイカー)、次女リリス(デビー・レイノルズ)などを連れて未開の荒野に踏みこんだ。
一家が川岸にキャンプを張ったある夜、鹿皮服を着た毛皮売りのライナス(ジェームズ・スチュアート)がカヌーで近づいてきて、野性的で親しみやすい彼をイーブは一目で恋した。
イーブとライナスは開拓生活を誓ったが、蒸気船の汽笛は、リリスを新しい町セントルイスに誘った。
第2話 10年後、リリスはセントルイスのキャバレーの歌手だった。
常連の中に賭博師クリーブ・バン・ベイレン(グレゴリー・ペック)がいた。
愛を誓い合った2人は新しい都市サンフランシスコで運を試してみようと決心した。
第3話 南北戦争が始まり、長男ゼブ(ジョージ・ペパード)は銃火の中で父ライナスの死を知った。
シャーマン将軍(ジョン・ウェイン)とグラント将軍がいるのに気づいた南軍兵が引き金を引こうとしたので、ゼブはとっさに銃剣で南軍兵を刺殺した。
第4話 1860年代の終り頃、騎兵隊を指揮するのは中尉となったゼブである。
鉄道建設所長のマイク(リチャード・ウィドマーク)は新しいタイプの鉄道第一主義者で、長年インディアンと生活を共にした野牛狩りの男ジェスロ(ヘンリー・フォンダ)に反対して最短距離をとるために、インディアンの食糧供給路を通るのを主張した。
第5話 1880年代の終わり頃、未亡人となったリリスは借金のため豪華な邸を売ってアリゾナ州に移住した。
保安官になった甥のゼブや妻ジュリーたちとの再会を喜ぶ間もなく、ゼブはギャングのチャーリー・ガント(イーライ・ウォラック)の企てた列車襲撃を討伐しに向かった。


寸評
西部劇の集大成ともいうべき内容で、西部開拓の50年間をある家族の人々を通じて描いているのだが、何といってもキャストの凄さが特筆ものである。
西部劇スターを知りたければこの一作を見ればすべてが分かると言っても過言ではないだろう。
西部劇を支えてきた男優人はキラ星の如くである。
先ず登場するのが「アメリカの良心」と呼ばれたジェームズ・スチュアートで、ヒッチコックの「裏窓」や「めまい」にも出演し、西部劇としては「リバティ・バランスを射った男」がある。
スチュアートのライナスは南北戦争に志願して、あっけなく死んでしまうが直接的な場面はない。
川岸で酒場を開いている悪人の親分としてウォルター・ブレナンが出ていて、その手下にマカロニ・ウェスタンで一躍スターとなるリー・ヴァン・クリーフも出ている。

第2話に相当する場面ではリリスの相手としてグレゴリー・ペックが登場する。
「ナバロンの要塞」などの戦争物もあったが「大いなる西部」などにも出ているし、いろんな役をやった俳優だが「ローマの休日」におけるオードリー・ヘップバーンの相手役も印象深い。
ここでの彼はギャンブラーを演じてはいるが、あまり見せ場がなくて、彼の死もまた直接には描かれていない。

第3話になると成人したゼブとしてジョージ・ペパードが登場する。
前年に撮った「ティファニーで朝食を」で彼もオードリー・ヘップバーンの相手役を務めている。
そしてこのパートでは御大ジョン・ウェインもチョイ役で顔見世している。
チョイ役でもジョン・ウェインが登場してくるとオールスター出演という感じがするのは流石だ。

第4話ではジョージ・ペパードにからんでリチャード・ウィドマークとヘンリー・フォンダが登場する。
彼等も出演作品が多くて色んな役をやっているが、僕には西部劇スターのイメージが強い俳優である。
時代をどんどん追っていくので、ライナスの死もそうだが、ライナスの妻となったイーブの死も描かれず、墓標を示すことで事実を知らせているし、リリスと結婚したクリーブの死も描かれていない。
クリーブの死もあって未亡人となったリリスは邸宅を競売にかけゼブのもとへ旅立ち、50年にわたる一家の出来事を通じた西部開拓の様子が大団円を迎える。

一大叙事詩だが、いかんせんダイジェスト過ぎて中身は薄い。
それぞれのパートにふさわしいエピソードが描かれるのだが、深く切り込むような所がなく感動はあまりない。
ゼブが戦場で出会い、共に脱走しようと語り合った南軍兵士を刺殺せざるを得なくなってしまったシーンなども単なるエピソードにとどまっている。
主要人物の死が劇的に描かれても良さそうなものだが、前述したように報告的に描かれるだけなので悲しみも伝わってこない。
オムニバス映画の限界なのかもしれない。
先人が苦労して西海岸の繁栄がもたらされたのだろうが、その為に犠牲となった先住民の悲劇は少し描かれただけで、アメリカ人の身勝手と自己満足を感じてしまう最後のナレーションだった。