おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

人生フルーツ

2021-04-08 08:35:58 | 映画
「人生フルーツ」 2016年 日本


監 督    伏原健之
ナレーション 樹木希林

ストーリー
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅で雑木林に囲まれた一軒の平屋。
それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てたもの。
四季折々、キッチンガーデンで育てられた70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わる。
たがいの名を「さん付け」で呼び会う長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に彩られている。1945年、厚木の飛行場で敗戦を迎えた修一さんは、新しい時代のためには住宅再建しかない、と考え、アントニン・レーモンド事務所に勤めた後、1955年に創設された日本住宅公団に入社する。
東京大学のヨット部員だった修一さんが、国体出場のために英子さんの実家の酒蔵に泊まったことをきっかけに2人は知り合い、1955年に結婚。
造り酒屋の一人娘として厳しく育てられた英子さんだったが、自由を尊重する修一さんのお陰で、臆せずものが言えるようになったという。
やがて、東京の阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わった修一さんは、1960年、名古屋郊外のニュータウンの設計を任されると、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したプランを立案。
しかし、当時の日本は、東京オリンピックや GDP世界第2位といった事象に象徴される高度経済成長期。
結局、完成したニュータウンは理想とは程遠い無機質な大規模団地だった。
修一さんは、それまでの仕事から次第に距離を置くようになる。
そして1970年、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめた。
それは修一さんにとって、ごく自然なライフワークとして継続されることになる。


寸評
津端修一さんの暮らしぶりが紡いでいかれるのだが、僕が子供の頃にはこのような家が結構存在していた。
津端さんの家は雑木林の中にあると言ってもいいような環境下である。
ただし、そこは人工的に作られた雑木林である。
津端さんは300坪の土地を購入し、30畳ワンルームの家を建て、あとは畑と雑木林にしている。
雑木林とまではいかないが、竹林があったり大木が植わっている庭のある家が子供の頃には点在していた。
僕の実家も裏庭があって柿の木が何本も植わっていたし、ケヤキの大木が1本そびえていた。
シュロの木もあったしグミの木も植わっていた。
津端さんほどではなかったが屋敷の周りにはそんな空間があった。
隣の岩橋さんの家は広い敷地で畑を囲むように大木が何本もあったし、その隣の竹林さんの家は名前の通り広い竹林を有していた。
そんな家は今の僕の周りにはない。

津端さん夫婦は枯葉を撒いて土地を肥やし、農作物やら果物を作っている。
その種類の豊富なことに加え、立てかけた作物を示す看板などが微笑ましくて生き方が伝わってくる。
一言でいえば、憧れてしまうのである。
では今の僕がこれを実践すればどうなるのだろう。
狭い敷地でこれをやれば、ご近所の人から迷惑がられるのではないか。
樹木がはみ出しただけでも文句を言われそうだ。
洗練された日本庭園は鑑賞するにはいいが、雑木林の庭園は自然に溶け込むような優しさがある。
司馬遼太郎は雑木林を愛した作家である。
僕がかつて訪ねたことがある八戸ノ里の司馬遼太郎記念館では司馬遼太郎邸の雑木林が維持されていた。

高度経済成長期には日本全国でニュータウンが建設された。
大阪でも日本住宅公団が開発した郊外型大規模住宅団地の先駆けである香里団地を初め、 日本最初の大規模ニュータウン開発として建設された千里ニュータウンなどがある。
公園も整備されたりしているが全体的には全てが南を向いた無機質な町だ。
高蔵寺ニュータウンは自然との調和を目指したようだが、経済効率の観点が勝り津端氏が意図したものと違うものが出来上がった。
氏はその一角で雑木林再生を試み敏次は50年を超えるというのだから、その執念やすごいと思う。
しかし、生き方を見ているとそんな悲壮感は微塵も感じられない。
夫婦が尊敬し合いながら自然を愛して生きている姿が羨ましくもあり神々しささえ感じてしまう。
テレビ番組を劇場公開したものだと思うが、ドキュメンタリー作品に属するものながらドラマティックな演出を感じさせるのが津端修一の死である。
衝撃を受ける。
そして残された英子さんを励まさずにはいられない。
もっとも英子さんはそんな助けを必要とせず、自然と付き合いながら飄々と生きていかれるだろう。