おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ストレンジャー・ザン・パラダイス

2021-04-18 08:49:06 | 映画
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」 1984年 アメリカ / 西ドイツ


監督 ジム・ジャームッシュ
出演 ジョン・ルーリー
   エスター・バリント
   リチャード・エドソン
   セシリア・スターク

ストーリー
ウィリー(ジョン・ルーリー)はハンガリー出身で本名はベラ・モルナーといい、10年来ニューヨークに住んでいる。
ある日彼のもとに、クリーブランドに住むロッテおばさん(セシリア・スターク)から電話が入り、彼女が入院する10日間だけ、16歳のいとこエヴァ(エスター・バリント)を10日間ほど預かってほしいという電話がかかってくる。
ハンガリーからやって来たエヴァに、TVディナーやTVのアメリカン・フットボールを見せるウィリー。
彼にはエディー(リチャード・エドソン)という友達がいて、2人は、競馬や賭博で毎日の生活を食いつないでいる。
エヴァの同居をはじめ迷惑がっていたウィリーも、彼女が部屋の掃除や万引きしたTVディナーをプレゼントしてくれるうちに、親しみを覚えていった。
約束の10日が経ち、エヴァはクリーブランドへ旅立っていった。
1年が経った頃、ウィリーとエディーは、いかさまポーカーで大儲けして、借りた車でクリーブランドヘ向った。
クリーブランドは雪におおわれており、ロッテおばさんの家で暖まった2人は、ホットドッグ・スタンドで働いているエヴァを迎えに行く。
エヴァと彼女のボーイフレンドのビリー(ダニー・ローゼン)とカンフー映画を見に行ったりして数日を過ごした後、ウィリーとエディーは、ニューヨークに帰ることにするが、いかさまで儲けた600ドルのうち、まだ50ドルしか使ってないことに気づき、エヴァも誘つてフロリダに行くことにする。
サングラスを買って太陽のふりそそぐ海辺に向かい、2人分の宿賃で安モーテルにもぐり込む3人。
翌朝、エヴァが起きるとウィリーとエディはドッグレースに出かけており、有り金を殆どすって不機嫌な様子で戻って来たが、やがて競馬でとり返すと言って彼らは出て行った。
エヴァは土産物店でストローハットを買うが、その帽子のために麻薬の売人と間違えられ大金を手にする。


寸評
「The New World」、「One Year Later」、「Paradise」という3部構成になっている。
エヴァはハンガリーからニューヨークにやって来るが、地図も持たないでウィリーの住むアパート二向かっているのが不思議だったが、向かった先は僕たちがイメージするニューヨークではなく、どこかの田舎を思わせるような寂れた場所で、そこはたぶんダウン・タウンの一角なのだろう。
危険だから通りの向こうには行ってはいけないと言っているから、かなり危ない場所の様である。
そこでウィリーとエヴァの生活が始まるが、気がつくのは彼らがいたって無表情なこと。
やる気があるのか、ないのか、若者らしさを感じさせないけだるい仕草に、彼等の生き方の片りんを感じさせる。
気怠な生き方がモノトーンの画面を通じて強調され、映像と演出手法は実験映画の様でもある。
そして場面の切り替えはフェードアウトや、カットの切り替えではなく、暗転で行われていることも特徴のひとつだ。
それはあたかもアルバムを見開くような感覚をもたらし、暗転は時間の経過を表す役目を負っている。

ウィリーは正業を持っていないようだし、エヴァもTVディナーと称するテレビを見ながら食事をするための食材を万引きしてきているから、ともに不良っぽいところがあり、彼等の居住区はそのような場所なのだろう。
親しみさが増していっているのか、相変わらず気まずい雰囲気が残っているのかが微妙な関係が続くが、エヴァの万引きに感心したり、趣味の悪いドレスをプレゼントするなどの行為を通じて、感情表現が豊かではないが、これが彼等の気持ちの表現方法なのだろうと思えてくる。
エヴァが去ってしまった後に、ウィリーがエヴァに何かを言おうとして言えないでいるシーンなどは、むしろ繊細な若者の心の内を見せていたように思う。
面白いのは、ウィリーと友人のエディーが競馬の予想をするシーンだ。
そこで出走馬を読み上げるが、有力馬は「トウキョウ・ストーリー」である。
直訳すれば小津の名作「東京物語」となり、じっくり見返すと、その他に「Late Spring(晩春)」「Passing Fancy(出来ごころ)」と小津安二郎監督作品と思われる出走馬がいたので、ジム・ジャームッシュ監督は小津安二郎を敬愛していたのかもしれない。

ウィリーとエディーは大金を手に入れ、ニューヨークからクリーブランドにいるエヴァのもとを訪ねようとするが、出発間際で通行人をからかうようなことをやらかす。
一方でエディーは、エヴァが自分のことを覚えていてくれるかどうかを気にしたりする。
これら一連のドライブシーンでは無軌道だがナイーブな若者像が描かれていたように思う。
クリーブランドではエヴァを巡って、恋のさや当てのようなことも起きるが、ユーモアを感じさせる点描で茶化していて、何か起きそうで何も起きない日常を描いていて、それは実社会でも大抵の場合そうなのだ。
フロリダに到着してからは正に塞翁が馬状態で、今まで何も起きなかったことを埋め合わせするように、凶と出れば吉になり、それがまた凶となるような展開が繰り広げられる。
お互いに気になっているのだが、どこか素直になれず、それがちょっとしたズレで微妙な行き違いを生じさせていくという滑稽さが描かれる。
何が起きるでもない日常の出来事をユーモアを交えながら紡いでいく演出は、日本映画においては小津が得意とするところであったが、ジム・ジャームッシュの演出手法には小津の影響があるのかもしれない。