おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

新・平家物語

2021-04-11 09:44:18 | 映画
「新・平家物語」 1955年 日本


監督 溝口健二
出演 市川雷蔵 久我美子 林成年 木暮実千代
   大矢市次郎 進藤英太郎 菅井一郎
   千田是也 柳永二郎 羅門光三郎
   夏目俊二 中村玉緒 十朱久雄

ストーリー
藤原一族の貴族政権崩壊の前夜、保延三年初夏の頃。京都今出川の平忠盛の館では永年の貧窮の結果、西海の海賊征伐から凱旋した郎党達をねぎらう祝宴の金に困り馬を売る始末であった。
自分の恩賞問題にからんで、公卿の藤原時信が謹慎させられたと聞いた忠盛は驚いて、長男の清盛を時信の屋敷にやったのだが、清盛はそこで時信の娘の時子を見て強く心を引かれた。
また清盛は東市の酒屋で五条の商人朱鼻の伴卜から自分の父が白河上皇だときかされ驚いた。
忠盛の妻の泰子が祇園の白拍子であった時、上皇はそこに屡々通われたが後に彼女を忠盛の妻として賜わり月足らずで生れたのが清盛だというのである。
更に清盛は郎党の木工助家貞から母にはもう一人の男八坂の僧があったことをきかされた。
忠盛は比叡山延暦寺と朝廷の間に起った紛争を解決した功により昇殿を許されることになった。
清盛は忠盛の昇殿を喜ばない一派が闇討を計画しているのを時信からききその陰謀をぶちこわした。
時信は闇討計画を内通したというかどで藤原一門から追放された。
清盛はかねて思っていた時子と結婚する承諾を父に求め、忠盛は莞然と笑った。
翌年今宮神社の境内で起った時信の子時忠、家貞の子平六と叡山の荒法師との争いに清盛はまきこまれた。
二千の僧徒は神輿を持ち出し六波羅の清盛邸を押しつぶし鳥羽院に強訴しようとして祇園に集まった。
騒ぎの最中忠盛は自害した。
葬儀に駆けつけた泰子は、清盛に「お前は白河さまの子だ」といったが清盛は「私は平の忠盛の子です」といいきり、時忠と平六をつれて祇園に向った。
荒法師の無道を怒った清盛は神輿に向って矢を放ち、矢は神輿の真只中に命中した。


寸評
異様と言えば異様なメイキャップである。
市川雷蔵は色香の匂う優男で、豪快な清盛像を出すためにはそうしないと収まらなかったのだろう。
動員されたエキストラの数と、端役に至るまでの豪華絢爛たる衣装に、当時の映画に賭ける意気込みを感じ取れるのだが、そんな中にあって違和感のあるほど目立ってしまう清盛の眉毛だった。

物語は平氏台頭前夜の出来事を描いていて、武士階級はまだ虐げられている。
西国の海賊退治を終えて帰ってきた彼等にも恩賞はない。
そんな不遇な時代が描かれ、同時に清盛が白河上皇(柳永二郎)の落胤であるという伝説を絡ませる。
宮川一夫のカメラワークは見るべきものが有るが、しかしながらそれぞれのエピソードは上辺をなぞっただけの様な描き方で食い入るような奥深さはない。
清盛とやがて妻となる時子(久我美子)の恋物語も通り一辺倒な描き方だ。
伴卜(進藤英太郎)から自分の出自を聞かされた清盛の苦悩もあまり伝わってこない。
そんな中にあって、平忠盛(大矢市次郎)の妻泰子(木暮実千代)の気位の高さだけが描けていたように思う。
それは脚本によるものなのか、小暮実千代の演技によるものかは判定できないでいる。

僕は平清盛は歴史に残る一代の英傑だったと思っている。
貴族による公家政治を終わらせた人物だ。
公家政治とは権威としきたりによって支えられた官僚政治に他ならない。
自らは生産能力を持たず、その権威と権力で支配していた連中で、藤原氏がその地位を独占していたと言っても過言ではない。
平清盛はその官僚政治を壊した人物だったと思う。
やがて平氏は官僚に取り込まれて行ってしまうが、源頼朝によって官僚機構はつぶされてしまう。
比叡山の権威は信長の登場を待たねばならないほどのものだった。
時は流れて、再び現在の政治は官僚政治となってきてしまった感がある。
どうも官僚というやつはしぶとい人種の様だ。

清盛は「たった2本の矢で権威は崩れ去った」、「次は俺たちの番だ」とつぶやくが、武士の台頭を描いたにしては力強さに賭けた。
どうも溝口の作風に不似合いな題材だったのかもしれない。
泰子がもとの白拍子に戻ったかのように、貴族の宴でのびのびふるまう姿を見ると、この映画の主人公は泰子ではなかったのかと思ってしまう。
吉川英治原作の歴史絵巻として見ると随分時代掛っているが、それでも当時のプログラムピクチャの質の高さを感じ取れる作品だ。
市井の様子や祭りの賑わいなどは随分と丁寧な描き方だし、叡山の荒法師が山を下る場面などは惚れ惚れするなあ~。