おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

仁義

2021-04-05 08:58:12 | 映画
「仁義」 1970年 フランス


監督 ジャン=ピエール・メルヴィル
出演 アラン・ドロン
   イヴ・モンタン
   ジャン・マリア・ヴォロンテ
   フランソワ・ペリエ
   ブールヴィル
   ポール・クローシェ

ストーリー
マルセイユ―パリ間の夜行列車のコンパートメント内、一人は刑事=マッティ、一人は容疑者=ボーゲル。
マッティが寝入るとボーゲルは安全ピンを取り出し、針の先をヒン曲げ手錠の鍵穴にさしこんだ……。
マルセイユから程遠くない刑務所。
年期開け近くもう出獄というコレーに古顔の看守が宝石店を襲う仕事をもちかけていた。
しかし、彼は「別に大きな仕事をしなくとも俺は食える」と断った。
コレーには仲間のリコに“貸し”があったのだ。
出所後、彼がくらい込んでいる間に勢力を伸ばしたリコを訪ね“貸し”を求めたがリコは言を左右にして断わる。
コレーは一喝してかなりの札束をものにした。
リコの追手を背後に古巣パリへ向かったコレーの車のトランクに、突っ走る列車から脱出したボーゲルが偶然もぐり込んできた。
勿論、マッティの追求は随所の非常線、検問所に及んでいた。
が、危機はリコの追手が先だった。
コレーが捕えられた時、ボーゲルの凄腕が披露された。
二人は友情を深めたが、困ったことに敵と共に札束が穴だらけになり一文ナシとなったのだった。
コレーの脳裏裡にいつかの看守の話--パリの高級宝石店の話が浮かんだ。


寸評
「仁義」という日本のヤクザ映画のような邦題がついているが、原題は「LE CERCLE ROUGE」となっている。
直訳すれば「赤い輪」となるのだが、それは冒頭で紹介されるラーマクリシュナが聞いたとされる仏陀の言葉「人はそれと知らずに必ずめぐり逢う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ずや赤い輪の中で結び合う」からきている。
本当に仏陀の言葉なのか、メルビルの創作なのかは知らないが、会うはずのなかった男たちが運命の糸にあやつられるように出会って、のっぴきならぬ対決へと追いこまれてゆくというこの映画の本筋を表している。
本筋はそうなのだが、見ている限りにおいて少々分かりづらい。
また多様な要素を詰め込んでいる長さのせいか、どこか焦点を絞り切れていないような冗長さが感じられる。

初めは乗り気でなかった看守が持ちかけた宝石強盗を、コーレイはどうしてやる気になったのかを言葉で説明することはない。
決定的なのはテーマ的にも一番の見どころになるはずのサンティの裏切りが明確に描かれていないことである。
ボーゲルが、故買屋に扮した警視のマッティからコーレイを逃がそうとするシーンだ。
字幕では、マッティが「なぜ黙ってた?」と問いかけ、ボーゲルは「仁義だ」と答えて逃げ去る。
なぜこんな会話を交わしたのか? ボーゲルはなぜ自分を追っているマッティ警視を射殺しなかったのか?
最後になってそんな疑問が湧いてくるのだが、じっくり振り返ってみると面白い推論が浮かんでくるのである。
「なぜ黙ってた?」というのは、「なぜ俺が警察の者だとハッキリ言わなかった?」と問うていたと思われる。
「仁義だ」と答えたのは、「それを言えば、コーレイは逃げずにお前を殺すかもしれない。言わないでヤツを逃がし、あんたの命も助けるのが仁義だ」という意味だったのではないかと思う。
ナイトクラブで新たな故買屋と待ち合わせているコーレイの元に、タバコ売りのバニー・ガールが赤いバラを渡すシーンがあるが、雰囲気だけで本筋に直接関係なく、カットされたっておかしくないシーンだと思われるが、コーレイが持ち帰ったバラを持ってボーゲルが見送っているから、赤いバラは裏切りの象徴だったのかもしれないし、もしかしたらサンティが罠を知らせようとしてコーレイに渡させたのではとの憶測も湧いてくる。
セリフの少ない、説明が少ない作品で、その事が憶測、推測を呼び、そこが面白い作品でもある。

主演はアラン・ドロンだが、目立っているのは警視マッティのアンドレ・ブルーヴィルと、ジャンセン役のイヴ・モンタンで、前者はその性格描写が面白い。
逮捕のためなら、ボーゲルの友人であるサンティ本人どころか、サンティの息子まで偽装逮捕したり、自ら故買屋に変装したりするような荒っぽいこともやるが、プライベートでは3匹の猫とだけ暮らす孤独な生活を送り、監査局長に対しては、いかなる容疑者にも無罪の可能性があると語る二面性のある人物として描かれている。
カッコいいのは後者のイヴ・モンタンで、幻想にうなされるアル中なのに、次に登場した時にはスキッとした変わり身を見せ、そして三脚で固定されたライフルを外し、自分の腕で目標物を射抜いているのだが、それはジャンセンという男のプライドを描いていたのだろう。
事を成し遂げウィスキーの匂いだけ嗅ぐとか、分け前はいらないと申し出たりしているのは、かれのプライドの誇示以外の何物でもない。
ラストの処理と言い、メルビルらしい作品だといえる。