猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

失われたもの。

2010年03月05日 13時01分08秒 | つぶやき

 

 

子供の頃。

「言うことを聞かない」と親から家を放り出されると、
隣のおばちゃんや二階のおばちゃんが助けてくれたものだった。

それは、もしかすれば、
ドアを叩いて、「ごめんなさい」と泣き続ける子供の声に、
迷惑しただけのことかもしれないが.....

それでも優しく声をかけ、
「おばちゃんがお母さん(お父さん)に一緒に謝ってあげるから」と言っては、
その状況から救い出してくれたことには、
子供心にどれだけ感謝したことか、わからない。

幼い子供にとっては全世界である、我が家から締め出されるあの心細さは、
オトナになってみれば、なぜあれほどのものだったのかと、
思わないでもないけれど.....。

そのおかげか、あの頃、私たちは、
小さいながらに人の温かさを知っていた。

まあ、考えてみれば、皆が貸家やアパート暮らしで、
近所の子供の顔を全部覚えている時代。

隠しごとをしようったって、音やら何やら筒抜けで、
風呂まで一緒(銭湯)なのだから、ちょっとした親戚感覚だったのかもしれないが。

だからこそ、何かが手遅れになることも少なかったのかもしれない。

プライバシーも個人空間もへったくれもなかったけれど、
それこそ上記のように家を閉め出されれば誰かが助けてくれ、
酷く叩かれれば、それもまた同じだった。

前にも書いたが、私が母とこっそり会ったことで、酷く父に叩かれたときも、
それはいつの間にか母の知人に伝わり、
彼女は母にこう頼んでくれたものだ。

「erimaちゃんが酷く叩かれるから、もう会わないであげて」と。

(このことは私はあとから知った)

けれど今は。

親が子に食事を与えず餓死させても、
殴って体中あざだらけにして、骨折させ、火傷させ、
あげくの果て殺しても。

誰も気づかない(のか?知らないふりか?)
誰も助けない。

飢えて絶望して、それでも親を信じて、
痛さと寒さと心細さの中、死んでゆく子供を.....

あとになって人々は、「なんてひどい」「もっと早く気づいていれば」と、
自分の罪を軽くしたいがために言うのだ。

『逝きし世の面影』によれば、
幕末から明治にかけて日本へやってきた外国人は、
皆そろって、日本を「子供の楽園」と呼んだそうだが.....

その日本は失くなった。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、
 そして子供のために深い注意が払われる国はない。
 ニコニコしているところから見ると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」

「私はこれほど自分の子供に喜びをおぼえる人々を見たことがない」

「彼らほど愉快で楽しそうな子供たちは他所では見られない」

「日本の子供は泣かない」
(始終満足してるので、転んだりしない限り泣かない)

そんな国は永遠に失われたのだ。

かつては朝となれば、父親たちが一斉に自分の子供を抱いて外へ出て、
一緒に遊んだり、父親同士、互いに我が子の知恵や体格を自慢しあっていた、
そんな国は.....

今や、『プライバシーの尊重』や、『個人の権利』のために、
弱いものを犠牲にし始めた。

私たちは親に殺された子供に、たとえば何がしてあげられて、
何が出来なかったのか.....

きちんと考えるべきだ。

こうしてニュースを見るたびに、「酷い.....」と呟くだけで、
救われる子供は増えるのか?と。

前にも書いたけど、本当に.....

自分の無力さに反吐が出る。

「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら、
それでも追いかけまわされ、殴られる絶望を.....

息も出来ないほど泣き続けることの苦しさを。

私は知っているのに。

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2 コメント

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いつも思ってしまう (いなひこ)
2010-03-06 07:36:41
このての事件を聞くたびに、この子の事を考えると、胸がしめつけられる。世界中で、一番信頼している人からの絶え間ない暴力と叱責、もうこの子は、どうしていいのか分からない、常に怯えと哀願の中で生きていて、それでも許されない、本当に生き地獄。

事件が起こる度に思う事
親も同じ目に遭わせたい。
暴力団みたいな人の中に四六時中いさせて、何時なんどき殴られるか分からない状態において、自分が謝っても泣いても許されない事がどんな事かを思い知らせてやりたい 

矢面に立たされる家庭児童相談所の方々、本当にお気の毒に思う。どれだけの権限があるのだろうか? 会見なさってる相談所の方は、みんな優しいそうな方ばかり、鬼親にキツク意見なんて言えそうも無いし、親なんだからと言われたら・・・引き下がるしかないでしょう。

今盛んに言われてるプライバシー・個人情報
でも考えたら、いくら隠していても実際は、いろんな事をいろんな機関が知ってる。
もしかしたら、私自身より、もっと細かく詳細に、我が家の事情を把握してるかもしれない。

子どもが生まれたら、生命保険の勧誘
七五三には、写真屋さん
成人式には、洋服屋さん
そうそう、成人した途端に可愛い声のお姉ちゃんから慣れなれしい声で、勧誘の電話の多い事。 
そして、もっと以前には、兄が亡くなったら、どこそこの宗教の方が来た。

どうも この国は、味噌もクソも一緒みたいな極端な所がある。
返信する
本当ですね。 (erima)
2010-03-07 04:01:29
いなひこ様

いなひこ様のおっしゃるように、
>同じ目に遭わせたい。

本当にその通りです。

けれど、一方でこの『虐待』の問題については、その虐待をしている親も、子供時代に虐待を受けているケースが多いといいますから...
彼らの過去の記憶や何か、病んだ部分がそうさせているのか、解明も同時にしなければ、こういう事件はなくならないような気もします。

児童相談所の方々もそうですが、他にも、親自体に対処する機関を設けて、その場で判断出来る力、強制力を与えるとか、そういう強い手段に出ないと、このまま殺される子供は増える一方のような気もして...

兄弟が少なくなり、近所の子供を面倒見ることもなくなり、小さな子供に対して接し方がわからないまま大人になったという人も多いと思いますし、離婚再婚が当たり前になった今、継父・継母の問題も多いと思うがゆえに、いきなり心構えもないまま、継子を持つ大人の問題も気になります。

個人情報の大事さも、何か違う方向へ行っている気がしますし。

はたして、味噌とクソを一緒にしているのは誰なのか?
その根本にあるのは何なのか。
考えれば、そこから何か見えてくるような気がします。
返信する

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