goo blog サービス終了のお知らせ 

   猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

そういえば丸二年。

2007年11月01日 02時24分51秒 | アルバム

そういえば去る27日は、私の○○回目の誕生日&ゴンザとの結婚丸二年にあたる記念日でした。

 

エスパー妹から、素敵な包みが届きました♪

 

昨年のサプライズな夜からもう1年。

しかし、実は今年のお誕生日は朝から散々で、とてもお祝いという感じではなく。
(ちなみに『今年はお母さんが亡くなって『誕生祝い』とかいう気分じゃないし、
 プレゼントはなしにして』と事前にお願い済み)

と、いうのも、私がゴンザの帰宅後しばらくして、めそめそとぐずったから、なのですが.....

これでせっかくゴンザが用意してくれた、私の好きなパンケーキも、中途半端につつかれたままで。
(お店で無理言って頼み込み、持ち帰ってくれたのに)
わざわざ私のためにアレンジしてもらったという、とっても素敵なブリザーブドフラワーも、寂しげにぽつんと置きざられたまま。

二人ともほとんど口をきかないまま、眠りについたのでした。

 

紫の紙に包まれていたのは、エスパー妹のセンス溢れる手作りカード!
思わず胸がきゅ~んとする可愛さと温かさ。

ネイルに使うストーンと、やはり同じくネイル素材で彼女が手作りした薔薇。
嬉しくていつまでも飾っておきたいカード。

 

私がぐずった原因は、ど~しても私が気になって仕方がない、お母さんが亡くなったあとの『もろもろのやらなければならないこと』が、進んでいかないことへのストレス。

私がすべきことはもうすべてやってしまっていたのだけれど、その後私が踏み込むことの出来ない領域のことが、どうにも進んでいないように見えて。

まあ、それを私が気にしても仕方がないのだけれど、小心者の私はず~っとそればかり考えていて、とうとう誕生日の朝に、
「このままでは胃に穴が空いてしまう」「こんなにこまごまと色々気にするのは私が異常で病気なのかもしれないけど、わかって欲しい」
と、めそめそした次第。

 

そしてもう一枚、添えられていたカード。
エスパー妹は時おり、こうして中に何もメッセージを書かずカードをくれる。
それは私がこのカードを誰かに使えるようにとの配慮だ。


何せどうなっているものか、ゴンザに聞いてもはっきりしないし、私としては気ばかり焦るのみで、このひと月。
猛烈な胃痛に苦しんできたのだ。

で、とうとう限界に。

まあ、そのめそめそしたおかげで、ようやく少しずつコトは進んでいることがわかって、少しホッとしたのだけれども、『erimaちゃんに心配かけたくなかったから』進展状況を言わなかったという、ゴンザの気遣いが、余計に私の心配事を増やしたわけで.....

精神的に大変厳しいひと月でございました。

 

記事の内容とは正反対に可愛い画像はまだまだ続く(笑)
プレゼントの中身はこちら!
うわあ~♪♪

 

思えば、16歳で父のもとから家出するまで、私は歩けなくなるほどの胃痛にしばしば襲われ、常にお腹を壊していたものだった。
継母と共に暮らした4年間は、そんな自分の身体との闘いでもあった。

あれからはるかな時が流れ、久しく忘れていたこの感じ。
(いや、『もうひとつの仕事』のときもそれに近いものがあったけど)

二度と経験したくないけれど、 大丈夫かなぁ。

 

イギリス製のケルトっぽい形のクッキーは
余計な添加物なしの素朴な美味しさ。

箱の裏にも可愛い写真入り~♪

 

あ、でも。

この誕生日の翌日にはけっこうケロッとして葉山での休日を楽しんでいた私だから、結構大丈夫なのかも~(笑)
(私が気にしていた懸案事項も、ほとんど今日で一段落したようだし)

 

こちらもまた私のツボを突きまくるバルサミコ酢のミニボトル詰め合わせ。
8年もの、10年もの、20年もの、40年もの(!)が入ってます。
うう、たまらん~~~~~(笑)

 

でね。
その私がなんで翌日あれだけ元気だったかというと、実は誕生日にひとつ、すご~く嬉しいことがあったから♪

それは、ゴンザの同僚Aに、二人目の子供が生まれたという、実に実にめでたい出来事!
(この同僚Aは昨年の芋掘りにも登場した人物で、ドラえもん事件の被害者でもある。またその妻はゴンザに大変可愛がられており?たびたびにぎりっぺなど食らわされている・爆)

こんなに喜ばしいことがありましょうか!?

 

こちらはオーガニック栽培の花びらに砂糖コーティングを施したもの。
これをグラスに入れ、スパークリングウォーターを注ぐと
綺麗な色になるらしい。きっと紅茶に浮かべても素敵だね♪

 

私と同じ誕生日の、ほとんど同じような時間に生まれた女の子。

願わくば彼女が、今始まったばかりの人生を、幸せいっぱいに歩んでくれますように。

 

エスパー妹から貰ったカードを、
ゴンザがくれたブリザーブドフラワーと共に飾ってみました♪
エスパー妹~、本当に本当にありがとう!

 

A~、S子~、おめでとう!
来年は芋掘りにまた一人メンバーが増えるね~♪
(ちなみに今年はAの高熱により、A及び娘は欠席。なんだよう~、A!お前は来んでもいいから娘(←超カワイイ)だけ寄こせ~・笑)

 

そういえば私はエスパー妹がくれたクッキーを『ケルトっぽい』
と言いましたが、ハロウィンも確か、元はケルトのお祭りでしたね。
皆さんはどんなハロウィンを過ごされましたか?
ちなみにケルトでは10月31日が1年の終わりだとか。
今は定番となっているジャック・オー・ランタンも元はカボチャではなく蕪ですって。

 


嵐の夜には時空を超えて   -バック・トゥ・ザ・フューチャー-

2007年09月06日 22時15分04秒 | アルバム

そういえば先日。

ご近所にあるのに、今まで一度も行ったことのなかったここへ行ってきました。

 

     

          『新横浜ラーメン博物館』で『龍上海』のラーメン

 

前夜にTVで見たラーメンがあまりに美味しそうだったので、お店がどこにあるのか調べてみたら、本店は山形県でがっかりしたのだけれど.....

なんと、このラーメン屋さん。

我が家のすぐ近くにある(徒歩圏)にある『新横浜ラーメン博物館』に出店していることが判明して。

では、さっそく行ってみようと、二人してチャリに乗って行ってみたわけです。

 

この『ラーメン博物館』。

今まで、ただラーメンを食べるためだけに300円の入場料を払うなんて、馬鹿馬鹿しいと思って行ってみる気にもならなかったけど、なかなかどうして。

この美味そうなラーメンに惹かれただけ、という単純な理由で行ってみたら.....

これが意外にも楽しい。

 

     

          

 

逆行する時計を眺めながら階段を下りると、そこは昭和30年代の日本。

 

汚くって、ゴチャゴチャしていた.....

活気のある『昭和』そのものがそこにはありました。

(とは言っても、30年代には私はまだ生まれてないから、そのままを知っているわけじゃないけど)

 

          

          

 

私が子供の頃は、確か街はまだまだこんな感じだった。

そこらじゅうが生活感に溢れ、人々は貧しさを残しながらも生き生きと笑い、子供たちは悪臭を放つドブ板を踏んではガタガタと走り、路上にはロウ石で描かれた輪があって。

 

          

          

            ...ん?そこでケンケンパをしてるのは...

 

大人は手打ちのパチンコに興じ、夜の裏通りはあくまで怪しく.....

チンドン屋さんは郷愁溢れるメロディで、怪しげに、哀しげに、子供たちをつかの間の異世界へと誘い.....

人ゴミにはただの混雑ではなく、にぎわいがあって。

 

     

          

 

なんでも手垢にまみれていたけど、それでも誰も何も言わない世界。

ものは多くなくとも、それぞれに愛着があった世界。

 

          

          

        コラ!そんな細かい演技は入れんでもいいから(笑)

          

 

 

無秩序と秩序が混在していた.....懐かしい世界。

 

『新横浜ラーメン博物館』。

なかなかに侮れず。

 

そういえば、あの大ヒット映画。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、主人公が嵐の夜に過去へ旅していたけれど。

今夜は関東地方も嵐だから.....

あなたも時空を旅してみませんか?

 

          

 

 

懐かしい顔が、そこらにヒョイッと出てきそうなあの光景。

誰の心にも、そんな街があるものですよね。

 

          

           いや...ゴンザよ。そういう意味では...(爆)


60年の時を超えて

2007年08月26日 03時23分38秒 | アルバム
          


ここは.....
横浜のディープスポット野毛にある、小さな洋食屋さん。

戦後、このあたりに闇市があった頃から、
人々に美味しくてボリュームのあるものを提供し続けた、
地元民がこよなく愛する店。

昭和21年開業。


     

          


同時期にオープンしたジャズ喫茶などがひっそりと姿を消してゆく中で、
今も美味しい、どこか昔懐かしい料理を出し続ける店。


          

     


創業者は、旧横浜居留地にあったホテルで働き、
帝国ホテルでも修行を積んだ人。

今ここで皆に愛されているメニューは、ホテルのそれとは少し違うけれど
どれも安くて、ある意味、ホテルの料理以上に美味しい。


     


昼間は閑散としているこの界隈の、のんびりした空気の中で。

国籍不明の店員がカタコトの日本語でオーダーをとっては、
無造作にポットごと冷えたお茶を出してくれるのを受け取り。

アルマイトの皿に乗った、はみ出んばかりの
ボリュームメニューが供されたら.....
壁に設えられた小さな金属棚に乗せられたスプーンを取って、
ガツガツとすべてを平らげてゆく。


     
                   『スパランチ』700円
             (スパゲッティ・ライス・チキンカツ・サラダ)

     

                   『ハマランチ』1000円
                (オムライス・チキンカツ・サラダ)


店内に響く、『カツカツカツ!』という、スプーンが皿に当たる音。

つるつるしたテーブルの上に置かれた皿が、
食べている勢いでくるくる回ってしまうのもご愛敬。


     


ここで流れているのは、外界とはまったく違う時間。

何者かわからぬ街に成り果てたみなとみらいをすぐそこにしながら.....

『横浜』はいつもこんな場所に存在し続ける。

女の子の憧れ(元・女の子含む)

2007年02月17日 09時33分02秒 | アルバム
え~。
本日、どこぞの芸能人が十二単を着て結婚式を挙げるから、というわけではありませんが。

道ゆくとちらほらとひな祭り関連のものを見かけるようになったので、今年もちゃあこのためのお雛様を引っ張り出してみました。


     


不器用なこの私が、ちゃあこの健康と長寿を祈ってせっせと作った、ハマグリの貝殻と和紙で出来たこの雛人形達。
普段は、以前に頂いた高級肉『今半』の空き箱に納めてありますが.....(笑)
昨年可愛い飴玉たちもそのまま仕舞ってしまったので(ダジャレじゃないのよ)、それが中で融けてベロベロに(泣)

幸いお雛様たちは無事でしたが、今週末はその融けてしまった飴の代わりや、可愛らしい雛菓子など、買い求めに行かねばと思っております。

だって.....
女の子のお祭りはいくつになっても、例えば猫のものであっても楽しいもの♪

私自身。
雛人形というものを持っていなかったこともあり、お雛様は永遠の憧れ。

こうしておもちゃみたいなものでも(手作りゆえ少々ブサイクでも)、ちゃあこのために丁寧に飾ってあげられるのはとっても嬉しいのです。

私とゴンザは今年も、このお雛様を眺めながら、

「ちゃあこがいつまでも元気でありますように」

との願いを込め、歌ったり踊ったりしながらひな祭り当日までを過ごすのだと思います。

また来年、こうしてちゃあこのために雛人形を飾れますようにと。

で。
雛人形や某芸能人の結婚で思い出した、というわけでもないんですが、そういえば私もかつて十二単を着たことがあるので、蔵出し、でございます。

いえね。
十二単と言いましても、正式なガチガチのヤツでなく、昔流行った『十二単風』の、花嫁のためのうちかけなんですが。

確か、どこぞの結婚式場のブライダルショーで着たのだったと思います。
もう、どれぐらい前の出来事になるのかは思い出すのも困難ですが.....
写真の古さから、そこからはるかな時が流れたことだけは伺えます(笑)


       

       


この頃は。
おそらくバブル真っ只中。

もちろん、『地味婚』なんて言葉、誰も思い浮かべず、ひたすら結婚式に金をかけるのが主流だったのだと思います。

ゆえに、ショーも華やか華やか。

このスナップは本番前に撮ったものと思われますが、横からのアングルで撮った写真の『おなが(尾長?)』(頭頂部からぶら下がっている髪の毛もどき)の長さに、そこはかとなく景気の良さが伺えます(笑)

んでもって。

こちらは十二単やお雛様、ってわけじゃないんですが変り種を二つ。

ワタクシ、実はかつて、あるところの大奥におりまして、そこでお中臈をしておりましたのでそのお写真を(笑)


       


でもねぇ~、このカツラね~。
すっごい痛いんですよ。

一応ね、事前にカツラあわせなるものはしてるんですけどね。
裏が金属で、待ち時間なんかもう拷問に近いぐらい痛い。
(花嫁さんの時のは痛くないのに)

でもいちいち脱がせてもらうわけにはいかないから、6時間とか、このままで待っていたりする。

撮影時間も合わせたらもう本当に長くてねぇ.....
真剣に辛かった。

まあね。
滅多に着れないもの着て、少しとはいえ大きな撮影現場に身を置けて、今ではいい思い出ですけど。

でね~。
これとは別に(この大奥モノがご縁で頂いた仕事ですが)、こ~んなものにもなりました。


       
                 花魁(江戸初期)


えっ?これが花魁(おいらん)?
花魁ってもっと豪華じゃないの?と思われたあなた。

私も最初はそう思いましたが。

実際は、あのTVで見るような豪華絢爛な花魁は、もう江戸時代末期も末期。
明治とかにかかる時代のものなんだそうです。

まあね、初期の頃はこんなに簡潔な感じだったなんて、なんだかちょっぴりつまらないですが。
これもいい経験。
昔だって普通の遊女から花魁になるのはものすごい難しかったといいますからね~。
現代(今から十ウン年前)にあってこんな格好が出来るって、まったく有難く面白いことでした。
(でも眉をものすご~く細く短くカットされたのにはちょっと困った)

あ、ちなみにこのポーズ。
花魁はこうして座っていた、と教えてもらい、楽屋でパチリと撮ったものですが。

私はお雛様を持つことは出来なくとも、こうして大人になってから、女の子心を大変に満足させて頂く事が出来て本当に幸せです。

子供の頃はそんな光景。
想像もしてみなかったんだけどなぁ。

ああ、ありがたやありがたや。

皆さんはもう、お雛様は出されましたか?

お雛様は.....
女の子の(元・女の子含む)の夢ですね~。

すべてはここに。

2006年09月04日 23時10分04秒 | アルバム
昨日、別れを惜しんできた帝蚕倉庫。

森ビルの持ち物となったこの場所では、この5ヶ月。
期限付きのバーがopenしていた。

昨日はその最終日。
私も別れを惜しんできた。

横浜になんの愛情も持たない業者に取り壊される倉庫。
一部は残されるという話もあるが、感傷的に過ぎているのが自分でわかっていても、こんな風に歴史ある建物とそこにまつわる思い出が踏みにじられるのはたまらない。

ここは、横浜を形作ってきた、生糸貿易の歴史的遺構だ。

私にとっては、仕事も遊びも恋愛も生活も、すべてこの風景と共にあった。
この闇に浮かぶこの建物を横目に眺めながら、色んなものを愛した。



                         

新しいものと古いもの。
溶け合っていた風景は、高層マンションの下敷きにされ、人々が愛した風景は、一部の、『ステイタス』のために遮られる。
横浜は金で買い叩かれ、都内のどこかの街と同じような顔を持つ、うわべだけの街に成り下がり、いつしかそこに根付いた文化さえも忘れるのかもしれない。

 

この辺りで生きた人々が、何十年もそうしていたように。
私も多くの夜、もしくは昼を。
または夜明けを、この倉庫のある風景と共に過ごした。

傍から見れば、汚い倉庫でも。
私たちには美しい、思い出の宝箱なのだ。

                    

今は煌々とライトに照らされ、すべてを曝されていても。
ただ、金の生る土地と、拝金主義者にぶち壊されても。

ここで生きた人々の心には。
かつてここが薄闇にも、圧倒的な存在感を持ってそこにあったように。
誇り高くこの倉庫が、聳えつづけるのだと思いたい。

                         


愛情のない街づくりが、すべてを壊したのちも。