ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

植松被告と責任能力(続)

2020-01-28 10:15:22 | 日記
植松被告は「自分は責任能力がある」と主張している。では、「責任能力がある」とは、どういうことなのか。このことを知るうえで、大いに参考になる記事がきょうの新聞に載っていた。

「兵庫県・淡路島の洲本市2015年3月、住民5人が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(45)の控訴審判決が27日、大阪高裁であった。村山浩昭裁判長は、裁判員裁判で審理された一審・神戸地裁の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。裁判員裁判の死刑判決が破棄され、無期懲役となったのは7件目。うち5件で無期懲役が確定している。
平野被告は事件前、乱用すると幻覚などを生じることがある向精神薬を大量に長期間服用し、精神障害による措置入院歴があった。このため一、二審とも、被告の責任能力の有無や程度が主な争点となった。村山裁判長は被告が犯行当時、心神耗弱状犯態にあったと認定した。
(死刑判決を出した)17年3月の一審判決は、被告を起訴前と起訴後にそれぞれ精神鑑定した鑑定医2人の意見を踏まえ、被告が薬の大量服用で薬剤性精神病になり、『被害者一家が電磁波兵器で攻撃してくる』という妄想を抱くようになったと指摘。だが、犯行当時は直接的に殺害を促すような幻覚・妄想の症状はなく、自分の行為が殺人罪になると認識していたなどとして、『殺害の実行に病気の影響はほとんど見られない』と結論づけた。」
 
この記事から判るように、「責任能力がある」とは「犯行当時、心神耗弱状犯態にあった」ということであり、「心神耗弱状犯態」とは、「幻覚・妄想の症状があった」ということなのである。

植松被告は「自分は責任能力がある」と主張したが、それによって彼は、「自分は犯行当時、心神耗弱状犯態にあったのではない」と主張し、「自分は犯行当時、幻覚や妄想にとらわれていたわけではない」と主張しているのである。

興味深いのは、このことと、検察側の主張とがどんぴしゃりと符合していることである。朝日新聞は植松事件について、次のように伝えている。

「弁護側は被告が事件当時、大麻精神病などの精神障害だった疑いがあり、心神喪失や耗弱の状態だったとして無罪か減刑を主張。検察側は『意思疎通できない障害者を殺す』という被告の考えは『病的な妄想ではなく特異な考え方』として、完全な責任能力があったと訴えている。」

つまり検察側も、(植松被告の陳述と同様に!)被告は犯行当時、「病的な妄想」にとらわれていたわけではないから、「完全な責任能力があった」と主張しているのである。

植松被告は、(有罪になるリスク、つまり死刑になるリスクまでおかして)こう言いたかったのだろう。「意思疎通できない障害者を殺す」という自分の考えは、病的な妄想などではなく、まっとうな思想・正当な思想なのだ、と、ーーそう言いたかったのだろう。

では、彼が「まっとうな思想・正当な思想」と考える、彼の犯行の動機とは一体どういうものなのか。

(つづく)
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